第124話 父親の葛藤
ショッピングモール内のコーヒーショップへと入る二人。
レジでコーヒーとケーキを注文して空いている席へと向かう。
その際に空はもう歩くだけなら問題ないと言っていたが、念の為に二人の頼んだ商品は全て怜が持つことにした。
万一足が痛んで熱いコーヒーをこぼしてしまっては元も子もない。
ゴールデンウィーク真っ只中の午後ということもあってか店内にはそこそこ客が入っていたが、幸いなことにテーブル席が空いていた。
そこへ購入した商品を置いて向かい合わせで座る。
その際に怜は空が座る時に体重を足首に掛けないように肩を貸す。
「いや、本当に何度もありがとう」
椅子に座るなり怜に頭を下げる空。
テーブルに額が付きそうなほどの深いお辞儀に怜は困惑してしまう。
各テーブルごとに仕切りがあるわけでもないので周りの目を少々痛く感じてしまう。
「いえ、気にしないで下さい。先ほども言いましたが私は迷惑だとは思っていませんので」
「そ、そうか……」
「はい。それにコーヒーだけではなくケーキまでご馳走していただけるのですから」
怜のその言葉にひとまず空が落ち着きを取り戻す。
コーヒーを一杯だけご馳走してくれと言ったのだが、空からそれだけでは申し訳ないのでせめてケーキも食べてくれと言われた。
そこで一問答するのもなんだったので、その好意を怜は素直に受け入れた。
そんなわけで、怜の目の前にはカプチーノとチーズケーキが置かれている。
空が落ち着いたのを確認して怜はコーヒーを口に含む。
「ふう……美味しいです。ありがとうございます」
「そうか。そう言ってくれて嬉しいよ」
そこでやっと空は表情を緩める。
そして怜と同様にコーヒーを一口飲む。
「ふう。やっと少し落ち着いてきた。いや、すまない。先ほどからみっともない真似を晒してしまって」
「いえ、私は気にしていませんので」
「そうか、ありがとう」
そのまま二人でコーヒーとケーキを食べていく。
しかし会話が全くない。
先ほどまでとは違っていたたまれない雰囲気は特にないのだが。
「あの、どうかされたのですか?」
「ん? どうか、とは?」
怜の質問に空が質問で返す。
確かに質問の内容が漠然とし過ぎていたかもしれない。
「いえ、最初に見かけた時から何か沈んだ表情をされていたので、何かあったのかと」
怜の質問に空は一瞬真顔になる。
そして苦笑を浮かべて話し出す。
「そうか、そう見えたか。実は私には娘がいるのだがな」
「娘さん、ですか?」
「ああ。おそらく君より少し年下だと思うのだが」
怜は同年代に比べて身長も高いし、雰囲気も大人びている所がある。
初対面の相手に対する対応も含めて、空は怜のことを大学生くらいの年齢だと思っている。
「今、私は娘と離れて暮らしていてね。その間にどうやら彼氏が出来たみたいなんだ」
「彼氏、ですか」
相槌を打つ。
(……ってことは、父親として『娘はやらんぞ』って気持ちなのかな?)
当然ながら娘のいない怜に父親としての気持ちは分かるとは言えない。
フィクションなどでよく目にする状況だが、現実も一緒なのだろうか。
少なくとも怜の身の回りで娘を持つ父親は何人かいるが、皆そのような考えは持っていない。
怜と美玖の父親は美玖が守仁と付き合っていると知った時には当たり前のように受け入れていたし、蕾華が陸翔と付き合い始めた時も蕾華の父は素直に祝福していた。
ちなみに瑠華に関しては早く結婚してくれと思っている。
そんな怜の考えを察したのか空が首を横に振りながら
「ああ、別にそれは構わないんだ。いや、娘に彼氏が出来て同棲のようなことをしていると聞かされた時は驚いたのだが、今はもう大丈夫だ」
「そうなのですか。それでは何か問題が?」
怜の言葉に空は少し困ったような表情をする。
そして意を決してその理由を話す。
「うん。私は仕事人間というやつでね。もちろん家族のことは大切にしていたつもりだが、それでも子供のことを妻に任せることも多かったんだ。そして一年ほど前に娘は大きな問題に巻き込まれてね。それで心に大きな傷を負ってしまったんだ」
「そう……ですか」
怜にもその娘の気持ちは分からないでもない。
同じように大きな傷を負った過去を持っているのだから。
「私はね、そこから娘を逃がすことしか出来なかったんだ。しかも仕事が忙しいのを理由にして、その娘の心の傷を塞ぐことをしてやれなかった」
心に傷を負った桜彩を転校させることしか出来なかった。
「だけどね、どうやらその彼氏が娘の傷を塞いでくれたようなんだ。父親である私が出来なかったことを、代わりにやってくれた。そして今、娘は前を向いて歩きだしている」
「そうなのですか。ですがそれは喜ぶことなのでは?」
「うん。それ自体は喜ばしく思っているよ。しかし、出会ったばかりの彼氏が問題を解決してくれた一方で、私は何も出来なかった。それが本当に不甲斐なくてな、父親失格なんじゃないかと思ってしまうんだ」
胸を押さえながら俯いてしまう空。
そんな空に怜は優しく声を掛ける。
「何も出来なかったわけではないでしょう。詳しくは分かりませんが、あなたはその問題から娘さんを逃がすことが出来たのではないですか?」
怜の言葉に空は顔を上げて、そして驚いたように怜の顔を見る。
それを確認して、怜は続きを語り掛ける。
「あなたが娘さんを逃がしてあげなければ、その彼氏が娘さんの心の傷を癒すことも出来なかったのではないですか?」
「う……うむ…………」
「それに仕事が忙しかったとはいえ、それは娘さんよりも仕事を優先したというわけではないでしょう」
「え? い、いや、しかし…………」
怜の言葉に空が戸惑う。
一年前、空は桜彩を転校させることは出来たのだが、仕事の都合上舞と共に地元へと戻った。
頼れる相手がいない場所に、桜彩を一人きりにさせてしまった。
それが空にとって最もふがいないと思う事実だ。
「仕事とはお金を稼ぐ手段です。お金で全ての物が買えるわけではありませんが、お金があれば選択肢は増えるはずです。重ねて言いますが、私には詳しいことは分かりません。ですが、娘さんに寄り添う為に仕事を辞めてしまったら今度はそれ以上の問題が起きたことでしょう。仕事の為に娘さんをないがしろにしたわけじゃない。娘さんの為にも仕事を放棄しなかった。違いますか?」
「そ、それはそうだが……」
怜の言葉で当時のことを思い出す空。
仕事を辞めて桜彩と共に引っ越したとして、すぐに新たな仕事が見つかる保証はなかった。
それに空は会社では高い役職についており、金銭面という面で家族を支え続けていた。
そのお金があったからこそ、葉月や桜彩を高い家賃のアパートで一人暮らしさせることが出来た。
「それに娘さんは何か言っていたのですか? あなたに対して、仕事よりも自分を優先してほしかったとでも言ったのですか?」
「い、いや、それは言っていない。むしろ『転校させてくれてありがとう』と言ってくれたよ」
昨日の会話を思い出す空。
転校先から帰省した桜彩は、あの事件以来初めて晴れ晴れとした笑顔を見せてそう言ってくれた。
「であれば、それが答えでしょう。確かにあなたは娘さんの心の傷を直接的に塞ぐことが出来なかったのかもしれません。ですが、あなたが娘さんの為を思って行動していたのは間違いない事実で、それを娘さんもよく理解しているのも間違いのない事実だと思います。そしてそれは最上の結果を導いてくれました。違いますか?」
空の顔を真っ直ぐに見て怜がそう言う。
怜のその言葉に空は衝撃を受ける。
ずっと悩んでいた。
転校させた後、側で桜彩を支えることが出来ない状況に苦しんでいた。
だが怜の言う通り、大切な娘に対して自分がやったことは結果として大きな意味があったのだと。
「だからこそ、胸を張っていいと思いますよ。あなたは父親失格なんかじゃない。なによりも娘さんの為を思って行動して、そしてそれが実を結んだのだと」
その言葉に空がふっ、と息を吐く。
そして憑き物が落ちたような感じで表情を明るくする。
「…………そうか。私は父親として、娘を幸せに出来たのかな」
「あくまでも第三者として話を聞く限りですが、私はそう思いますよ」
「そうか、ありがとう」
「お礼を言われることではないのですがね」
怜としては目の前の男性の悩みを聞いて、自分なりの意見を言っただけだ。
この件に関して何か行動したわけではない。
「いや、大分気持ちが楽になったよ」
「そうですか。それなら私も嬉しいですよ」
そう言いながらケーキを口にする怜。
ケーキの対価というわけではないが、目の前の男性の気が晴れてくれたのなら怜としても良かった。
「ふふっ。実はこの後、その彼氏と会うことになっていてね。会った後でどのような感じになるか想像もつかなかったのだが、今ならもう大丈夫だ」
「それならば良かったです。娘さんの恩人という事であれば素直に祝福してあげて下さい。もし万一ロクでもないような相手に騙されているのであれば、その時は全力で止めるべきでしょうが」
「そうだな。願わくば、娘の彼氏が君のような良い人であってほしいと願っているよ」
「それは買い被りですよ」
少し照れながらコーヒーを飲む。
別に大したことをしたわけではない。
階段から落ちそうな男性を支え、捻挫の手当てをして愚痴を聞いただけだ。
話も終わり、コーヒーとケーキがなくなったところで席を立って店を出る。
この男性との関係はこれで終わり。
一期一会の出会いというやつだ。
「それでは失礼します」
「うん。君のおかげで少しばかり心が軽くなった。本当にありがとう。さようなら」
そう言って歩き出そうとする二人。
しかし次の瞬間、後ろから聞こえてきた声に怜の足が止まる。
「あら空さん。ここにいたのね」
「ちょっとお父さん、探したわよ。スマホの連絡に気が付かなかったの?」
一つ目の声は記憶にないが、二つ目の声は、つい先日に聞いた記憶の中の声と一致する。
そして――
「もう、探したんだからね」
三つ目の声、聞き違えることなんてない、大切な相手の声が耳に届く。
その声に振り返ると、予想通りの人物がすぐ側にいた。
相手の方も怜の姿に気が付いて驚いた顔をする。
「……桜彩?」
「……怜?」
数日ぶりに再会した大切な相手。
その事実に胸が躍る――――より先に、一つ重要な事実に気が付く。
今の桜彩の言葉から考えるに、今まで話していた男性は桜彩の――
「…………あの、もしかして……桜彩のお父さんですか?」
「…………えっと、君が怜君なのか?」
驚く男性二人を尻目に女性陣三人は顔に疑問符を浮かべて二人のことを眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます