第140話 膝枕再び

「ふぁ……」


 しばらく談笑していると、怜に軽い眠気が襲って来る。

 食後ということに加えてぽかぽかとした陽気、それに時折吹く弱い風が絶妙に心地良い。

 そんな怜を見た桜彩が


「怜、眠いの?」


「ああ、悪い。食後ってことで少し眠気が」


「そっか。ねえ、一つ聞きたいんだけど怜、今日は何時に起きたの? 少なくとも昨日は夜遅くまで私と一緒に話してたよね?」


 眠そうにする怜に対してい何かを疑うような目を向ける桜彩。

 確かに桜彩の言う通り、昨日は遅くまで二人でパソコンを前にデートについて色々と調べていた。

 故に弁当の仕込みはその後か今日の朝にしたということになる。

 怜がいくら料理に慣れているとはいえ、これだけの種類は作るのに時間が掛かることは明白だ。

 そんな思いを込めて問うた桜彩の視線を受けて怜の視線が泳ぐ。


「怜……?」


 より訝し気な目ジト目を向けながら桜彩が怜へ顔を近づけていく。


「え、えっと……何時だっけっかな……?」


 目を逸らしながらとぼけたような返事を返す怜。

 もうその反応で桜彩の予想が当たっていることは証明されたようなものだ。

 桜彩の目がジト目から睨むような目に変化する。


「…………怜? 本当は覚えてるんでしょ? 答えて」


「い、いや、その……」


「こ・た・え・て」


 ほとんど密着するような至近距離まで顔を近づけて迫ってくる桜彩。

 その迫力に怜はもう素直に答えるしかない。


「そ、その……四時……」


「四時!?」


 怜の問いに桜彩が驚く。

 少なくとも昨日桜彩と話し終えた時刻から逆算すると、怜が寝たのは早くても日付が変わるころだろう。

 怜としてももっと遅くに起きても弁当を作るのは間に合ったとは思うのだが、万一を考えてさらに早めに起きることにしたのだ。


「ちょっと怜!? ちゃんと寝ないとだめでしょ!?」


 桜彩の迫力に怜の身体が少し下がっていく。


「そりゃあ私だってこんなに美味しいお弁当を食べることが出来たのは嬉しいよ。でもさすがに無理しすぎ」


「う……ま、まあさっきも言った通り俺にとっても桜彩にとっても初めての、その、デートだし……やっぱり良い記念にしたいなって思ったからさ……」


「そ、それはうれしいけどさ……」


 そう言われてはあまり強く言うことが出来ないのか、桜彩の語尾が弱くなる。

 デートを良い記念にしたかったと言われればそれはそれで嬉しいことに変わりはない。


「ま、まあ俺にとってもそこまで無理したってわけでもないし」


「う、うん。で、でもね、私だってデートを楽しみたいと思ってるけど、怜に負担をかけてまで楽しみたいってことじゃないからね」


「そ、それはまあ、分かるけど……」


「もう。今度からこんなに無理はしないでね。約束だよ」


 そう言って右手を軽く握って小指を差し出してくる桜彩。

 その意図を察して怜も同じように右手を軽く握り、桜彩の小指と絡み合わせる。


「それじゃあ約束の指切りね」


「ああ。約束する」


 そう言って指切りを終えると満足そうに桜彩が頷いて小指を離す。

 ふと小指が離れるのが名残惜しいと思ってしまう怜。

 すると桜彩がゆっくりと座り直して自分の太ももを指差す。


「それじゃあ怜。少し寝よっか。はい、どうぞ」


「…………あの、桜彩? 寝るのは分かるんだが、どうぞってのは?」


「え? この前みたいに膝枕してあげよっかなって」


 一応問いかけてみると予想通りの返答が返ってきた。

 先日のバーベキューの時に桜彩の隣に座って軽く眠ってしまった後、起きたら膝枕されていたのを思い出す。

 あの時の恥ずかしさから怜は勢いよく首を横に振る。


「だ、大丈夫だって!」


「遠慮しなくても良いんだよ?」


「い、いや、遠慮とかじゃなくてさ。そ、それに今は周りに人も多いし」


 あの時見られていたのは陸翔と蕾華の親友二人だけだったのだがそれでも充分に恥ずかしかった。

 それに対して今は周りが他人だらけだ。

 そろそろ昼食時とあってか花見をしながら昼食を食べに来た人が増えている。

 さすがに人気のお花見スポットといったところか。


「え? 別に私は気にしないよ?」


 何を言っているんだ、という顔を怜に向ける桜彩。

 確かにあの時の桜彩は陸翔や蕾華にからかわれても大して気にしている様子ではなかったが。


「ほらほら、早く早く!」


「わっ!」


 悩んでいると半ば強引に頭を掴まれて桜彩の太ももの上へと乗せられた。

 桜彩の体温が怜へと伝わってくる。


「ふふっ。しばらく寝てていいからね」


 そう言って嬉しそうに怜の頭を優しく撫でる桜彩。

 ただでさえ眠気が襲ってきているところに後頭部から伝わる太ももの柔らかい感触。

 それに加えて額の辺り触れている柔らかな桜彩の手の感触で眠気が増幅されていく。


「あ、もしかしてあんまり気持ち良くない?」


「い、いや、そ、そんなことはないから!」


 悲しそうに言う桜彩の言葉を怜は即座に否定する。

 実際のところ桜彩の手も太もももかなり気持ちが良い。


「た、たださ、なんか最近俺も桜彩に甘えてばかりだなって」


 その言葉に桜彩は一瞬ポカンとした表情を浮かべて


「なんだ、そんなことを気にしてたんだ」


 柔らかな笑みで怜を見つめ返す。


「気にしないでもいいのに」


「……俺も、桜彩に甘えても良いのかな?」


「ふふっ、もちろんだよ。どんどん甘えてくれて良いからね」


 嬉しそうに何度も怜の頭を撫でる桜彩。

 出会った当初は年齢の割に随分と大人びている感じがした男の子。

 仲良くなっていくにつれ、随分と素の部分を見せてくれるようになってきた。

 今ではこんな感じでずいぶんと甘えてくれることも多くなった。

 親友であるあの二人を除いて、他人には見せない姿を自分にだけ見せてくれることが本当に嬉しい。


「そ、それじゃあ少し休ませてもらうぞ」


「うん。ゆっくりと休んでいいからね」


 その言葉に目を閉じる怜。

 桜彩には黙っていたが、この体勢では怜の視界に大きな二つのふくらみが入ってくる為に毒だ。

 あまり抵抗せずに目を閉じたのはそんな気恥しい理由もある。

 そんなことは露知らず、素直に目を閉じた怜を桜彩は愛おしそうに何度も撫でる。

 その心地良さにすぐに軽い寝息をたてて眠ってしまう怜。


「ふふっ。怜、可愛い」


 自分のの太ももの上で穏やかな寝息をたてている怜。

 その姿を見ているだけでも幸せな気持ちが増加していく。


「うりうり~」


 バーベキューの時と同じように怜の頬を空いている左手で軽くぷにぷにとつついてみると、あの時と同じで心地良い弾力が指に伝わってくる。


「ふふっ。やっぱり可愛いなあ。えいっえいっ」


「んん……」


 何度も頬をつついていると、怜の手がいきなり動いて桜彩の左手を軽く包み込む。


「えっ、怜?」


 いきなりのことに驚く桜彩。

 決して強く掴まれているわけではない。

 しかし桜彩が手を引こうとすると、大切な物を離さないというように少しだけ力が加わって引き寄せられる。

 もちろん離そうと思えば離せるのだが、そこまでされては桜彩としても離すわけにはいかない。

 いや、離すわけにはいかないというよりも離したくはない。

 大切そうにそっと包まれた自らの左手から伝わってくる怜の体温がとても暖かく感じる。


「ふふっ。甘えんぼさんだね。いいよ、私はここにいるからね」


 大切そうにそっと包まれた自分の左手はそのままに、右手で怜の頭を軽く撫で続ける。

 そんな姿を周囲の人々は微笑ましそうに、中には羨ましそうに眺めていた。

 そんな自分達の状況に全く気が付いていない桜彩は、そっと怜の耳元に口を寄せる。

 遠目には寝ている相手にキスをしているようにしか見えない。

 そんな体勢で桜彩はそっと怜に囁く。


「怜、いつもありがとね」

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