第191話 お姫様抱っこ再び

「どーして呼んでくれなかったの!」


 昨晩、桜彩の足の具合が悪くなった時のことを考えて蕾華へとメッセージを送っておいた。

 登校中に何かあった場合、やはり同性で仲の良い蕾華が側にいた方が色々と対処がしやすいと思ってのことだ。

 そしていつもより早く登校の準備を整えた蕾華が陸翔と一緒に怜の部屋を訪れたのだが、色々と話を聞いた蕾華の口からそんな抗議が飛び出す。


「まさか昨日別れた後にそんなことになってたなんて……」


 チラリと怜と桜彩を見て頭を抱える蕾華。


「れーくんがサーヤをお姫様抱っこしてるところ、写真に撮れなかっただなんて……」


 最初は桜彩の心配をしていた蕾華だが、怜の説明により足首の怪我が問題ないと分かった時点で興味は別の方へと向いた。

 すなわち昨日の相合傘について。

 昨日別れる前の段階で、怜と桜彩が相合傘ということに全く気が付いていないのは蕾華も陸翔も良く分かっていた。

 その為あえて相合傘だと説明せず、次の日に不意打ちで相合傘だということを知らせて感想を聞こうと思っていたのだが、その際に桜彩が口を滑らせてしまった為にそれ以上の事実を知ることとなる。


「いやもっと心配するところあるだろうが。桜彩の足の具合とか」


 そもそも桜彩が怪我をしたからこそ蕾華に連絡したのだ。

 本気で悔しがっている蕾華に呆れ顔で怜がツッコミを入れる。


「え? いやまあ確かにそうなんだろうけどさ、今の説明だと特に心配するような内容でもなかったし」


「そうそう。もう違和感もほとんど無いんだろ?」


「は、はい。一応今日は様子見で体育の授業も見学しようと思っているのですが」


 陸翔の問いに桜彩がトントンと右足を動かしながら頷く。

 昨日の時点でほとんど痛みも引いていたのでもう問題はないだろう。

 となれば当然話のネタは昨日の二人のスキンシップについてだ。


「とにかくもうサーヤは問題ないってことで良いんだよね」


 ひとまず落ち着いてコーヒーを飲みながら確認する蕾華。

 こうして朝の登校前に四人でテーブルを囲みコーヒーを飲むのは初めてでなんだか新鮮な気がする。

 話のネタが他の物であればなお良かったのだが。


「はい。心配をおかけして申し訳ありません。朝早くにここまで来させてしまいまして」


「いやいやいや、別にそんなのは気にしないで良いって。サーヤが無事ならそれで良いんだからさ」


「そうそう。むしろこうやって一緒に登校するのって初めてだしな」


「うんうん。それで充分だって」


 申し訳なさそうに告げる桜彩を蕾華と陸翔がフォローする。

 実際にこうして四人で登校出来る事については全員が嬉しく思っている。

 これも予想外のアクシデントによる幸せの一つということなのだろう。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「それでそれで、話を戻すけどさ。サーヤ、昨日れーくんにお姫様抱っこされたんでしょ!? どうだった!?」


 怜が自室へと戻って制服に着替えていると、その隙に蕾華が目を輝かせて桜彩へと質問をする。

 ちなみに本日の朝食は前日の宣言通りに怜が一人で作った為に、料理の必要の無かった桜彩は最初から制服に着替えて怜の部屋を訪れていた。

 登校時刻が来れば自室には戻らずにこのまま怜の部屋から学園へと出発する予定である。


「ど、どうだったとは……?」


 テーブルの向かいから身を乗り出すように聞いてくる蕾華の勢いに、タジタジになって問い返す桜彩。

 しかしそんな桜彩の態度などお構いなしに蕾華は好奇の視線を向けながら言葉を続ける。


「だかられーくんにお姫様抱っこされた時、どんな気持ちだった!?」


「え、ええっと……その、なんと言いますか安心感が強かったと言いますか……」


「それでそれで!?」


 桜彩の答えにより一層身を乗り出す蕾華。

 聞きたかったのはまさにそれだ。


「そ、そしてその、エントランスの鍵を開ける時に少しバランスを崩してしまったので、こう、怜の首に手を回して……」


「うんうんうんうんうん!」


「へーっ、そんな感じで掴まってたのか」


 当然ながら興味津々なのは蕾華だけではなく陸翔の方もだ。


「えっと、それがその、顔が近くて照れてしまいましたけど、でもなんだか怜に運んでもらえるのが嬉しいと……」


「だよねだよね! それ凄い分かる! アタシもりっくんにやってもらえると凄く嬉しいし!」


「そうですよね! 蕾華さんも分かりますよね!」


「もっちろん!」


「でも、怪我の手当てをしないといけないっていうのも分かるんですけれど、もっとこうされていたいっていう思いが強かったというか……」


「うんうん! なるほどねえ! そうだよね! もっとれーくんに抱っこされたかったってことだよね!」


「はい! その通りです!」


「その後は!?」


「その、怜の部屋で足の手当てをしてもらおうとしたんですが、そこで少し……」


「えっ、なにかあったの?」


「その、手当てをする為に私の前に怜が座った時に、怜の視線が…………」


「何を言おうとしてんだあああああああああ!!!」


 桜彩が口を滑らせる直前で、寝室の扉が開いて慌てて怜が出て来た。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 着替え中は扉の向こうで何か話しているな、程度にしか思わなかった怜だが、着替えを終えてドアノブに手を掛けると何やら聞き捨てならない話が聞こえてきた。

 慌てて扉を開けてリビングへと顔を出して、口を滑らせそうになった桜彩の言葉を遮る。


「え? あ、ああっ……!」


 そこで桜彩も今何を言おうとしていたのか気が付いて顔を真っ赤にした。

 もし怜の着替えが後数秒でも遅かったのなら、昨日下着を見られてしまったことを話していただろう。


「えっ、なになに!? 何があったの!?」


「おい怜、いったい何があったんだ!?」


「な、何もない、何もなかった! 良いな、何もなかったんだ!」


「そ、そうですそうです! た、ただ怜に手当てをしてもらっただけで……」


 顔を真っ赤にしながら二人で必死に否定する。

 これはもう誰が見ても何かあったと言っているようなものだ。

 陸翔と蕾華は顔を見合わせて頷くと、怜と桜彩へと向き直りニヤニヤとした視線を向ける。


「え~、そんなこと言って、アタシ達が信じるとでも思ってるの?」


「そうそう。今の慌てっぷりから何かあったのはもう確定してるからな」


「う……」


「あぅ…………」


 ニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ。

 好奇心に満ちた目を向けてくる二人。


「え、えっと……その、くすぐり合ったっていうか……」


 木を隠すには森の中、とでも表現すれば良いのだろうか、下着騒動に比べればまだ恥ずかしくない内容を怜が暴露する。


「え、なにそれ! れーくん、詳しく!」


「怜、どういうことだよ! 全部吐けって!」


 案の定蕾華も陸翔も食いついてきた。

 これはもう答えるまで絶対に諦めないだろう。

 そう思って怜と桜彩は、下着の件よりは恥ずかしくないくすぐり合いについて話すこととなった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「いやー、堪能した堪能した! まさか相合傘からそんなことになってるだなんてね!」


「まさかだよなあ」


 満面の笑みを向けてくる親友二人に対し、怜も桜彩も登校前から既に疲れてしまっている。

 怜は恨みがましい目で二人を見返すのだが、それに対してニヤニヤとした視線を返され何も言えずに黙ってしまう。

 一方の桜彩は恥ずかしさからテーブルにぐったりと突っ伏してしまった。


「それでれーくん! 話を元に戻すけどさ」


「元にってどこだよ」


 そもそも何の話をしていたのか。

 脱線に次ぐ脱線で元々何を話していたのか既に忘れてしまっている。


「れーくんがサーヤをお姫様抱っこしてるとこ、写真に撮れなかったなあって」


「そこからか」


 いったいどこに戻るのかと思ったら、予想以上にどうでもいい所に着地した。


「別に良いだろうが、写真なんて」


「良くないよ! だってお姫様抱っこだよ!」


「うぅ……」


 怜の言葉に憤慨して声を荒げる蕾華。

 桜彩はというとテーブルに突っ伏したままうめき声をあげている。


「そんな貴重な写真を撮れなかっただなんて……。一生モノの不覚だよ」


「ずいぶんデカい不覚だな、オイ」


 その程度で一生を左右するほど後悔しないでも良いだろう。

 思わず頭を抱える怜。


「あ、それならさ、今やってもらったらどうだ?」


「……は?」


「あ、りっくん、それナイス!」


 良いことを思いついた、とばかりに満面の笑みで提案する陸翔。

 予想外の提案に思わず口を開けて驚く怜と、顔を明るくして手を叩く蕾華。


「いやなんで今やるんだよ。桜彩の足の具合はもうほとんど大丈夫だろうが。まさか学校まで抱えていけってのか?」


 ただでさえ秘密にしている関係なのにそんなことは出来るわけが無いだろう。

 いや、秘密の関係でなくとも出来ないだろうが。


「いやいや、そうじゃねえって。今、この場で怜がさやっちをお姫様抱っこするんだよ。そうすれば他の誰にもバレずに写真に収められるだろ?」


「うんうん。りっくんの言う通り。はいはいサーヤ、早く立って。はいれーくん、どうぞ」


「どうぞじゃねえ! 何でお前らの撮影欲を満たす為にやらなきゃいけないんだよ!」


「えー、いーじゃん別に。それにサーヤだって嫌ってわけじゃないでしょ?」


 すると蕾華が話の矛先を桜彩へと向ける。

 これまでの経験により、怜を説得するよりも桜彩を焚き付けた方が早いとの判断だ。


「え、は、はい……。それはもちろんですけど……」


 テーブルに突っ伏した状態から顔を横に向けてチラリと怜の方を見る桜彩。

 桜彩としても怜にお姫様抱っこされるのが嫌ということは絶対に無い。

 むしろ昨日してもらった時には怜とのスキンシップに嬉しさも感じていた。


「だよねだよね! さっきだってれーくんに運んでもらって嬉しかったって言ってたもんね!」


「は、はい……」


「ほらほられーくん。サーヤだってこう言ってるよ。ほら早く!」


「だからなんでそうなる!」


「えっと……怜、私は構わないんだけど……」


 蕾華に焚き付けられた桜彩の口からそんな言葉が漏れる。

 それを聞いて作戦通りというように蕾華が口元をニヤッとゆがめた。


「ねえ! サーヤだってもう一回やってほしいよね!」


「その……私ももう一回して欲しいっていうか……」


「う……」


「ダメ、かな……?」


 隣に座る桜彩がすがるような上目遣いで見上げてくる。

 もうこの時点で怜の答えは一つしかない。


「…………分かった」


「やった。ありがと、怜」


 怜の返事に桜彩が顔に笑みを浮かべる。

 それを聞いて蕾華と陸翔は拳をこつんと当てて作戦の成功を祝っていた。


「えっとそれじゃあ怜……」


「ああ」


 椅子から立ち上がった桜彩をそっと持ち上げる。


「その……手、回すね……?」


 そう言って昨日と同じように怜の首に手を回してしがみつくような格好になる。

 相変わらず桜彩の体の柔らかさとか体温とか香りとか、そういった物が怜を刺激してきて顔が赤くなってしまう。


「ふふっ、照れちゃうね」


「そ、そうだな……」


「でもさ、こうしているのってやっぱり幸せだよ」


「それは俺もだよ」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ねえりっくん。あれ、どう思う?」


「完全に恋人同士だろ。お姫様抱っこまでは百歩、いや千歩譲ってまあ分からないでもないとしても、首に手まで回すってなあ」


「密着度半端ないよねえ」


 二人の世界に入ってしまった怜と桜彩の邪魔をしないように写真を撮りながらそんな会話を続ける。


「ていうかさ、あれもう完全に結婚式だよね」


「ああ、結婚式でそういうのあるよな。あれ怜とさやっちが正装だったらもう完全に結婚式の一コマだよな」


 今の二人の姿を頭の中で着替えさせる。

 タキシードを着た怜がウエディングドレスを着た桜彩をお姫様抱っこして持ち上げる。

 桜彩が怜の首に手を回して顔と顔が超至近距離まで近づいている。

 陸翔の言う通り結婚式と言っても差し支えないレベルだ。


「この写真、今度そんな感じで加工してみよっか」


「絶対に違和感ないレベルで似合ってるよな」


「うんうん」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その後、正気に戻った怜と桜彩が蕾華に写真を見せられて再びテーブルへと倒れることとなった。

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