第138話 お互いに染められて

「それじゃあ今度は私が食べさせてあげるね。何が良い?」


 怜にいくつかおかずを食べさせてもらった桜彩がそう提案する。


「そうだな。それじゃあ俺も肉巻きを食べたい」


 怜がお弁当のおかずへと目を向けてそう言うと、桜彩がミニ肉巻きへと箸を伸ばして怜の方へと差し出してくる。


「うん。はい、あーん」


「あ……あーん」


 顔を真っ赤にした怜がおずおずと小さく口を開ける。

 そこに桜彩が優しく肉巻きを入れると怜は口をゆっくりと閉じて肉巻きを食べる。

 噛みしめると中に包まれていたのはさいの目に切られたジャガイモで、肉とタレの味が覚めていても絶妙だ。

 自画自賛しても良い出来である。


「ど、どうかな……?」


「う、うん。は、恥ずかしいけど、嫌じゃないっていうか……。その、桜彩にあーんってやってもらうの、なんていうか、好きになってるのかも……」


 これまでに何度か桜彩に食べさせてもらったことを思い出す。

 恥ずかしくはあるのだが、決して嫌ではない。

 むしろなんだか心地良い。

 そんな恥ずかしさから怜は桜彩から視線を外してしまう。

 しかし桜彩は怜の返答に一瞬ポカンとして


「あ、え、ええっと……どうって聞いたのは肉巻きの味の方なんだけど……」


「えっ……?」


 桜彩の言った『どうかな』とは肉巻きの味についてだったのだが、怜の方はあーんについてだと思って感想を漏らしてしまった。

 自分の間違いに気が付いてもうこれ以上ないくらいの羞恥に震えて顔を覆ってしまう。


「ご……ごめん……」


「う、ううん……。そ、それにね、怜がそう言ってくれて私も嬉しいよ……。わ、私もね、怜にあーんってしてもらうの嬉しかったから。それに怜にあーんってやるのも嬉しいからさ……」


「えっ、あ、う、うん……お、俺だって桜彩にあーんってされるのも、桜彩にあーんってするのも好きっていうか……。つい先日まではただ恥ずかしいだけだったのに。いや、今もまだ恥ずかしいけど、それでもやりたいしやってほしいなって思ってる……」


「怜……」


 怜のその言葉が桜彩にとっては本当に嬉しい。

 最初は料理の味見で。

 いつもの癖で桜彩に菜箸で摘まんだおかずを自然に差し出してしまった。

 その次は、桜彩が嫉妬して。

 ふだんからそのように味見をしている蕾華や陸翔と同じことをして欲しい、その欲求から味見はあーんで食べさせてもらうことにした。

 そして怜が体調を崩して。

 怜に無理をさせない為に、いつもお世話になっている怜をお世話する為に、半ば無理やりにあーんで食べさせた。

 その後はバーベキューで。

 バーベキューの時、調理ばかりしている怜にも食べて欲しくてつい自然に差し出して。

 そして親友二人のからかいに乗ってしまい、何度も何度も食べさせ合った。


「そっか。怜もそう思ってくれたんだね」


「ああ。桜彩に変えられちゃったのかな?」


「そうだね。私が怜を変えちゃったのかもね」


「どんどん桜彩に染められてる気がする」


「ふふっ。それは私もだよ。私も怜に染められてるんだから」


 そして二人でふふっ、と笑い合う。

 自分の好きなことを徐々に相手も好きになってくれている。

 それが何だか嬉しい。


「こうやってお互いの好きな事、やりたい事が重なっていくのってなんだか良いよね」


「そうだな。それじゃあまず今はお互いのやりたい事をやっていくか。はい、あーん」


「あーん」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「それじゃあ次は何を食べたい?」


「えーっとね、それじゃあ唐揚げ!」


「分かった。はい、あーん」


「あーん」


 唐揚げを摘まんで桜彩に差し出すと、餌をもらう雛鳥のように口を開けて唐揚げを待つ桜彩。

 そんな桜彩が可愛らしくて、つい怜の中にいたずら心が芽生えてしまう。

 桜彩が唐揚げを口で掴もうとしたその瞬間、いきなり箸を戻す。

 てっきりそのまま唐揚げを食べさせてくれると思っていた桜彩は、思いがけない怜の行動に桜彩の口が空を切る。

 桜彩がいきなり何をするのかと怜を見ると、怜が二ヒヒと笑っていた。

 ここで桜彩は怜がいたずらしたことに初めて気が付く。


「む! ちょっと怜!」


「ははは、悪い悪い。ちょっと意地悪したくなっちゃって」


「むーっ!」


 リスのように頬を大きく膨らませて軽めに怜を睨む桜彩。

 まあそこまで怒っているわけではないのだが。


「ははっ、悪かったって。それじゃ……」


 再び唐揚げを桜彩の眼前へと差し出す。

 今度は本当に桜彩に食べさせるつもりだったのだが、頬を膨らませたままの桜彩は口を開ける前に怜に向けて手を伸ばす。


「えいっ!」


「え?」


 怜がその行動を不思議に思うよりも早く、右の手首を桜彩にがっちりと掴まれた。


「さ……桜彩?」


「ふふん。これでさっきみたいないたずらは出来ないよね?」


 得意げに怜の方を見ながらドヤ顔をする桜彩。

 怜が手を引っ込めるのフェイントを防ぐ為の行動なのだが、いきなり桜彩に手を掴まれた怜は動揺する。


「い、いや、も、もうしないって……」


「さっきみたいな意地悪する人の言葉はしんじませーんっ!」


「ほ、本当にしないから……」


「だったら別に手を掴まれてたままでも良いでしょ? ほらほら、早くあーんって言って」


 もう唐揚げは桜彩の眼前まで迫っておりそのまま桜彩が食べることも出来るのだが、怜が『あーん』と言うのは絶対に必要な事らしい。


「わ、分かった……。『あーん』」


「あーん……パクッ」


 満足したのか膨らませた頬をへこませて笑顔に戻り、唐揚げを一口で頬張る桜彩。

 先ほど不満で膨らんでいた頬が、今度は唐揚げで膨らんでいる。


「うんっ。怜のから揚げは初めて食べたけど美味しいね」


 唐揚げは箸から桜彩の口内へと移されたのに、未だに怜の手を掴んだままの桜彩。


「あ、ありがと……」


「どういたしまして」


「そ、それと桜彩、もう手を離してくれても……」


「あっ」


 怜の手を掴んだままだったことに気が付いた桜彩がいきなり手を離す。


「ご、ごめんね。痛くなかった?」


「あ、ああ。別に強く掴まれたわけじゃないし」


「そっか、良かった。あ、それじゃあお詫びと言っては何だけど、今度はまた私が怜に食べさせてあげるね。……あっ!」


 そう言って新たなおかずを取ろうとした桜彩だが、そこで手を滑らせて箸を落としてしまう。

 桜彩の手から滑り落ちた箸はシートの上を転がってそのまま地面の上へと移動する。


「あっ、ご、ごめんっ!」


 慌てて転がった箸を手に取って片付けながら謝る桜彩。

 さすがに地面の上に転がった箸を使うわけにはいかない。

 世の中には三秒ルールという言葉もあるようだが、怜も桜彩もさすがにそれは許容出来ない考え方だ。


「い、いや、大丈夫だって。箸はまだあるし」


 まあこんなこともあろうかと、怜は予備の割り箸をまだバッグの中に入れている。

 しかしその怜の言葉を桜彩は別の意味で捉えてしまった。


「そ、そうだね。まだ箸はあるからね」


 そう言って怜が持っていた箸を自然な動作で取る桜彩。

 そのままウキウキとした感じで弁当箱の中のおかずを吟味する。


「それじゃあどれにしようかな~」


「あの、桜彩……? その、箸なんだけど……」


 怜の手がトートバッグの中に伸び、未使用の割り箸を取り出す。

 それを見た桜彩が勘違いに気付いて口に手を当てて小さく驚きの声を出す。


「あっ……」


 箸はある、というのは怜が持っている箸があるということではなく予備の箸があるという意味だという勘違いに気が付いた桜彩が少し顔を赤くする。

 そして


「ご、ごめんね……。あ、で、でもさ……怜は、このままじゃ、嫌、かな……?」


 怜が差し出した新品の割り箸に手を伸ばさず、先ほどで怜が桜彩に『あーん』するのに使っていた箸を手に持ったまま、恥ずかしそうな上目遣いでそう問いかけてきた。

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