第188話 捻挫の手当て

「お待たせ」


「あ、う、ううんっ、待ってないよ!」


 ブランケットを持った怜がリビングへと戻ると慌てた様子の桜彩が返事を返してくる。

 実際にブランケットは探す必要すらなく(日頃から怜が整理整頓を心掛けている為でもあるが)すぐにそれを持ってリビングへと戻って来たのだが、桜彩の様子が少しおかしい。


「桜彩、どうかしたのか?」


「う、ううん、なんでもないよ!」


「そっか」


 その口調と慌て方からなにかあったのは間違いがないことは怜にも分かる。

 が、おそらくそれは先ほどの事件に関係があるだろう。

 口ではもうお互いさまということで終わらせたのだが、なかなか心の切り替えまでは上手くいかないものだ。

 よって桜彩の返事をそのまま何もなかったように言葉通りに受け入れる。


「それじゃあはい、これ」


「う、うん。ありがと」


 ブランケットを渡すとそれを受け取った桜彩が膝に掛ける。

 これで先ほどのようなことはなくなるだろう。

 そう安心して再び捻挫の手当ての為に桜彩の前に座る怜。


「それじゃあ改めて桜彩。足、出してくれ」


「うん。お願い」


 再び桜彩が痛む右足を差し出す。

 先ほどと同様に触れた部分から桜彩自身が伝わってくるような感じがする。


「それじゃあ脱がすぞ」


「うん」


 顔を上げて確認すると、少しばかり顔を赤くした桜彩が頷く。

 渡したブランケットはその役割を全うしており、怜の目に先ほどの白い存在が映ることもない。


「ふ……んんっ……あっ…………」


 靴下をゆっくり脱がしていくと、桜彩の声が耳に届く。

 その声色は痛みに耐えているというよりもくすぐったさに震えていると言った方が正しいかもしれない。

 桜彩の口から漏れる声にドキドキとしながらも怜はなんとか靴下を脱がし終える。


「ふぅ……」


 靴下を脱がしただけなのだが口から息が漏れる。

 重要なのはこれからなのだが、すでに一仕事を終えた気分だ。

 間違いなく美脚といっても良いそのきめ細やかで色白な桜彩の足に見とれながらも次の準備を進めていく。

 足首を確認すると、そもそも靴下を履いていた状態では腫れは分からない程度だったし、靴下を脱いだ今もさほど腫れているようには見えない。

 白い素肌が紫色に変色しているというわけでもない。

 桜彩の言っていた通り、そこまで重症というわけでもないだろう。

 これならば治りも早いはずだ。

 そう考えて怜は桜彩の右足を持って自分の太ももの上へと置く。


「それじゃあ冷やすからな」


「うん」


 そう言って冷却スプレーを桜彩の足首へと噴出すると、その冷気で桜彩の顔が一瞬だけびくっとする。

 そして湿布を取り出して少し膨らんでいる足首へと貼り、サポーターで固定する。


「痛みはどうだ?」


「もうほとんどないよ。捻った時は痛かったけど、少ししたら引いてきたみたい」


「そっか。それなら良かった。だけど念の為に今日は安静にな」


「うん。ありがとね」


 そう言って桜彩はにっこりと笑う。


「でも怜、結構手際が良いよね」


「まあスポーツ好きだからな。それに陸翔のとこの幼稚園の手伝いもするし、こういった応急手当は覚えておいて損はないから」


「なるほどね」


 納得したように桜彩が呟く。

 幸いなことに幼稚園の手伝いで手当てをするようなことはまだないが、スポーツの際に怪我をして手当てをした経験は何度もある。

 するとふと桜彩が何かを思い出したようにクスッと笑った。


「桜彩?」


「あ、ごめんね。ほら、この前お父さんも同じように怜に手当てされたなって思って。ふふっ。まさか親子でこんなことになるなんてね」


「ははっ、そうだな」


 先日、階段から落ちそうになっている桜彩の父親、空を助けた際に空が足を捻ったので手当てをした。

 あの時はこうして桜彩の手当てもすることになるとは思わなかった。

 それが少しおかしくて二人で笑ってしまう。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 手当てを終えて桜彩の隣へと腰掛ける怜。


「それじゃあ今日の夕食は俺が作るよ」


「うん、ゴメンね。手伝えなくて」


 申し訳なさそうに桜彩が謝る。

 普段二人で作っている料理だが、足の状態を考えて立ち仕事は出来ない。

 いや、やろうと思えばやれるのだがそれは怜が許さない。


「気にするなって。困った時はお互い様だ」


「ふふっ。それじゃあゴメンねじゃなくてありがとうって言うね」


「ああ。その方が嬉しいからな」


 二人でにっこりと笑い合う。

 謝られるよりもこうしてお礼を言われた方がよほど嬉しい。


「まあもう少し待ってからだな。っていうか、クッキーを食べるって話もしてたっけ」


「あ、そう言えばそうだったね」


 アパートへと着いた時に温かい食べ物とクッキーでも摘まもうかと話していたことを思い出す。

 その後の桜彩のアクシデントで二人共完全に忘れていたが。


「でも時間的に微妙だな」


「うん。さすがにクッキー食べるとすぐに夕食の時間になっちゃうからね」


 時計を見ながらそうため息を吐く二人。

 思った以上に手当てに時間が掛かってしまった為、夕食までの時間を考えると間食は避けた方が良いかもしれない。


「まあ温かい飲み物くらいなら問題ないけど。ココアでも淹れるか?」


「うーん……。でももう体も温まってるしね」


 帰ってすぐに濡れた上着を脱ぎ暖房も入れたので風邪を引く心配はほぼないだろう。


「それじゃあ夕食まで待つか」


「うん。それが良いかも」


「ははっ。でも食うルさんが夕食まで待てるのか?」


「むっ!」


 からかうような怜の言葉に桜彩がムッとした顔をする。


「れーいー! また食うルって言ったよね!?」


「いやだってさ。今回の怪我だって、元はといえばクッキーに浮かれてたからだろ?」


「そ……それはそうだけど……!」


 お茶会に浮かれて足下がおろそかになってしまい怪我に繋がった為、その言葉に桜彩が反論するのは難しい。

 代わりに頬を膨らませて不満の感情を表現する。


「それで、クッキーを楽しみにしてた食うルさんがさ、夕食までおなかを空かせたままで大丈夫なのか?」


「むーっ! だ、大丈夫だよ! そ、それより怜、食うルって何度も言ったよね!」


「ああ、言ったぞ。あ、そうだ。桜彩、今の桜彩は怪我をしてるんだから安静にしないとな」


「むーっ!」


 先日の部室のようにくすぐられてはたまらない。

 その為あらかじめそう宣言して桜彩からの無理な攻撃が来ないようにしておく。


「ふふふ。この前は口を引っ張られたり体をくすぐられたり色々としてくれたな」


「そ、それは怜が私のことを食うルなんて言うからでしょ!?」


「いやだって、桜彩が食うルなのは確かじゃん」


「むーっ! えいっ……あっ!」


 隣に座る桜彩がこちらの顔へと手を伸ばしてくるが、それを間一髪で避けて立ち上がって距離を取る。

 また引っ張られてはたまらない。

 とはいえ安静にしなければならない桜彩に出来ることなどその程度のものだろう。


「甘いぞ。もう前みたいな不意打ちは食らわないからな」


 さすがに桜彩としても怪我を押してまで怜に報復しようとは思っていない。

 怜に安静にしろと言われたのを律儀に守っている。

 が、それはあくまでも怪我をしている間のことだということを、この時の怜は忘れていた。


「むーっ! け、怪我が治ったら覚えておいてね!」


「…………え?」


 その桜彩の言葉に笑っていた怜の顔が固まってしまう。

 言葉だけ聞けば立派な負け惜しみなのだが、言っていることは正しいだろう。

 確かに今は桜彩が怪我をしている為に反撃出来ないが、怪我さえ治れば反撃は出来るということで。


「絶対にやり返してやるんだから!」


「ちょ、ちょっと待った!」


「いーや、絶対に待たない! 私のことを食うルって言ったの、ちゃんと覚えておくからね! この前みたいにくすぐったり顔を引っ張ってやるんだから! やめてって言っても絶対にやめてあげないんだからね!」


「いや待って! さすがにそれは苦しいから!」


 先日部室で体中をくすぐられた時は本当にヤバかった。

 ただでさえくすぐりに弱いのに加え、もしこの部屋でやられたら先日の陸翔と蕾華のように助けてくれる相手は存在しないことになる。


「絶対に、ぜーったいに、くすぐってやるんだから!」


 顔を赤くしてそう宣言する桜彩と、その言葉に顔を青くする怜。

 その後、怜は夕食の準備を始めるまで必死になって桜彩に頭を下げ続けた。




【後書き】

 次回更新は月曜日になります

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