第137話 もっと素直に

 二人で手を合わせて頭を下げる。


「ふふっ。どれから食べようかなあ」


 目を輝かせて弁当の中身を吟味する桜彩。

 好物の肉巻きをはじめとして美味しそうな料理が揃っていて、まるで宝石箱のように感じられる。

 一方で怜は取り出した割り箸をミニ肉巻きに伸ばして――


「桜彩、あーん」


 掴んだそれを、桜彩の眼前へと差し出した。

 箸を持ったまま桜彩が固まってしまう。


(え? え? ど、どういうこと……?)


 どういうこともなにも、これはおそらくそういうことだろう。

 その行動と言葉が何をするのかは桜彩にだって分かる。

 分からないのは、怜がなぜそんなことを始めたのかということだ。


「え、えっと、怜?」


「あーん」


 戸惑って声を掛けてみたが、説明はなく再度『あーん』と言われてしまった。


「ほら桜彩、あーん」


「あ……あーん」


 戸惑いながらも口を開けると、ゆっくりと肉巻きが口の中へと入ってくる。

 依然戸惑いながらもそれを咀嚼する桜彩。

 一口噛みしめると、口の中に大好物の味が広がる。

 それだけで桜彩はとりあえず考えることを止めた。

 何はともあれまずはこの肉巻きの味を堪能しよう。


「もぐ…………美味しい!」


「そっか、良かった」


「でもいつもと少し味が違うよね。もちろんこれも美味しいんだけど」


「正解。肉の油が固まらないようにいつもの豚バラじゃなくロースを使ってみた」


「うん。これも凄く美味しいよ!」


 いつも食べ慣れている味とは少し違うが、これはこれでとても美味しい。

 しかしいつも食べている物と違ってミニサイズの為かすぐに食べ終えてしまう。


「喜んでもらえて良かった。それじゃあ次は何を食べる?」


 怜が笑顔のまま桜彩の食べたい物を聞いてくる。

 しかしここで桜彩には先ほどの疑問が湧きおこる。


「えっと、どうしたの? いきなり『あーん』だなんて」


 これまで怜と桜彩が『あーん』で食べさせ合ったことは何回かある。

 しかしどれもこれも桜彩からお願いしたことだ。

 例えば料理を味見する時に、怜は桜彩のリクエストでおかずを菜箸で摘まんで桜彩へと差し出した。

 例えば怜が体調不良の時、怜のお世話をしたい桜彩が半ば強引に気を遣って差し出した。

 例えば陸翔と蕾華が二人を煽り、テンパった桜彩が言われるがままに怜に差し出した。

 それら全てに共通していることは、なにか『あーん』をするのに理由付けがあった。

 しかし今はそんなことは関係なく、これまでとは違って怜が桜彩へと自発的な意思を持って『あーん』をやっている。


「ん……まあ、な。ほら、なんかいつも桜彩が『あーん』ってしてくるから……。今はその、で、デート、なんだし……。こういうのもやってみたら喜んでくれるかなって……」


「怜……」


 その言葉に桜彩が驚く。


(そんなことを考えてくれてたんだ)


 実際の所、桜彩としても怜と食べさせ合うのは照れるけれど楽しい。

 怜もそれを分かってくれていたのがなんだか嬉しくなってくる。


「そっか。ありがとね。いきなり自然に差し出されたから驚いちゃったよ」


「い、いや、実は俺も凄いドキドキしてた……」


「え? そ、そうなんだ……」


 怜としては、桜彩に拒否されたらどうしよう、などと考えてしまい、内心は冷や汗ものだった。

 それを桜彩が素直に受け入れてくれたことが嬉しい。


「で、でもなんか自然にあーんってやってくれたから、怜がドキドキしてるだなんて思わなかったよ」


「ほ、本当だぞ。現に今だってほら」


 そう言いながら桜彩の手を取って自分の左胸へと当てる怜。

 ドクドクと普段よりも早く波打つ心臓の鼓動が服を通して桜彩の左手へと伝わっていく。


「ほ、本当だね。怜の心臓、凄く早い」


「わ、分かってくれたか?」


「う、うん。でもね、怜だけじゃないんだよ。私の心臓も凄くドキドキしてるから。ほら」


「え?」


 そう言いながら怜の手を掴む桜彩。

 いきなりのことに怜が反応出来ないでいると、今しがた怜がしたように桜彩が怜の手を自らの左胸に当てる。

 ふよんっという柔らかい感触が怜の左手へと伝わってくる。


「さ、桜彩っ!?」


「ほ、ほらね。私の心臓も早いでしょ?」


 そう言って桜彩が怜の顔を上目で覗き込む。

 普段の怜ならその表情に見とれていたかもしれないが、今はそれどころではない。

 確かに心臓がドクドクと波打っているのは分かる、分かるのだが……。

 今はそれ以上に手の触れている膨らみの柔らかさに意識を持っていかれてしまう。


「ね? 分かるよね、怜?」


「あ……あ、あの、さ、桜彩……?」


「え? どうしたの?」


 思っていたのと違う反応に首を傾げる桜彩。

 これは本当に無意識にやっているのだろうと理解する怜。


「さ、桜彩……。その、ドキドキよりも、む、胸に……」


「え? 胸に……あっ!!」


 そこで桜彩も今自分が何をしていたのかを遅まきながらに理解した。

 自分の左胸に怜の手を当てるということは、つまりその、女性としての大切な部分に――

 慌てて桜彩が手を離すと顔を真っ赤にして釈明する。


「ち……違う! 違うから! そ、そういうことじゃなくってっ……!」


「わ、分かってる! 分かってるから!」


「し、心臓のドキドキをつ、伝えようって思っただけだからねっ……!」


「あ、ああっ! 分かってる!」


「うぅ…………」


 とんでもないことをしてしまった事実に桜彩が顔を伏せてしまう。


「ご、ごめんね……」


「い、いや、まあ……その……謝られることでもないけど……」


「……………………」


「……………………」


 そのまましばし無言の時を過ごす。

 怜としてもどのような言葉を掛けるべきなのか分からない。


「で、でもね、さっきも言ったけどさ、あーんってやってくれるのとっても嬉しかったんだ。ありがとうね、怜」


 怜が自分のことを考えて、恥ずかしいながらも行動してくれたことが桜彩にとってはとても嬉しい。


「あ、あとな……その、あーんってやると桜彩が喜んでくれるかなって思ったのは本当だけど、実は俺も……その……ちょっとやってみたかったんだ……」


 顔を真っ赤にしながら怜が告白する。


(そうなんだ。怜も『あーん』ってやるの、やってみたかったんだ)


 実は怜も自分と同じことを思っていてくれたのだと知って桜彩がより嬉しくなる。

 一方で怜は恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯いてしまう。


(普段はあんなに大人びているのにな。なんだか今日の怜、凄く年相応っていうか、可愛い!)


 先ほどの自分との軽口をはじめとして、怜の飾らないところが良く出ている。

 人前では滅多に見せないような表情で、それがとても可愛い。


(な、なんだろう……。なんだか今日の怜、いつもと違う姿を見せてくれて……。でもそれも素敵なんだよな)


 そんな怜の新しい姿が見れることを、新しい姿を見せてくれることを嬉しく感じる。


「じ、実はさ、きょ、今日はで、デートなんだから……。だからいつもよりももっと素直になろうって思ったんだ」


「え、素直に? 怜っていつも素直だと思うけどな」


 桜彩としても怜がひねくれているなんて思ってはいない。

 むしろ言いたいことはちゃんと言い自分の意見を隠さずにぶつけてくるタイプだ。


「いつも以上にな。その、出かける時もそうだけど、思ったことをちゃんと口に出したり」


「え……」


 出掛ける時に怜に掛けられた『綺麗』や『可愛い』と言った言葉。

 確かにこれまでの怜だったらそこまで強く主張はしないと桜彩も思う。

 

(そっか……。嬉しいな……)


 嬉しさで思わず桜彩の顔が赤く染まる。


「それに、ちゃんとやりたいこともやっていこうと思って。だ、だから桜彩、あ、あーん……」


(ふふっ。怜もそう思ってくれて嬉しいな)


 そして桜彩もにっこりと笑って口を開ける。


「あ、あーん……」


 そして怜は恥ずかしさを隠すように、再び桜彩へとおかずを差し出した。




【後書き】

次回投稿は月曜日を予定しています。

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