第78話 寝ている怜にイタズラを

「…………」


 買い物から戻るとすぐに私服に着替えて怜の部屋を訪れようとしたのだが、玄関の前で固まってしまう桜彩。

 その手にはキーホルダーの付いた鍵が握られている。

 自分の部屋の鍵に付いている物とお揃いのキーホルダー。

 朝、登校時に鍵を掛けた時にはあまり意識していなかったのだが、今のこの状況は合い鍵を預かっているようで緊張してしまう。

 しかしいつまでも立ち尽くしているわけにもいかないので、意を決して鍵を鍵穴へと差し込んだ。


「えいっ!」


 小さく声を上げながら差し込んで回すと当たり前だが鍵が開く。


「えっと……おじゃましまーす……」


 小さな声でそう断りながらドアを開ける。

 普段、怜の部屋に入る時はインターホンやスマホで怜に確認を取ってから入るのが日課となっているのだが、今回に関してはもし怜が寝ていた場合に起こしてしまうかもしれない。

 そんなわけで朝に預かった鍵で入ったのだが、家主の許可なく部屋へと入るのはどうにも緊張してしまう。

 桜彩の言葉に返答はなく室内は静まり返っている為、部屋の中に入り玄関の扉を閉める。

 そのまま怜を起こさないようにそろりそろりと慎重に寝室の前まで移動する。


「怜、入るよ?」


 まだ寝ているのだろうが一応確認してからドアを開けると、やはり怜はベッドの上で寝息を立てていた。

 どうやら熱も引いてきたのか顔色は良く、苦しんでいる様子もなく穏やかな表情で寝ている。


(怜、朝よりも調子が良さそう。良かったあ……)


 ひとまず調子が良さそうな怜を見て桜彩も一安心して安堵の表情を浮かべる。


「う……ん……」


 すると怜が軽く寝返りを打ったので、掛布団が少しはだけてしまう。


(あっ……)


 その姿を見た桜彩が一瞬ぽかんとしてしまう。

 今の怜は桜彩が出て行った後に持ってきた猫のぬいぐるみを抱きながら寝ている状態だ。

 その怜の姿に驚いたのも一瞬のことで、すぐに桜彩は寝ている怜に優しい笑顔を向ける。


(猫のぬいぐるみなんて抱いちゃって。怜、可愛い!)


 そしてポケットからスマホを取り出して、怜の姿を納めようとする。


(あっ、でもさすがに寝ている怜を撮るのはまずいかな? でもでも、竜崎さんも怜の写真を撮ってたみたいだし……。それにこの前のカラオケでは怜も私のことをいきなり撮ってきたし……。そ、そうだよね、怜が起きた後でちゃんと断われば良いよね?)


 悪いとは思いつつも先日のカラオケで写真を撮られたことを思い出して自分の行為を正当化する。


 パシャ


(ふふっ、本当に可愛いなあ)


 写真を確認して満足そうに頷く。

 昨日から見せる怜の可愛らしさに、桜彩はつい無意識に怜の頭に手を伸ばしてしまう。


「ふ……ぅ……」


 頭を撫でると怜が安心したような声を出す。

 表情は緩み切っており、まるで先日訪れた猫カフェの猫を撫でているみたいだ。

 さらさらとした髪の感触がなんだか気持ち良い。

 触れている個所から怜の体温が伝わってくる。

 まるで怜のぬくもりに触れているような感覚に陥ってしまいそうだ。

 気持ち良さそうに頭を撫でられている怜を見て嬉しそうに桜彩は頭を撫で続ける。


「ふふっ、気持ち良さそう。怜、いつもありがとうね」


 頭を撫でながら、桜彩は怜と出会ってからのことをゆっくりと思い出す。

 出会ってからずっと自分の横で手を伸ばしてくれた。

 そんな頼りになる怜が、今は年相応のあどけなさを浮かべながらゆっくりと眠りについている。

 そのギャップをなんだかおかしく感じてしまい、桜彩はついふふっ、と笑ってしまう。


「お布団掛けてあげるね」


 はだけられた布団を怜に掛けようと、頭を撫でる手をそっと離す。


「んぅ……」


「怜……?」


 すると怜の表情がなんだか曇ったように感じてしまい、桜彩の手が止まる。

 再び怜の頭に手を伸ばして撫でると先ほどと同じように安心したような表情に戻る。

 すると怜がいきなり手を伸ばして、頭を撫でる桜彩の手を掴んできた。

 いきなりのことに桜彩の顔が驚きに染まる。


(か……可愛すぎるっ……!)


 そのまま桜彩の手を持って自分の頭に押し付けるようにする怜。


「ちょっとだけ待っててね」


 小声でそう断ってから自分の手を掴む怜の手をそっと離して布団をかけ直す。

 それを終えるとまた怜の頭に手を伸ばして撫でる。


「ふふっ。可愛いなあ」


 あまりの可愛さに頭を撫でる手を一度離して、人差し指で怜の頬をぷにっと押してみる。


「ふゅ……」


 良く分からないような声をあげるが、すぐに気持ち良さそうな表情をする。


(ほっぺた、柔らかい。ふふっ)


 そのままぷにぷにと頬を押して怜の寝顔を堪能する。

 すると先ほどと同じように怜が手を掴んでくる。


(ふふっ。まるで猫さんみたい。良いよ、もっとしてあげるね)


 いつもは頼りになる怜がこんなにも無防備な姿を見せて、寝ぼけているとはいえ甘えてくれている。

 その事実に桜彩は嬉しそうに怜の頬や頭を撫で続けた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ふぁ…………」


 頬や頭を触られているような感触で目が覚める。

 寝る前まであった頭痛は消えており、どうやら体調は良くなったようだ。

 頬や頭に触れているものが何かは分からないのだが、とても気持ちが良い。

 そのまま再び眠りにつきたい、そんな安心感も感じられる。


「あ、おはよう、怜」


「ん……おはよう……」


 怜が目を覚ましたことに気が付いた桜彩が声を掛けてきたので寝ぼけた頭でそれに答える。

 徐々に頭も覚醒してきたのか状況を理解していく。

 目に映るのは飛び切りの美少女。

 その美少女がベッドの脇にある椅子に座って片手をこちらへと伸ばしている。


「桜彩……?」


「うん」


 相手の名前を呼ぶと優しく返事を返してくれる。

 そこで怜は自分が何かを握っていることに気が付いた。

 加速度的に脳が覚醒していく。

 自分が持っているのは間違いなく桜彩の手であって、今頭に触れているのは……。


「さ、桜彩!?」


「うん。おはよう、怜」


 慌てて桜彩の手を離してベッドから上半身を起こした怜に、桜彩は再びおはようと答える。

 しかし怜にとってはそれどころではない。


「体調はどう? 見たところ顔色も良くなってきてるけど」


「あ……そ、そうだな。うん、もういつも通り、だけど……」


 体調はもう問題ないのでそう答えるが、今自分がしていたことを理解して語尾が歯切れ悪くなってしまう。


「そう。それなら良かった」


 にっこりと笑いながら答える桜彩。


「あ、あの……桜彩……? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「え? 何?」


 キョトンとした顔でそう答える桜彩に意を決して聞いてみる。


「えっと、俺、寝てる時に……桜彩の手を掴んでた……?」


「うん。私が頭を撫でてたら怜が気持ち良さそうにしながらぎゅって」


 いつも通りの笑顔を浮かべながら桜彩がそう答える。

 その返答に怜の顔が赤くなってしまう。


「わ、悪い!」


「え? なんで謝るの?」


 怜の言葉に再び桜彩がキョトンとした顔で訪ねてくる。


「い、いや、だって……無意識に桜彩の手を握っちゃって……」


「ああ、そんなこと。別に私は嫌じゃなかったよ。むしろ怜の可愛いところが見れて嬉しかったから」


「ッ!!」


 先ほどまでよりもさらに顔を赤くしてしまう。

 いったい自分は寝ている時に何をしてしまったのか。


「か……可愛いって……何……?」


「ふふっ。私が頭を撫でてる時に気持ち良さそうにしたり。それにぬいぐるみと一緒に寝たりしてるところ。ほら」


 先ほど撮った怜の写真を見せてくる。

 そういえば猫のぬいぐるみを抱いて寝ていたのを思い出した。

 視線を自分の体に向ければもう片方の手でしっかりと猫のぬいぐるみを掴んでいる。


「ってこれ……」


 紛う事なき自分の寝顔。

 しかも思いっきりぬいぐるみを抱きしめている姿が写っている。


「あ、ごめんね。怜の寝顔があんまりにも可愛かったから。あ、もちろん怜が嫌だって言うんなら消すけど」


 少し残念そうに言ってくる桜彩に対して言葉が出てこない。


「怜、どうかした? なんか顔が赤くなってきたよ? もしかして、まだ熱でもあるの?」


 心配そうに桜彩が怜の額に手を伸ばしてくる。


「だ、大丈夫、大丈夫だから! もう熱は下がってるから!」


「え、そう? でも顔赤いよ? 無理してない?」


「大丈夫! 無理なんてしてない!」


 桜彩の手から逃れるようにして慌てて体を引く。

 しかし桜彩はその行動が不満なのか頬を膨らませてムッとする。


「ちょっと怜! 本当に大丈夫なの!?」


「ほ、本当に大丈夫だって! うん! 今から熱測るから!」


 大慌てで体温計を掴んで服の裾から脇に挟む。

 もちろん朝の失態を考慮して、なるべく裾をまくらずに。

 測り終えた体温計をまだ疑わし気にしている桜彩に見せて、そこでようやく桜彩も怜の言葉を信じてくれた。


「確かに熱はないけど……。でもいつもと様子が違う気がする」


「ね、寝起きだからだって。ちょっと顔洗ってくる」


 まだ疑わしげな視線を向けてくる桜彩にそう言って、恥ずかしさから素早く寝室を飛び出して洗面所へと向かった。

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