第86話 親友との絆

「ふーっ、美味しかった」


「ごちそーさまー」


「ご馳走様でした」


「ありがと。そう言ってくれると嬉しいよ」


 鍋のシメのうどんまで食べて四人の食事が終わる。

 残ったスープは明日の朝食でリゾットでも作ろうか。


「それじゃあ片付けはこっちでやっとくから」


「良いの? それじゃあお願い」


「サンキュー」


「あ、私も手伝……」


「はい、サーヤはこっちね。れーくん、良いよね?」


 片付けを手伝おうと立ち上がった桜彩を少し強引に蕾華が座らせる。


「ああ。こっちは一人で出来るから構わないぞ」


「ありがと、れーくん」


「一応言っておくけどさっきみたいな尋問は止めろよ」


 先ほどの蕾華の勢いで、言う必要のないことまで言ってしまったのを思い出す。

 普段のクールモードからは想像もつかないが、慌てた時の桜彩は色々と危うい。

 その為、蕾華に注意したのだが、その言葉を蕾華は斜め上の意味で捉えた。


「え? ってことはれーくん、まだアタシ達に話したくないことがあるんだ!」


「ほー、是非ともそれは聞き出さないとな」


「だから止めろっつってんだろうが」


 そういう意味で言ったのではない。

 いや、まあバレると恥ずかしいこともあるのは確かだが。


「それじゃあサーヤ、話そ、話そ!」


「え? え?」


 ハイテンションの蕾華に桜彩が慌ててしまう。

 相変わらず蕾華は自分のペースで物事を進めようとするが、不思議とそれで嫌な感じになることは無い。

 陸翔共々人たらし、というのだろうか。


(まあ、三人が仲良くなるんなら良いか。……ちょっと寂しいけど)


 シンクで洗い物をしながら、少しばかり胸の中にモヤッとしたものを抱えてしまう。

 一方で蕾華は目を輝かせて桜彩の方に身を乗り出す。


「それでそれで! れーくんと一緒に猫カフェに行ったんだよね! 写真、写真見せて! 撮ってるんでしょ!?」


「は、はい」


 もう隠すことでもないので二人で猫カフェに行った時の写真をスマホで見せる桜彩。

 猫を抱えている写真やおもちゃで猫と遊んでいる写真、おやつを食べさせている写真を次々に見せていく。

 そこにはただ一枚の例外もなく、怜も桜彩も笑顔で写っていた。


「わあ、可愛い!」


「怜も凄え良い笑顔してるな!」


 スマホを覗き込みながら陸翔がうんうんと頷く。

 八年間も大好きな動物に触れなかったのだから、再び触った時の喜びが大きいことは想像に難しくない。


「…………でも、そっか。れーくん、動物に触れて本当にうれしそうだね」


 スマホの中の怜とキッチンで洗い物をしている怜の後姿を交互に見ながらボソッと呟く蕾華。

 その声は洗い物の音で怜の耳には届いていない。


「だなー。ホントに良かった良かった」


 背もたれに体を預けながら上を向いた陸翔も感慨深そうにそう呟く。

 これまで八年間の怜のことを思い出して二人の目にうっすらと涙が浮かんで来る。


「蕾華さん……陸翔さん……」


 桜彩にとって自分の知らない怜の八年間。

 聞いただけでも最悪レベルのトラウマを経験して、それでも今、普通に過ごすことが出来ているのは間違いなくこの二人のおかげだ。

 身内を除けば二人だけが最初から最後まで怜を疑うことなく信じ続けた。

 話だけは聞いているが、怜の側で支えていた二人が当時から今に至るまでどれだけ怜の為に骨を折ったのか。

 桜彩には察することすら出来ない。


「…………あの、私が二人の役割を奪ってしまったみたいで……。私より二人の方が、苦しんでいる怜を見ていたのに……。一番苦しい時に怜を支えたのは間違いなく二人なのに……。いきなり横から出てきた私が最後に良いところだけ奪ってしまったみたいで……」


 申し訳なさそうにそう呟く桜彩。

 その言葉に陸翔と蕾華はきょとんとして顔を見合わせて、少し不満そうな顔で桜彩を見返す。

 そして蕾華が身を乗り出して


「えいっ」


「痛っ……」


 桜彩にデコピンをした。


「蕾華、オレの分も頼む」


 陸翔の言葉に蕾華が再びデコピンをする。

 痛む額を押さえながら二人の方を向く桜彩。

 すると二人が呆れたような顔で桜彩を見てくる。


「オレと蕾華はずっと怜が動物に触れるように何とかしたいって思ってた。だけどな、オレ達にとって大切なのは、オレ達が怜を助けることじゃなく、怜が再び動物と触れ合えるようになることだからな。誰がやったとか、正直そこまで重要じゃねえよ」


「そうよ。親友のアタシ達じゃあ頑張っても駄目だった。でも、サーヤがれーくんの隣に来てくれた」


「ある意味オレ達じゃあ限界だったんだ。オレと蕾華は良くも悪くも怜に甘いところがあるからな。怜が無理そうだったら無理に前を向かせることはしなかった。だけどさやっちは、それでも怜を前に向かせてくれた。さやっちにしか出来なかったアプローチで怜を助けてくれた」


「うん。サーヤがれーくんと出会ってくれて本当に良かった。だからサーヤ、そんなことは言わないで。そこはちゃんと胸を張って良いところなんだから」


「二人共……ありがとうございます……」


 二人の言葉が桜彩の胸に響く。

 二人が怜の親友だということは当然知っている。

 しかしこうして三人の関係を目の当たりにすると、その絆の深さに思わず息を飲んでしまう。


(ああ、この二人も本当に怜のことが大好きなんだな)


 そう思っていると、洗い物を終えた怜がテーブルへとやって来た。


「終わったよー。ってちょっと、二人共桜彩に何してるの?」


 涙目になった桜彩に気が付いた怜が陸翔と蕾華に疑惑の眼差しを向ける。

 とはいえ二人が本当に酷いことをしていたとは全く思っていないのだが。


「話してただけだって。なあ蕾華?」


「うんうん」


 隠すことでも無いので今の話を怜にする。

 聞き終わると怜は桜彩の方に向き直る。


「全く……そんな心配なんてすることないって」


「うん、そうだね」


 全くもって杞憂も良いところだ。

 桜彩も怜の言葉に同意する。


「でもまさかだよなあ。さっきも言ったけど、怜とさやっちがこんなに仲良いなんて」


「うんうん。思ってもみなかったよ」


「……陸翔、蕾華。俺と桜彩の事、今まで二人に黙ってて本当にごめ……ムグッ!」


 二人に黙ってたことを謝ろうとした瞬間、陸翔が身を乗り出して怜の口を塞ぐ。

 いきなりのことに驚いて目を丸くして陸翔を見る怜。

 そんな怜の口元を抑えたまま、陸翔が真剣な顔で言葉を紡ぐ。


「怜、それだけは言うな」


「うん。れーくん、それは言っちゃだめだからね」


 蕾華も陸翔と同様に真剣な顔で怜を見る。

 そんな二人に口を塞かれたまま固まってしまう怜。

 桜彩もいきなりのことに呆気にとられている。


「怜、お前はさやっちから頼まれたんだろ? オレと蕾華のことは良く知らないから黙っててくれって」


 コクリと首を縦に動かす。

 怜本人としては言いたかったのだが、転入してきたばかりでまだ二人のことを良く知らない桜彩は二人を信用出来なかった為、怜との関係性を黙ってくれるように頼んだのだ。


「だったら絶対に謝るな。お前はさやっちのことを考えて、さやっちの為にオレ達にも内緒にしてたんだろ? その約束を守り通したことは絶対に悪い事なんかじゃない。だから謝るな」


「うん。それはれーくんにとって誇るべき所だからね」


「……そっか。それじゃあありがとう、二人共」


 陸翔の手が離れると、怜の口から謝罪ではなく感謝の言葉が出た。

 それを見て陸翔と蕾華は満足そうに笑みを浮かべる。


(……いいなあ)


 一方で桜彩は三人を見ながらそんなことを思う。

 お互いがお互いを大切に想いながら築き上げてきたこの関係を羨ましく思ってしまう。


「桜彩? どうかしたのか?」


「あ、ううん。何でもないよ」


 慌てて首を振る。


「ただね、やっぱり二人は私なんかよりもずっと素敵な人だなって……」


「桜彩」


 その言葉に怜が真剣な顔で桜彩の方を向く。


「葉月さんの時にも言っただろ? 桜彩には桜彩の良いところがあるって。陸翔には陸翔の、蕾華には蕾華の、そして桜彩には桜彩の良いところがそれぞれあるんだ」


「怜……」


「陸翔と蕾華は倒れてる俺を引き起こしてくれた。そして桜彩が俺に別の景色を見せてくれた。三人共俺にとって本当に大切な相手なんだ。だからさ、桜彩も俺にとって大切な人である桜彩を『私なんか』なんて悪く言わないでくれ」


 怜の言葉に桜彩が目に涙を浮かべながら嬉しそうに微笑む。

 怜の言葉を一言一言大切に受け止めていく。

 それだけで胸がいっぱいになっていく。


「うん、ごめんね。そしてありがとうね、怜」


 少し赤くなった頬でそう言ってくれる桜彩の笑顔に今度は怜が照れてしまう。


(やっぱり怜は優しいな。いつも私を安心させてくれる)


 今回だけではなく、これまでもその優しさに救われてきた。

 何も出来ない自分をいつも隣で支えてくれた。


「ふふっ」


「はははっ」


 ついお互い自然に笑いが零れてしまう。

 二人の世界に入ってしまった怜と桜彩を、陸翔と蕾華は何を言うでもなく温かく見守っていた。

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