第77話 怜のいない朝の教室での一幕

『熱出たから休む』


 桜彩が登校した後で怜は陸翔と蕾華のグループメッセージにそう打ち込むとすぐに返信が返ってきた。


『大丈夫なの?』


『具合は?』


『昨日は38.5℃でかなりやばかった 今日は37.6℃ 今日一日休めば多分回復する』


『分かった お大事に』


『ゆっくり休めよ』


『ありがと この後寝るからマナーモードにする 返信出来ないかも』


『了解』


『OK』


 二人とメッセージのやり取りをした後、担任の瑠華へと電話を掛ける。

 数回のコールの後、すぐに相手の声が聞こえてきた。


『もしもし、れーくんどーしたの? こんな朝早くから』


「今日、体調不良で休みます」


『えっ!? ちょっとれーくん大丈夫!? 一人暮らしなのに無理してない?』


 普段がアレなのだが基本的に怜にとっての瑠華は良い大人であり良い先生だ。

 本人が自称するように怜にとって第二の姉ともいえる。


「大丈夫ですよ。昨日に比べてだいぶ良くなってるので。今日一日ゆっくり休めば回復します」


『本当に? れーくんいつもみたいに無理しちゃだめだよ。そんなことしたらせんせー怒っちゃうからね』


「分かってますって。体調悪い時に無理なんてしませんよ」


 既に桜彩に怒られたことは秘密にしておこうと決める。

 まあ桜彩との関係が内緒である為、言う機会もないのだが。


『それじゃあねー。お大事に』


 それだけ言って電話が切られる。

 桜彩だけではなく三人共自分のことを心配してくれているのを嬉しく感じる。

 なんだかんだで優しい三人をありがたく思いながら、スマホを枕元に置いて苦笑する。

 とりあえずはこの三人に連絡をしておけば問題ないだろう。

 ベッドに倒れて目を瞑ると途端に部屋の中が静かになる。

 時折外から車の音が聞こえたりしてくる程度で、それも全て別世界のような感じがする。


(…………なんか、静かだな)


 ここに自分一人しかいないことに寂しさを感じた怜は、一度ベッドから降りて棚の方へと向かう。

 棚の前に立つとそこにあった猫のぬいぐるみを掴んで再びベッドへと戻る。


(…………寝るか)


 そしてぬいぐるみを抱いたまま、みんなの言う通り安静にしていようとゆっくりと瞼を閉じた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「おはよ、渡良瀬さん」


「はよー、クーさん」


「おはようございます」


 登校してきた陸翔と蕾華は後ろの席の桜彩に軽く挨拶しながら席に着く。

 鞄の中身を片付けた後、スマホを開いて登校前に来たメッセージに目を向ける。


「れーくん休みかあ」


「だな。まあ最近少し暖かくなってきたし季節の変わり目っちゃ変わり目か」


「そうだよねー。れーくんあれで体強いってわけじゃないから」


 アパートに残してきた怜のことを考えながら、二人の側で予習をしている桜彩の耳に陸翔と蕾華の話している声が届く。

 怜と出会って日の浅い桜彩は知らないが、怜は病弱とまではいわないものの季節の変わり目で体を壊すことがそこそこあった。

 八年間の付き合いである二人はそのことをよく理解している。


(怜……大丈夫かな……?)


 ただでさえ怜のことが心配なのに、そこに二人の会話に意識を向けると予習に全く身が入らない桜彩。

 一方で怜と桜彩の関係を知らない二人はそのまま話を続ける。


「一人暮らしなのに大丈夫かな?」


「まあもう熱が下がってきたって言ってるから大丈夫だろ。それよりも昨日だろ、昨日。熱があるんだったら素直に呼んでくれりゃあ行くのにな」


「ホントだよね。まあれーくんのことだから気を遣ったんだろうけど」


「つっても38.5℃って正直かなりきついだろ。飯とかどうしたんだろうな?」


「栄養補給ゼリーとか食べたんじゃない? 確かれーくんの家にあったでしょ?」


「そういやあったな。まああいつのことだからヨーグルトとか冷蔵庫の中に入っててもおかしくないか」


「だよねー。ま、とりあえず熱は下がってきたってことだから一安心だけど」


 桜彩が看病していたことを知らない二人は素直に怜の心配をする。

 その言葉に桜彩は少しだけ二人に対して申し訳なく思ってしまう。


「でもさー、弱ってる時のれーくんってちょっと可愛いよね」


「だな。普段と結構違うからな」


(うん。確かに)


 二人の会話の内容に頭の中で相槌を打つ桜彩。


「あれだけ普段しっかりしてるのにいつもとは逆に甘えモードみたいな感じになるしね」


「ああ。そのギャップが面白いんだけど」


「うんうん。あの時のれーくんの寝顔、可愛すぎてつい写真に撮っちゃったしね」


「だよな。それを知った後の怜も結構慌ててたけど、消せって言われなくて良かったぜ。あ、ちょっとその時の写真見せてくれ。話してたらまた見たくなった」


「うん。……やっぱり可愛いなあ」


 当時の写真を見ながら盛り上がる二人。


(そうなんだよね。いつもしっかりしてる怜が『隣にいて』って甘えてくるのって凄く可愛かったし)


 昨日のことを思い出すと、つい顔がにやけてしまう。

 二人の言う通り、普段と違って甘えてくる怜はそのギャップもあってとても可愛かった。


(あの怜が風邪の時しか見れないのは残念だな。普段からもっと甘えてくれても良いのに)


 桜彩としてはいつもの怜も素敵なのだが、昨日の怜もそれはそれで好印象であった。


(でも、やっぱり二人も甘えてくるモードの怜のことを知ってるんだ)


 聞こえてくる会話の内容に、桜彩は少し不満気な顔をする。

 二人が甘えモードの怜を知っていることは少し残念だ。

 自分だけに甘えてくれる怜、というのも少し嬉しかったのだが。

 もちろん陸翔と蕾華が怜の親友であることは分かっている。

 あの怜についても知っているとは思ったのだが、それでもあの可愛い怜を独り占めしたいな、という欲求は少しあった。

 そんなことを考えていると、陸翔と蕾華の会話に更に一人分の新しい声が入ってくるのが分かる。


「え? なになに、きょーかんって今日休みなの?」


 どうやら話を聞きつけた奏が二人の間に入ってきたようだ。

 奏の問いに蕾華は頷きながら


「うん。さっきメッセが送られてきた。でも回復に向かってるみたいだから明日は多分来るんじゃない?」


「そっかー。それでそれで? きょーかんが風邪の時に可愛くなるってマジ?」


「うん、マジ。奏も見たら驚くと思うよ」


「え? マジで? 見たい見たい。きょーかんの様子、見に行きたいなー」


「やめとけって。そもそもお前、あいつの家知らねえだろ?」


「そーなんだよねー。つっても二人共教えてくれないっしょ?」


「そりゃあな。さすがにあいつが教えようとしない以上、オレ達が教えることはないな」


「だよねー」


 肩を落としながら苦笑する奏。

 どうやらそこまで本気で言っていたわけではないようだ。

 それに怜はそもそも友達であっても線を引いているし、住んでいる場所を教えたのは生徒の中では陸翔と蕾華の親友二人だけである。


「それはそうとしてさ、きょーかんってどんな風に可愛くなるの?」


「うーん、普段よりも甘えてくるっていうのかな?」


「そうだな。前に風邪になった時に『何か欲しい物あるか』って聞いたらベッドの上で『ハニージンジャーミルク飲みたい』って言ったり」


「そうそう。普段だったら絶対にそんなこと言わないで自分で作るんだけどね」


「しかも言い方も可愛かったぜ。掛布団から顔を半分くらい出して顔を赤くしながらボソッと」


「え、何それ。超可愛いじゃん」


 甘えモードの怜について盛り上がる三人。


(ハニージンジャーミルク?)


 何のことかとスマホを取り出して調べようとしたところで教室前方のドアが開く。


「はーいみんなー、着席着席!」


 いつの間にかホームルームの開始時刻になっていたようで瑠華が教室に入って来た。

 自然とクラス内が静かになっていく。

 出席してきた生徒全員が席に着いたところで瑠華が口を開く。


「それじゃあ出席。れーくん……光瀬君が風邪で休んでる以外は全員いるよね?」


 クラス中を見回してからそう確認する瑠華。

 その言葉に怜の休みを知らなかった一部の生徒が首を傾げる。


「はい、それじゃあホームルーム始めるよー」


 それ以上詳しく説明せずに、瑠華はホームルームを開始した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



(えっと、ヨーグルトとかプリンだよね)


 少しでも早く怜の様子を確認したかったことは確かだが、怜が起きた時に何か足りない物があったら良くはない。

 そんなわけでアパートへと帰る前に桜彩はそのまま近所のスーパーへと立ち寄った。


(後は……フルーツとかも良いんだっけ……? うーん、缶詰の方が良いのかなあ?)


 休み時間にスマホで調べた食べ物を一つ一つ手に取って吟味しながらカゴに入れていく。


(そうそう。ハニージンジャーミルクだっけ。はちみつと牛乳は確かあったけど、一応買っておこう。後はショウガか)


 朝、陸翔が話していたのを思い出す。

 怜が前回風邪を引いた時に飲みたいと言っていた物を作ってもいいだろう。

 スマホで調べてみたところ、簡単に作れそうなものだった。


(それと……明日の朝ご飯も必要だよね……卵はまだあったから……)


 普段の献立は完全に怜に頼り切っている為に、桜彩が自分で決めた経験はない。


(うーん、献立一つ考えるのも結構大変なんだなあ)


 そんなことを考えながら、桜彩は急いで買い物を終わらせた。

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