第96話 エピローグ① ~絵を描くことの楽しみ~

 翌日、紙芝居は無事に完成した。

 ひとしきり怜と絵を描くことを楽しんだ後、桜彩はボランティア部の紙芝居の作成に名乗り出て瞬く間にそれを完成させた。

 怜から連絡を受けて直ちに駆け付けた陸翔と蕾華はそれを見て、桜彩に思いつく限りの感謝の言葉を述べた。

 蕾華などは興奮したまま桜彩を抱きしめて頬擦りまでしてしまい、苦しそうな桜彩を慌てて怜が救出する羽目になったのだが。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 そして当日、無事に紙芝居の上映と軽いインタビューを危なげなく終えると後は子供達との交流の時間だ。


「おねえちゃん、今度はこれ描いて!」


「あ、ずるーい! 先にこれ!」


「ねえねえ、あのキャラクターも描いてくれる?」


 紙芝居の絵がとても上手かったこともあり、それを描いた桜彩は多くの子供達に取り囲まれて絵をせがまれていた。

 誰もが知っている国民的アニメのキャラクターやゲームのキャラクター、動物などを描いてほしいとせがまれている。

 一つ一つのリクエストに忙しそうにしながらも、嬉しそうにスケッチブックに筆を走らせていく桜彩。

 これまで描けなかった分の鬱憤を晴らすかのように、楽しそうに大好きな絵を描ける喜びを感じているようだ。


「よかったな、さやっち」


「だな」


 少し離れたところで男の子達と遊んでいた陸翔が桜彩を見ながら呟くと、怜もそれに同意する。

 もう少しすれば美術のカリキュラムで絵を描くことになるのだが、この様子なら人前で絵を描くことも大丈夫だろう。

 何より桜彩が絵を描くことの楽しさを取り戻してくれたことが、まるで自分の事のように嬉しい。


「ちょっと待って! 順番、順番だから!」


 次々に押し寄せてくるリクエストに一つ一つ丁寧に答えていく桜彩。

 学校でのクールモードなど全く感じさせないその笑顔に怜も魅了されそうになる。

 このままいけば学校の方でも次第にこんな表情を見せるのかもしれない。

 つい先日まで自分だけにしか見せたことのない笑顔を他人も知ることになるのが少し悔しい気もするが。


(……悔しい、か。なんでだろうな)


 ふと胸に浮かんだ気持ちが分からずに首を傾げてしまう。


「あーっ、にーちゃん! ボールボール!」


 そんなことを考えていると、足下にサッカーボールが転がってくる。

 声の方を見ると、男の子達がボールをくれと要求していた。


(っと! まあそんなことを考えてもしょうがないか。少なくとも桜彩にとってはその方が良いことだしな)


 胸に浮かんだ気持ちを一旦忘れて気持ちを切り替える。

 そして右足でボールを軽く蹴り上げてそのまま何回かリフティングをする。


「わーっ、すっげー!」


「うっめー!」


「にーちゃん、パス! パス!」


 子供達から歓声が上がり、そちらの方へと優しくボールを戻す。

 再び視線を桜彩の方へと向けると、やはり楽しそうに絵を描いていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「お疲れ様、桜彩」


「うん。怜もお疲れ様」


 ひと段落したところで桜彩が怜の方へと歩いて来る。

 その顔には誰が見ても分かるような笑顔が浮かんでいる。

 改めて桜彩が絵を取り戻すことが出来たのを嬉しく思う。


「良かったな、桜彩」


「うん。こんなに絵を描いたのは久しぶりだよ。これまでずっと我慢してた分を一気に発散しちゃった」


 嬉しそうに視線を子供達の方へと移す。

 そこには桜彩に描いてもらった絵を嬉しそうに眺めている子供達が何人もいた。


「本当に良かった。もう一度こんなに楽しく絵を描けるなんて思ってもみなかったから」


 友人に裏切られた桜彩のトラウマ。

 それにより絵を描くことが出来なくなってしまった。

 こちらに引っ越してきた時には、まさかもう一度その楽しさを取り戻すことが出来るとは思ってもいなかった桜彩。

 そこでふと何かを思い出したように怜の方へと顔を向ける。


「それでね、さっき蕾華さんからボランティア部に入部しないかって誘われたんだ」


 嬉しそうに怜の目を見ながらそう告げてくる。


「そっか。でも良いのか? 去年描いた絵はコンクールでも通用しそうって言われてたんだろ? だからこっちでも美術部に入るって選択肢もあるんじゃないのか? まあボランティア部も美術部も兼部は可能だけど」


 怜がそう提案すると、桜彩はゆっくりと首を横に振る。


「ううん。今回のことで思い出せたんだ。私は誰かに絵を評価して欲しいわけじゃない。コンクールで良い成績を収めたいわけじゃないって。ただ楽しく絵を描くだけで充分楽しかったんだって」


「今、まさにその状態だしな」


「うん」


 子供達のリクエストに応えて絵を描いてあげる。

 桜彩にとってはそれだけで充分すぎるほどに幸せだろう。


「だからね、美術部には入らないよ」


「そっか」


 他人からすればそれをもったいないと思うのかもしれない。

 せっかく実力があるのだから、それを存分に活かすべきだという人もいる。

 しかし、そもそも幸せというものは他人が判断する物ではないし、本人が幸せだと思えることが一番だろう。


「あの、怜は私と一緒に活動したいって思ってくれる?」


 少し不安げに怜を見つめながら聞いてくる桜彩に、怜はもちろんだと頷く。


「ああ。俺も桜彩と一緒に活動したい。桜彩がボランティア部に入ってくれると嬉しいよ」


 すると桜彩の表情がにへらっと崩れて嬉しそうに笑う。


「良かったあ。怜もそう言ってくれるって思ってたけど、でも美術部に入る方が良いって言われたらって少し心配だったんだ」


「俺が桜彩と一緒にいるのを嫌がるわけがないって。ただ前の所では美術部で良い絵が描けたって言ってたからそう提案しただけだ。でも桜彩本人がボランティア部の方が良いって言うんなら反対なんてしない。むしろ嬉しい」


「ありがとう。それじゃあこれからもよろしくね」


「ああ」


 嬉しそうに笑い合う二人を陸翔と蕾華は少し離れたところから、こちらも嬉しそうに笑って眺めていた。


「うんうん、良かったよ」


「だな。それにしても怜に続いてさやっちもこうしてトラウマ解決するなんてな」


「驚きだよねー。ってかもうお互いがお互いのトラウマを解決し合ったって言っちゃっていいわけでしょ? 凄いよねー」


「だよな。で、あの雰囲気か」


「あの雰囲気だよね」


 嬉しそうにお互いに見つめ合って話している怜と桜彩。

 そんな二人の姿を陸翔と蕾華も当然嬉しく思うのだが、同時にもやもやしたものが生まれてくる。

 なぜ、あの二人はあれが平常運転なのか。


「もういっそ付き合っちゃえばいいのに」


「ホントだよなあ」


 不満そうに口を膨らませる蕾華と陸翔。


「もうすでにお互いが好意全開のところにトラウマの解決だろ? もういいよなあ。付き合ってもいいよなあ」


「雰囲気だけなら完全に付き合ってるんだけどね、あの二人」


「雰囲気だけってのが問題なんだよなあ」


 陸翔と蕾華からしてみれば、怜と桜彩はその辺りのカップルよりもよっぽどらしいカップルだ。

 世間ではちょっとしたことで喧嘩して、すぐに別れてしまうカップルというのも存在する。

 そのように些細なことで喧嘩して別れるようなカップル達とは比べ物にならないほど、怜と桜彩の二人の間には強い絆を感じる。


「しょーがねえ、オレ達で一肌脱ぐか」


「だね。まああの雰囲気ならすぐに付き合いだしてもおかしくないけど」


「そこは悪い意味であの怜だからなあ。なんとも言えねえ」


 二人の方へと視線を向けると、そこに女の子が近づいて来ていた。


「ねえねえ、お姉ちゃん。もう絵を描いてくれないの?」


 どうやら絵のリクエストの様だ。

 少し困ったように怜の方へと視線を向けると、怜が笑って答える。


「俺は大丈夫だからさ、描いてあげなって」


「……うん、ありがとね」


 桜彩も女の子の方へと向き直る。

 そしてスケッチブックとペンを用意してしゃがみこみ、女の子の顔と高さを合わせて優しく笑いかける。


「何を描いてほしいの?」


「えっとね、えっとね――」


 桜彩が再び子供達の方へと向かったので、怜は陸翔と蕾華の方へと歩いて行く。


「れーくんおつかれー。サーヤ、ホントに人気者だね」


 楽しそうに絵を描く桜彩を見ながら蕾華が怜に言ってくる。


「ああ。そうそう、桜彩もボランティア部に入りたいって」


「マジ!? やったあ!」


 嬉しそうに蕾華がこぶしを握り締める。

 こちらも友人が入部してくれたことを本当に喜んでいる。


「そっかそっか。さやっちも入部してくれるのか。これからもっと楽しくなるな」


「でも今回はサーヤに助けられたね。何かお礼が出来れば良いけど」


「だな。さやっちがいなかったらどうなってたか分かんねえよ」


「同感。AIに頼った結果、色々と大問題になりかねない危険もあったからな」


「ははっ! そう考えればさやっちはオレ達の大恩人だな」


 そんな事態にならなくて良かったと三人で笑い合う。

 今となってみれば本気で陸翔と言い合ったのも良い思い出だ。


「でもサーヤにお礼かあ。れーくん、何かアイデアある?」


「お礼って言ってもなあ。むしろ桜彩も感謝してるし。また絵を描かせてくれてありがとうって」


 桜彩の方に視線を向けながら優しい顔をする怜。

 そんな怜に、横から陸翔と蕾華がジト目を向ける。


(それ、アタシ達ってよりもれーくんに対するありがとうだよね)


(まあ、自惚れじゃなければオレ達にも感謝はしてるかもだけど、やっぱり一番は怜にだよな)


 親友からの呆れにも似た視線に気が付かずに怜はそのまま少し考えてみる。


「そうだ。それなら桜彩の入部歓迎会をやらないか?」


「れーくんナイス! そうだね、歓迎会やろう!」


「それ良いな! 賛成!」


 そして三人は女の子に絵を描いてあげている桜彩を微笑ましく眺めながら、歓迎会の内容について話を始めた。


【後書き】

エピローグは①~③で構成されており、第二章はもう少し続きます。

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