第197話 ぬいぐるみの名前は
「これで完成だな」
「わあっ! 凄く可愛い!」
耳を取り付けた後糸を切って、刺していた待ち針を抜いていく。
これでようやく完成だ。
ようやくといってもそこまで時間が掛かったわけでもないが。
全長は七十センチ程度とそこそこの大きさであり、ポインテッド模様、すらっとした胴体。
可愛さに加えて凛々しさのようなものも感じられる。
「ふふっ。なんだかこの猫ちゃん、怜に似てる気がする」
出来上がったぬいぐるみを眺めていると、横から覗き込んでいた桜彩がふとそんなことを言う。
その言葉に怜もぬいぐるみを凝視するが、特にそういうようには見えないのだが。
「え? 俺に似てるか?」
「うんっ」
頭に疑問符を浮かべて問いかける怜に桜彩が満面の笑みを浮かべて頷く。
(可愛くて凛々しくて。あまり人前では見せないけど、そういったところ、怜とよく似てるんだよね)
ぬいぐるみと怜を見比べながらそんなことを思う桜彩。
「桜彩、持ってみるか?」
「うんっ!」
ぬいぐるみを桜彩に差し出すと待ってましたとばかりにそれを受け取る。
目をキラキラと輝かせて渡されたぬいぐるみを隅々まで見ていく。
「わあっ、本当に可愛いなあ」
背中側まで一通り眺めまわした後、胸にぬいぐるみをギュッと抱きしめる桜彩。
桜彩本来の可愛さとぬいぐるみの可愛さが合わさって可愛さの相乗効果が突き抜けている。
桜彩も猫も大好き(色々な意味で)な怜にとっては完全に好みのど真ん中だ。
「わあっ、凄い! 手触りも最高!」
抱きしめた後は全身を撫でまわす。
胴体を撫でて耳を引っ張り、尻尾を握って――そんな風にぬいぐるみを堪能していく。
「ふふっ。あれ、怜、どうしたの?」
その言葉で桜彩に見とれていた怜の心が一気に現実へと引き戻された。
「あ、いや。桜彩とそのぬいぐるみが似合ってるなって」
「えっ、そうなんだ。ありがとね」
ぬいぐるみを抱きしめたまま怜へと微笑を向ける桜彩。
その一段と可愛らしい無垢な笑顔に再び怜の心が揺れ動く。
「あ、そ、そうだ。しゃ、写真を撮るか!」
「え、あ、うんっ! お願いね」
自分の心の動揺を隠すようにして怜がスマホを取り出すと、桜彩がぬいぐるみを抱いて怜のスマホへと目線を向ける。
「桜彩。ついでにぬいぐるみの方もカメラ目線でお願い」
「うん。……これで良い?」
怜のリクエストに桜彩が自分の方に顔を向けて抱きしめていたぬいぐるみを回転させてカメラ目線を決める。
「それじゃあ撮るぞ。はい、チーズ」
怜の言葉にぬいぐるみを抱きしめた桜彩がにっこりと笑う。
撮った写真を観てみると、なんだかぬいぐるみの方も笑っているように思える。
「怜、見せて見せて!」
「はい」
スマホを差し出すと、ぬいぐるみを抱えたまま桜彩が食い入るように画面を見つめ、表示されていた写真を見てぱあっと笑顔を広げる。
「怜、これ私のスマホにも送ってもらえる?」
「良いぞ。ちょっと待って。あ、ついでに蕾華にも送るか」
「うんっ! 蕾華さんも猫好きだからきっと気に入ってくれるよね!」
「じゃあ四人のグループメッセに送るぞ」
そう言って陸翔と蕾華を含む四人のグループメッセージに桜彩がぬいぐるみを抱えた写真を送る。
するとすぐに三人分の既読の表示が付いた。
『可愛い! これれーくんが作ったやつ?』
『そうだよ 今度の部活で作る練習』
『とっても可愛いですよね 本当に素敵です』
蕾華からのメッセージに怜と桜彩が返信する。
『ねえ その子の名前 なんていうの?』
続いて蕾華から送られてきたメッセージに怜と桜彩が顔を見合わせる。
特に名前などは考えてはいなかったのだが、確かに名前は付けた方が良いかもしれない。
「名前、か。ねえ、どうするの?」
「どうするかなあ」
いきなり名前と言われても思い浮かばない。
一度桜彩がぬいぐるみをテーブルの上に置いて問いかけてくる。
「怜が持ってるぬいぐるみは名前が付いてないの?」
動物好きの怜は猫を含めて何種類かぬいぐるみを持っており、それらには全て名前が付いている。
例えば昔、怜が一人の食事は寂しいという理由で購入した大きな猫のぬいぐるみ。
桜彩と二人で食事をするようになってからも、そのぬいぐるみは相変わらず椅子へと座ったままだ。
リビングの椅子に座るその猫のぬいぐるみを怜は指差して
「付いてるぞ。たとえばほら、そこに座ってる猫。その子は『千円』」
「……え?」
怜の言っていることが分からずに一瞬ポカンとした表情を浮かべる桜彩。
まあ猫の名前が千円だと聞かされればそんな反応も無理ないだろう。
「その猫の名前が『千円』なんだ」
「そうなの? もしかして、この子が千円で売っていたとか? でもかなり大きいよね、その子」
「あはは、違うって。前に蕾華に名前を聞かれた時に『名前はまだない』って言ったんだ」
「あっ! っていうことは、もしかして夏目漱石?」
「そう。正解」
怜の言葉に桜彩が納得のいったというように頷く。
夏目漱石。
明治末期から大正初期にかけて活躍した文芸家とであり、旧千円札の肖像に使われていた人物でもある。
「ふふっ。そうだったんだね」
予想外の名前の由来に桜彩がクスッと笑う。
「でもそれじゃあ参考にはならないよね」
「だよなあ。桜彩は何かいい名前ってあるか?」
「私? うーん……」
別に大した問題ではないのだが、だからといって適当に名付けるのは少しばかり抵抗がある。
二人で少し考えていると、桜彩がパンっと手を叩いて良いことを思いついたというように笑顔を浮かべる。
「あっ、それじゃあ『れっくん』にしよっ!」
「えっ? れっくん?」
「うん。ほら、さっき言ったでしょ? この子、なんだか怜に似てるって。だかられっくん! ねえ怜、れっくんじゃダメかなぁ……?」
瞳をうるわせながらながら上目遣いで桜彩がお願いする。
このお願いを断るのは怜には難しい。
「まあ、桜彩がそう言うなら構わないけど……。でも、なんだか変な気持ちだな。照れるっていうかさ」
恥ずかし気に赤くなった顔を漁っての方へと向ける怜。
そんな怜の仕草も可愛く思いながら桜彩がクスッと笑う。
「ううん。とっても良い名前だと思うよ。それじゃあこの子はれっくんだね」
「……分かった。それじゃあこれからはれっくんだな」
「うんっ」
れっくんという名前が認められて桜彩が嬉しそうに笑う。
(そっか。この子の名前、れっくんか……)
テーブルの上のれっくんへを眺める怜。
先ほどはそうは思わなかったが、こうしてみればどことなく自分に似ているような気がしなくもない。
自分の名前が付けられた途端にそう思うのは、なんだか安直な気がしないでもないが。
「それじゃあ……」
怜はテーブルの上に置かれたれっくんに手を伸ばす。
そしてそれを掴んで桜彩へと差し出した。
「はい。プレゼント」
「…………え?」
いきなり差し出されたぬいぐるみを見て桜彩が目を丸くする。
「え、えっと……」
「このれっくん、桜彩に貰ってほしいなって」
「え? で、でも……私……貰うような理由なんて……」
「……なんかさ、桜彩に貰ってほしいって思ったんだ」
このぬいぐるみが自分に似ているかられっくん。
それを聞いて、なぜだかこのれっくんを桜彩に持ってほしいという思いが湧き出てきた。
「えっと……えっと……」
とはいえ桜彩としては何もしていない(一応作るのを手伝ってはいるが)のにいきなりこのようなプレゼントをもらうのはためらわれる。
あわあわと落ち着かず、声が言葉にならない。
とはいえ怜としてはこのれっくんをどうしても桜彩に貰ってほしい。
「なあれっくん。れっくんはどうしたい?」
「え?」
いきなりの怜の言葉に目を丸くする桜彩。
しかしその意味を考えるより先に次の言葉が聞こえてくる。
『ぼくは桜彩ちゃんの所に行きたいニャ』
「え? ええっ?」
片手に持ったれっくんを揺らしながら怜がそんなことを言う。
これは幼稚園や病院での福祉ボランティアで披露する為に練習した怜の特技の一つ、腹話術だ。
目を丸くする桜彩を横目に怜はれっくんとの会話を続けていく。
「そうだよな。れっくんは桜彩の所に行きたいよな」
『うん。ねえ桜彩ちゃん。ぼく、迷惑ニャ?』
「え? め、迷惑なんかじゃないけど……」
悲しそうな声音でいう『れっくん』の言葉につい正直に答えてしまう。
もちろん迷惑なんてことはない。
このぬいぐるみが自分の部屋に来るのであればそれはとても嬉しい。
「迷惑じゃないって。良かったな」
『うん。それじゃあ桜彩ちゃん。ぼく、桜彩ちゃんの所に行っても良いニャ?』
そして怜は手にもったれっくんを桜彩の正面に持っていく。
丁度桜彩の顔の正面にれっくんの顔が来るような状態だ。
「う、うん。良い、よ……」
戸惑いながらもそう答える桜彩。
『わーい、嬉しいニャ!』
「良かったな、れっくん」
『うん! 良かったニャ!』
喜びを表現するようにれっくんを上下に揺らしてみる。
その表現の仕方に戸惑っていた桜彩がクスッと笑ってれっくんを正面から見つめる。
「ふふっ。それじゃあこれからよろしくね、れっくん」
『うん。よろしくニャ!』
怜が手に持ったりっくんを桜彩に渡すと桜彩はれっくんをしっかりと抱きかかえる。
「ふふっ。ありがとね、怜」
「構わないって。俺が桜彩にあげたかったんだからな」
そう言いながら怜はふと自分の胸が少しばかり高鳴るのを感じた。
(……なんでだろうな。このぬいぐるみが俺と似てるってだけで、桜彩に貰ってほしいって思ってしまった)
自分と似ているぬいぐるみを桜彩に貰ってほしい。
その理由を具体的に説明することは今の怜には出来ないだろう。
それでも、その理由が分からなくても、桜彩に貰ってほしいというその思いだけで桜彩へプレゼントすることにした。
「ふふっ。可愛いなあ。凄く良いなあ。色も、模様も、サイズも、手触りも……」
にへらっとしたとろけた表情でぬいぐるみを撫でまわす桜彩。
それを見て、怜もその理由について考えるのを止める。
(そうだよな。桜彩が気に入ってくれたんならそれで良いよな)
「ありがとね。絶対大事にするよ!」
「そんなに気に入ってくれて良かったよ」
喜ぶ桜彩の姿を見ることが出来た。
怜にとってはそれだけで作った甲斐があったというものだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます