第117話 クールさんと家族の団欒③ ~怜との思い出~

【前書き】

 次回更新は月曜日となります。





【本文】


『大切な話』


 真剣な表情でそう言った桜彩に三人は居住まいを正す。

 これからの話が桜彩にとってとても重要な話であることは家族にも想像に難しくない。

 だが、どのような内容であったとしてもそれを受け入れる、例え辛い話であったとしても桜彩の力になる。

 言葉に出さずとも三人の思いは一致している。


「あのね、私、また絵を描けるようになったんだ」


 おずおずと、しかし嬉しそうに、恥ずかしそうにそう頬を赤く染めながら家族にその事実を告げる。


「「「……………………」」」


 桜彩の話の内容に三人はしばらく言葉が出てこない。

 呆気にとられた表情で固まってしまう。

 それもそうだろう。

 桜彩にとって、一年前のトラウマはそれほどに大きかったことを誰よりも知っているのだから。


「ね、ねえ桜彩、もう一度言ってくれる?」


 いち早く混乱から復帰した葉月が、まるで信じられない言葉を聞いたような表情で問いかける。

 桜彩のトラウマ、その深さを含めて良く知っている家族だからこそ、転校により環境が変わってからたった一か月で克服出来たというのだから、信じられないのも無理はない。。

 葉月の問いと三人の表情、それを受けて、桜彩は再び口を開く。


「私、再び絵を描けるようになったんだ」


「「「……………………」」」


 その言葉に三人は再び固まってしまう。

 先ほど聞いた内容と変わらない、聞き間違いではまい。


「ほ、本当に……?」


「うんっ!」


 まだ信じ切れていない葉月に桜彩は満面の笑みで答える。

 その瞬間、葉月は隣に座る桜彩を抱きしめていた。


「わっ!」


「良かった! 本当に良かった!」


 驚く桜彩を抱きしめながら、嬉し涙を流す。


「ちょっ、葉月、苦しいよ!」


「良かった! 良かった! 良かった!」


 桜彩の抗議が聞こえないかの如く、葉月は力の限り抱きしめ続ける。

 両目から零れ落ちる涙が桜彩の肩を濡らしていく。


「良かった! 本当に頑張ったわね、桜彩!」


「だ、だから苦しいって!」


 抱きしめられている手を桜彩がポンポンと叩くとようやく葉月が桜彩を解放すると、桜彩は灰に空気を送り込もうと大きく深呼吸をする。

 そして桜彩が落ち着いたところで葉月が両目を拭いながら真っ直ぐに桜彩を見る。


「本当に、本当にまた絵が描けるようになったのね?」


「うん、本当に!」


 桜彩も葉月の顔を真っ直ぐに見ながら答える。

 その顔には笑顔が浮かんでおり、それが桜彩の言葉が嘘ではないことを確信させる。


「本当なのね、桜彩」


「そうなのか。本当に良かったな」


 葉月から遅れて桜彩の言葉を理解した両親も、葉月と同じように目に涙を溜めながら嬉しそうに桜彩を見る。


「うん。心配かけてごめんなさい」


「謝ることなんてないわ! あなたは何も悪くなかったもの!」


 桜彩の謝罪をすぐに舞が否定する。

 実際に桜彩がトラウマになった理由は当時の友人の逆恨みと周囲の悪意が原因であり、桜彩には何一つとして非はない。


「でも良かった。やはり桜彩を転校させたのは間違っていなかった」


 当時の桜彩はもう誰が見ても精神的に限界であった。

 もちろん桜彩の味方になってくれた者も少なからずいたのだが、それでももう周囲を信じられなかった桜彩は完全に心を閉ざしてしまっていた。

 その為、過去の桜彩を知る相手のいない遠方の領峰学園へと転校させた。


「転校させた時は心配だったがな。何しろいきなり初めて一人暮らしをさせることになるのだから。いざという時に家族をはじめとして頼れる相手が誰もいない状況に本当にやって行けるのか心配だった」


 転校させるにあたってもちろんデメリットも考えた。

 しかしそれ以上に当時の桜彩には環境を変えることが必要だった。

 それは両親にとっては本当に苦渋の決断だった。


「でも空さんの言う通り、転校させたのは本当に正解だったわ。頼りになる素敵な友人が出来て、そしてまた絵を描けるようになるなんて」


「うん。転校させてくれてありがとうね」


 両親に心からの感謝を述べる桜彩。

 自分も不安だった。

 また周りと軋轢を生じたらどうしようかと悩んだ。

 結果、必要以上に他人と関わらず、助けも求めないようにしようと考えていた。

 だが実際に一人暮らしを始めてみると、思ったようにはいかなかった。

 しかし、そこで大切な人と出会うことが出来た。

 転校という判断は間違ってはいなかったと確信出来る。


「それで桜彩、いったいどうしてまた絵を描けるようになったの?」


 葉月の質問に桜彩は再び恥ずかしそうに目を伏せる。

 そして当時のことを思い出す。

 あの時の怜が言ってくれた言葉。


『ただ絵を描くのが楽しかったんだろ? 別に誰かに見せる必要なんてない。だからさ、俺と一緒に絵を描いてみないか?』


 怜がそう言ってくれなかったら決して克服は出来なかった。


「桜彩? どうしたの?」


「ううん、なんでもないよ。あのね、私が絵を描けるようになったのは、その友達のおかげなんだ」


「え?」


 桜彩の言葉に舞が驚く。


「私が苦しい時に、友達が助けてくれたの」


 そして当時のことを桜彩は三人に話し始めた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「そうなの」


「そんなことがあったのか」


 桜彩の話は舞と空にとってとても衝撃的だった。

 何しろ一人暮らしの桜彩を様々な面で支えてくれた相手。

 それだけでも親としては感謝が尽きないのに、まさかトラウマの克服まで手伝ってくれたとは。

 その友人は桜彩のことをとても大切に、優しくしてくれていることは分かってはいたが、まさかここまで真摯に向き合ってくれていたとは想像すら出来ていなかった。


「そう。怜のおかげなのね」


「うん。怜のおかげだよ」


「ふふっ、やってくれるじゃないの、怜」


 葉月は少し前に出会った妹の大切な相手のことを思い浮かべる。

 あの時から桜彩と怜、二人の間には大きな絆があることは分かっていた。

 だからこそ大切な妹を託したのだが、再び絵を描くことを取り戻してくれるとは。

 怜を信じて本当に良かった。


「うん。怜が隣にいてくれたから。本当に怜には助けられた。初めての一人暮らしに困っていた時に助けてくれた。他人が苦手な私にクラスメイトとコミュニケーションを取れるように尽力してくれた。そして、私に絵を描くことを取り戻してくれた」


 助けてくれる人などいないはずだった一人暮らし。

 偶然出会った隣人からの、偶然はじまった優しいお節介。

 灰色だった自分の心にもう一度色を与えてくれた。

 気が付けばもう自分の生活は怜の存在なしには考えられない。


「向こうに行って、怜と出会えて本当に良かった。転校させてくれてありがとう。今、私はとっても幸せだよ!」


「桜彩……」


「桜彩……」


 嬉しそうにそう言う桜彩を見て両親の心が温かくなる。

 転校させることが決まった時は本当に不安だった。

 本当に転校させても良いのだろうか。

 頼れる相手がいないのに上手くやっていけるだろうか。

 今以上に酷いことにならないのか。

 様々なことが胸をよぎった。

 だが結果としてその選択は、桜彩にとって最良の結果をもたらしてくれた。


「あなたがそう思ってくれて嬉しいわ」


「うん。桜彩が幸せなら私達はそれで十分だ」


 大切な愛娘が幸せを取り戻した。

 ならばもう言うことはない。


「それにしてもそのお友達、えっと、怜さんと言ったかしら? 本当に素敵な人なのね」


「そうだな。まさかそれほどに素晴らしい友人に恵まれるとは。話を聞けば聞くほど感謝の気持ちが募っていく」


 これまでの桜彩の話を聞く限り、怜という人物は本当に桜彩を大切に想ってくれている。

 自分達が出来なかったことをやってくれた相手には感謝してもし切れない。


「それで桜彩、その怜さんというのはいったいどういった方なのかしら?」


「えっとね――」


 舞の問いに桜彩は怜について語っていく。

 言葉では伝えきれないほどの感謝の気持ちを出来るだけ言葉に変えながら。





【後書き】

 前書きにも書きましたが、次回更新は月曜日となります。

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