第74話 クールさんと二人、同じ部屋で一晩を ~クールさんに甘えたい~

 すっかりと太陽が沈んで部屋の中が暗くなる。


「ん……」


 再び眠りから覚めた怜が目を開けると、ベッドの横に桜彩が座っていた。


「あ、怜、起きたの?」


 怜が目を覚ましたことに気が付いて桜彩が声を掛けてくる。


「うん……」


 まだ頭痛が治っていない為に弱々しく頷く。


「えっと、今何時?」


「今? 午後七時くらいだよ」


「え……?」


 普段なら夕食の準備を始めている時間である。

 思った以上に随分と眠ってしまったようだ。


「怜、おなかは空いてない? 何か食べる?」


「……うん。少し」


「分かった。スープを温めてくるから少し待っててね」


 そう言って桜彩は怜の自室を出ていく。


(ずっと、隣にいてくれたのか……)


 風邪で辛いのに心が温かくなっていく。

 その温かさを心地好く感じていると、お盆の上にスープの入ったカップを乗せた桜彩が入ってくる。


「電気点けるね」


 机の上にお盆を置いてから部屋の電気を点けてくれる。

 暗闇に目が慣れてしまったので少し眩しい。


「ごめんな、桜彩」


「え?」


「ずっと隣にいてくれたんだろ?」


 そう言うと桜彩はふふっと笑って怜の頭を優しく撫でる。


「構わないよ。私がここにいたかったんだから」


「そっか、ありがと。でも暇じゃなかったか?」


 考えるべきはそこではないのだが、うまく働かない頭ではまだ物事をよく考えられない。


「ううん。ノートパソコンとイヤホン持ってきたから平気だよ」


 机の上を見てみると、スープの乗ったお盆の他に桜彩に貸しているノートパソコンが置かれていた。

 おそらくそれで時間を潰していたのだろう。


「気にしないでね。それじゃあ怜、あーん」


 恥ずかしげな顔で桜彩がスプーンを差し出してくる。

 朝と同様に食べさせてくれるということだろう。


「ん……」


 一方で怜はまだ頭が働いていない為、素直に口を開けてそれを受け入れる。


「ごめんね。お粥とか他に何か作れれば良かったんだけど」


「いや、大丈夫。これだけで充分」


 そう言って桜彩にスープを食べさせてもらう。

 スープがなくなると栄養ドリンクを飲んで薬を水で流し込む。


「ご馳走様。ありがとな」


「だから気にしなくていいって」


 楽しそうにスープの入っていた器をお盆の上に乗せる桜彩。


「怜、他に何かしてほしいことはある?」


「いや、特にないかな。ありがとう」


 桜彩の質問に答えながら、そこでふと服がベタついていることに気が付く。

 部屋の中を温かくして、かつ布団の中に入って温まっていた為に、どうやら寝ている間に少し汗をかいていたようだ。

 もう一度このまま寝るのは少し嫌なのでベッドから降りようと怜が体を起こす。


「怜? どうかしたの?」


「ん……。寝てる間に結構汗をかいたからシャワーを浴びようと思って」


 寝間着代わりにしているトレーニングウェアを摘まみながら少し恥ずかしそうにそう答える。

 気心の知れた相手とはいえ、汗をかいた状態で側にいられるのは少し抵抗がある。


「え、汗?」


「ああ」


 そこで桜彩は先程調べた看病について思い出す。


『体を拭いてあげる』


 その項目を思い出して桜彩の顔が真っ赤になる。


(え……えっと、確か汗で濡れた体を拭いてあげると嬉しいって……。そ、それに今の怜が一人でシャワーを浴びるのはまだ辛いだろうし……)


「桜彩?」


 急に固まってしまった桜彩に怜が首を傾ける。

 すると桜彩は顔を赤くしてとんでもないことを聞いてきた。


「え、ええっと、その……怜、体、拭いてあげた方が良い……?」


「えっ!?」


 いくら頭が働いていない怜でもそれはさすがに驚く。

 恋人でもない年頃の異性に頼めるようなものではない。


「さ……桜彩……?」


「そ、その……ね……。看病について調べてたら体を拭いてあげるのも良いって書いてあったから……」


「い、いや、大丈夫! シャワー浴びてくるから!」


 恥ずかし気にそう告げてくる桜彩に怜は大声で答える。

 そこで桜彩が少し正気を取り戻したのか、何か考えるような表情をする。

 そして


「あ……ああっ……!」


 勢いに任せて自分が何を言ったのかようやく気が付いて真っ赤な顔を両手で覆い隠す。


「ち、違う! 違うから! わ、私、な、何を言ってるんだろ……!」


「わ、分かってる! 分かってるから!」


 慌てる桜彩に怜も恥ずかしくなって顔を赤くしながらそう叫ぶ。


「うう……」


「と、とにかくシャワー浴びてくるから」


「う、うん! わ、私も一度帰ってお風呂に入ってくるね」


 何と声を掛けて言い変わらず、怜は着替えを持って風呂場へと向かった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ふぅ……」


 シャワーを浴びた後リビングに戻ってホットミルクを飲みながらソファーに体を預けていると、シャワーを終えてパジャマに着替えた桜彩が戻って来た。

 まだ顔は赤く染まっており、先ほどの失言を気にしているようだ。


「さ、さっきはゴメンね……」


「あ、ああ……」


 二人の間に微妙な空気が流れる。


「そ、それで体調の方はどう?」


「朝よりは若干マシって程度かな……」


 弱々しく答える。

 まだ頭痛も寒気も抜けきっていない。


「じゃあまだ安静にしなきゃだね」


「そうだな」


 そう言って怜は寝室へ入りベッドへ横になる。

 正直頭を何かに置くことが出来るだけでかなりマシになる。


「桜彩も今日一日ありがとな。ずっと隣にいてくれて」


「ううん。私は怜の隣にいるのは好きだから」


 ゆっくりと首を横に振って桜彩が答える。

 桜彩にそう言ってもらえると心が温かくなってくる。


「それじゃあゆっくり休んでね。お休み。玄関の鍵は私が閉めて明日返すから安心して寝ててね」


「ん。お休み」


 さすがにもう夜になる為、桜彩も自宅へと戻ろうとする。

 その後ろ姿を見て、なんだか少しばかり寂しく感じる。

 とそこで怜の頭がズキンと大きく響いた。


ゥ……!」


 思わず口からうめき声が漏れてしまう。

 扉を閉めようとしたところで桜彩の耳にその声が届いた。


「怜!? 本当に大丈夫?」


「ん……」


 弱々しく頷きながら答える。


「本当に? 私に出来る事ってある?」


「大丈夫。瞬間的に少し痛んだだけだから……」


「そう……。何かあったらメッセージ送ってね」


 まだ心配そうに怜を見ながら再び部屋を出ようとする桜彩。

 その姿を見た怜は、去年味わった一人きりの寂しさを思い出してしまう。


「あ……」


 桜彩が出ていく、その事実に気が付いた時に、怜の口から言葉が漏れた。


「怜?」


 また怜の方を振り向く桜彩。

 その瞳に映った怜は、昼間に桜彩に眠るまで隣にいて欲しいとわがままを言った時よりも弱々しい。


「ごめん、なんでもない……」


「何でもないって……そんな顔じゃないでしょ?」


 再びベッドの横まで戻った桜彩が心配そうに怜を見る。

 この状態で心配ないと言われても信じられるはずがない。


「怜。私を友達だと思ってるなら遠慮しないでちゃんと言って。怜が無理をすると私も悲しいから」


「桜彩……」


 真剣に怜を見つめる桜彩から恥ずかしそうに怜は目を逸らす。


「ごめん、やっぱりもう少し……ここにいて、桜彩……」


 その言葉に桜彩が目を丸くして驚く。

 しかしその言葉の意味を理解して、優しい顔で怜を見つめながら返事を返す。


「怜……。うん、良いよ。まだここにいるから。私が辛い時に怜が側にいてくれたように、今は私が側にいるからね」


 まだ仲良くなり始めの頃、不審者がいると怯えていた桜彩を安心させる為に怜は一晩中隣にいた。

 だからこそ桜彩も怜に対して同じようにすることに迷いはない。 

 そんな桜彩の言葉に怜が少し嬉しそうに表情を緩める。


「ありがと。俺もさ、桜彩がいてくれないと駄目になってきてるのかも……」


「怜……」


 こんな状況にもかかわらず、その言葉に桜彩の心が温かくなる。

 顔を赤くして、それでも嬉しそうに怜に微笑みかける。


「甘えてくれて良いんだよ。怜が側にいてっていうんなら、私はずっと側にいるからね」


 そう言いながら桜彩が怜の頭をゆっくりと撫でる。

 頭から伝わる優しい感触に、少しばかり楽になったように感じて表情を崩して目を閉じる。


「ありがと……。桜彩の手、気持ち良い……」


「他に何かして欲しいことはない?」


「うん……。もっと撫でてくれれば……」


「分かった」


 嬉しそうに怜の頭を撫でる桜彩。


(怜……か……可愛い!)


 普段は全くと言っていいほど甘えてこない怜。

 猫カフェでトラウマを克服する時でさえ、必死に強がっていようとしていた。

 そんな怜が熱のせいか完全に他人に甘えるようにしてくる。

 自分にそんな姿を見せてくれることに対して嬉しさも同時に感じてしまう。


「私も今日はこっちで寝るね。お布団は押し入れにあるよね」


 かつて美玖がこちらに来た時に布団を出していたことを思い出しながら聞く。


「うん」


「分かった。それじゃあ怜が寝た後、私はリビングにいるから。もし何かあったら遠慮しないで起こしてくれていいからね」


「うん。ありがとう」


 そう言って怜は瞼を閉じる。

 そんな怜の頭を桜彩は優しく撫で続け、怜が眠りに就いたところで予備の布団をリビングへと運んだ。



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