第198話 お互いの指に唇が触れて

「ふう」


「お疲れ様。お茶を淹れたから一休みしよ」


「おっ、ありがと」


 しばらくれっくんを堪能した後、桜彩が温かい紅茶を淹れ直してくれたので切った生地等を脇にどかして二人でお茶を飲む。

 飲みながら右手を握ったり開いたりを繰り返す怜。

 するとそれを疑問に思った桜彩が問いかけてくる。


「怜、右手、どうかしたの?」


「ああ。ハサミとか針仕事とかしてると地味に握力無くなっていくからな」


 生地によっては切るのに力が必要である為、はさみ仕事は握力を使う。

 結構多くの生地を切ったり針を強く持っていたせいで少しばかり握力が弱くなってしまった。

 それを聞いた桜彩は良いことを思いついたというように、顔を明るくしてぽんっと手を叩く。


「そうなんだ。それじゃあ怜、右手を出して」


「え? こう?」


 何をされるか分からないままに怜が右手を桜彩へと差し出すと、その手を桜彩の両手が包み込む。

 柔らかく温かい手。

 先日のデート以来、事あるごとに桜彩と手を握り合っている気がする。

 そしてその度に友情や信頼(に加えて本人達は気が付いていないが愛情も)が高まるような気がしてくる。


「頑張った怜にご褒美。それとれっくんのお礼。手のマッサージしてあげるね」


「ん。ありがと」


 怜が頷いたのを見て、桜彩が怜の手をゆっくりとマッサージする。

 正直そこまで手が痛いわけでもないのだが、それはそれとして桜彩のマッサージは気持ちが良い。

 これはマッサージの腕前なのか、それともマッサージをしてくれるのが桜彩だからなのだろうか。


「痛くない?」


「ああ。ちょうどいいよ。桜彩の手、凄く気持ち良い。なんだかずっとこうしてもらいたいくらいに」


「ふふっ。私もこうやって怜の手をマッサージするの、なんだか楽しいな」


「いつもみたいに手を繋ぐのも幸せなんだけど、こういうのもそれはそれでいいもんだよな」


「うんっ」


 そして二人は五分ほど手のマッサージを楽しんだ。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ありがとな。気持ち良かったよ」


「ふふっ。どういたしまして。してほしかったらまたいつでも言ってね」


「ああ。その時はお願いするよ」


「うん」


 名残惜しさを感じながらも手を離し、マッサージを終えて再びお茶の時間を再開する。

 そんな怜を見て桜彩がふと何かを思いついたようにしてお茶請けのクッキーに手を伸ばす。


「あっ、そうだ。右手がまだ痛いだろうし、クッキーは私が食べさせてあげるね。はい、あーん」


 右手が思うように使えない怜の為にクッキーを取って差し出してくる。

 もっとも先ほどのマッサージで既に回復しているし、たとえ握力が弱くなっているからといってクッキーを食べる程度なら全く問題はない。

 桜彩もそれは分かっているのだが、今はそれを口実に怜にクッキーを食べさせたいし、怜も桜彩に食べさせてもらいたい。


「ありがと。あーん」


 もう恥ずかしがることもなく、素直に桜彩に甘える怜。

 大きく開けた口の中に桜彩がクッキーを入れてくれる。

 一口噛めばクッキーの甘さが広がって、疲れが幾分か和らいだように思える。


「うん。美味しい」


「良かった。それじゃあ次ね。はい」


「あーん」


 差し出されるままにクッキーを食べる怜。

 そんな怜を見て桜彩の顔に笑顔が浮かんで来る。


「ふふっ。美味しそうに食べるね」


「そりゃあ美味しいからな」


「うん。それじゃあ私も……」


 そう言って今度は自分が食べる為にクッキーを摘まもうとする桜彩。

 しかしそれよりも早く、今度は怜がクッキーを摘まんで桜彩へと差し出す。


「それじゃあ今度はお礼に俺が食べさせてあげる。はい、あーん」


 差し出されたクッキーに一瞬ポカンとした桜彩だが、すぐに笑顔に戻っていく。


「ありがとね。あーん……美味し~い!」


 幸せそうに怜の差し出したクッキーを食べる桜彩。


「じゃあ次は私が怜に食べさせる番だね。あーん」


「あーん」


 再び怜にクッキーを食べさせる桜彩。

 しかしここで問題が発生してしまった。

 今食べているクッキーは比較的小さめのクッキーだ。

 それを摘まんで食べさせていると、どうしても差し出されたクッキーだけを口で掴むのは難しい。

 つまりは


「あっ……」


「んっ……」


 桜彩が差し出したクッキーを食べようとした怜の唇が、桜彩の指へと触れてしまう。

 お互いの感触を感じてドキッと固まってしまう二人。


「…………」


「…………」


 怜の唇と桜彩の指が触れたまま数秒が経過する。

 そして


「あっ、ご、ごめんっ!」


「あ、う、ううん、こ、こっちこそ!」


 慌てて二人が左右にはじけ飛んだ。

 ひとまずクッキーを咀嚼して、桜彩の指が触れた唇へと自分の手を当てる怜。

 桜彩の方も怜の唇に触れた自分の指を胸の前に持って来てもう片方の手で優しく包み込む。


(さ、桜彩の指が、俺の唇に…………)


(い、今、怜の唇に触れちゃったよね…………)


 しばしの間逆方向を向いて固まってしまう。

 そして同時にお互いの方へと向き合う二人。

 当然二人の顔は真っ赤に染まっている。


「え、えっと……今、私の指、怜の唇に、触れちゃったよね……」


「あ、ああ……その、悪い……。もっと上手にクッキーを取れたらよかったんだけど……」


「う、ううん! べ、別に嫌ってわけじゃあないし……」


「そ、そっか……」


「う、うん……」


 しばしの沈黙。

 お互いの視線が自分の体に触れた箇所へと向いてしまう。


「で、でもさ、ば、バーベキューの時も似たようなことがあったでしょ……?」


「あ、そ、そうだな……それにこの前の朝食の時にチーズも……」


 あの時、怜の指に付着したチョコレートを桜彩が自然に舐めとった。

 そのお返しとして、桜彩の指に付着したチョコレートを今度は怜が(蕾華に煽られて)舐め返した。

 そして先日はピザトーストのチーズが指に付着して。


「だからさ。べ、別に気にすることじゃないなって」


「あ、そ、そうかもな。さ、桜彩がそう言うんなら……」


「うん。そ、それじゃあ気にしないことにしよ」


「わ、分かった」


 二人共赤い顔のまま頷き合う。

 その微妙な空気を振り払うかのように怜がテーブルの上へと視線を移してクッキーを摘まむ。


「そ、それじゃあクッキーを食べるか。今度は俺が食べさせる番だな。はい、あーん」


「あ、あーん……」


 桜彩が口を開けたので、そこにそっとクッキーを送り込む怜。

 しかし


「あむっ……あっ……!」


 まだ動揺が収まっていなかった桜彩の唇が、今度は怜の指へと触れてしまった。

 先ほどとは逆の立場ではあるが、同じように左右へとはじけ飛んで背を向ける二人。


「ご、ごめんね……」


「い、いや。その、さっき言ったように気にしないようにしよう」


「う、うん……」


 そして二人はそれぞれの唇に触れた自分の指に視線を送る。


(今、俺の指が桜彩の唇に触れたんだよな……ここが、桜彩の唇に……)


(今、私の指が怜の唇に触れたんだよね……ここが、怜の唇に……)


 わずかな湿り気を帯びた指の先端から視線が外せない。

 気が付けば二人共無意識の内にそこに自分の唇を近づけて――


 トスッ


「「――ッ!!」」


 床に何かが落ちた音が聞こえて正気に戻り、自分の唇を指から遠ざける。

 自分がやろうとしていたことを理解して、恥ずかしさで心臓が壊れそうなほど早くなる。

 恥ずかしさから逃げるように音の方を見てみると、切った布の一部が床へと落ちていた。


(い、今、俺、いったい何を……!?)


(い、今、私、いったい何を……!?)


 何度か深呼吸をして、お互いに相手の方へと振り向く。

 心臓がバクバクと鳴り響き、体中が熱を持つ。

 お互いがお互いの顔を見て顔を真っ赤にして固まってしまう。


「そ、そろそろ片付けを始めるかな!」


「う、うん! わ、分かった! 私もお茶の片付けをしちゃうね!」


 少しの間の後、恥ずかしさを隠すように必要以上に大きな声を出してしまう。


(い、今の、桜彩に見られてないよな……)


(い、今の、怜に見られてないよね……)


 とりあえず自分の行動を見られなかったことに安堵しつつ、怜は床に落ちた生地を拾い上げ、桜彩はお茶を片付けていった。

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