第119話 二人だけの秘密の通話③

『もしもし、怜? 今大丈夫?』


「ああ。こんばんは、桜彩」


『こんばんは、怜』


 夜、約束した通りに桜彩との秘密の通話を始める。


「昼はごめんな。忙しくって」


『ううん、怜が謝ることじゃないって。こっちこそごめんね』


「それこそ桜彩が謝ることじゃないだろ?」


 どちらが悪いわけでもないのにお互いに謝り合ってしまう。

 そして一瞬遅れて二人の口から笑い声が漏れた。


「でもさ、こうして桜彩の顔を見て話せるのは嬉しいよ。さっきはメッセージのみのやり取りだったから」


『うん。私もこうして怜の顔が見れて嬉しいよ』


 スマホの画面に映るのはお互いの笑顔。

 やはり文字だけのやり取りよりも、こうして顔を見て直接言葉を交わすことが出来ると何倍も嬉しい。


「それで桜彩、昼間はいったい何の要件だったんだ?」


 先ほどの桜彩からのメッセージについて尋ねてみる。


『――ってことなんだけど、怜、明日時間ある?』


 だがその内容は怜にとって全くの予想外だった。

 何しろいつも通りに他愛もない話をするのだろうな、と思っていたら、なんと桜彩の両親が日頃娘がお世話になっている為に挨拶したい、と言っていると聞かされた。

 怜としては桜彩と一緒にいる時間が楽しいし、迷惑を掛けられているとも思っていないので、そうかしこまって挨拶されるのもどうかと思う。

 しかし相手の立場になって考えてみると、一人暮らしの娘に料理をはじめとした生活についてあれこれ面倒を見てもらっている相手ということになる。

 しかもそれを伝えたのは間違いなくあの桜彩なのだから、それはもう怜のことを褒めに褒めていたことは想像に難しくない。

 であれば、桜彩の両親としては挨拶しないわけにはいかないだろう。

 例え怜がそれを全く苦に思っていなかったとしても。

 しかしそれとは別に、怜には気になったことがある。


「その前に桜彩は良いのか? せっかく久しぶりに家族と会えたんだろ? それを当初の予定よりも一日早く切り上げてこっちに来るなんて」


 桜彩が家族のことを大切に想っているのは良く分かる。

 また、大切な愛娘を一人暮らしさせるにあたってオーバースペックのアパートを契約したり、家具や家電等もかなり良い物を用意したりと家族も桜彩のことを大切に想っているのも分かる。

 姉の葉月に関しては言うまでもない。


『うん。それにさ、今私が住んでるアパートってそもそも家族向けの物件でしょ? だから両親も葉月もこっちで一泊するつもり。怜が心配することはないから大丈夫だよ』


「そっか。それなら良いんだけど」


『うん。心配してくれてありがとね、怜』


 そう言いながらつい口元が緩んでしまう桜彩。

 怜に心配をかけるのは良くないことだと分かっているが、それでも自分のことを心配してくれているというのを何だか嬉しく思ってしまう。


「お礼を言われることじゃないさ」


『うん。それでもありがと』


「それじゃあどういたしまして、だな」


『ふふっ、そうだね』


 画面越しに二人で笑い合う。

 お互いにこういった何気ない会話がなんだか楽しい。


『それで怜、話を戻すけど明日は大丈夫? 予定入ってない?』


「そうだな。明日は昼過ぎまでバイト、それから陸翔達とフットサルやるから……十九時くらいなら間違いなく空いてるはず」


『十九時か。うん、分かった。それじゃあそう伝えておくね』


「了解。でもなんだか緊張するな」


『え? どうして?』


 画面の向こうで桜彩が可愛らしく首を傾げる。

 桜彩としては怜に対して感謝こそすれ悪印象を抱くなど全く考えられない。


「いや、なんか桜彩に変な事を教えてないよな、とかさ。ちょっと馴れ馴れしすぎてるとか思われたらどうしようって」


『え? いや、大丈夫だと思うけど。私も変な事は伝えてないと思うし』


「うん。でも緊張するのはしょうがないって」


 桜彩は安心するように言ってくれるが、怜としてはそれでもまだ不安がある。


『それにさ、葉月も一緒に行くから安心して。もしお母さんやお父さんが変な事言っても葉月は怜の味方をしてくれると思うから安心して良いよ』


「…………そっか。分かった。それじゃあ落ち着けるように努力してみるよ」


 桜彩を安心させるように笑顔を浮かべて返事をする。

 が、画面の向こうでは安心するどころか桜彩が少し不満そうに頬を膨らませて目を吊り上げていた。

 普段の可愛らしい笑顔の面影がまるでない。


『むぅ……』


「…………えっと、桜彩? どうかした?」


 画面越しの雰囲気に押されておそるおそる聞いてみる。

 少し待ってから画面の中の桜彩が口を開く。


『……確かに葉月が味方してくれるから安心してって言ったのは私だけど。それで安心されるのもそれはそれで納得いかないっていうかさ……』


「…………え?」


 桜彩が安心してくれと言ったので安心して見ると答えたのだが、なぜそれで納得がいかないのだろうか。

 むしろこちらの方が納得がいかないだろう。


『……怜、私が安心してって言っても安心してくれなかったのに、葉月が来るって言ったら安心するって言うし』


(……………………そう言われてもな)


 そもそも桜彩が安心してくれと言ったのにそれで安心すると機嫌が悪くなるのはいったいいかなるロジックなのか。

 そんなことを悩んでいると、画面の中の桜彩からとげの有るような感じの口調で言葉が続いてくる。


『怜ってさ、なんか私の知らないところで葉月と仲良くしてる感じがあるっていうか……』


「いや、あの時以来、ほとんど連絡なんてとってないからな」


 連絡を取っていると言っても怜の方から連絡することなどほとんどない。

 基本的には葉月から怜に桜彩の近況報告をしろとお達しが来て、それに怜が返信する形だ。

 しかしそれを桜彩に説明すると、更に唇を尖らせる。


『少しは連絡取ってるんだ』


「ま、まあ少しはな……」


『ふーん……』


 明らかに面白くなさそうな感じで桜彩が答える。


『いったいどんな連絡してるの?』


「まあ、近頃どんなことがあったか、とか。後は桜彩の写真を送ってくれとか」


『へー……今度見せてもらっても良い?』


「ん、まあ構わないけど。ていうか、葉月さんに見せて貰えば?」


『葉月はそういうところ素直じゃないから。だから今度見せてね』


 何かを疑うような棘のある言葉。


(これはあれか? 浮気を疑われてスマホを見せろと言われているのと同じシチュエーションなのか?)


 まあ怜と桜彩の関係は夫婦というわけではないし、桜彩としては浮気を疑っているというよりも本人の知らないところで親友と姉が連絡しているのが気にかかるのだろう。


「でもまあ葉月さんのことを抜きにして、桜彩の色々な写真を撮れるのは俺も嬉しいけど」


『えっ?』


 怜の言葉に桜彩の雰囲気が変わる。


(そ、そうなんだ。私の写真を撮るの、怜は嬉しく思ってくれるんだ)


 それだけで桜彩の中から今までの嫌な気持ちが消え去り、幸せになる。

 慌てて少し熱を持って赤くなった頬を両手で押さえてしまう。


『れ、怜は私の写真、そんなに撮りたいの?』


「ん、まあ、な。ほら、前に桜彩も言ってただろ? どんな形であれ、二人の思い出は覚えておきたいって。だからさ、色んな瞬間を写真に収めておくのは俺も好きだな」


『怜……。うん、確かに。私も怜と一緒の写真、毎日見返してるよ』


「ああ、俺も毎日見返してる。猫カフェの時の写真とか、病気の時とか、この前のバーベキューとか」


『ふふっ。少し恥ずかしかったけどね』


「まあ俺も恥ずかしかった。でもそれも含めての思い出だからな」


『うん。私と怜の大切な思い出だね』


 先ほどまでの変な空気はもう消え去ってしまっている。

 そこで桜彩は一度怜に頭を下げる。


『あの、怜、さっきはごめんね。変な事言っちゃって』


 先ほどはつい不満に思って怜に変な当たり方をしてしまった。

 冷静になって考えると、とても失礼なことをしたのが分かる。

 しかし桜彩の言葉に怜は嫌な顔一つせずに笑って


「気にしてないよ。別に嫌ってわけじゃないからな」


『で、でも私、その…………葉月にし、嫉妬して、怜に当たっちゃった……。本当にごめんね』


「だから俺は気にしてないんだって。それよりもむしろ嬉しかったな」


『え? 嬉しい?』


 怜の言葉に桜彩がきょとんとしてしまう。

 自分が怜に辛く当たってしまったのに、怒るどころか嬉しいとはどういうことなのか。


「だってそれはさ、それほど桜彩が俺のことを大切に考えてくれてるってことだろ? お姉さんに嫉妬するくらいに」


『…………う、うん』


 実の姉である葉月よりも自分を見て欲しい、桜彩の言いたいことはそれだろうと怜は思う。

 確かに逆の立場で考えてみると、自分の知らないところで桜彩と美玖が連絡を取っているということだ。

 別に悪いことではないのだが、モヤっとしたものが生まれてしまう。


「だからさ、桜彩にとって大切な相手になってるんだなって分かるのが嬉しいって言うかさ」


『うん。怜は私の大切な相手。なんたってもう家族みたいな関係だからね』


「家族、か。うん、そうだな」


『ふふっ。そうだよ』


「ははっ」


 画面越しにお互いに笑い合う。


『それじゃあ怜、明日は十九時くらいに怜の部屋を訪ねるから』


「分かった。待ってるよ。でもさ、こうして毎晩桜彩の顔を見ながら話が出来るってのも幸せなんだけどな……」


『え? それは私も幸せに思ってるけど……』


 いきなりの怜の台詞に戸惑ってしまう桜彩。

 こうして話が出来るのならそれで良いのではないか。


「でもさ、やっぱり桜彩と直接会いたいなって思ってたんだ。だからさ、桜彩が予定より一日早く帰ってきてくれるのが嬉しいなって」


(…………っ!)


 その言葉に桜彩の顔が一気に赤くなる。

 体が熱を持って心臓の鼓動が早くなる。


(もう……ただでさえ幸せなのにそんなこと言われたらもっと幸せになっちゃうよ……)


 一度スマホから顔を外して胸に手を当てて深呼吸する桜彩。

 そして画面の中の怜に対して笑いかけて


『うん。私も早く怜に会いたい。一緒に過ごしたい』


 桜彩からの返事に今度は怜の顔が赤くなる。

 体が熱を持って心臓の鼓動が速くなる。


(全く……桜彩が早く帰ってくるってだけでも嬉しいのにそんなこと言われたらもっと嬉しくなっちゃうだろ……)


 一度スマホから顔を外して胸に手を当てて深呼吸する怜。

 そして平静を装って画面の中の桜彩に顔を向ける。


「ありがとう。桜彩がそう言ってくれて俺も嬉しいよ」


『うん。怜もそう言ってくれて私も嬉しい』


「俺達って似た者同士だな」


『そうだね。似た者同士だね』


 そう言って画面越しに笑い合う。

 時計を見るともういい時間だ。


「それじゃあな、桜彩。おやすみ」


『それじゃあね、怜。また明日の朝連絡するね。おやすみ』


 お互いにおやすみと言って通話が終了する――

 ――はずだったのだが、いまだに通話は切れていない。


「え、えっと……お、おやすみ……」


『う、うん……おやすみ……』


「……………………」


『……………………』


 名残惜しさからお互いに通話の終了を押すことが出来ない。


「せ、せーの、で切ろうか!」


『う、うんっ、せーの、で切ろっ!』


 怜の提案に桜彩も同意する。


「そ、それじゃあ……『せーのっ!』」


 同じタイミングで『せーのっ』と合図したのだが未だに通話は続いたままだ。


『れ、怜、せーので切るって……』


「さ、桜彩だってせーので切るって……」


 一緒に切ろうとしたのだが、二人揃って通話を切ることが出来なかった。

 しばし沈黙が場を支配するが、やや時間をおいてお互いに吹き出してしまう。


「あはははははっ! 何をやってるんだろうな、俺達」


『ふふふっ! そうだね、何をやってるんだろうね』


 もう笑うしかない。

 そのままひとしきり笑うとなんだか心がすっきりしたように感じる。


「まだ話していたいけどさ、今度こそちゃんと切ろうか」


『うん。また明日の朝に少し話そうね』


「よし。それじゃあ……『せーのっ!』」


 今度こそ二人揃って通話の終了を選択する。

 通話が終わったことを確認して、二人はそれぞれ自室で笑いだしてしまう。


(明日、桜彩の両親が来るのか。桜彩の友人として恥ずかしくないようにしないとな)


 そんな決意をしながら就寝の準備を始める。

 そこでふと怜は先ほどの桜彩とのやり取りを思い出す。

 先ほど『自分の知らないところで桜彩と美玖が連絡を取っている』ということを想定した時に、なんだか嫌な気持ちになってしまった。

 しかしよくよく考えてみれば、陸翔と蕾華、特に蕾華は美玖とやり取りをしているらしいし、その内容は全て自分の耳に届いているわけではない。

 しかしそれを嫌だと思ったことはない。


(陸翔や蕾華が俺の知らないところで姉さんと連絡を取るのは嫌じゃない。だけど桜彩が俺の知らないところで姉さんと連絡を取るのはモヤモヤする。……いったいなんでだ?)


 しかしその答えはいくら考えても頭に思い浮かぶことはなかった。

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