第179話 食うルさんによる制裁

「うわっ!」


 桜彩によるいきなりの反撃に驚いた怜がソファーへと倒れる。

 そして仰向けになった怜のお腹の上に桜彩がずいっと乗っていく。

 いわゆるマウントポジションだ。


「さ、桜彩!?」


 何が起きたがまだ理解出来ずに焦る怜。

 さすがに格闘技のようにこのまま殴られることはないだろうが。


「ふっふっふ! もう許してあげないんだから。覚悟してね、怜!」


 そう言って両手を今度は怜の顔へと伸ばしてくる。

 何をしてくるのか分からないが身の危険を感じた怜が桜彩の両手を抑えようと手を動かそうとする。

 だが怜の意思に反してその両手は思うように動かない。

 なぜなら怜の両手は胴体の横にピッタリとくっついており、その状態で上に乗った桜彩の両足により動かせないようにしっかりと固定されている。

 これでは抵抗のしようがない。


「さ、桜彩? い、いったい何を……?」


「ふふっ。さあ、何をするんだろうね~」


 桜彩の顔にはいつもと同じ穏やかな笑みが浮かんで――いるのだが、明らかにその目には怪しげな光が宿っている。

 完全に体を固定されて動くことの出来ない怜(といっても本気で抵抗すれば動くことは出来るのだが)がそんな桜彩の笑みに恐怖を覚える。


(……おかしい。桜彩の笑顔はなんていうか、見ている俺の方も幸せになれる類の笑顔なのに、なぜかもの凄く怖い)


 そんな抵抗出来ずひきつった表情を浮かべる怜の両頬へと桜彩は両手を伸ばしてゆっくりと掴む。

 そして


「えいっ!」


 頬を掴んだ両手を横へと引っ張った。


「ひゃっ!」


 その行動に驚きの声を上げる怜。


ちょ、ちょっと桜彩ひょっ、ひょっほはは! いったいなにをひっはいはにお!?」


 そんな焦る怜の抗議に対して桜彩は満足そうにニヤッと笑う。


「私のことを食うルなんて言う悪い怜にはお仕置きをしないとね~っ」


 笑顔のまま怜の両頬を掴んだ両手を前後左右へと動かしていく。

 とうぜん怜の頬は桜彩により色々な方向へと伸ばされて


ちょっ、痛いひょっ、ひはい! 痛いいはい!」


「え~、何を言ってるのか分からないなあ」


ご、ごめんほ、ほめん! ごめんってほめんっへ!」


「ふふふ。なーに、怜? ちゃんとはっきりと言ってくれないと分からないよ?」


 そう言いながらも楽しそうに怜の頬をもてあそぶ桜彩。

 先ほど何度も食うルと言われたのだ。

 そう簡単に許すことなど出来るわけがない。

 いや、この怜の両頬のぷにぷにとした感触が心地好くてもっと触っていたいという思いもあるのだが。


痛いいはい! 痛いいはい!」


「ふふっ。怜、反省した?」


 ようやく怜の頬から手を離す桜彩。

 仕返しが出来たことによりにんまりとした笑みを浮かべて満足そうだ。


「は、反省しました……」


「ふふふっ、よろしい。私のことを食うルなんて言うなんて悪いんだあ」


「い、いや、でも桜彩が食うルなのは間違っては……痛いいはい!」


「え? まだ反省が足りないみたいだね」


 すかさず手を伸ばした桜彩が再び怜の頬を引っ張る。

 再び少しの間怜の頬を好き勝手に弄んだ桜彩が、制裁に満足したのか怜の頬から手を離す。


「これは悪い子に対するお仕置きだからね。はい、ごめんなさいは?」


「……」


 というか怜としては桜彩が食うルなのは間違ってはいないと思う。

 それに関しては声を大にして主張したい。


「ん~、ごめんなさいが聞こえないなあ」


 そう言ってまたもや怜の頬へと手を伸ばす桜彩。


「ちょ、ちょっと待った! お、俺は悪くない」


「へえ、じゃあいったい悪いのはなんなのかなあ?」


 それは自分が食うルだということを認めない桜彩だ。

 と声を大にして言いたいが、そんなことを言ったら最後、怜の頬は先ほどと同様に、いや、場合によっては先ほどよりも更にひどい目に遭うことだろう。


「ねえ、怜? 怜が悪いんじゃないとしたら、いったい何が悪いのかなあ?」


 手をわきわきと動かしながら近づけてくる桜彩。

 その両手が怜の頬へと触れたところで、怜は言い訳の言葉を口にする。


「そその、つい勝手に口から食うルって言葉が漏れたわけであって……! つ、つまり悪いのは俺じゃなくて、つい口から漏れちゃう言葉ってことで……!」


 怜の口をつく苦しい言い訳。

 しかしその言い訳を聴いた桜彩は即座に怜の頬を引っ張らずににっこりと笑う。


(これはまさかワンチャン助かったのか!?)


 適当な言い訳をでっち上げたのだが、まさか通用するとは思わなかった。

 そう安堵しかけた怜に


「そっか。つまり悪いのは怜じゃなくて、怜の口から漏れる言葉ってことだね」


「そ、そう、その通り! 俺は悪くないってことで!」


「ふーん、そっかあ。うん、分かったよ」


「そ、そうそう! わ、分かってくれたらどいてくれると助かる……」


「なるほどねえ。つまり悪いのは……」


 これは助かる、そう淡い希望を持った怜だが次の瞬間、桜彩の両手は三度怜の両頬を掴んでいた。


「悪いのは、怜のお口ってことだよね!」


ちょっひょっ!」


「うんうん。怜は悪くないってことは良く分かったよ。悪いのはそんな言葉をつい漏らしちゃう怜のお口ってことだよね」


ち、違っひ、ひがっ……」


 一瞬でも助かったと思ったのが馬鹿だった。

 先ほどまでとは違い、桜彩は眉を吊り上げながら怜の両頬を上下前後左右へと思い切り引っ張る。


い、痛いひ、ひはい! ご、ごめんなさいっほ、ほめんなはいっ!」


「私のことを食うルなんて悪いことを言う口はこの口か! こ・の・お・く・ち・か・あーっ!?」


「ひゃっ、痛っひはっ痛っいはっ!」


「このお口が悪いんだなあ? 食うルなんて酷いことを言うこのお口が!」


ちょっひょっやめっはめっやめっはめっ!」


「お仕置きしてやる! この悪いお口にお仕置きしてやるう!」


ご、ごめんっほ、ほめんっ! 悪かったわふかっは!」


「え~? なんて言ってるのか分からないなあ」


 必死に謝る怜だが桜彩に頬を掴まれている為に上手く言葉を発せない。

 もっとも桜彩の方でも怜が謝っていることは理解出来てはいるのだが。


「ふふっ。なあに、怜。なんて言ってるの?」


 にっこりと笑って頬を引っ張りながら問いかける桜彩。


「…………桜彩はははは食うルふうる…………痛いっひはいっ!」


「むーっ! また食うルって言った!」


 桜彩がより強く怜の頬を掴む。


やっぱりはっはり分かってるははっへふじゃんかーっはんはーっ!」


「問答無用! もっとお仕置きが必要みたいだね!」


待っ、ちょっまっ、ひょっ! 痛い、痛いっていはい、ひはいっへ! 桜彩はやごめんなさいっほめんなはいっ


「えいっ、えいっ!」


許してーっふふひへーっ!」


「ぜーったいに、許さないんだから!」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 一方で話が一段落した陸翔と蕾華はソファーでじゃれ合っている二人を呆れ顔で眺めていた。

 こちらが目を離した一瞬の隙に、見ている方が恥ずかしくなるようなスキンシップをとっている怜と桜彩。


「…………なあ、今オレ達は何を見せられてるんだ?」


「…………バカップルのいちゃつきでしょ?」


「…………なにあれ、完全に痴話喧嘩じゃん」


「…………ていうか、スキンシップだよね。恋人同士の」


 二人共怒っていたり苦しんでいたりするように見えて、その実かなり楽しそうだ。


「…………止める、あれ?」


「…………好きにさせといても良いと思うぞ」


「…………だよね。馬に蹴られたくもないし」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「このお口が悪いんだね! えいっ、えいっ! お仕置きだ!」


「ひゃっ! 許してゆふひへ! 桜彩ーっはやーっ!」


「反省! しなさい! えいっ!」


は、反省したっは、はんへいひはっ! だかららふぁふぁ放してふぁなふぃふぇ!」


 マウントポジションのまま怜の頬を好き勝手にいじくりまわす桜彩。

 最初、その顔は怒り顔だったのだが今はいつもの笑顔が浮かんでいる。

 なんだかんだ言って桜彩本人はそこまで怒ってはいないし、こうして怜の頬が何だか楽しい。

 一方で怜の方も痛いことは痛いのだが桜彩が手加減してくれていることは分かっているし、こうして桜彩とじゃれ合っているのも楽しく感じる。

 その為、頬を引っ張られながらもその顔には笑顔が浮かんでいた。

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