第115話 クールさんと家族の団欒① ~渡瀬家の四人~

「ふう、やっと着いたわね」


 キャリーケースを抱えた葉月が懐かしの実家の前へ立つ。

 怜がアルバイトをしているころ、桜彩の実家に葉月が帰って来た。

 大切な妹の姿を思い浮かべて、はやる気持ちを抑えようともせず乱暴に玄関を開ける。


「ただいま! 桜彩、いる?」


「うん! 今そっちに行くから!」


 家の中に一声かけるとすぐに中からから桜彩の声が聞こえてきて、一拍遅れて桜彩が姿を現した。

 その姿を視界に捉えるなり荷物を乱暴に床に置いて、約半月ぶりに会う最愛の妹を抱きしめる葉月。


「お帰りなさい、葉月」


 葉月の腕の中で、嬉しそうに桜彩が笑いかける。

 その笑顔を見ただけで、ここまでの移動の疲れが体から抜けていくようだ。

 そんな仲の良い姉妹に両親も寄っていく。


「お帰り、葉月。向こうで困ったことはないか?」


「父さん。ええ、順調よ。桜彩に会えないことを除けばだけどね」


 髪をかき上げながら苦笑して答える。

 シスコンの葉月としては、何よりそれが一番重要だ。


「まあちょくちょく連絡は取っていたんだけど」


「うん。毎日メッセージ送ってるしね」


 桜彩と葉月は毎日何度もメッセージを送り合っている。

 ちなみに桜彩は、怜の家での食事を毎回写真に撮って送っている。

 他の内容は、怜と共にどこに出かけた、怜と共に何をした、等と怜のことをよく送っている。

 もう怜と一緒にいることは桜彩にとって当たり前なので、特に怜のことを意識して送っているわけではない。

 無意識に怜の事ばかりを書いて送ってしまっているのだ。

 それを見るたびに、葉月は苦笑しながら美玖と共に二人の仲を微笑ましく思っている。

 まあ、もっと二人の仲が進展して欲しいとも思っているのだが。


「でも良かったわ。桜彩が元気になってくれて」


「ええ、そうね。本当に……」


 葉月の言葉に母の舞の目にも涙が浮かぶ。

 昨年、何の非もない桜彩が苦しめられていた時から両親は心を痛めていた。

 結果として通っていた学校から時間にして数時間以上離れている領峰学園への編入させるのが精一杯だった。

 新しい場所、新しい生活で心機一転、笑顔を取り戻してほしいと願ったのだがその願いは早々に叶うこととなった。


「お友達が桜彩に優しくしてくれたおかげね。本当にそのお友達には感謝ね」


「うんっ! 本当に素敵な人なんだ」


「あら、それって怜の事?」


「うん。もちろん!」


 舞の言う『お友達』に反応した葉月に嬉しそうに返事をする桜彩。

 しかし舞は少し不思議そうな顔をする。


「あら、葉月もそのお友達のことを知ってるの?」


「ええ。一度桜彩の様子を見に行ったのだけれど、その時に出会ったわ」


「そうなの。桜彩のことを大切にしているあなたがそこまで言うのなら、本当に素敵な子なんでしょうね」


「ええ。怜が桜彩と出会ってくれて良かったわ」


 当時のことを思い出しながらうんうんと頷きながら言う葉月。

 今にして考えればかなりひどい方法で怜のことを試したのだが、それでも怜は桜彩のことを本当に大切にしてくれていた。

 あんなに良い人が桜彩と出会ってくれた偶然にも本当に感謝している。


「それにね、怜だけじゃなくて怜の親友とも仲良くなれたんだ!」


「あら、そうなの? 昔に怜のことを助けたって二人の事?」


「うんっ!」


「そうなの。まああの怜が親友って言って大切にしているくらいだから、その二人も良い人なのね」


「うん。本当に怜には感謝してるよ」


 陸翔と蕾華、いくつかの偶然もあってあの二人とも仲良くなることが出来た。

 その偶然も怜と仲良くなかったらきっと訪れなかっただろう。


「桜彩も心配だったのだけど、葉月の方はどうなの?」


 桜彩から葉月へと向きを変えて舞が問いかける。


「さっきも言ったけど順調よ」


 舞の言葉に頷きながら、抱きしめていた桜彩を解放する葉月。


「舞さん、葉月も疲れているだろうから話は少し後にしよう。葉月、まずは荷物を置いてきなさい」


「ええ、そうするわね」


 父である空の言葉に葉月が一度自室へと移動しようと歩き出す。

 大切な妹である桜彩に会えた嬉しさで、つい帰ってきてそのまま話し込んでしまった。


「あ、そうだ。今日の夕食は私が作るから」


「え? そうなの? 母さんじゃなくて?」


 背中へ掛けられた桜彩の言葉に、自室へと戻る足を一度止めて葉月が振り返る。


「ええ。実家へと戻った時くらい私に任せても良いのだけれど、この子がどうしても作りたいって」


「うんっ。一人暮らしでも成長してるんだってところを三人に見て欲しいから」


 母の言葉にやる気に満ち溢れた視線で桜彩が答える。

 元々桜彩の目的は、ゴールデンウィークまでに人並みの料理を一人で作れるようになることだ。

 まだレパートリーは少ない物の、普通に作る分には問題ないと怜にお墨付きを与えられた物もいくつかある。


「そうか。それは楽しみだ」


「うんっ。お父さんも期待しててね。あっ、でもまだ人並み程度の腕前だから、期待されすぎても困るんだけど」


 一緒に作っている怜の腕前とはとてもではないが比べるまでもない。

 あくまでも桜彩の料理の腕前は、特定の料理に関してのみ普通といったところだ。


「何を言う。大切な娘が作ってくれる料理だぞ。今から期待で胸が膨らんでくる」


「だ、だから期待されすぎても困るんだってば。適度に期待してて」


「適度か……」


 桜彩の言葉に空は難しい顔をして考え込んでしまう。

 大切な娘の一人暮らしを心配していたら、たった一か月で料理を身に付けて戻って来た。

 これは空も舞も全く予想していなかった。

 であれば、どのような味がするのか期待してしまうのはしょうがないだろう。

 だが大切な娘の手料理とあらば、例えどんな味でも極上の一品だ。


「空さん。それ以上は桜彩にプレッシャーですよ」


「そうよ父さん」


「そ、それは分かってはいるのだが……」


 妻と娘に責められてたじたじになってしまう空。

 男が一人だけというのはこういった時に辛いものだ。


「まあとにかく夕食は私が作るから。それとね、食事の後で、三人に大切な話があるんだ」


 嬉しそうに桜彩がそう告げる。

 これは仲の良い葉月にすら伝えていなかったことだ。


「話?」


「うん。詳しくは夕食の後に話すから。あ、こっちは本当に期待してくれて良いからね」


 きょとんとする三人に、桜彩はそう笑いかける。


「あら、向こうで何かあったの?」


「うんっ! もの凄く嬉しいことがあったんだ!」


「そうか、それならそちらを期待するとしよう」


「うん。期待しててね」


 何しろトラウマであった絵を描くことが再び出来るようになったのだ。

 料理もそうだが、何よりそれを大切な家族に早く伝えたい。


「さてと、それじゃあそろそろお料理を始めるね」


「ほ、本当に大丈夫か? け、怪我とかは……」


 過保護ゆえに心配そうに桜彩の後姿を見つめる空。

 そんな空に舞は小さくため息を吐いて


「念の為に私が見ていますから大丈夫ですよ。ほらほら、空さんはゆっくりしていて下さい。もうすぐ葉月も戻ってきますので葉月の相手をお願いしますね」


「う、うむ……」


 もちろん空にとっては桜彩だけではなく葉月も大切な娘だ。

 故に一人暮らししている葉月のことも相当心配している。

 もっとも大学生と言うこともあり、桜彩ほどの心配はしていなかったが。 


「あら、私も桜彩を見ていたいのだけど」


 すると今の会話を聞いていたのか、戻って来た葉月が不満そうに声を上げる。

 その言葉に少しショックを受ける空。


「だめですよ。みんなで見ていては桜彩にプレッシャーがかかってしまいますからね。ほら葉月、大学でのことを空さんに話してね。空さんも私も桜彩だけではなくあなたのことも心配しているのだから」


「はいはい。と言っても特別なことなんて無いんだけどね」


 そんな特別でもない内容を空は一言一言聞き漏らすまいと真剣に聞き入っている。

 そんな家族の風景を見ながら桜彩は夕食の仕込みに取り掛かった。

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