第120話 洋食屋での一幕 ~「怜って……」~

 翌日、渡良瀬家の四人は怜と桜彩の暮らす街の方へと車で向かっていた。

 大きめのワンボックスの車内では運転席に座る空と助手席に座る舞が時折言葉を交わしている。

 三列シートの二列目を開けて、最後尾では桜彩と葉月が楽しそうに談笑している。

 渋滞情報によるとこの先も渋滞は無さそうなので、ゴールデンウィークにもかかわらず快適な移動が出来ている。

 出発の時間を調整した甲斐もあったものだ。


「ふう。後少しだな」


「ええそうね。空さん、運転ありがとう」


「どういたしまして、と言いたいところだけどそれはまだだな。最後まで安全運転しないと」


「ふふっ。確かにそうですね」


 話しながらナビを確認すると、目的地まで後一キロ程度となっていた。


「でも良かった。この様子なら確実に間に合うわね」


「そうだな。これならサービスエリアでもう少し時間を潰しても良かったかもしれない」


「でも渋滞に巻き込まれるよりは良いでしょう」


「確かにな」


 ナビの目的地として表示されているのは桜彩の住むアパートではなく、そこから離れた洋食屋だ。

 桜彩本人はまだ行ったことがないのだが、前に怜からおすすめのお店として紹介してもらった。

 大通りではなく少し中に入って行った裏通りに位置しており、地元ではそこそこ有名だが若干穴場という感じになっている。

 とはいえ今はゴールデンウィークであり客数も多い。

 念の為、昨日の内にインターネットで予約をしたところ、満席になる前に予約を入れることが出来た。


『目的地に着きました ナビゲートを終了します』


 機械音声がそう告げたところで目的地に到着する。

 幸いなことにそこまで広くはない店の駐車場にはまだ空きがあった為、車を停めて店の外観を確認する。


「ここのようね。良い感じのお店じゃない」


「うん。素敵な雰囲気じゃないか」


 舞も空も店の雰囲気に好印象を抱いたようだ。

 店内だけではなくバルコニーにもテーブルが設置されていて、今日のような天気の良い日は気持ちが良いだろう。


「いらっしゃいませー」


 扉をくぐるとデキャンタ―を持った店員がドアベルの音に気が付いたのかすぐに声を掛けてくれる。

 予約した旨を伝えるとすぐに席に案内される。


「うん。内装も良いわね」


「そうだね。中の雰囲気も落ち着いていて」


 雰囲気を楽しんでいると、店員がメニューを持って来る。

 メニュー表自体にも装飾が施されており、決して派手ではないがセンスの良さがうかがわれる。


「何にしようかな?」


 メニューを広げて楽しそうな声を上げながら悩む桜彩。

 一人暮らしを始めたばかりの時にはファーストフードで外食をすることもあったのだが、怜と共に食事をするようになってから外食することはほとんどなくなった。

 もちろん怜の料理が嫌というわけではないのだが、こうした店での食事もテンションが上がる。


「そうね。怜からおすすめは聞いてないの?」


 楽しそうにメニューを眺める桜彩に葉月がそう問いかける。

 もちろん桜彩もこの店のことを怜に聞いた時にお勧めについても聞いている。


「えっとね、このお店で一番のお勧めはデミグラスソースだって言ってたよ」


「あら、デミグラスソースなの? 特定のメニューではなくて?」


 不思議そうに聞き返す葉月に桜彩は首を縦に振る。

 以前怜にそう教えてもらった時の桜彩も同じようなリアクションをしたものだ。


「うん。ブラウンソースに香味野菜とかフルーツとかワインとかを加えて肉とお野菜の旨味を引き出した味だって。この店の特別な一品だって言ってたよ」


「そうなの。ところでブラウンソースって何?」


「え、えっとね……」


 桜彩としてもこの知識は聞きかじりでしかない為、細かいところは上手く答えられない。


「ベースになるソースよ。作り方は色々とあるけれど、基本的にはバター、ブイヨン、コンソメ、小麦粉ね。それに別の物を加えて煮詰めたのがデミグラスソースよ」


 クスッと笑いながら舞が補足してくれる。

 こういうところはやはり日頃から料理をしている人間ならではだろう。


「ふふふ。桜彩ももっと勉強しなければね」


「うう……」


「あなたもよ、葉月。少なくとも桜彩に関しては、今はちゃんと料理を学んでいるようですしね」


「げ……」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる桜彩とそれを見てクスッと笑う葉月。

 そんな二人に舞からの厳しい言葉が飛ぶ。


「まあまあ。とにかく今はメニューを決めてしまおう」


 見かねた空が苦笑しながらメニューを開いて提案する。

 三人も異論はなかったのでメニューを確認していく。


「せっかくだから、怜のお勧めのデミグラスソースを食べてみたいわね」


「そうね。それなら私はこのオムライスにしようかしら」


「私はカツレツにするとしよう」


 両親二人は颯爽とメニューを決めてしまう。

 一方で桜彩と葉月はメニューを見ながら悩んでしまう。


「うーん、目移りするなあ」


「そうね。あ、そうだ桜彩、少しずつ分け合いましょうか」


「うんっ。そうだね葉月」


 葉月のアイデアに桜彩が目を輝かせる。


「えーっと、それじゃあ私はこのビーフシチューにするね」


「なら私はスペアリブの煮込みね」


 四人のメニューが決まったところで店員を呼んで注文をする。

 しばらく雑談していると、混雑しているにもかかわらず思ったよりも早く料理が登場した。


「「「「いただきます」」」」


 四人で手を合わせてからそれぞれのメニューへと手を伸ばす。


「んっ! 美味しい!」


 ビーフシチューを口に含んだ桜彩が思わず声を漏らす。

 あの怜が絶賛するだけあってとても美味しい。


「本当ね! これも美味しいわ」


 スペアリブを食べた葉月も同じように驚く。

 この二人は普段から光瀬姉弟の作る味付けに慣れてしまっているのだが、その肥えた舌をもってしても本当に美味しい。

 桜彩も葉月も怜と同じく色々な物を美味しく食べることが出来る人間なのだが、それを差し引いてもここの料理は本当に美味しい。

 チェーン店等で食べた時の『美味しい』とはレベルが違う美味しさだ。


「ええ、美味しいわね」


「そうだね。これは中々の……」


 舞も空も笑顔で料理を食べていく。

 どうやら怜のお勧めは家族みんなの口に合ったようで、桜彩もほっと胸を撫で下ろす。


「ほら、桜彩。あーん」


 しばらく食べ進めると、葉月が骨を取ったスペアリブをスプーンに載せて桜彩へと差し出す。

 食べてみると、ビーフシチューとはまた別の美味しさが口の中に広がる。


「こっちも美味しい! 葉月もビーフシチューを食べてみて」


「ありがとう。……ええ、これも美味しいわね」


 良く味わって食べてみると、同じデミグラスソースを使っているにもかかわらず味が違う。

 当然だが、料理自体に合わせて秘伝のソースをアレンジしているようだ。


「これは怜がお勧めするのも納得だなあ」


「そうね。あの怜が自信を持って勧めるも分かるわね」


 この分なら他の料理も美味しいのだろう。

 機会があったら怜と一緒に食べに来ても良いかもしれない。

 そんなことを思いながら桜彩は目の前の料理を食べていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 空を除いた女性三人は食後にコーヒーとケーキのセットを注文した。


「うん。ここのケーキも美味しいわ」


「そうね。とても美味しいわ」


「だね。あれっ、これって……」


 何かに気が付いた桜彩がケーキを食べる腕を止めて考え込む。


「あら、どうかしたの?」


「ううん。ただ、このケーキ、リュミエールで食べたのと同じような感じだなって」


 すると通りすがりの店員が足を止め、空になったグラスへと水を注いでくれる。


「ありがとうございます」


「いいえ。お口に合いましたか?」


「はい。お料理もケーキもとても美味しいです」


「ありがとうございます。ですがケーキの方は、実はウチで作っているわけじゃないんですよ。ここから少し離れた所にあるリュミエールという洋菓子店から仕入れています」


 店員が去った後でやっぱり、という感じで納得する桜彩。

 どうりで食べたことのあるような味のはずだ。


「リュミエールってあれよね。あなたの誕生日のケーキの」


「うん。それに怜のアルバイト先でもあるんだ」


「あらそうなの。怜さんは洋菓子店でアルバイトしているのね」


 怜のアルバイトについては舞と空は初耳だ。


「うん。不定期で働いてるよ」


「だが言われてみれば納得出来るな。桜彩から聞いていたイメージにピッタリじゃないか」


「そうね。お料理上手でお菓子作りも上手なのでしょう? それなら洋菓子店でアルバイトしているのも納得だわ」


 コーヒーを飲みながら頷く空と舞。

 桜彩から聞いていたイメージとピッタリだ。


「早くお会いしたいわね。どんなお嬢さんなのかしら」


「「え?」」


 ふと口を突いて出た舞の言葉に桜彩と葉月がフォークを持つ手を止めて驚いてしまう。

 それもそのはず、怜は男だ。

 決してお嬢さんと呼ばれる性別ではない。


「あら、どうかしたの?」


 娘二人の様子に頭に疑問符を掲げる舞。

 特に変なことを言ったわけではないのだが。


「あ、あの、お母さん……」


 おずおずと桜彩が口を開く。

 舞と空の視線を集めて、桜彩は続きを口にする。


「怜って……男の子だよ」

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