第187話 もしそれを見られるのなら……

「「ただいま」」


 エントランスの自動ドアと同じように怜の部屋の玄関のカギを桜彩が開けて中へと入る。

 恒例となった桜彩とのただいま。

 今ではもうお邪魔しますやいらっしゃいなんて言葉は一切出てこない。

 いったん玄関で桜彩を下ろして靴を脱ぐ。

 桜彩の方も怜を支えにして靴を抜いて、再びお姫様抱っこされながらリビングへと向かう。


「それじゃあ降ろすぞ」


「うん。ありがとね」


 そう言って普段食事の時に使っている椅子の方ではなくソファーの方へと桜彩を降ろす。

 足を気にしながらもゆっくりと座る桜彩。

 ちらりとテーブルの方を見ると、予想通り折り畳み傘が置かれたままになっていた。 


「桜彩、ブレザーちょうだい」


「うん。ありがとね」


 傘をさしているとはいえ濡れてしまった上着を預かって、自分の上着と一緒にハンガーへと掛けて窓のサッシに吊るしておく。

 ついでに少し冷えた体を温める為に暖房も入れた。


「ふう。大丈夫か? 体は濡れてない?」


「うん、大丈夫だよ。上着が少しだけ濡れたくらいで済んだから」


「なら良かった」


 体が濡れて風邪を引く心配はないようで一安心だ。


「桜彩、足首の方は?」


「あ、うん。まだ少し痛いかな」


「分かった。それじゃあ手当てをするか。靴下は脱げるか?」


「え? あ、うん……痛っ!」


 言われた通り靴下を脱ごうとした桜彩だが、少し足首を曲げたとたんに痛みが走ったのか顔をゆがめる。


「桜彩、大丈夫か?」


「う、うん……。少し痛んだだけだから」


「無理するなって。それじゃあ俺が脱がせちゃっても良いか?」


 そう確認する怜の言葉に桜彩がきょとんとして


「え? 良いの?」


「当たり前だろ? 遠慮するなって」


「うん。ありがと。それじゃあ悪いけどお願いしても良いかな?」


「ああ」


 靴下を脱ごうと曲げていた体を起こして背もたれに体を預けて楽な体勢をとる桜彩。

 そうソファーに腰掛ける桜彩の前に怜は正座のような形で座る。


「それじゃあ足を少し出してくれるか?」


「うん。お願いします」


 恥ずかしそうにそう言って痛む桜彩が右足を差し出してくる。

 今まで怜は桜彩と手を繋いだことは何度もあるのだが、こうして足首やふくらはぎを触るのは初めてだ。

 もっとも先日桜彩が馬乗りになった時に怜の体を両足で挟み込んできたことはあったが。

 触れた部分から桜彩の柔らかな感触と暖かな体温を感じ、怜もドキッとする。

 やはり手を繋いだ時とは別の恥ずかしさが込み上げてくる。


「そ、それじゃあ脱がすから」


 恥ずかしさを隠すように少しばかり早口でそう言って桜彩の靴下のふちに手を掛ける。

 そこで怜は自らの失態に気が付いた。

 ソファーに座る桜彩の正面に、正座のような形で座っている。

 それはつまり怜が正面を向くと、その視線は桜彩のスカートの中へと向いてしまうわけで。


「――ッ!!」


 その奥の白い存在が目に入ってしまい、慌てて顔を背ける。


「怜?」


 いきなり明後日の方を向いた怜を不思議がって問いかける桜彩。

 今のこの状態が全く理解出来ていない。


「怜、どうしたの?」


「あ、いや……」


 正直に伝えるべきか、それとなく匂わせるべきか。

 いきなりのことに頭が上手く働かない。

 そういえば少し前にも同じようなことがあったな、などと余計なことを考えてしまう。

 隣のベランダから聴こえてきた桜彩の歌声に引かれてそのまま雑談をしている最中に、桜彩の干していた洗濯物が目に入ってしまった。

 ただし干していた物が目に入ってしまったあの時とは違って、今は桜彩が直接着用しているところを見てしまったわけで恥ずかしさも段違いだ。

 そしてあの時の桜彩の反応は確か――


「むーっ! ちょっと怜、こっち向いて!」


 あの時と同様に不満げな顔をした桜彩がこちらをを覗き込んでくる。

 とはいえ怜としてもこのまま視線を戻すわけにはいかない。


「そ、その、な……桜彩……」


「むっ! 怜、こっちを向く!」


 戸惑っていると、桜彩が強引に顔を掴んで無理やり正面を向かせてくる。

 再び視界に入って来たその白い存在。

 一瞬遅れて目を閉じてそれが見えないようにする。


「怜! 何で目を閉じるの!?」


 その理由を理解していない桜彩としては当然ながら不満増大だ。


「あの……桜彩……」


「なあに!? ほら、ちゃんと目を開ける!」


「その……目を開けるとだな……視線の先が……その……」


「視線の先? え……? あっ!!」


 怜の言葉に怜の顔の正面に何があるかを確認する桜彩。

 顔の正面には自分の太もも、そしてその先はスカートの中の――


「ご、ごめんっ!」


 顔を真っ赤にして慌てて怜の顔から手を離す桜彩。

 そしてそのままスカートを勢いよくバッと押さえる。

 その間も怜は目を閉じて再び顔を背けたままだ。


「あ、あの、怜……その……こっち、向いても良いよ……」


「あ、ああ……」


 桜彩の言葉におそるおそる目を開けて顔を戻すと、桜彩の言った通りスカートの中はちゃんとガードされていた。

 そして少し視線を上へとあげれば桜彩が顔を真っ赤にしていた。


「あ、あの……本ッ当に、ゴメンッ!!」


 勢いよく桜彩が頭を下げる。


「い、いや……俺も、その……」


「え、えっと……み、見ちゃった、よね……?」


「あ、ああ……」


「うぅ…………」


 怜としてもそこで嘘を吐くことはしない。

 すると桜彩が恥ずかしそうに真っ赤になった顔を覆ってしまう。

 ちなみに両足の間をぴったりと閉じて、もう手で押さえなくても見えないようにはしている。


「わ、悪い……。そ、そんなつもりじゃなかったんだけど……」


「う、うん……。そ、それは分かってるから……。すぐに見ないようにしてくれたし、そもそも怜がそういう人じゃないってことは私も良く分かってる。わ、私の方こそ振り向かせちゃったりしてゴメン……」


「い、いや、桜彩が悪いわけじゃないって……」


「う、うん……。れ、怜に見られちゃった……」


 本当に恥ずかしかったのか、隣に置かれていたクッションに顔をうずめて自らの失態を嘆く桜彩。

 しばらくそうしていた後、ゆっくりと顔を上げて怜の方を向く。


「あ、あの……その……へ、変じゃなかった…………?」


「え?」


 いきなりの桜彩の質問に怜の口から間抜けな音が漏れる。


「え、えっとその……私、今日はどんなの着けてたのか覚えてなくて……。その、へ、変なのは着けてないとは思ったんだけど、その……」


「い、いや、その、い、一瞬だから分からないっていうか……」


 桜彩の質問にしどろもどろになりながら答える怜。

 見えてしまったの本当に一瞬だけで、即座に顔を背けた為にほとんど記憶が無いと言っても過言ではない。


「え、そ、そう……そうなんだ……。怜に変って思われなくて良かった……、ってな、なんでもない、今の、その、なんでもないから! うぅ……本当に私、何を言って……」


 焦って変なことを言ってしまったところで正気に戻る。

 怜の方も今の言葉はしっかりと耳に届いており顔が真っ赤になってしまったのだが、あえて問いかけるようなことはしない。


「……………………」


「……………………」


 しばらく二人共言葉を出せず、無言の時が続いてしまう。


「と、とにかくもう一度謝らせてくれ。本当に悪かった」


「わ、私も本当にゴメンね」


 お互いに頭を下げあう二人。


「そ、それじゃあ今回のことはお互いさまって事で! れ、怜もそれで良いよね!?」


「あ、うん。それじゃあそういう事で」


 とりあえず二人共この件はこれで終わりということで手打ちにする。

 怜としては今回は自分の不注意が原因だし桜彩が謝ることではないと思ったのだが。


「そ、それじゃあちょっと待っててくれ。ブランケットを持って来る」


 今は桜彩が両足を閉じている為に正面からでも見えないのだが、捻挫の手当てをすると必然的に桜彩の足が動くことになり同じ失態を繰り返すかもしれない。

 その為にブランケットを取りにまだ少し焦りながら怜が立ち上がる。


「う、うん。お願い」


「そ、それじゃあ……」


 そう言って怜が一度寝室の方へと入った後、その扉が閉められたのを確認して桜彩ががっくりと項垂れる。


「え、えっと……ほ、本当に変なのじゃなかったよね……?」


 スカートの端をそっと持ち上げて今着用しているそれを確認する。

 チラッと見たところ、特に変な所は無かったことに安堵する。


「よ、良かった……」


 怜は一瞬だけでよく見えなかったと言っておりそれは良かったのだが――


「うぅ……怜に見られるんならもっとちゃんとしたのを………………って、う、ううん、何でもない!」


 無意識に漏れた言葉を止めるように慌てて両手で口を押さえる桜彩。

 なぜそのような言葉が漏れてしまったのかは今の本人には分からないのだが。

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