第166話 少しばかり贅沢な夕食⑤ ~お腹の触り合い~

「ご来店ありがとうございました」


「ご馳走様でした。とても美味しかったです」


「はい。また来たいです」


「そう言っていただけると嬉しいです。本日はどうもありがとうございました」


 多大な恥ずかしさを感じながらも制限時間一杯にスイーツビュッフェを堪能した後、店員のそんな言葉を背に二人はビュッフェを退店した。

 二人を見送る店員の笑顔に何か含みがあったように感じるのは気のせいだろうか。


「は、恥ずかしかったな……」


「う、うん……」


 最後の辺りのスイーツについては美味しいということくらいしか分からなかった。

 つまるところ、周囲からの視線はそれほど恥ずかしい物だった。

 正直に言えば、もっと落ち着いて食べたかったのだが。


「でもさ、お料理もスイーツも全部美味しかったよ。また来たいってのも本当のことだからね」


「それは俺もだな」


 未だに少しばかり食事の余韻が残っている。

 普段怜が作らない物ばかりだったので、たまにはこういった食事も良いものだ。


「もうお腹一杯だな」


「うん。私ももう食べられないかも」


「ははっ。なんか今日は一日中色々と食べてたからな」


「ふふっ。そうだね。明日の朝ご飯、食べられるかなあ」


 笑いながらお腹をさする桜彩。


「まあ大丈夫じゃないか? なんたって桜彩は『食う』……」


「れ~い~!?」


 お腹をさする手を止めた桜彩が少しばかり睨むような視線を怜の方へ向ける。 


「今、なんて言おうとしたのかな~?」


「いやなんでも?」


 訝し気な目を向ける桜彩からとぼけるように視線を外して明後日の方を向く怜。

 しかしそんな怜に回り込んで桜彩は怜の顔を正面から睨みつける。


「今、食うルって言おうとしなかった?」


「気のせいじゃないか?」


「へー、私の気のせいなんだあ」


 まるで怜のことを信じていない。

 まあ食うルと言おうとしたのは本当のことだし、桜彩もそれを充分すぎるほど理解しているのだが。


「うんうん、気のせい気のせい。桜彩はもうお腹いっぱいで明日の朝ご飯も食べられないかもしれないって信じてるよ」


「ふ~ん……」


 しらじらしい怜の言葉に訝し気な視線を向け続ける桜彩。


「でもさ、よく食べてたのは本当だろ? 俺もだけどさ」


「まあそれはね。だってお弁当も、今のビュッフェも本当に美味しかったんだもん」


「同感。俺も少しばかりお腹がはちきれそう」


 そう言って怜も先ほど桜彩がやっていたように自分のお腹をさすりだす。

 これ以上何かを食べろと言われても脳の方が良くても胃の方が拒否をするだろう。

 それこそ大好物のリュミエールのケーキを目の前に置かれたとしても。


「実際にさ、さっきビュッフェの時に少しベルト緩めたからな」


「へー、そうなんだ」


 怜も桜彩に劣らず健啖家だが、当然ながら食べられる量には限界というものがある。

 たとえ甘い物は別腹だとしてもだ。

 そんなわけでビュッフェの最中に少しばかりベルトを緩める羽目になった。


「ってことはさ、今も怜のお腹、結構苦しいんだ」


「まあな。いや、幸せとの引き換えと思えば悪くないんだけど」


 実際にあのビュッフェを味わうことが出来たのであれば、この程度の苦しさなど大した問題ではない。

 しかしそれを聞いた桜彩は良いことを聞いたとばかりに怪しく目を光らせる。


「ふーん。そっかそっか。今の怜はお腹が弱点なんだね」


「……あの、桜彩?」


 桜彩の目の奥に宿る怪しい光を見つけた怜が、おずおずと桜彩へと問いかける。

 しかしそんな怜の問いに対して桜彩は何を言うでもなく、隣を歩く怜のお腹へと片手を伸ばして


「えいっ」


 と少しばかりお腹を押した。


「うわっ!」


 いきなり押されたお腹。

 いつもであればその程度の衝撃など何でもない。

 しかし限界までスイーツを食べ込んだ今のお腹にはそれだけで充分すぎるダメージとなる。


「ちょっ、桜彩!?」


「怜? 話を戻すけどさ、さっき私のことなんて言おうとしたの?」


 ニヤッという笑みを浮かべて聞いてくる桜彩。

 一見その表情は笑顔なのだが、その実明らかに目が笑っていないことは良く分かる。


「え、えっと……な、なんだっけっかなあ……?」


「ふーん。とぼけるんだあ」


 とりあえず忘れたふりをしてごまかそうとしたがそうは問屋が卸さない。

 ニコリと笑った桜彩が再び怜のお腹へと手を伸ばして軽く押す。


「うっ!!」


「怜? 本当は覚えてるよね?」


 表面上は天使の微笑、しかしその実内面は悪魔の微笑。


「え、えっと……」


 何とかごまかそうかと考える怜だが、それより早く桜彩が怜のお腹へと手を当てる。


「忘れちゃったの? だったら思い出させてあげようか?」


 その思い出させる、という行動が何を意味するのかは怜にも分かる。

 故にここで怜の取れる選択肢は一つだけだ。


「……すみません。食うルって言おうとしました」


「よろしい」


 ついに根負けした怜の返事に満足げに頷く桜彩。

 お腹に当てられた手が下げられて怜も一安心して息を吐く。

 そして二人で傍にあったショッピングモール内の休憩スペースのベンチへと横並びで腰掛けた。

 柔らかなそこは背もたれもついていて、少しばかり休憩するのにちょうど良い。


「全くもう……」


「ごめんなさい」


「次にまた食うルなんて言ったら今度はもっと強く押すからね」


「それは勘弁して下さい」


 とはいえお腹が弱点なのは今だけであって、普段のコンディションの時に食うルと言う分にはまあ大丈夫だろう。

 そんな不届きなことを考えていると、それが分かったのか桜彩が訝し気な視線を怜に送る。


「怜、また変なこと考えてない?」


「か、考えてないって」


「む……本当に?」


 そう言って再び怜のお腹へと手を伸ばす桜彩。

 しかし座ることによって少しばかり楽になった怜は先ほどまでに比べて若干余裕が生まれる。

 それにより、桜彩の手が怜のお腹に届くより先にその手を掴む。


「あっ!」


「ふふふ。これでもうお腹は押させないからな」


「むーっ!」


 むきになって怜のお腹を押そうと手に力を入れる桜彩。

 怜も本気で桜彩の手を掴んでいるわけではないのだが、それでも桜彩よりも怜の方が力強い。


「むーっ! ちょっと怜、放して、はーなーしーてーっ!」


「やだよ。放すと絶対にお腹押してくるじゃん」


「あ、当たり前でしょ!?」


「そう言われて放すほど俺はお人よしじゃあないぞ」


 頑張って怜のお腹へと手を伸ばそうとする桜彩だがどんなに力を入れてもびくともしない。

 むきになったその顔は照れていたり恥ずかしがったりしている時とは別の赤さを帯びてくる。

 すこしばかり吊り上がった目も合わせて、そんな怒っている姿もやはり可愛らしい。


「……っていうかさ、よく考えたらお腹が弱点なのは桜彩も一緒だよな」


「……え?」


 先ほどのビュッフェで大量に食べていたのは怜だけはなく桜彩も同様だ。

 いきなりの怜の指摘にきょとんとする桜彩。


「さっきはよくもやってくれたよな。お返しだ」


「え? お返しって……ひゃんっ!」


 空いているもう片方の手を桜彩のお腹へと伸ばして軽く押す。

 当然ながらお腹いっぱいになるまで食べたのは桜彩も同じである為、当然桜彩のお腹も怜と同様に弱点となる。


「それっ、それっ」


「きゃっ、ちょ、ちょっと怜、ストップ、ストップ!」


「いーや、ダメだ。さっきはさんざんやられたからな」


 先ほど散々攻撃されたことを若干根に持っている怜がその程度のお願いで止めるわけがない。

 桜彩の反応にニヤニヤとしながらそのままお腹を触り続ける。


「わ、分かった! ごめん、ごめんって!」


「だーめ。さっきたくさんやられたからな」


「ひゃんっ! ……むーっ、えいっ!」


「わっ!」


 すると攻撃に気が行き過ぎて防御をおろそかにした怜のお腹を再び桜彩が触りにいく。


「やったな。そらっ!」


「わっ! えいっ、えいっ!」


 気付けは食事を終えてから少し時間が経っている為に、二人共お腹の方は回復に向かっている。

 少しばかり押された程度ではもはやなんともない。

 それをわかりつつも二人は相手のお腹に触っていく。


「それっ!」


「やったなーっ! えいっ!」


 気が付けばもういかにして相手のお腹に触るかというゲームと化しており、二人は笑顔で相手のお腹を触り続けた。


「ひゃっ! くすぐったいって!」


「ひんっ! ちょ、ちょっと怜、もうお腹はダメだって!」


 もはや完全にカップルのじゃれ合いである。

 いや、見ようによっては猫などの小動物のじゃれ合いにも見えるだろう。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 言うまでもないが、これはショッピングモールの休憩所にて行われていた行為であり、その横を通る通行人からは生暖かい視線を向けられていた。

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