第四章中編 家庭科部の後輩
第193話 家庭科部の活動
「おーい! きょーかんきょーかん、ちょっといい!?」
休み時間、次の授業の準備をしている怜に廊下から声が掛けられる。
声の方へと顔を向ければ、教室の入口から家庭科部部長の立川がこちら向かって手招きをしていた。
そんな中、クラスの視線を一身に集めた怜は不満そうに口を開く。
「だからきょーかんと呼ぶなと言っているでしょうが」
「別に良いでしょ。あんたが教官役なのは事実なんだから」
面倒くさそうに席から立ちあがって立川の方へと歩いて行く。
ついでにきょーかん呼びに文句の一つくらいを言ったのだがそれは普通に流された。
「そもそも何度も言いますが、家庭科部の教官役を全て俺がやってるのがおかしいって気が付いて下さいね」
「なによ。なんか問題でもあるっての?」
「あるから言ってるんです! むしろないと思ってることに驚きですよ!」
怜の抗議をあっけらかんとした顔で聞き返す立川に思わず怜の声が大きくなる。
半強制的に入部させられた部で教官役をすることについて何故問題ないと思うのか。
そんな抗議をしていると、教室内から立川の援軍が現れる。
「えー? きょーかんがきょーかんなのはいつもの事じゃん」
「そうそう分かってるわね、奏。さすが家庭科部の二年責任者」
怜が聞こえてきた声の方へと顔を向けると、そこでは奏がニマッとした笑みを浮かべて怜の方へと視線を送っていた。
ちなみに立川の言った通り、家庭科部における二年生部員の責任者は奏であり、今年度の後期から部長を引き継ぐことが有力だ。
「そーそー。きょーかん、もー諦めなって。きょーかんはきょーかんじゃん」
「…………元凶が何をほざいてんだコラ」
そもそも怜がきょーかんと呼ばれている理由は、奏が面白がって呼び始めたのが家庭科部内に広まったのが原因だ。
現れた奏に対して怜がジト目で睨みつけるが、それすら奏は面白がって笑っている。
「もうきょーかん呼びを受け入れなさいって」
「うんうん。ぶちょーの言うとーりだぞ、きょーかん。もう部員全員がきょーかんって呼んでるんだからさ」
「まだ一年まで呼んでねえよ」
「いや、あんた結構一年生にもきょーかんって呼ばれてんじゃん」
「…………」
部長の指摘に黙り込んでしまう怜。
確かに最近では一年生から『きょーかん先輩』等と言われることもたまにある。
というか、そもそも怜は家庭科部の活動に毎回出ているわけではない。
桜彩と一緒に夕食の買い物をしたり、ボランティア部の方の活動を優先することもある。
にもかかわらずきょーかんと呼ばれるのはおかしいだろう。
そもそもの問題として、怜がいない時の家庭科部はどうなっているのか。
「うんうん。この様子だと、夏休み前までにはきょーかん呼びが一年生にまで定着するね。そうすれば晴れてきょーかんはきょーかんってことになるっしょ」
「ならねえよ」
「えーっ、もう観念しなって!」
そう笑って言いながら怜の背中をバンバンと叩く奏。
「……まだ一年に完全にきょーかん呼びが定着したわけじゃない。今ならまだ後輩達を正しい道へと引き返させることが出来る」
「いーじゃんいーじゃん。現部長と次期部長がこう言ってるんだからさー」
「…………まだ一年の責任者は光瀬先輩呼びだ」
奏をはじめとする上級生は、一年生にも怜のことをきょーかんと呼ばせたいし、既にきょーかん呼びが定着しつつある。
しかし一年生の責任者は二、三年の責任者と違って良識があるのかまだそちらの道には進んでいない。
怜のその指摘に奏は首を捻って
「うーん……そーなんだよねー。
と残念そうに首を傾ける。
奏の言う通り、一年生の家庭科部責任者に任命された
まあ二、三年生が怜のことをきょーかんと呼んでいるのは一種の愛称のようなもので、そこに悪意は(多分)無いし、部内の雰囲気も和気藹々として楽しいものだ。
あくまでも美都は個人の矜持によって怜のことをきょーかんと呼ばずに光瀬先輩と呼んでいるだけである。
「上級生によるパワハラに屈しない良い後輩だな」
「おっ、なになにきょーかん。美都ちゃんにきょーみあったり?」
「なぜそうなる」
いきなり変なことを言う奏を怜が軽く睨む。
(…………ッ!?)
ちなみに自分の席でその会話の聞こえてきた――聞き耳を立てていたわけではない、多分――桜彩が息を飲む。
もちろんそんな桜彩には気が付かずに奏は怜をからかい続ける。
「えー、だってさ、美都ちゃんって可愛いじゃん?」
「……否定はしない」
実際に美都の容姿は優れているとは怜も思う。
ただ怜の周りにはそもそも容姿が優れた女性が多いので、特別どうとは思わないが。
(えっ……!? 怜、その子の事、可愛いって思ってるんだ……)
桜彩も過去に何度か怜に可愛いと言われたことを思い出す。
そんな怜の感情を独り占め出来ない事が少し寂しい。
とはいえ実のところ、怜が可愛いと思う相手は桜彩や美都だけではなく蕾華や奏も含まれてはいる。
ただ面と向かって可愛いと褒めたことのある女性は桜彩だけなのだが。
「それにきょーかんと一緒で頭良いじゃん?」
「成績という点に限っては確かにそうだな」
怜も後で知ったことだが、現一年生の主席入学者は美都ということらしい。
他学年の学力順にさして興味は無いので、家庭科部内の雑談でそのような話題が出るまで怜も知らない事だったが。
「だからさ、きょーかんもきょーみが出たんじゃないかなって」
「それだけで興味が出るようなもんじゃないだろうが。佐伯は単なる家庭科部の後輩だ」
(だ、だよね……、そうだよね…………)
怜にとって美都が単なる一後輩であるという事実に分でも気づかぬうちに安堵して胸を撫で下ろす桜彩。
「まあ、悪い先輩の悪い教えに毅然として立ち向かう出来た後輩という見方もあるけど」
「えーっ、きょーかん、まさかとは思うけど悪い先輩ってウチのこと?」
不満そうに口をすぼませながら抗議する奏。
それに対して怜は何を言っているんだこいつ、という視線を送り返す。
「お前以外に誰がいる……いや、今の家庭科部は全員そうだったな。残念ながら」
家庭科部の二、三年の部員は全員が怜のことをきょーかんと呼んでいる。
そういった意味だと怜にとっては全員が悪い先輩に該当する。
「てゆーか、かなり話題が逸れましたけど、結局用件は何なんですか?」
そもそも立川が怜を訪ねてきたところからこの話が始まった。
時間も有限である為、この無益な会話を打ち切って話題の修正を試みる。
「あ、そうそう。来週の部活の件なんだけどね」
「はい」
「最近料理関係ばっかやってたでしょ? だからそろそろ裁縫系の方をやりたいって意見が挙がってるのよね」
「なるほど。確かにそうですね」
思い返してみれば、一年生に対する部活紹介の時からずっと、少なくとも怜の知る限りこの部では調理関係しかやっていなかった。
その部活紹介でも述べた通り、ここは料理部や調理部、製菓部ではなく家庭科部なので他にも活動内容は多岐にわたる。
「で、何でそれを俺に聞くんですか? 別に裁縫なら裁縫で進めて良いと思うんですけど」
そもそもこの部活の活動内容は基本的に部長が決めて、それを家庭科部のグループメッセージで皆に周知するという方式をとっている。
もっとも部長の独断で決めるのではなく他の部員の意見も参考にするし、例えば昨年の冬には手編みのマフラーを作りたいという意見が奏をはじめとする当時の一年生の何人かから挙がってそれを採用した。
当然ながらマフラーの作り方を教えたのも怜なのだが。
「あら、それじゃああんたもそれで良いのね?」
「そりゃあ別に構いませんけど」
怜の返事に立川は顔を良くして
「そっか。それじゃあ来週の火曜日、講師の方をお願いね」
息を吐くような自然さでそんな言葉を吐いてきた。
「…………は!?」
あまりに自然に言われたその要求に、思わず怜の口から間抜けな声が漏れる。
「いやいやいやいや、どーゆーことですかねえ!? なんで俺が!?」
「なんでって、決まってんでしょーが。あんた以外の他に誰が講師を出来ると思ってるのよ。ねえ、奏?」
「うんうん。ぶちょーのゆーとーり! よろしくね、きょーかん!」
当たり前のような顔をして奏に声を掛ける立川と、その声を受けてニマッとした笑みで怜の肩を叩く奏。
「…………なんで俺以外にまともに裁縫の出来る人がいないんですかねえ!」
少なくとも今の上級生は一年以上家庭科部に在籍している。
故に多少なりとも経験はあるはずだ。
それこそ今目の前にいる立川や奏も。
「別に良いでしょうが。あんたが一番上手なんだから」
「うんうん。ぶちょーのゆーとーり、きょーかんが一番じょーずだからさ」
「…………」
誰かツッコミを入れて欲しい。
二人のその言葉に思わず天を仰ぐ怜。
「ってわけで良いわね。それじゃああたしはグループメッセの方に送っとくから」
そう言って怜の返事も聞かずに立川がスマホを取り出して操作すると、怜と奏のスマホが着信を知らせる。
確認すると家庭科部のグループに『来週月曜日は裁縫とか手芸をやるから 講師は光瀬きょーかんね 具体的に何やるかはきょーかんに一任 参加不参加に関わらずいつも通り返信ちょうだい もちろん部外者の参加も許可』とメッセージが送られてきた。
「……………………一応土日に家で練習くらいはさせてもらいますよ。それに使う材料代も部費から出してもらいますからね」
怜はここ最近裁縫をした覚えはない。
いくら腕に覚えがあるとはいえ、一応練習位はした方が良いだろう。
「うんうん。それじゃそーゆーことで」
怜の返事に気を良くしてそう言って自分の学年へと去って行く立川。
(…………来週の月曜の参加は問題ないし、構わないんだけど釈然としないよな)
などと心の中で愚痴ってしまう怜。
まあ立川の方も怜が参加出来るかどうかをちゃんと聞いたうえでの相談ではあったし、そもそも怜も講師をやること自体は問題はない。
その過程に多大な問題があることは事実だが。
「そんじゃあきょーかん、よろしくねー」
「……だからきょーかんはやめろ、宮前」
「えーっ、いーじゃん細かいことはさ」
「細かくねえんだよ」
そんなことを話しながら怜と奏は自分の席へと戻って行く。
少し話し込んでしまったせいで、そろそろ授業が始まる時刻だ。
「まあまあ。それもきょーかんがみんなから慕われてることの証明だって」
「物は言いようだな」
「いやいや、本当のことだって。現にほら、新しく入ってきた一年からも慕われてんじゃん。照れんなって、このこのーっ!」
そんな感じで怜をからかいながら怜の後ろに回って肩を揉んでくる奏。
「照れてねえよ」
「いやいやいや、そうはいっても嫌な顔してないじゃん」
今度は後ろから怜の頬へと指を伸ばしてぷにぷにとつついてくる。
男子の中でも背の高い怜に対し女子の中でも平均的な身長の奏がそのようなことをすると、その差を埋めるために後ろから抱き着くような形になってしまう。
必然ながら二人の制服越しに、怜の背中に柔らかい感触が当たるわけで。
「てゆーか離れろって」
「えー、もーちょっといーじゃん」
怜の抗議を意に介さずにちょっかいを出し続ける奏。
「…………むぅ」
そんな二人を桜彩は少し離れた席からなんだか面白くなさそうに頬を膨らませて眺めていた。
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