第116話 クールさんと家族の団欒② ~クールさんの作るカレー~
「出来たよー!」
渡良瀬家のキッチンに桜彩の嬉しそうな声が響き渡る。
リビングで椅子に座って待っている三人は、待ちわびたというように桜彩の方に注目する。
桜彩の作った夕食のメニューはカレーとサラダ。
前に葉月が訪れた時に食べてもらったカレーを再度作ってみた。
もう桜彩が作っている最中からカレーの良い香りがリビングまで流れて来ていた為、三人は期待に胸を膨らませている。
「カレーを作ったのか」
「うんっ。葉月が前に食べてくれた時に美味しいって言ってくれたから」
「あら、葉月は一足先に食べていたのね」
「ええ。二人には悪いけれどね」
半月ほど前に桜彩の下を訪れた時のことを思い出す。
あの時は、まさか桜彩があれほどまでに成長しているとは思ってもいなかった。
「へえ、美味しそうじゃないか」
「本当ね。作っている時に間近で見ていたけれど、包丁の使い方もずいぶん慣れているようね。この様子なら味の方も期待出来るわ」
両親二人が食べる前から褒めてくれる。
「ふふっ、ありがとう。でも褒めるのは食べてからにしてね」
「そうだな。それではいただきます」
「「「いただきます」」」
四人がそれぞれカレーを口に運ぶ。
初めて食べると言っても過言ではない(正確には昔の調理実習の練習で食べたことがあるが)愛娘の料理を味わった両親は目を丸くする。
「へえ、美味しいじゃないか」
「ええ、本当に美味しいわね」
両親二人の称賛を聞いた葉月も嬉しそうにうんうんと頷いてカレーを頬張る。
「美味しいわね、これ。前に私が食べた時のカレーも美味しかったけど、それと比べても格段に美味しいわ」
「ありがとう、みんな」
家族全員に美味しいと言ってもらえて桜彩の顔がほころぶ。
そしてまた一口口に含んで、『美味しっ!』と小さく呟く。
「うん、本当に美味しいわ」
「ありがとう、葉月。そう言ってくれて嬉しいよ」
「でも本当に美味しいわよ、これ」
「そうね。確かに前に食べたのも普通に美味しかったのだけれど、今回のは前に食べた物とはまるで違う味わいだわ。どうやって作ったの? 市販のルーとは違う味わいだけど」
舞の感想に葉月も同意する。
あの時に食べたカレーは良くも悪くも普通のカレーだった。
それがこの短期間で格段にレベルを上げている。
「うん。前に葉月が食べたカレーは、市販のルーを使ってレシピ通りに作っただけだから。だから普通のカレーだったんだ」
前に葉月が来た時に作ったカレーは、怜のアドバイスの下、ルーの箱に書いてあるレシピを忠実に再現したものだ。
故によほどのことがない限りマズくはならないが、市販の味を越えることもない。
「そう言えばそんなことを言っていたわね。それじゃあ今日のは?」
「えっとね、今回のはカレールーじゃなくて、何種類かのカレースパイスを使ったんだ。後はいくつかの隠し味と」
「なるほどね。うん、美味しいわよ。ねえ、空さん?」
「ああ、本当に美味しいよ。いやあ、まさかこんなに早く娘の手料理を食べる日が来るとは思わなかったな」
嬉しそうにどんどんカレーを食べる空。
「ありがとう、お父さん。あ、サラダも食べてね。ドレッシングも自家製だから」
「そうなのか? うん、じっくりと味わって食べてみるよ」
いったんカレーを食べるのをやめてサラダへとフォークを伸ばす。
「んんっ、これも美味しい」
「本当ね。ついこの間までは全く料理が出来なかったのに。てっきり出来合いのお惣菜やお弁当ばかり食べていると思って心配していたのだけれど」
「ああ。これなら食生活については心配いらないな」
娘がちゃんとした物を食べていると知って安心する舞と空。
正直、学校生活を除いた一人暮らしで一番心配していたのはそこの部分だ。
それが蓋を開ければちゃんとした料理を作れるようになっていたのだから驚きだ。
桜彩がちゃんとした食生活を送ることが出来ていることを喜びながら、四人はカレーを食べていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
食後には手作りのプリンをふるまった。
これも怜と共に作ったレシピの再現だ。
「うん、これも美味しいわね」
「そうだな。まさかカレーだけではなくプリンも作れるようになるなんてな」
プリンに舌鼓を打ちながら空が感慨深げに呟く。
「ほめ過ぎだって。これはそんなに特別なレシピじゃなく初心者にだって簡単に作れるやつだし」
実際に桜彩が初めて作った時も(怜が側に付いていたとはいえ)全く問題なく完成した。
「だが、まさか葉月よりも先に桜彩の手料理を食べることになるとはな」
「そうねえ。もう一年以上葉月の方が先に一人暮らしをしているというのに。葉月、あなたの方はどうなの?」
なんとなく想像がつくが一応聞いてみる舞。
「うっ……。べ、別に心配いらないわよ。ちゃんとまともな物を食べてるから」
「本当に? それじゃあ今度作ってもらおうかしらね」
葉月の言葉を信じていない舞が少し笑いながらそう言うと、葉月が嫌そうな顔をする。
「ほ、本当にまともな物を食べれるわよ。ただ、私が作ってるわけじゃないけど……」
バツが悪いのか、後半は小さな声になってしまう。
実際に葉月は両親が心配しているように出来合いの物ばかりを買って食べているわけではない。
結構な頻度で親友である美玖や守仁と食事を共にする機会がある為、ちゃんとした食事を食べてはいる。
「そ、それよりも今は桜彩の方でしょ?」
焦りながら話題を自分の方から逸らす葉月。
話題を代えようとしているのが分かっているのか、舞も空も苦笑を浮かべる。
「でもそうね。桜彩がまさかたった一か月でこんなに美味しい物を作れるようになるなんてね。お母さん、ちょっと妬いちゃうわ」
「あ、ありがとう……。でもお母さんの味にはまだまあ及ばないよ」
このレシピは怜に教えて貰った物で、自分でどうこうしたわけではないのでそこまで褒められると少々バツが悪い。
「他にはどんなものを食べているの?」
「え、えっとね、シチューとかかな……?」
「そうか。それも食べてみたいな」
「う、うん。まあおいおいね」
まだ怜に料理を習い始めて一か月と経っていない桜彩のレパートリーは多くない。
基本的にはカレーの応用で何とかなる煮込み料理系に偏っている。
「でも本当によく頑張ったわね、桜彩」
「うん、ありがとう。でもね、本当のことを言うと私一人じゃまともに生活することも出来なかったんだ」
「え?」
「昨日話した、その、友達が教えてくれたんだ」
「お友達が? それって昨日話していた隣の子?」
「うん」
奇しくも隣で一人暮らししているクラスメイトと親友になったことは昨日すでに伝えてある。
そして桜彩は少し上を見ながら引っ越した当時のことを思い出す。
「私、最初は誰にも頼らずに生きていくんだって心に決めてたんだ。でもね、始めて早々に思い知ったの。そんな簡単に出来る事じゃないって」
過去のトラウマから最低限の人付き合いに済ませるつもりだった。
しかし、初めての一人暮らしはそう簡単にはいかなかった。
「最初はね、お母さんの言うようにお弁当やパンを買って食べてたんだ」
引っ越し初日の夕食は近所のスーパーで買ったお弁当だった。
沈んでいた気持ちで食べたそれは、味なんてしなかった。
「でも、友達がね、私が困ってるところに手を差し伸べてくれた」
ナンパで困っている所を助けてくれて、荷物を持つのを手伝ってくれた。
「ごみの捨て方も分からない私に教えてくれた」
ごみ捨て場に取り残されていたごみを見て、自分の家にあった分別表を渡してくれた。
「雨の日に食べる物のない私にご飯を食べさせてくれた」
一日、下手したら二日間、何も食べるものがないかもしれなかった時に、夕食に招待してくれた、次の日の食事を持たせてくれた。
そこで自分は引っ越してから初めてまともな食事を食べることが出来た。
「夜に私が困っている時に、嫌な顔一つせずに駆けつけてくれた」
不審者が出たと慌てて連絡をしたら、すぐに駆け付けて来てくれた。
寝ている所を起こされたにもかかわらず、文句一つ言わないで自分の身を心配してくれた。
「私がまともな食生活を送れていないことを知って、料理を教えてくれたんだ」
今ままでの怜との思い出を一つ一つ思い返していく。
こうして考えてみると、やはり自分は怜と出会ってから幾度となく助けられている。
「そうなの。とても素敵なお友達と知り合うことが出来たのね」
「そうだな。前のことがあったから私も舞さんも心配していたのだが、どうやらそれは杞憂だったみたいだな」
友人の裏切りに会って心が折れてしまった桜彩。
新しい場所へ移った後、ちゃんと友達と呼べる相手が出来るのか。
それが一番の心配だった。
桜彩の言葉に両親が安心したように息を吐く。
「ありがとう。それでね、このカレーとプリンの作り方も丁寧に教えてくれたんだ。ゴールデンウィークまでにまともな料理を作れるようになりたいって言ったら、そうなれるように計画を立てて教えてくれたんんだ。ほら、これ見て」
そして怜と共に作った料理ノートを差し出す。
一ページ目には『目標:ゴールデンウィークまでに簡単な料理を作れるようになって葉月を安心させる!』と書かれている。
「あら、目標は葉月だけなのね」
「あ、うん、ごめんなさい。葉月からは毎日心配するような連絡が来ていたから」
「そりゃそうでしょ。大切な妹が何も知らない土地でいきなり一人で暮らさなきゃいけないのよ。心配して当然じゃない」
胸を張っていう葉月。
「ふふっ。別に怒っているわけじゃないわよ」
「うんうん。姉妹仲が良いのは親としても嬉しいからな」
「そうそう。私と桜彩はとっても仲の良い姉妹だからね」
「もう……」
三人の言葉に恥ずかしそうに照れる桜彩。
そして再び料理ノートをめくっていく。
そこには毎日の料理についてのコツや反省点などがびっしりと書き込まれていた。
「なるほど、そういうことなのね」
一通り軽く目を通した後、舞が桜彩へと優しく笑いかける。
「うん。だからね、私一人で料理が出来るようになったわけじゃないんだ」
苦笑しながらそう告げる桜彩。
しかし両親はそれがどうした、というように笑顔を桜彩へ向ける。
「別にそれは構わないだろう。その友達が素晴らしい方なのは確かだが、桜彩が努力をしなければここまで成長することはなかったのだからな」
「そうね。でも聞けば聞くほどいい人ね、あなたの友人は」
「うん。本当に素敵な人だよ」
「良かったわね、桜彩。そんなに良い人と巡り合えて」
「ああ。本当に良かった」
桜彩に新しい友人が出来たと聞いた時、舞と空はまだ不安だった。
しかし話を聞く限り、どうやら今度の友人は本当に素晴らしい人らしい。
そしてそう喜んでくれている三人に、桜彩にはもう一つ告げるべきことがある。
「それとね、もう一つ、大切な話があるんだ」
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