第121話 悩める父親
「怜って……男の子だよ」
「……………………」
「……………………」
桜彩の発した言葉の意味に、舞と空はしばしの間呆然とする。
桜彩と葉月の二人はこれまでの会話を思い出してみる。
そう言えば怜についての性別の話をした覚えはない。
それに『れい』という名前の読みは男女両方で使われる。
両親としては、まさか桜彩とそこまで仲の良い相手が男子だとは想像も出来なかった為に、完全に相手を女子だと思い込んでいた。
信じられないことを聞いたという顔で、舞は桜彩に問いかける。
「え、えっと、桜彩。それ、本当? 怜さんが男の子って……」
「う、うん……。怜の性別はれっきとした男性なんだけど……」
桜彩の返答に舞は無言で視線を横に移動する。
桜彩の隣にいる葉月がその視線を受けて、桜彩の答えを肯定する。
「ええ。怜は男性ね」
「……………………」
「……………………」
再びの沈黙。
桜彩にとっても葉月にとっても怜が男だということは当たり前すぎて、それを伝えることなど思いつきもしなかった。
そして桜彩が今まで両親に話した内容を考えてみる。
隣に住む一人暮らしの同級生の部屋で一緒に料理を作りながら教えてもらっている。
毎食一緒(学内を除いてだが)に食事を食べている。
他にも色々とあるのだが、確かにこれで異性であると想像するのは難しいだろう。
「さ、桜彩……」
ここでやっと混乱から復帰した空が絞り出すような声を上げる。
その表情は先ほどまでとは全く違い、心配するように顔にしわが寄っている。
「そ、その、桜彩……。つ、つまりだな、桜彩は、その、会って間もない男性の家でご飯を食べたりと……」
空の頭に父親としての心配がいくつも浮かんでくる。
「ああ父さん。その心配ならいらないわよ。私がちゃんと試したから」
「え? た、試した?」
だが桜彩が何かを言う前に、横から葉月がフォローを入れる。
フォローになっているかは別として。
「ええ。私が桜彩の様子を見に行った時に怜に会ってね。その時に色々と話したの。大丈夫よ、怜は信用出来るから」
「そ、そうなのか……?」
葉月の言葉に空が考え込む。
(
葉月が桜彩のことを大切にしているのは両親も充分すぎるほどに良く分かっている。
それゆえにその葉月が太鼓判を押すくらいの相手であれば問題ないのかもしれない。
「ちょっと葉月、待ちなさい」
だが舞の方は葉月の言葉に眉をしかめる。
この
更に言えば、人間不信に陥っていた桜彩の側にいる相手だ。
試した、と言っていたが、何か嫌な予感がする。
「今あなた、怜さんを試した、と言ったわね」
「え、ええ……」
舞の睨むような視線を受けてたじろぐ葉月。
それに構わず舞は言葉を続ける。
「いったい何をしたの? 詳しく話しなさい」
有無を言わせぬ口調でそう葉月に命令する。
その静かな迫力に葉月は背中に冷や汗をかいてしまう。
とはいえ黙っているわけにもいかない。
「え、ええっと……」
そして葉月は怜と会ってからのことを事細かに話した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「――ってわけなんだけど……」
怜と出会ってからの出来事を告げる葉月。
(……………………なんてことを)
話を終えた葉月の言葉に舞が呆れかえって頭を押さえてしまう。
当たってほしくはなかった嫌な予感が的中してしまっていた。
「あ、あの、母さん?」
悩む舞の様子を見ておそるおそる問いかける葉月。
その言葉に舞はゆっくりと視線を前へと向ける。
何も言ってこないが葉月も舞が怒っていることは良く分かる。
「はあ………………」
一度視線を外して溜息を吐き、再び葉月を睨むように見る。
「…………ここがお店でなければ本気で怒っていたわ」
「え、ええっと……」
さすがに他のお客が大勢いる中で説教を始めるわけにもいかない。
そんなわけで舞は怒る気持ちを飲み込んで静かに話す。
「全く、事前に聞くことが出来ただけ良かったわ……」
一度グラスの水を飲んで気持ちを切り替える舞。
そしてキッとした視線を葉月に向けて
「何を考えているの、あなたは」
「な、何って……」
「はあ、あなたねえ、怜さんも言っていたようだけれど、あなた、本当に一歩間違えればとんでもないことになっていたわよ」
かつて怜も葉月に対して
『でも随分と危険なことをしましたね。自分で言うのもなんですが、俺以外の相手だったら本気で怒ってもおかしくない事やってますよ。それこそせっかく桜彩に出来た友人を、今度はあなた自身の手で遠ざけてしまうことになりかねないようなレベルで』
と言ったように、葉月の行動は桜彩にとってマイナスに働く可能性が大きかった。
あくまでも怜だからこそ、桜彩や葉月に悪印象を抱いていないだけである。
「そ、それは分かってるけどさ……。でもそれは美玖に怜のことを聞いていたからで……まあ大丈夫だろうと……」
「そういう問題ではありません。大体ね、その怜さんは桜彩がベッドの中で怯えている時に、一晩中横にいてくれたって言うじゃないの。それもその際に自分から『妙なことをしないようにスマホで録画しておく』なんて提案までしてくれて。信じるならそれだけで充分じゃない。あなた、怜さんの言ったように今度はあなた自身の手で桜彩から大切な友人を奪ってしまうところだったのよ。例えあなたが怜さんが怒らないと考えていたとしても、怜さんに対して恩を仇で返すようなことをしたことを充分に理解しなさい」
「そ、それは……分かるけど……」
「もし怜さんがあなたの聞いていた通りに心の広い人物ではなかった場合、桜彩に多大な迷惑が掛かるところだったわ。本当に良かった」
安堵のため息を漏らす舞。
本当に怜がそのような人でなくて良かった。
「とにかく、その分も含めてお礼とお詫びをしなければいけないわね。ねえ、空さん? ……空さん?」
横に座る空へと問いかける舞だが、相手からの返事はない。
空はまだぶつぶつと呟きながら悩んでいるようだ。
「だ、だがひ、一晩一緒にいた……」
さすがに父親としてそれは心配するだろう。
例え怜が安心な相手であったとしても、年頃の娘が同年代の異性と同じ部屋に二人だけで一晩一緒にいたのだ。
「だ、だから怜さんはそういうところ、本当に信用出来る人だから!」
「そ、そうかもしれないが……。でも、万一ということが……」
父親としてはそう簡単に納得出来るものではないらしい。
仏頂面が治らない空に、舞はしょうがないな、とため息を吐く。
「ほら、空さん。そのような顔をしていてはコーヒーが美味しくないですよ」
「し、しかし……」
「とにかく、怜さんが男性であったことは驚きですけれど、それでも私達の大切な娘がお世話になった相手ということに変わりはありません。違いますか?」
「そ、それは違わないが……」
「でしたら親としてやるべきことは決まっています。とにかく、葉月が失礼をした分も含めてこの後に何か買っていきましょうか」
一応、怜に対してのお土産は持ってきてはいるのだが、今の話を聞いた以上、それだけでは不充分だ。
「桜彩、この辺りで何かいいお店はあるかしら?」
「うーん、私もあんまり色々なお店に行ったわけじゃないし……あ、それだったらここなんてどう?」
桜彩がスマホを操作すると、そこにはこの店から少し離れた大型のショッピングモールが表示される。
怜と何度か来た所よりも遥かに大きいショッピングモールで、ここなら何かしら良い物が買えるだろう。
「そうね。ここだったら良い物が見つかるかもしれないわね。それじゃあ空さん、食べ終えたらここに向かいましょうか」
「あ、ああ……」
そして四人は手早く食事を終わらせてショッピングモールへと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さて、たくさんお店があるのは良いのだけれど、何が良いかしらね」
ショッピングモール内の案内板を見ながら舞が呟く。
時間を掛けて様々な店内を見て回ったのだが、怜に対するお礼の品は何が良いのか見当がつかない。
広いモール内で何件かの店をじっくりと見て回った為、少々時間も押してきている。
「無難なところだとお菓子だけれど、怜さんはお菓子を作るのがお上手のようだし、洋菓子店でアルバイトしているのよね?」
「うん」
「となると、お菓子は避けた方が良いかしら」
「うーん、怜なら気にしないと思うけどな」
桜彩の言う通り、実際に怜は市販のお菓子もよく食べている。
別に自分で作った物やリュミエールの物でないとダメということはない。
むろん味の好みで言えばそちらの方が近いだろうが。
「はあ……」
一方で未だに心が切り換えられていない空がため息を吐く。
それを聞いて仕方がないわね、と苦笑する舞。
なんだかんだ言っても、空の気持ちもそれはそれとして理解出来る。
「空さん。とりあえず気持ちを切り替えましょう?」
「わ、分かってはいるのだが……」
まあ言われたからと言って、そう簡単に切り替えられるものでもない。
再び下を向いて俯いてしまう。
「仕方がないですね。それでは怜さんへの贈り物は私達で選びますから、空さんは一度カフェにでも入って心を落ち着けて下さい」
「う……うむ、分かった。それじゃあ私は少し休んでいるから」
舞の提案にゆっくりと頷く空。
確かにこのままでは何の役にも立たないし、妻と娘の気を悪くしてしまうことだろう。
「ええ。それじゃあ後で連絡しますね」
そして空は三人と別れて近場のカフェを探す。
案内板によると、下の階にチェーンのカフェがあるのが分かった。
(エスカレーターやエレベーターは遠いか)
周囲を見回すと、エスカレーターやエレベーターの位置は遠かったが、すぐ側に階段があるのが分かる。
(一階程度なら階段で行くか)
そう思って階段の方へと足を向ける。
(……ううん、親としてあまり干渉しすぎるのも良くはないのは分かるが……しかし……)
そんな悩みを抱えながら階段を降りようとする空。
逆に正面から登って来る少年の存在にすら気付いていない。
それだけならまだ良かったのだが、心ここにあらずといったせいか、つい階段から足を踏み外してしまう。
(しまった!)
そう思う間もなく体勢が崩れる。
まだ階段の上の方にいる空。
このままでは下手したら踊り場まで一直線に落下してしまうだろう。
大怪我は免れないかもしれない。
そんな覚悟を決めた空だが、その瞬間、身体が引き留められる。
一瞬遅れて自分の右手首が誰かに掴まれたことに気が付く。
「だ、大丈夫ですか!?」
その声に空は、自分が誰かに助けられたことに遅まきながら気が付いた。
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