第136話 花びらのシャワー

 二人は昼食のスペースへと向かいながら、他愛のない会話をして笑い合う。

 すれ違った犬がまた怜に寄って来たりとか、サッカーボールを蹴っている男の子達がいたり。

 別段変わった光景ではないのだが、二人にかかればその全てが楽しい会話へと発展していく。

 そんな感じで楽しく進む二人の前に、桜の木が見えてくる。

 満開とはいかないものの七分咲き程度には咲いており、充分に花見としても利用出来るレベルだ。


「わぁ……綺麗……」


「ああ。素敵な光景だな」


 二人で上を見上げると風に揺れた木の枝から桜の花びらが舞い降りる。

 花びらのシャワーが二人に降り注ぎ、幻想的な光景がそこに生まれる。

 ふと怜が隣の桜彩へと視線の向きを変えると、その光景に怜の時が停止して目を奪われる。

 ただでさえ人並み外れて美人な桜彩が、花びらのシャワーの中に立っている。

 再び怜の時が動き出すと、既に宙を舞う花びらはそこにはなかった。

 今の光景は自分の想像上の出来事ではないかと思ったが、既に舞った花びらの一部が二人の髪や肩にふわりと着地しており今の光景が決して夢ではなく現実だということを教えてくれる。


「ふふっ。怜、花びらまみれだね」


「桜彩もだぞ」


 少し顔を赤くしながら桜彩の耳へと舞い降りた一枚の花びらを取ろうと手を伸ばす怜。

 伸びてきた怜の手に桜彩は一瞬驚いたが、すぐに怜のやろうとしたことに気が付いてその手を受け入れる。

 花びらを取ろうとした怜の手が、桜彩の耳に軽く触れる。


「んっ……」


 大切な人の感触が敏感な耳に伝わって来て、桜彩は柔らかな声を上げた。

 そんな甘い吐息に怜の心も揺れてしまう。


「ほら」


 動揺を表に出さないように怜が摘まんだ花びらを桜彩の目の前に差し出すと、桜彩がゆっくりと微笑む。


「ありがとね」


「どういたしまして」


 お礼を言うと、今度は桜彩が怜の頭へと手を伸ばしてきた。

 頬をかすめたその手が怜の頭に乗った花びらの一枚を摘まみ上げる。


「怜も、ほら」


「ありがとな」


「どういたしまして。ってまだ何枚も付いてるんだけどね」


「だな」


 そう言って二人で笑い合う。

 さすがに花びらの枚数が多すぎる為、その後は二人共自分で頭や肩に着いた花びらを払い落とした。


「でも、今の凄かったね」


「そうだな。大した風でもなかったのに一気に舞ったな」


「うん。でも今の、とっても素敵だったよね」


 つい自然に桜彩の口から出た感想。

 もちろん桜彩の『素敵』というのは舞った花びらについてのことだ。

 しかし『素敵』という単語に半ば無意識に反応した怜は


「そうだな。桜の花びらに囲まれた桜彩の姿、思わず見とれちゃうくらい素敵だった」


「え……? わ、私……?」


「え……あ、いや……」


 桜彩の言葉にようやく怜は、自分が今何を言ったのかを理解してしまう。

 一方で桜彩は思いもよらなかった怜の言葉に心臓の鼓動が一気に早くなってしまう。


「そ……その……桜が舞った時、ふと桜彩の方を向いたら桜彩が花びらに囲まれてて……本当に素敵だって思ったんだ……」


「え? そ、そう、なの……?」


 ごまかさずにそう告げる怜の言葉に桜彩が聞き返す。

 言葉の意味を理解した桜彩が、嬉しそうに、そして今の言葉が聞き間違いではないのかと少しばかり心配そうな表情で怜を見上げる。


「その、本当に素敵だった。桜の花びらの中心にいた桜彩が。なんていうか、桜の彩りって桜彩の名前にぴったりって言うか……」


「わ……そ、その……ちょ、ちょっとストップ!」


「あ、ああ……」


 次々に発せられる怜の言葉にこれ以上ないほどに顔を赤くした桜彩が両手で頬を押さえて怜に背を向ける。


(そ……そんな風に思ってくれたんだ……。う、嬉しいなあ。怜が、私のことを……)


(う……な、なんかもの凄く恥ずかしいことを言ったような……。で、でも本当のことだし……)


 怜も桜彩から視線を外して左胸に手を当てると、いつもよりも遥かに早いペースで心臓が動いているのが良く分かる。


(うわぁ、ど、どうしよう……。う、嬉しすぎて怜の事をまともに見れないよぅ……)


(は、恥ずかしい……。へ、変な事言って桜彩に引かれてないよな……。や、やばい、桜彩をまともに見られない……)


「で、でもそっか。怜は私のことをそんな風に見てくれたんだね」


「あ、ああ」


「で、でもそうなると残念だなあ」


「残念?」


 桜彩の言葉に問い返す怜。

 やはり変なことを言って引かれてしまったのだろうかと心配になるが、桜彩の答えは違っていた。


「わ、私も上ばっかり見てないでその……れ、怜の方を見たら、きっと素敵な怜が見れたんだろうなあって思って」


「う……」


 顔を赤くしたまま満面の笑みを浮かべた桜彩にそう言われて、より怜の心臓がドキンと跳ねる。

 そして恥ずかしさから再びお互いに相手から顔を外してしまう。

 そのまま少しの間、二人共相手から視線を外しながら恥ずかしさに耐えることになった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 しばらく二人別々に深呼吸したり胸を撫でたりしてようやく心が落ち着いてくる。


「な、なあ、もう少し先で食べようか」


「う、うん。そうだね」


 まだ少しぎこちなさが残るがなんとかいつも通りの空気を作る二人。

 少し先のスペースはここよりも桜の木が多く、もうすぐお昼時と言うこともあってお花見を楽しんでいる家族連れの姿もある。

 人がいると言っても花見シーズンは外れている為に込み合っているわけではないので、二人がゆっくりと出来るスペースも充分にある。


「あっ、ここにしない?」


 しばらく歩いていると、桜彩が一本の桜の木の下を指差して提案した。

 他の人達のとの距離も離れており、かつ桜の木もそこそこある為に楽しむのは充分な場所だろう。


「そうだな。ここにするか」


「うんっ」


 怜も桜彩の提案に賛成して荷物からレジャーシートを取り出して木の下に広げる。

 広めのそれは二人が一緒に乗っても充分なほどの広さがあり、窮屈さとは無縁だ。

 シートの四方に重しを置いて、折り畳み式の簡易クッションをセットすれば準備は完了。

 今日のメインイベントである昼食の時間だ。


「ドキドキ。ワクワク」


 怜がトートバッグからお弁当を取り出すのを、桜彩は逸る気持ちを擬音で表現しながら目を輝かせて眺めている。

 大きめのトートバッグから姿を現した三段のお重。

 それを二人の間に置いて準備は完了だ。


「はい、桜彩」


「ありがと」


 ウェットティッシュで手を拭いていよいよお待ちかねのお弁当の蓋を開封する。


「わあっ! すっごい!」


 一段目には鶏のから揚げ、卵焼き、タコさんウインナーのお弁当の三種の神器、それに加えてミニハンバーグ。

 二段目には二人の大好きな肉巻きのミニサイズとミニコロッケ。

 三段目にはきんぴらごぼう、ひじき、ほうれん草の胡麻和え、ポテトサラダが所狭しと並んでいた。


「なにこれ! すっごい豪華!」


「喜んでくれて嬉しいよ。あとは桜彩が美味しく思ってくれればだな」


「美味しいに決まってるよ! でもこんなに作るの大変じゃなかった?」


「俺も楽しみにしてたからな。少し張り切ってみた」


 少し、と謙遜したが実際にはかなり張り切って作った怜。

 品数が多い為に仕込みの時間も多くかかったが、今目の前の笑顔を見ればそんな苦労は些細な物で、むしろおつりがくるほどだ。


「それに今日のお弁当用以外にもそこそこの量をまとめて作ったからな。明日のお弁当にもなるし、長い目で見ればそんなに手間じゃないぞ」


 実際に二人共よく食べるとはいえ、これだけの品種だ。

 一つ一つの量が多ければ絶対に食べきれない。

 故にお弁当に入れなかった分は冷凍庫で保管している。


「それにどうせ明日は陸翔と蕾華から根掘り葉掘り聞かれることになるんだ。だったら個別に追及されるよりもお昼をみんなで食べながら話した方が良いだろうしな。だから明日のお弁当にも詰めることにするよ」


 怜と桜彩をデートだと焚きつけた親友二人が黙っているはずは絶対にない。

 蕾華辺りが桜彩だけを質問すれば痛くもない腹を探られることにもなりかねないので、それだったら二人一緒に自分達から話した方がまだましだ。


「それってつまり、明日も怜のお弁当を食べられるってこと!?」


 驚いた顔で問いかける桜彩に怜は首を縦に振る。


「ああ。部室で食べれば他の人達に俺達の関係がバレることもないだろうしな。まあ今日と同じメニューが多くなるけど」


「全然かまわないって。私、怜のご飯が大好きだもん」


 無邪気な笑顔でそう言う桜彩。


(……『ご飯』が大好きってことだからな!)


 勘違いしないように怜が自分を戒める。


「ふふっ。明日のお昼も怜のお弁当が食べられるなんて。楽しみだなあ」


「まずは今を楽しんでくれよ」


「あっ、そうだね! ふふっ、それじゃあいただきまーす」


「いただきます」

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