第94話 完成の見えない紙芝居と絵の描けないクールさん
「――ってことがあってな」
夕食の席で改めて桜彩に今の事態について話す。
昼休みに怜達の話は桜彩の耳に入っていたのだが、学校では無関係を装っている為に詳しい話は出来なかった。
「そう。それで陸翔さんはあんなに怒ってたんだ。それに怜も」
放課後に交わされた会話を聞いて桜彩が呟く。
仲の良い二人が本気で怒っていたのもそれなら納得がいく。
怜が自分一人で泥を被るなど、あの優しい陸翔はとてもではないが絶対に認めないだろう。
「それで、結局はどうなったの?」
二人の争いを止めた後、桜彩は教室を出ていたのでその後のことは分からない。
「とりあえずは三人で紙芝居の再作成。……でも後二日での完成はかなり厳しい」
厳しいとは言ったが客観的に考えると絶望的だ。
クオリティを無視して適当な物を作れと言われたら二日で完成させることが出来るかもしれないが、子供達に読み聞かせる以上、そんなもので妥協することは論外だ。
「……他の人も駄目だったんだ」
「ああ。当たれるところは当たったけど全部駄目」
「そっか……」
怜の言葉にぽつりとつぶやく桜彩。
そのまま食べる箸を止めて俯いてしまう。
もちろん桜彩に元気がない理由は怜にも良く分かる。
しかしそれに対してなんて言っていいか分からない。
そのまま二人は普段の和気あいあいとは程遠い重い空気の中、言葉少なく夕食を食べ終えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……怜。怜も二人も私には声を掛けなかったよね」
食後、食器をシンクへと運ぼうと立ち上がったところで桜彩の口から言葉が漏れる。
怜が立ち止まって視線を桜彩へと向けると、俯いたまま怜の方へ顔を向けずに桜彩が続ける。
「怜は私が絵が得意だって知ってるのに……」
「桜彩……」
その言葉に何と言っていいか分からず答えに詰まってしまう。
その反応で怜の思いを察したのか桜彩が再び口を開く。
「ううん、ごめんね。怜達が私のことを気遣ってくれてるのは分かってるから」
頭を振って無理に笑顔を浮かべる桜彩。
当然怜も陸翔も蕾華も桜彩のことは頭に浮かんだ。
しかし桜彩のトラウマを知っているからこそ、桜彩にそれを頼むわけにはいかなかった。
「ねえ、怜。私、怜と出会ってからさんざん怜に助けてもらったよね」
怜が言葉を出せないでいると、桜彩がぽつりと呟く。
「それは……」
「でも、今怜が本当に困ってるのに、私は怜の助けにはなれそうにないの」
怜の言葉を途中で遮って桜彩が続ける。
悔しさを感じる表情で握りしめた手を見ながら首を横に振る。
「あの時のことを嫌でも思い出しちゃうから……。ごめんね、怜」
そう言って顔を上げる桜彩。
その表情は諦めたような困ったような薄笑いが貼りついていた。
桜彩の顔を見て怜の胸がずきりと痛む。
「桜彩。桜彩が謝ることなんてないさ。これはボランティア部の問題で桜彩が悪いわけじゃない。それにさ、桜彩がそう思ってくれているだけで俺は充分嬉しいぞ」
「怜……。こんな時でも怜は優しいんだね」
「別に優しいとは思わないけどな。まあ桜彩のトラウマに目を瞑(つぶ)って描いてくれなんて頼みはしないぞ」
「……うん、ありがとうね」
苦笑しながら桜彩は立ち上がって食器を持ち上げる。
「さ、食器洗っちゃお」
無理に笑顔を絞り出して怜の横を通り過ぎキッチンへと向かう桜彩。
そんな桜彩に掛ける言葉が見つからず、怜も無言で食器を持ってキッチンへと続いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ほぼ無言で食器を洗った後、怜は寝室へと向かう。
もちろん紙芝居の制作の為だ。
そんな怜の背中を見ながら桜彩はリビングのテーブルの上に鞄の中から教科書やノートを取り出す。
普段、怜も桜彩も食後は二人で話したり、動画を観たり、勉強をしたりとしているが、怜が紙芝居を作る為に寝室兼勉強部屋へと向かったので今日は桜彩一人だ。
そのまましばらくそれぞれの場所で別行動をとる。
桜彩がふと時間を見ると、既に一時間が経過していた。
課題の方を見ると、ほとんど進んでいない。
当然ながら怜のことを考えてしまって課題など手についていない。
(…………当然だよね)
怜の事情は知っている。
そして自分には困っている怜を手助け出来るだけのスキルがある。
しかしどうしてもそれが出来ない。
自分にとって大切な相手がそんな状態なのに、自分だけがのほほんと課題に取り組めるわけなどない。
「もう、描けなくなっちゃったな」
自嘲気味に呟いて、ふとノートへと目を落とすと空白が目に入る。
「……絵、か」
空白へと思い切ってペンを伸ばす。
何でも良い。
何かを描いてみる。
そう思って伸ばしたペンだが桜彩の思いとは裏腹にペンがノートに触れることはない。
(…………駄目)
ペンを落としてしまう。
やはり描くことは出来ない。
無力な自分が本当に嫌になってしまう。
「……お茶でも飲もう」
この調子では課題はおろか何をやっても駄目だろう。
そう考えて気分転換にお茶の準備を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「怜、入るよ?」
怜が紙芝居を描いているとドアがノックされ、そこから桜彩の声が聞こえてきた。
「うん、どうぞ」
返事をするとドアが開いてそこからお盆を持った桜彩が入ってくる。
「コーヒーを持って来たけど飲む?」
桜彩の言葉に時計を見ると、自分で思っていたよりも時間が経っていることに気が付いた。
どうも根を詰めすぎていたらしい。
「ありがとう。ちょっと休憩するよ」
椅子から立ち上がって伸びをしながら答えると、桜彩は机の上に二つのカップを置く。
当然先日二人で買ったペアのカップだ。
カップの中には湯気の立ったコーヒーが注がれている。
「ありがと。眠気覚ましにちょうど良かった」
「うん。このくらいなら私も怜のことを手伝えるから」
そう言いながら桜彩もベッドに腰かけてコーヒーを飲む。
チラリと視線を机に向けると、そこには怜の描いたであろう絵が置かれていた。
正直なところ、お世辞にも上手に描けているとは言えない。
「酷いもんだろ?」
桜彩の視線に気付いた怜が情けなさそうに呟く。
自嘲気味のその言葉に桜彩は『そんなことはない』と否定しようとしたが、すぐにそれが間違いだと思って口をつぐむ。
ここでそんなことを言っても怜が信じるわけがないし、そんな気休めは全く意味がない。
黙ってしまった桜彩に怜が苦笑する。
「俺も陸翔も蕾華も絵に関してはこんなもんだからな。多分完成は難しい」
「……もし完成しなかったらどうするの?」
「陸翔には、駄目そうならAIで作るとは言っておいた。納得してないけど出来ないんなら他に手はないからな」
「…………そう」
怜の言葉に桜彩は俯いてしまう。
桜彩としても色々と現状を打破出来る手段を考えてみたのだが、何も思い浮かばなかった。
その為、確かに現状ではそれ以外に方法はないだろう。
「でも、もしもそれがバレたら……」
「その時はその時だ。しょうがないさ」
心配する桜彩の不安を払しょくしようと首を横に振っておどけたようにそう答えるが、桜彩の表情は曇ったままだ。
苦笑しながら怜はコーヒーを一口飲む。
そして椅子の背もたれに体を預けてゆっくりと話し出す。
「桜彩、俺はさ、あの二人のことが大好きなんだ」
「うん……」
桜彩もそれは充分すぎるほど良く分かっている。
下手をすれば桜彩以上のトラウマを抱えることになってもおかしくない出来事を、あの二人が救ってくれた。
だからこそ怜はあの二人のことが本当に大好きなのだと。
「だからさ、俺が泥をかぶる程度のことであの二人が助かるんなら、俺は喜んで泥をかぶる。それをあの二人が望んでいないとしても」
「うん……」
間違いなく本心であることは分かる。
自分が罪を被ることであの二人が助かるのなら、怜にとってはそれは間違いなく嬉しい事なのだと。
「まあ、まだ時間はある。後二日で完成させることが出来ればそんな心配はいらないからな」
そう言いつつも、それが無理であることは怜も桜彩も良く分かっている。
このままであれば紙芝居は完成せずに、怜は強引にAIに頼ることになるだろう。
「コーヒー、ありがと。それじゃあもう少し頑張ってみるよ」
そう言ってまだ中身の残ったカップを置いて、再び作業へと取り掛かる怜。
「……怜、その、怜のことをここで見ていても良い?」
後ろからの声に驚いて振り返ると、真剣な表情で桜彩が自分のことを見つめていた。
「ああ」
それだけ答えて再び絵を描き始める。
しかしやはり上手に描けない。
狸を描いていたはずなのだが、紙の上に描かれたのは狸でも狐でも猫でも犬でもない不思議な生物。
少なくともこれを狸だという人間はすぐに眼科へと行くべきだと描いた本人ですら思ってしまう。
「……クソッ」
口から小さな呟きが漏れる。
(ダメだ。分かってはいたけどこれじゃあ確実に間に合わない)
タイムリミットまであとわずか。
ただの一枚すら完成出来ないのに紙芝居など出来るわけがない。
描いたばかりの紙を丸めて捨てて、新しい紙を用意して描き始める。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時折、既にぬるくなってしまったコーヒーを口に含みながら絵を描き続ける怜。
しかし何度描いてもすぐにその紙はごみと化してしまう。
(怜……)
声を出さずに怜を後ろから見つめる桜彩。
自分で描けないまでも、何かアドバイスでも出来ればと思ったのだが怜の技術はそれ以前の問題だ。
「……あの、怜」
おずおずと声を掛ける。
「ん?」
桜彩の声に怜が振り返る。
その顔は一見笑顔だが、いつもの優しい笑顔、自分の気持ちを温かくしてくれる笑顔とは違う。
張り付けられた作り物の笑顔の裏で、焦りが増大しているのが良く分かる、分かってしまう。
「その…………私、が…………………」
言葉に詰まる。
『私が描こうか?』
その一言がどうしても桜彩の口から出てこない。
出会ってからずっと自分を助け続けてくれた怜の為に、自分が力になれるのはこんな時くらいなのに。
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