第80話 プリンの食べさせ合い、そして予期しない来訪者
「そうだ、怜。おなか空いてない?」
ハニージンジャーミルクを飲み終わった後、思い出したように桜彩が聞いてくる。
思えば昨日からまともに食事を摂った覚えがない。
今日も一日中寝ていた為、そう聞かれるとなんだかおなかが空いてくる。
「そうだな。少し空いてきたかも。夕食作るか」
「あ、ちょっと待って」
ちょっと早いけど夕食の支度にするか、と席を立とうとした怜を慌てて桜彩が止める。
「まだ夕食の準備には早いよ。怜がおなか空いてると思って買って来たから何か食べる?」
「え? そんなことまでしてくれたのか?」
驚く怜に桜彩はゆっくりと首を振る。
「ううん、そんなことなんかじゃないよ。怜は私にとってとても大切な人だから」
そう真摯に告げてくる桜彩に一瞬見とれてしまう。
先ほど落ち着けたばかりの心臓の鼓動が再びドクドクと波打ってくる。
(落ち着け、落ち着け……。桜彩が言っているのはそういう意味じゃない)
必死に勘違いしないように心の中で言い聞かせる。
そんな怜の葛藤を知らない桜彩は冷蔵庫を開けて怜の方に向き直る。
「ヨーグルトとプリンとフルーツ。どれが良い?」
「えっと……そうだな。プリンが食べたい」
「分かった。プリンだね」
そう言って冷蔵庫からさっき買って来たプリンを取り出す桜彩。
怜の分と自分の分の二つを取り出すと台所に向かってスプーンを二つ取ってくる。
「リュミエールで売ってるような物じゃないけど」
「構わないって。そういうのはむしろ元気な時に食べたいから」
「そうだね。それじゃあ今度一緒に食べに行こっか」
「ああ。楽しみだな」
「うん。楽しみ」
自然にリュミエールへと行く約束をしながらプリンの容器から蓋を剝がしていく。
さて、と食べようとしたところで突然桜彩からストップがかかった。
「あ、待って、怜」
「え? 何かあった?」
スプーンを持ったままの体勢で固まってしまう。
すると桜彩はいきなり怜の前に置かれていたプリンを自分の方へと引き寄せた。
「え?」
何をしているの、と聞くより早く、今度は手に持っていたスプーンも奪われてしまう。
「えっと、桜彩? いったいこれは何?」
訳の分からない行動にそう尋ねてみたが、返ってきたのは答えではなかった。
いや、一応答えではあるのだが。
「はい、怜。あーん」
怜のプリンを掬ってそのままこちらへスプーンを差し出してくる。
「いや、ちょっと何!?」
「何って、食べさせてあげるんだよ。ほら怜、お口を開けて」
いきなりのことに焦る怜に対して桜彩はずいずいとスプーンを差し出してくる。
「いや待った! お口開けてって、俺はもう体調大丈夫だし、そもそも昨日から一人で食べることは出来るんだし!」
「遠慮しなくたって良いんだよ」
「いや、遠慮とかじゃないから! ていうか恥ずかしいし!」
「むーっ! 昨日言ったじゃない。ここには私達しかいないんだから別に恥ずかしくたっていいんじゃないかなって」
「そ、それはそうだけど……」
拗ねる桜彩にしどろもどろになりながらそう答える。
よく見ると桜彩の顔も赤くなっており、やはり恥ずかしいのはお互い様らしい。
「それにさ、この前言ったでしょ? 普段お世話になってる分、こんな時くらいは私が怜のお世話をするんだって。だから怜、おねがい」
「う……」
拗ねた表情から一転、甘えるような表情で怜のことを見上げてくる桜彩。
そんな桜彩に対して怜は頷く以外の選択肢はなかった。
「それじゃあ怜、あーん」
「あーん……」
顔を赤くしながら差し出されたスプーンに口を差し出す。
しかし相変わらず恥ずかしさで味が良く分からない。
「ふふっ」
プリンを食べる怜を嬉しそうに眺める桜彩。
再びプリンを掬ってこちらへと差し出してくれる。
「はい、あーん」
再び口を差し出そうとしたところで、桜彩の前に置かれているプリンとスプーンが怜の目に入る。
(…………そうか、なら)
「怜? 食べてくれないの?」
スプーンを差し出したまま不思議そうに眺めてくる桜彩。
怜はその前に置かれているプリンとスプーンを取って、逆に桜彩に差し出す。
「桜彩、あーん」
「えっ!?」
まさか反撃されるとは思っていなかった桜彩が驚いたように目を丸くする。
「俺ばっかり食べさせてもらうのも悪いからな……」
照れて赤くなった顔を恥ずかしさで横に向けながら、桜彩に対してそう告げる。
自分一人がされるのなら恥ずかしいが、お互いに食べさせ合うことになれば恥ずかしさも半減するだろう。
これで桜彩にも自分の気持ちが少しは分かってくれるかもしれない。
「え? で、でも、私は別に元気だし……」
「俺だってもう元気だ。だから桜彩が食べてくれないと俺も食べないぞ……」
そのまま少しの間、二人で見つめ合う。
そして意を決して桜彩が口を開く。
「じゃ、じゃあお互いに、だね……あーん」
「あーん」
二人でお互いに差し出されたプリンを食べる。
これまで赤かった二人の顔がさらに真っ赤になって、恥ずかしさから思わず二人共下を向いてしまう。
「な……なんか、思ったより、恥ずかしかった」
「あ、ああ。分かってくれたか……」
自分がされる側になって、桜彩もようやく怜の言っていた恥ずかしさを理解した。
もっとも怜の方も昨日から食べさせられてばかりの為、ここにきて食べさせる側の恥ずかしさというものが良く分かったのだが。
「で、でもね……さっきも言った通り、ここには私達しかいないから……」
「そ、そうだな……」
二人揃って頷いて再びプリンを掬う。
「じゃあはい。怜、あーん……」
「さ、桜彩も、あーん……」
お互いに差し出されたそれに口を伸ばそうとする。
(た、確かに恥ずかしいけど、今は俺と桜彩の二人だけだ! 誰に見られてるわけでもない!)
と思いながら怜が差し出されたプリンを口に含んだところで、ふとリビングの扉が開いていることに気が付いた。
先ほど自分が洗面所から戻って来た時にはちゃんと閉めていたはず。
自分の記憶違いかとそのまま視線をその奥に向ければ――
「……………………」
「……………………」
怜の瞳に映ったのは美男美女の二人組。
ここにいるはずのない、しかしいてもおかしくない親友二人が目を丸くして怜と桜彩のことを呆然と眺めていた。
狐に包まれたような、という表現は今この時の為にあるのかもしれない、などと場違いなことを考えてしまう。
そして現在の状況を理解して
「――ッ!!」
「怜? どうしたの?」
驚いたような表情のまま、いまだに口を閉じたままスプーンを放さない怜に首を傾げながら桜彩が聞いてくる。
ちなみに陸翔と蕾華は桜彩の後ろ姿しか見えていない。
今、この瞬間までは。
怜が質問に答えないで自分の後ろに視線を向けていることに気が付いた桜彩も、怜の視線を追って後ろを振り返る。
そこで怜が見ていた光景が、桜彩の視界にも入ってくる。
当然、陸翔と蕾華も怜の正面に座っていた相手を桜彩だと認識する。
「え……………………?」
まだ理解が追いついていない桜彩が間の抜けた声を漏らす。
一方で陸翔と蕾華の二人も桜彩の姿を見て驚いた。
怜は女子にはモテるし告白もされているのだが、今に至るまでその全てを断っている。
いや、少なくとも断っていたと二人は信じていた。
そんな女っ気など一切なかった怜が、同級生の女子と仲良くプリンを食べさせ合っている。
ただでさえ信じられない光景を見た二人だったのだが、更に信じられない相手に驚きが限界突破する。
「…………く、クーさん?」
「…………わ、渡良瀬さん?」
驚きでそれしか言葉が出てこない。
しばしの間、リビングを沈黙が支配する。
そして徐々に脳がこの状況を認識し始める。
「「え…………えええええええええええええっ!?」」
怜の部屋に、親友二人の叫び声が響き渡った。
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