第97話 エピローグ② ~二人だけのお祝い~
「れーくん、サーヤ! 二人共ほんっとーに、ありがとね!」
「ああ。ありがとな」
全てが終わった帰り際、危機的状況から救われた蕾華と陸翔がそう言うと、桜彩が少し照れたように視線を外す。
「い、いえ……私はその、もう一度絵を描くことが出来ただけで幸せですので。それで誰かを笑顔にすることが出来ましたし、こちらこそありがとうございました」
充実した笑顔でそう答える桜彩。
それは謙遜ではなく桜彩の本心だ。
大好きだった絵を描く、もう二度と訪れないと思っていた幸せ。
過去のトラウマを克服して、もう一度絵を描くことが出来た。
そして子供達の笑顔までついてきた。
それだけで桜彩は充分すぎるほどに幸せだ。
そんな思いを込めて逆に桜彩が頭を下げる。
いきなりのことに二人は一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。
「ううん、それでもありがとう。そうだ、今日この後って予定ある? せっかくだから打ち上げしない? サーヤの入部と絵を描けるようになったお祝いも含めて」
さっそく先ほど話した通りに歓迎会をしたいと告げる蕾華。
「いや、今日これからはいきなりすぎるだろ」
慌てて怜が止める。
先日の猫カフェの誘いもそうなのだが、思いついたらすぐ行動、というのが蕾華だ。
しかし先ほどいきなり歓迎会をしようと思ったのでまだ何をするかも決めていない。
「怜の言う通り明日の方が良いだろ。何やるかも考えてさ。さやっちも明日は空いてるんだろ?」
「はい。明日の予定はありません」
桜彩の返答に蕾華は笑顔で向き直る。
「うん、分かった! それじゃあ明日ね!」
「プランはこっちで決めて良いよな?」
楽しそうに提案してくる陸翔と蕾華に怜と桜彩は顔を合わせて頷き合う。
「はい、私は構いません」
「俺も問題ないよ」
桜彩と怜の答えを聞いて陸翔と蕾華はやったあ、と喜んでハイタッチを交わしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあね、二人共」
「またな」
「ああ、また明日な」
「それでは失礼します」
そう言って怜と桜彩は二人でアパートへの帰路へとつく。
幼稚園での思い出を楽しそうに語りながら二人で歩く。
「そういえばさ、怜は今日この後って用事ある?」
ふと桜彩が怜の方を向いて問いかけてくる。
この後は桜彩と一緒にスーパーへ寄ってから帰るだけだ。
その後もしいて言うのなら部屋の掃除をするくらいだ。
それと課題と自主勉強を進める。
つまるところ、予定などは何もない。
ゆっくりと首を横に振って桜彩の顔を見て返答する。
「いや、用事はないよ」
「そっか。そうなんだ」
怜の答えに桜彩は少し下を向いて顔を赤らめる。
足を止めて立ち止まり、そして意を決して口を開く。
「それじゃあさ、その、これから私に付き合ってくれる?」
「え? 別に構わないけど、何か買いたい物でもあるのか?」
まだ日が高いので、せっかくだからどこかに買い物にでも行こうというのだろうか。
桜彩と一緒に買い物をするのも楽しいし、何なら荷物持ちをしても良い。
しかし怜の言葉に、桜彩は首をゆっくりと横に振る。
「ううん、買い物じゃないんだけどね。あの、ね……。さっきあの二人がお祝いしてくれるって言ってくれたのも本当に嬉しかったんだけど……。でも、ね……。その、やっぱり初めてお祝いしてくれるのは怜が良いなって。自分で言うのもなんだけど、怜、お祝いしてくれる……?」
断られたらどうしようかと不安そうな瞳で見つめてくる。
その言葉に怜はドキッとして心臓の鼓動が速くなっていく。
正直その表情でその言葉は反則だろう。
動揺を悟られないように深呼吸して返事を返す。
「もちろん。それじゃあこの後は二人で過ごすか」
「……! うん、ありがとう、怜!」
花が咲いたような笑顔を怜に向けながら素直に喜ぶ桜彩。
その笑顔を見た怜は、先ほどから速くなった鼓動が収まる気配がまるでない。
(落ち着けって! 桜彩は単に一番仲の良い友人としてそう言ってくれているだけなんだ……!)
勘違いしないように心の中で自分を戒める。
正直最近の桜彩の行動は、むしろ自分を勘違いさせたいのではないかと疑いたくなるほどだ。
むしろ自分以外で勘違いしない相手がいるのだろうか。
そんな怜の葛藤を知らない桜彩が嬉しそうに提案する。
「それじゃあさ、またリュミエールのケーキが食べたいな!」
「そうだな。それじゃあ今から一緒に行くか」
「うん!」
楽しそうに『ケーキ、ケーキ!』と口ずさみながら歩く桜彩の隣で、ドキドキを収めようと努力しながらリュミエールへと向かって行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあ成功を祝って」
「うん。成功を祝って」
二人でドリンクの入ったグラスを持ち上げる。
「「乾杯」」
こつん、とグラスを軽くぶつけて二人で紅茶を飲む。
アイスのハーブティーをゆっくりと味わった後、ケーキへとフォークを伸ばす。
「やっぱり美味し~い!」
「ああ。本当にな」
それぞれのケーキをゆっくりと味わっていく。
元々美味しいケーキに更に成功という名のトッピングが加わって、これまでにない充実感が心を満たしていく。
「怜、このチーズケーキも食べてみて」
「桜彩もこっちをどうぞ」
お皿ごと交換して笑顔でケーキを食べ進めていく。
そのままケーキを食べ終えると、桜彩がふと気になったことを聞く。
「でも、本当に良かったの? 頼んだ私が言うのもなんだけど、せっかくのお祝いが私と二人だけで」
「そうだな。四人で楽しむのも良いかもしれないけど、桜彩と二人で過ごすのもそれはそれで楽しいしな。それに明日はまた四人で集まるんだろ? だったら別に構わないさ」
「ふふっ、ありがとね。そう言ってくれて嬉しいよ。私も怜と二人で過ごしてる時は本当に幸せだから。あ、もちろん蕾華さんや陸翔さんと一緒に遊ぶのも楽しみだけど」
「桜彩がそう思ってくれて俺も嬉しいよ」
「私だって怜がそう思ってくれて嬉しいな」
二人で笑顔で笑い合う。
怜にとって、少し前まではとても考えられなかった。
陸翔と蕾華の二人と過ごすこと同じくらい、桜彩との時間が楽しい。
正直、自分の中で桜彩の存在が加速度的に大きくなっていることに驚く。
「本当にありがとうね、怜」
「え?」
スプーンを置いて、桜彩が真剣な目をして語り掛けてくる。
慌てて怜もスプーンを置いて話を聞く。
「怜には感謝してもしきれないよ。大切な絵をもう一度描くことが出来たなんて、今でも夢みたい」
「夢なんかじゃないぞ。それにお礼を言うのはこっちの方もだからな。桜彩がいなかったらどうなってたか分からないんだから」
今回の件で救われたのはお互い様だ。
しかし桜彩はゆっくりと首を横に振る。
「ううん、今回の事だけじゃないよ。私、出会ってからずっと怜に助けられてきたから」
「桜彩……」
「ずっとずっと不安だった。新しい学校でちゃんとやっていけるのかって。友達が出来てもすぐに裏切られたらどうしようって。大好きだった絵も描けなくなった。もう私は二度と他人を信用することは出来ないんじゃないかって。でも、怜と出会うことが出来た。何も出来ない私を見返りも求めずに助けてくれた。そのおかげでもう一度誰かを信じることが出来たんだよ。それだけじゃない。大好きだった絵をもう一度描くことを取り戻してくれた」
笑いながら目に涙を浮かべる桜彩。
怜が酷い裏切りにあった時、側には陸翔と蕾華がいた。
隣で支え続けてくれた。
だが桜彩には二人のような相手はいなかった。
心から信頼出来る相手がいなかった桜彩にとって、それからの日々は本当に辛かったのだろう。
しかし自分がその助けになることが出来た。
今の桜彩の笑顔を見て思う。
桜彩にとってかつて自分を救ってくれた陸翔や蕾華のような存在になれたのなら嬉しいことだ。
「見返りなら貰ってるさ」
「え?」
「今、こうして桜彩の笑顔を見ることが出来た。それは俺にとって本当に嬉しい。それが最高の見返りだよ」
「怜……。ふふっ、ありがとうね」
桜彩が涙の拭いながらもう何度目か分からないお礼を言う。
悲しみとは真逆のその涙を見て怜も優しく笑いながら
「また桜彩を泣かせちゃったな」
「ホントにね。でも嫌なんかじゃないよ」
こんな涙だったら何度でも流したい。
また怜にこのような涙を流させてもらいたい。
桜彩の思いが通じたのか、怜も言葉を続ける。
「この先もまた桜彩を泣かせちゃうかもしれないけど」
「うん。……でも参ったなあ、泣きすぎて目が赤くなっちゃいそう」
「気にしないで良いぞ。少なくとも俺は桜彩が泣きすぎて目が赤くなろうが顔が腫れようがずっと桜彩の味方だからな」
「本当に? でもやっぱり怜にはこんな情けない顔じゃなくて普段の顔の方を見て欲しいな」
「情けなくなんて無い。いつもの顔も今の顔も……その、ちゃんと可愛いと思ってるから。……それに、桜彩が笑顔になれないんなら、笑顔になってくれるまで俺が代わりに笑うから」
「怜……ありがとう」
言った怜も、言われた桜彩も照れてしまって無言で下を向いてしまう。
(……今、俺なんか凄いことを言った気がする。可愛いとか、俺が代わりに笑うとか……。ま、まあ嘘ではないんだけど……)
(怜、私のこと可愛いって……。また可愛いって言ってくれた……)
誕生日の時に桜彩に可愛いとつい言ってしまったことを思い出してしまう。
どうにも桜彩と話しているとテンションが上がるというか口が軽くなるというか、まあ自然体でいられるということだろう。
ふと先日陸翔に言われたことを思い出す。
『二人はいったいどういう関係なんだ?』
あの時は自分と桜彩の関係を表す為の言葉が浮かばなかった。
その為、『言葉で定義出来ない、定義する言葉がない、俺と桜彩だけの特別な関係』と答えたのだが、果たしてそれは正しいのだろうか。
そんなことを考えてしまう。
「あ、き、期間限定のタルトってあったよね! ね、ねえ、つ、追加で頼んでも良いかな!?」
恥ずかしさを隠そうと壁のポップを指して大きな声を上げる桜彩。
その言葉で目の前の現実に引き戻される。
今、自分の目の前にはとても大切な相手がいる。
言葉で定義出来ない自分達だけの大切な関係。
(そうだな。俺と桜彩はそんな関係で良いじゃないか。この大切な時間が楽しいのなら、それ以上のことを焦って考える必要なんてないよな)
嬉しそうに、しかし照れくさそうにポップを指す桜彩の笑顔を見てとりあえずはそう割り切る。
「そ、そうだな。それじゃあ俺も追加で頼むか」
「うん! それじゃあ頼もう」
二人は新たにレジへケーキを注文に行く。
そして新しくテーブルの上に置かれたケーキと共に、二人は話に花を咲かせていく。
「あ、そうだ。怜に一つお願いがあるんだけど」
「お願い?」
両手を顔の前で合わせておずおずと頼み込む桜彩。
恥ずかしいのか顔が少し赤くなっている。
「その、ね。私、もう絵を描くことが出来るようになったけど、それでもまた怜と一緒に描きたいなって。たまにでいいからお願いしても良い?」
可愛らしい内容のお願いに、怜の表情も緩む。
絵心には恵まれていない怜だが、昨夜桜彩と一緒に描いていた時は本当に楽しかった。
故に怜の返事は決まっている。
「もちろん。いくらでも付き合うぞ。俺ももう少し上手に描けるようになりたいし、桜彩が教えてくれるなら願ったりだ」
「良かった。ありがとうね、怜」
嬉しそうにはにかみながらお礼を言う桜彩。
そんな桜彩の表情を見ることが出来ただけで、もう充分すぎるほどに幸せだ。
(……やっぱり可愛いんだよな、桜彩は。その桜彩が俺にだけにこんな表情を見せてくれて嬉しい……って何考えてんだよ、俺は!)
思わず熱くなってしまった顔を冷ますようにグラスの中の飲み物を飲み込んだ。
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