第192話 教室内で手を繋ごう

「あっ……」


 休み時間、次の授業の準備をしようとしたところでそれに気が付いた怜。

 焦って机の中やカバンの中を確認するが、目当ての物は見つからない。


「怜、どーした?」


 後ろの席でガサゴソと音を立てて荷物を探す怜を、前に座る陸翔が不思議そうに聞いてくる。


「……次の数学の教科書がない」


「マジか」


 昨日、部屋で問題を解いていた覚えはある。

 そのまま机の上に置き忘れた可能性が一番高いだろう。


「どーすんだ? もう休み時間終わるぞ」


「隣のクラスは今日数学あったはず。今から誰かに借りて来るしかないな」


 椅子から立ち上がり出口へと向かう。


「急げよ。もう時間が無えぞ……あっ……」


「やばっ……」


 キーンコーンカーンコーン


 そこで無情にもクラスのスピーカーから次の授業の開始時刻を告げるチャイムが聞こえてきた。


「……マジかよ。トイレに行く前に確認しとくべきだった」


 諦めて椅子へと座り方を落とす怜。

 授業間の休み時間は短い為、トイレに行った後で忘れたことに気が付いても遅い。

 いや、無いと分かった時点ですぐに他クラスに行けば間に合ったのかもしれないが、そのまま机やカバンを往生際悪く漁っていたのが敗因だ。


「まあんなこと言ってもしゃーないだろ」


「分かってる」


 ここで過去を嘆いてもどうにもならない。

 今すべきことは、次の授業をどうするかだ。

 そこで怜は隣の席からこちらをチラチラと伺っていた桜彩の方へと顔を向ける。

 今の二人の会話は桜彩の耳にも届いていたのだが、学校では二人の関係を秘密にしている為に声を掛け辛かった。


「渡良瀬、悪いけど次の時間教科書を見せてくれるか?」


「はい、構いません」


 いつも通りのクールモードでそう答えながら机を怜の方へと寄せる桜彩。

 怜も同様に桜彩の方へと机を寄せて二人の机をピタリとくっつける。

 そしてその中央に本日実施予定のページを開いた教科書を置いてくれた。


「ありがと」


「いえ」


 そうこうしていると教室前方の扉から瑠華が入って来て、それに合わせてクラスの喧騒が小さくなっていく。


「はいみんなー。授業を始めるよー」


 そう言ってクラスの中を見回す瑠華。

 するとそこで机をくっつけている怜と桜彩に気が付く。


「先生。すみませんが教科書を忘れたので渡良瀬に見せてもらいます」


 何か言われるよりも先に怜が瑠華へと理由を告げる。

 その言葉に瑠華は少し驚いた後、うんうんと頷いて


「光瀬君が忘れ物するなんて珍しいねー。うん、分かった。渡良瀬さん、光瀬君に教科書見せてあげてね」


「はい」


 瑠華の言葉に桜彩が頷く。

 それを見た瑠華も満足げに頷いて


「はーい。他のみんなは大丈夫だねー。それじゃあ授業始めるよー。まず前回の復習から――」


 そんな感じで怜と桜彩が机を並べた状態で瑠華の授業が始まった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「――だからここが――で、こうなって――ここが合成されるから――」


 瑠華の説明とノートをとる音が教室に響いている。

 怜も桜彩も例に漏れず他の皆と同じようにノートをとっている。


「あっ……」


 周囲にすら聞こえにくい程度の声量で桜彩の声が上がった。

 怜がそちらを見ると、少し驚いた顔をして床を見ている桜彩。

 その視線を追うと、怜の椅子の下に桜彩の消しゴムが落ちていた。

 それを拾って桜彩へと渡すと桜彩は笑顔を返す。

 そしてメモ帳を取り出してそこに桜彩がよく使う猫スタンプのキャラクターと『ありがとう』という言葉を書いて怜へと渡す。

 渡されたメモのイラストを見て怜がクスッと笑い隣を見ると、同じように桜彩も笑っていた。


(俺も何か描こうかな)


 そう思った怜が貰ったメモの裏に桜彩の猫のイラストを真似て絵を描く。

 正直桜彩ほど上手ではないが、絵心がない割にそこそこ上手に描けたと思う。

 ついでにイラストに『どういたしまして』という言葉を添えて桜彩へと返すと桜彩も再び笑って新しいメモを渡してくる。

 そこには笑顔の猫が『上手に描けたね』という台詞を発しているイラストが描かれていた。

 一瞬横に視線を向けると、桜彩が笑顔を浮かべてこちらを見返してくれる。

 その笑顔に怜の心も温かくなるが、いくら教室の隅の席とはいえ他のクラスメイトのいる教室内でいつまでも見つめ合っているわけにもいかない。

 再び机の上へと視線を戻す二人。

 とはいえ一度意識してしまうとどうにも頭から離れないのが人間というものだ。

 瑠華の説明の合間についお互いの方へと視線を向けてしまい、すぐに机の上に戻すということを繰り返してしまう。

 ただ二人ともそれもなんだか楽しくて、つい口元に笑みが浮かんでしまう。


『もう ちゃんと集中しなきゃダメだよ』


 怒るような顔をした猫と共にそんなメッセージが書かれたメモを桜彩から渡される怜。


『分かってるって 桜彩もちゃんと集中しろよ』


『私はちゃんと聞いてるよ』


『俺だってちゃんと聞いてるぞ 今だって桜彩もこっちを見てたろ?』


『つい怜の方に目が行っちゃうんだもん』


『まあそれは俺もだな 気が付いたら桜彩の顔を見ちゃってる』


 それを見てついお互いにフフッと笑みを浮かべてしまう。

 授業に集中しなければならないことは良く理解しているのだが、そんなメッセージのやり取りが止まらない。

 授業中というのも一種のスパイスとなってそれがまた楽しさを増幅させることとなる。


「はーい。次の問題は……渡良瀬さんだねー」


 つい二人でメッセージをやり取りするのに集中していると、瑠華の声が響いて来る。

 一応メッセージをやり取りしていたタイミングではない為に周囲には気付かれていないようだが。


「あっ、もしかして聞いてなかった?」


「いえ、聞いていました」


 怒るような瑠華に対して桜彩は立ち上がりながらいつものクールモードで返事を返す。

 まあメッセージのやり取りに夢中になって聞いていなかったのは事実だが、この状況から今何をすべきかは明白だ。

 教室の前方の黒板に書かれている問題。

 しかも客観的に考えて難易度が高い。

 だが怜も桜彩も毎日予習と復習を欠かさずに行っているのでこの程度であれば問題はない。

 桜彩はクールモードを保ったまま躊躇せずにそちらへと歩いて行き、平然と問題に解答する。


「うーんと、はい、正解です」


 回答を確認し、サムズアップしてにっこりとした笑みを桜彩へと向ける瑠華。

 瑠華の言葉に桜彩は表情を変えずに席への道を歩いて行く。


「わあ」


「今の問題、結構難しかったよね」


 などと桜彩を褒める声が小さく聞こえてくるが、本人はまるで気にした様子を見せずに綺麗な動作で席に座る。


「はい、それじゃあ次の問題を隣の席の光瀬君」


「はい」


 桜彩の解いた問題の更に応用の問題。

 一般的に考えてただでさえ高い難易度が更に一段階上がっている。


「教科書忘れちゃったのは残念だけど、だからといって特別扱いは出来ないからね」


「はい。大丈夫です」


 そう答えて怜は先ほどの桜彩と同様に教室の前方へと歩いて行く。


(まあこの程度なら……)


 元々成績が、特に理系に関してはこの進学校でさえ他の追随を許さない怜にとっては大した難易度ではない。

 そのまま解答を書き込むと、瑠華がうんうんと頷く。


「はい。光瀬君も正解です」


 桜彩にしたのと同じように怜にもグッと親指を立てる瑠華。


「さすが光瀬」


「俺今の問題分からなかった」


「凄いよねー」


 こちらも怜に対する賞賛がところどころから聞こえてくる。


「はいはーい。それじゃあ次に行きますよー」


 パンパンと手を叩いて注目を集めた後、瑠華が次の説明を再開する。

 それによりクラスメイトの視線は怜と桜彩から再び瑠華へと戻っていく。


「ふふふ」


「クスッ」


 皆の視線が外れたことを確認して、再び目を合わせて笑い合う二人。

 そして桜彩がまた新たにメモ帳にメッセージを書き込む。


『ねえ 今はみんなこっちを見てないよね』


 怜も一応周りを確認すると、二人の方に視線を向けている者はいない。


『そうだな』


『じゃあさ せっかくだから隠れて手を繋いでみようか』


 その提案に少し考えてから怜が桜彩へとメッセージを返す。


『そうだな 面白そうだ』


『だよね』


 表情にこそ現れていないが楽しそうな雰囲気が隣に座る怜に伝わってくる。

 ふだん学内であまり仲の良いところを見せないようにしている二人。

 そんな二人がいつものようにコミュニケーションを交わすことが出来るのは、現状ボランティア部の部室だけであり、若干フラストレーションが溜まっている。

 だからこそこれは良い機会だ。

 教科書を忘れることなどそうあることではないし、あったとしても他クラスの友人に借りに行くことになるだろう。

 こうして桜彩と机をくっつけて授業に臨むことが出来ることなどもう二度とないかもしれない。

 ならば少しくらいは羽目を外しても良いだろう。


「桜彩」


 周りに聞こえないように小さく相手の名前を呼んで、周囲にバレないように机の下でそっと手を差し出す。


「ん……」


 それを受けて桜彩も差し出された怜の手をそっと握り返す。


「ありがと、怜」


「お礼なんか良いって。俺もやりたいって思ったしな」


「ふふっ。せっかくの機会だからね。いつでもこうやって手を握ることが出来れば良いんだけど」


「そうだな。でもだからこそ、今のこの時を大切にしよう」


「うん」


 そしてお互いは机の下でそっと握り合う手の感触を楽しみ合った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「…………………………………………なあ」


「…………………………………………うん」


「…………………………………………じゃねえだろうがよ」


「…………………………………………なんで恋人でもないのにそんなやり取りしてるのよ」


 唯一目の前に座っている陸翔と蕾華の二人だけはその様子に気が付いており、二人だけの空気を作り出している怜と桜彩に背中を向けたまま呆れていたのだが。




【後書き】

 次回更新は月曜日を予定しています


 前編はここで終了となります。

 第三章で手を繋いだりデートしたりとスキンシップをとるようになった二人がより強いスキンシップを日常的に繰り広げるようになりました。


 中編からはまた少し二人の関係を動かしてく予定です。

 相も変わらずノープロットですが、何とか頑張っていければと思います。


 出来れば意見、感想等頂けたら嬉しいです。

(『面白かった』と書いていただけるだけでも嬉しいです)

 今後もよろしくお願いいたします。

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