第83話 「なんで付き合ってないの?」 ~二人の関係と間接キス~

 なんで?


 二人がそう疑問を持つのは当然だろう。

 何度も言うようだが、怜本人が逆の立場だった場合、確実に二人と同じ感想を持つはずだ。


「なんでって言われても……」


「は、はい……」


 怜も桜彩も言葉が詰まってしまう。

 なんでと言われても理由があるわけではない。

 単に仲の良い二人というだけの事だ。


「いや、だってもうやってること完全に恋人じゃん」


「うんうん。それだけ仲良いのに付き合ってないってさあ」


「仲が良ければ付き合ってるもんでもないだろうが。人付き合いってのは人それぞれだぞ」


 怜の言葉に首をひねる陸翔と蕾華。


「いや、それは分かるけどよ。仲が良いってベクトルが完全に恋人方向に向いてんじゃねえかよ」


「お互いにあーんって食べさせるって、恋人でもない限りまずしないからね。てか恋人でもしない人はしないし」


「う……」


「そ、それは……」


 再び言葉に詰まってしまう。

 この二人は決してからかって言っているわけではない。

 それに言っていることは世間一般的に考えても正論だろう。


「別に、恋人じゃなくてもそういう仲の良さってのはあるだろ」


「えー、そう?」


「あるか?」


「あるんだよ」


 少しムッとした感じで怜が言い返す。

 その表情に親友二人は少し焦って怜の方を向く。


「あー、ごめんねれーくん。別にからかってるわけじゃないんだけど」


「悪いな。ただそう思っただけだから。まあ確かに怜の言う通り、そういった感じで仲が良くても付き合ってない関係もありっちゃありか」


 気まずそうに言う二人に怜もあっと気が付く。

 別に二人に対して怒って言ったわけではない。

 それを見て怜も少し態度が悪かったと反省する。


「あ、悪い、二人共。別に怒ってるとかそういうわけじゃないから」


 二人に頭を下げる。

 二人はあくまでも怜のことを考えてくれている。

 その二人に対してこんな態度は良くない。


「あ、ううん。こっちこそゴメン」


「ああ。だけどよ、それじゃあ二人はいったいどういう関係なんだ?」


「どういう関係って……」


 恋人ではないのならこれをどう表現するのだろうか。

 その二人の問いに怜は迷わず素直に答える。


「どうって言われても……友人でお隣さんだけど」


「はい」


 怜と桜彩の返事に陸翔と蕾華は首を傾げる。


「いやいや、確かにそれはそうだけどさ。ただの友人やお隣さんってだけじゃないだろ? 少なくとも怜はその程度の相手とこの距離間なんてことは絶対にありえないし」


「まあ、な」


 怜の過去を知っているだけあって、やはりこの二人はその辺りは気になる。

 未だに軽い人間不信を患っている怜がただの友人を家に上げた挙句にプリンを食べさせ合っているなどありえない。


「でも恋人じゃない。かといって普通の友人ってのも違うだろ? だから二人ってどういう関係なんだ?」


「俺と……」


「私の関係……」


 陸翔の言葉に怜と桜彩が顔を見合わせて少し考えこむ。

 これまでは二人は自分達の関係を友人で隣人、少し言葉を付け加えるならかなり仲の良い友人で隣人といったように思っていた。

 しかし陸翔の言葉で自分達について掘り下げて考えてみる。


(俺と桜彩の関係って何だろう……)


(私と怜の関係って何なのかな……)


 恋人ではない。

 これまでに何度か怜と桜彩はお互いのことを友人だと言葉に出して言ってきた。

 しかしこう考えてみると陸翔の言う通り、この関係を友人というのも違う気がする。

 怜にとって、そして転入してきた桜彩にとっても友人と呼べる相手は何人かいる。

 しかしそれはあくまでも友人でしかない。

 怜と桜彩のような深いところでの信頼関係はない、悪く言えば薄い関係だ。


(……となると、親友?)


(……だとすると、親友、かなあ?)


 理屈で考えた場合、近いのはそれだろう。

 しかしどうにも違う気がする。

 怜にとって陸翔と蕾華の二人は間違いなく親友だ。

 しかしそこに桜彩を並べるのは怜にとって違和感がある。

 出会ってからの時間が問題なのではない。

 まだ一か月も経っていないのだが、桜彩に関しては間違いなく陸翔や蕾華と同じように深い信頼関係があると思っている。

 だが、なぜかその二人と桜彩が頭の中で並んでいるイメージがどうしても湧かない。


 一方で、これまで桜彩にとって親友と呼べる相手はいなかった。

 怜と陸翔、蕾華の信頼関係を間近で見て、こういう関係って良いな、これが親友か、などと思うことはあった。

 自惚れかもしれないが、自分と怜はそれに近い信頼関係があると思っている。

 しかしどうしても自分がその二人と並んでいるイメージが湧かない。

 どう説明し良いのか分からず、またお互いの方を見る。

 少し困ったような表情で怜を見上げる桜彩。


(そうか。俺にとって桜彩は大切な相手。うん、そうだよな)


 その桜彩の顔を見て、怜は難しく考えることを止めた。

 そして自分の頭の中にあることを一つ一つ考えながら真剣に口を開く。


「そうだな。確かに恋人でも友人でもない。ちょっと考えたけど、親友ってのも微妙に違うと思う」


 今、自分の頭にあることをそのまま話していく。


「だけどさ、別に友達とか親友とか恋人とか、既存の言葉や関係に当てはめる必要なんてないんじゃないか? 朝起きたらおはようって言って、一緒にご飯を食べて、一緒にリビングで過ごして、一日の終わりにお休みって言って。でもただの友人でも親友でも恋人でもない。言葉で定義出来ない、定義する言葉がない、俺と桜彩だけの特別な関係。俺はそれで良いと思ってる」


 怜の言葉に三人が怜を見る。


「怜……」


 気が付けば少し困っていた表情だった桜彩が笑みを浮かべて怜を見上げていた。


「ありがとう。怜がそういう風に思っていてくれて、とっても嬉しい。うん、私と怜の関係は私と怜だけにしか当てはまらない、表す言葉のない私達だけの特別な関係。とっても素敵なことだと思う」


 穏やかな笑みを浮かべて桜彩がそう言ってくれる。


(良かった。桜彩も同じように想ってくれて)


 その桜彩の言葉を聞いて、自然と怜も笑みを浮かべて桜彩を見返す。

 無言で見つめ合う二人。

 言葉はないが、気持ちが通じ合っていることが分かってとても胸が暖かくなる。


「…………あー、分かった」


「…………うん。ごめんね、変なこと言って」


 逆に気まずかったのか、陸翔と蕾華がそう声を掛けてきたところで怜と桜彩も我に返ってお互いの顔から視線を外す。

 その顔は二人揃って真っ赤に染まっていた。


「はいはい、ご馳走様」


「完全に二人の世界に入ってたよね、今」


「ふ、二人の世界って……」


「そ、そういうのじゃありませんから……!」


 慌てて揃って否定するが、目の前の二人はニヤニヤした笑みを浮かべたままだ。


「でもまあ良かった。怜にオレ達以外にも信用出来る相手が出来て」


「うん。それは確かにね」


 今まで怜が家族以外で信用していた相手といえば、幼馴染で姉の恋人でもあり実質的に兄のような存在の守仁。

 それに目の前の陸翔と蕾華、それに瑠華くらいのだろう。

 それ以外の相手には決して心を開くことはなかった。

 信用という点においてのみ考えれば、陸翔や蕾華の家族のことは信用しているがそれは少し違うだろう。


「ありがと、二人共」


「お礼を言われることじゃねえって」


「うん。ただアタシ達が嬉しいだけだから」


「それが俺にとっても嬉しいんだけどな」


 と、ふとそこまで考えて、怜に一つの考えが思い浮かぶ。


「でも、そうか。友人でも親友でも恋人でもない、しいて既存の言葉から探すなら親友が近いと思ったけど、家族みたいなものでもあるよな」


「え? 家族?」


 聞き返してくる桜彩に頷いて続きを話す。


「二人には隠すことじゃないしもう知ってるから言うけどさ。やっぱりこの一年って寂しかったんだよな。これまでは家族と一緒に暮らしてたから、それがいきなり全員いなくなって一人暮らしを始めて。もちろん二人や瑠華さんには感謝してるけど、でもやっぱり寂しい事には変わりがなかった」


「怜……」


「れーくん……」


「一年間一人暮らししてみて思ったんだ。おはようとおやすみ。この二つを毎日のように言い合えることは素敵なことなんだなって。朝起きたらおはようって言って、一緒にご飯を食べて、一緒にリビングで過ごして、一日の終わりにおやすみって言って。桜彩とそんな家族みたいな毎日を続けたいなって。うん、俺は桜彩と家族みたいになりたいって思ってる」


「か、家族!? そ、それって……!?」


 驚いて怜を見返す桜彩。

 その反応に怜は頭に疑問符を浮かべる。


「え、あ、桜彩は嫌だったか? 俺とそういった関係になるのって?」


 桜彩とは心が通じ合った気がしたのだが、そういうところは違ったようだ。

 悲しそうに俯く怜に慌てて桜彩が口を開く。


「ち、違う、違うから! ただちょっと驚いちゃっただけだから! で、でも家族、家族か……。そ、それって怜が私のことを……。で、でも私まだ十七歳で、怜ももうすぐ十七歳で、家族になるにはまだ後一年以上待たなきゃいけないし、それにまだ両親にも紹介してないし……。あ、お互いのお姉さんには紹介してるから……。で、でもそもそも私まだ了承してないし……。で、でも、怜が相手なら私は……」


「桜彩?」


 小声で何かぶつぶつと呟く桜彩に声を掛ける怜。


「ひゃっ、は、はい! ど、どうか末永くよろしくお願いします!」


「末永く?」


 何やらおかしい返事を返す桜彩。

 一方でそれを聞いていた親友二人がこそこそと話し合っている。


「ねえねえりっくん、どう思う、今の」


「あいつ本当にこういうところ、仲良くなった相手には天然っぷりを発揮するよなあ」


 普段の怜はこのようなことは言わない。

 むしろそこそこに気を張っている為に、発言には充分に気を付けているし、相手の好意にも気が付きやすい。

 ただ、陸翔や蕾華のように気を許せる相手だと飾らない本音がポンポンと出てくる。

 怜のことを良く分かっている二人だからこそその言葉の意味が良く分かるのだが。

 とにかくこのままでは埒が明かない為、二人は助け舟を出すことにする。


「おーい、渡良瀬さーん。帰ってきてー」


「え? えっと……」


 桜彩の目の前で蕾華がパンッと手を打ち鳴らすと、桜彩が混乱から復帰する。


「おいおい怜、家族みたいになりたいって、今のまさかプロポーズか?」


 陸翔は怜がそのような意味で言ったのではないことは充分に理解しているのだが、こうでも言わないと話が進まない。


「えっ……プロ……ポー…………」


 陸翔の言葉で怜も今言った言葉の内容を理解する。

 そして瞬間湯沸かし器のように桜彩と同様に顔が赤くなる。


「ち、違うから、違うから! ただ、今みたいな生活が続けばいいって! ただそれだけだから! …………うぅ」


「えっ……う、うん! 分かってる! か、勘違いなんてしてないから! …………うぅ」


 二人揃って顔を真っ赤にしてテーブルへと倒れてしまう。

 それを陸翔と蕾華は微笑まし気に眺める。


「ま、まあなんだ。とにかくお茶でも飲んで落ち着こうぜ」


「……そ、そうだな」


「う、うん……プリンも残ってるしね」


 陸翔の提案通りに落ち着こうとすっかりぬるくなったハニージンジャーミルクの入ったカップへと手を伸ばす。

 そして余ったプリンを一口食べたのだが、そこで更に蕾華から追い打ちがかかる。


「あれ、それってさっきお互いに食べさせ合ってた方のプリンだよね」


「ッ!!」


「えっ!?」


 怜の前に置かれていたのは先ほど桜彩に『あーん』をしていたプリンとスプーン。

 桜彩の前に置かれていたのは、席を移動するときにそのまま自分の前に持ってきた、先ほど怜に『あーん』をしていたプリンとスプーン。

 つまりお互いに食べさせ合っていたプリンとスプーンを自分の口に運んでいたということで。


「あっ、そ、その……わ、悪い……!」


「う、ううんっ! わ、私も、気が付かなかった……から……」


 目の前のスプーンを眺めながら謝り合う二人。


「そ、それに、私は別に嫌ってわけじゃないし……」


「お、俺も嫌ってわけじゃないけど……」


 そのまま何と言っていいのか分からずに固まってしまう二人。


(これ、さっきまで桜彩が使ってたスプーン……。ど、どうしよう、まだプリン残ってるし……。今からでも交換するか? いや、でももう俺も口に運んじゃったし……)


(これ、さっきまで怜が使ってたスプーン……。ど、どうしよう、まだプリン残ってるし……。今からでも交換した方が良い? いや、でももう私も口に運んじゃったし……)


 目の前のスプーンを見ながらこれからどうしようかと混乱してしまう二人。


「え、えっと……もう、一回使っちゃったし、このまま食べるか? あ、いや、桜彩が嫌だって言うんならちゃんとスプーン洗うけど……」


「え? う、ううん、い、嫌なんてことないよ! わ、私も構わないし……」


「そ、そっか……」


「う、うん……」


「じゃ、じゃあプリン、食べるか」


「そ、そうだね」


 そうは言ったものの、お互い恥ずかしさが残っており手が動かない。

 手に持ったスプーンと相手の顔を視線が行ったり来たりする。


「さ、桜彩。先に食べて良いぞ!」


「れ、怜が先に食べて!」


「……じゃ、じゃあ一緒に食べるか」


「……そ、そうだね。じゃ、じゃあ、せーの!」


 合図と共に二人がプリンを口に運ぶ。

 お互い先ほどまでプリンを相手に食べさせ合っていたスプーンを使って。


「お、美味しいなっ!」


「そ、そうだね! 美味しいね!」


 恥ずかしさをごまかすように大声を上げる二人。


(……恥ずかしくて味なんて分からねえ)


(……恥ずかしくて味なんて分からないよ)


 お互い顔を真っ赤にしながらプリンを食べていく。

 もちろんプリンの味など一切分からない。


「……ねえ、なんでこの二人付き合ってないの?」


「……オレに言われたって分からねえよ。やべえ、八年間親友として付き合ってきて、初めて怜の考えが分からなくなってきた」


 完全に蚊帳の外に置かれている陸翔と蕾華は二人を見ながらそう呟く。

 傍から見れば完全に両想いで甘く初々しい雰囲気を出している怜と桜彩を、なんともいえない目で眺めながらため息を吐いた。

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