第76話 二人で迎えた朝と、クールさんの暴走② ~ベッドの上の二人~

 身支度の為に桜彩は一度自宅へと帰ったので、怜も同様に顔を洗ったりと朝のルーチンをこなしていく。

 もちろん朝のランニングを除いてだが。

 少しして再び桜彩が怜の部屋を訪れたので、朝食の準備に取り掛かろうとする。 


「それじゃあ朝食にするか」


「ちょっと待って。怜、まさか料理をしようなんて考えてないよね……?」


 怜の言葉に桜彩が訝し気な視線を向けてくる。


「いや、料理くらいなら大丈夫だって。さっきも言ったけど昨日よりはだいぶましなんだから……」


「絶対駄目!」


 言葉の途中で桜彩が目を吊り上げるようにして睨みつけてくる。

 怖いのは怖いのだが、容姿も相まって少し可愛らしい。


「そういうのが悪化の原因になるんだからね! 病人さんは大人しく寝てて!」


「……はい」


 可愛らしいとはいえ桜彩の迫力にはそう頷くしかない。

 少し怒った桜彩に背中を押されてベッドの方へと押し戻される。

 そのまま桜彩は怜をベッドに倒して掛け布団を掛ける。

 そして怜が大人しく横になったところでやれやれと言ったように少し安心した表情へと変わる。


「もう……。怜がそんな調子じゃあ私も学校休んで看病しようかな……」


「いや、それはダメだろ」


 さすがに桜彩を休ませるわけにはいかない。

 桜彩も怜がそう言うのを分かっていたのか


「それなら今日は絶対に安静だからね。分かった?」


 小さい子に優しく言い聞かせるような口調で叱ってくる。


「分かりました……」


「これ以上無理するようなら私も本当に休むからね」


「分かった。本当に安静にするから」


「うん。よろしい」


 大人しくベッドの中で答える怜に桜彩は満足そうに胸を張って頷く。

 人に迷惑を掛けることを好まない怜ならば、このように言えば折れるだろうと思ったのだが、効果覿面こうかてきめんのようだ。


「何か食べる? そういえば非常食でお粥があったよね」


 怜の家には非常用キットが用意してあり、桜彩もそれを知っている。

 当然非常食も入っており、その中に水を入れて作るお粥があったことを思い出す。


「いや、ゼリー飲料の方が良いな」


「分かった。それじゃあ取ってくるね」


「ありがと」


 桜彩が自室を出て行ったところで入口を見ながら一息つく。


(昨日から世話になりっぱなしだな……)



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 しばらくして桜彩がゼリー飲料を持ってきてくれたのでそれを飲む。

 隣では桜彩が固形スティックタイプの栄養補助食品とコーヒーで朝食を摂っている。

 普段、ちゃんとした朝食を作って食べている二人には考えられない光景だ。


「ありがと、桜彩」


「ううん、気にしないで」


 飲み終わったゼリー飲料の容器を桜彩に渡すとベッドの横の椅子に座っている桜彩が笑顔で受け取ってくれる。

 いつにもましてその笑顔が素敵に思える。

 そんな素敵な笑顔を見せてくれるのが家族を除けば自分だけ、という事実に少し優越感を感じてしまう。


(でも……誰かが隣にいてくれるだけでこんなに嬉しいものなんだな……。それに、昨日からずっと助けてくれて……)


 昨日から世話になってばかりだ。

 大切な相手が自分を心配してくれている。

 それが本当に嬉しい。


「昨日から本当にありがとな、桜彩」


「だから気にしないで良いってば。それよりもさ、私だって怜が昨日みたいに甘えてくれるの、嬉しかったから」


「甘えてって……あっ!」


 そこで怜は昨日自分が言った言葉を思い出す。


『ごめん、やっぱりもう少し……ここにいて、桜彩……』


『ありがと。俺もさ、桜彩がいてくれないと駄目になってきてるのかも……』


『うん……。もっと撫でてくれれば……』


「ッ……!!」


 体が弱っており心細くなっていたせいか、普段は絶対に言わないようなことを言ってしまった。

 思い出すだけで顔から火が出るほど恥ずかしい。

 思わず掛け布団で顔を覆い隠してしまう。


「怜……?」


 急に顔を隠してしまった怜に対し、桜彩が不思議そうな顔をする。

 一方でで怜は顔の上まで上げた掛け布団をプルプルと握り締めて、桜彩から顔が見えないように隠す。

 桜彩としてはそれが不満なのか、先ほどまでの笑顔が一転、ムッとしてしまう。


「むーっ! ちょっと怜、どうしたの!? ほら、布団を下げて!」


「ちょ、ちょっと待って……」


「待たない! ほら、顔を見せて!」


 そう言いながら掛け布団に手を掛けて強引にはがそうとする桜彩。

 怜としても今の状態で顔を見られたくはないので、必死に布団を掴んで抵抗する。

 単純な力関係なら怜が桜彩に後れを取ることなどはないのだが、寝ている状態の怜よりも立って布団を取ろうとする桜彩の方が効率の良い力の使い方が出来る。

 結果、二人の力は均衡して、更に桜彩が力を入れて布団を剥がそうとしたところでそれは訪れた。


「きゃっ!」


「わっ!」


 ぼふっ


 バランスを崩した桜彩が足を滑らせて、そのまま怜が横になっているベッドの方へと倒れてしまう。

 不幸中の幸いか桜彩は怜の上に直接倒れることはなく、怜の横にうつぶせに倒れる。

 それまで顔を隠そうとしていた怜も、慌てて布団を取り払って桜彩の方を確認する。


「だ、大丈夫か!?」


「う、うん……ベッドが柔らかかったから……」


 そう言いながら桜彩は声の方へと顔を向けると、超が付くほどの至近距離に怜の顔があった。

 どちらかが少しでも動けば触れ合ってしまいそうな距離。

 お互いに一瞬で顔が赤くなってしまう。


「……………………………………………………………………………………」


「……………………………………………………………………………………」


 少しの沈黙。

 そしてこの状況を理解した桜彩が勢いよくベッドから離れる。


「ご……ごめんっ!」


「あ、い、いや、俺の方こそ……」


 二人とも恥ずかしさでお互いの顔を正面から見ることが出来ずに逆方向を向きながら謝り合う。

 

(び、びっくりしたあ! れ、怜の顔があんなに近くに……!)


(お、驚いたなあ。桜彩の顔があんなに近くに……!)


 そのまま二人はお互いに背を向けたまま、速くなった心臓の鼓動を収めようと努力した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 二人ともある程度落ち着いたところで、先ほどの行動について桜彩が聞いてくる。


「それで怜、さっきは何で布団をかぶって顔を隠したの?」


「なんでって言われても、その……」


「む……」


 怜の返事に明らかに不満そうな表情をする桜彩。

 それを見て怜も観念して正直に告げる。


「その、な…………は、恥ずかしかったから…………」


「え?」


 恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらの怜が答える。

 しかし後半部分は声が小さく、桜彩には何と言ったのか良く聞こえなかった。


「き、昨日のことを思い出して、恥ずかしくなって……。なんかいつもと違ってもの凄く甘えちゃったっていうか……。あの、桜彩……。その……昨日、俺が言ったこと、忘れてもらえるか……?」


 そうお願いするが、桜彩は一瞬ポカンとした後ゆっくりと首を横に振る。


「ううん、ダメ」


「えっ……」


 そう答えながらいたずらっぽく怜に微笑みかけてくる桜彩。


「だってさ、それも私と怜の大切な思い出なんだから忘れるのは嫌だな。怜は私との思い出、忘れられちゃっても良いの?」


「う……」


 思わず言葉に詰まってしまう。

 そんな風に言われては断ることなど出来ない。

 にっこりと笑う桜彩に両手を上げて降参のポーズを示す。


「分かったよ。確かに俺も桜彩との大切な思い出は忘れたり、忘れられたりしたくはないからな」


「ふふっ、ありがと。怜ならそう言ってくれるって信じてたよ」


「そりゃまあな」


 恥ずかしさから頬を掻きながら明後日の方を見て答える。

 とそこで怜もふとあることに気が付いた。


「だけどさ、そこまで言うんなら、さっきの桜彩の失態も覚えておいても良いんだよな?」


「え?」


 拗ねたような口調で怜が桜彩に言う。


「あ、あの、さっきの失態って……?」


「言わなくても分かるだろ?」


 先ほど怜の身体を見た後に大きく慌ててしまったこと。

 怜の布団を剥ぎ取ろうとして、怜のベッドに倒れてしまったこと。

 それを思い出して、桜彩が顔を赤くする。


「ちょ、ちょっとそれは……!」


「だってそうだろ? あれだって俺と桜彩の大切な思い出には変わりないんだからさ」


「う……。で、でも…………」


 先ほど自分行ったことをそのまま返されて口ごもる桜彩。

 

「わ……分かった。確かにあれだって私と怜の大切な思い出だからね」


「ああ。二人だけの大切な思い出だからな」


「うんっ!」


 いつもと違って子供っぽい仕草をする怜の様子を桜彩がくすくすとおかしそうに笑いながら楽しんでいた。

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