第72話 大切な人が隣にいてくれる幸せ
普段とは逆に怜の世話が出来る事を嬉しそうに思いながらスプーンでスープを掬って差し出す桜彩。
「はい、あーん」
「ん」
口を開けると、そこに桜彩がスープを運んでくれる。
なんだか自分で食べるよりも温かみが感じられるのは気のせいだろうか。
「どう、美味しい?」
「ああ」
「良かった。あ、でもこのスープは怜が作ったんだから美味しいに決まってるか」
にっこりと笑いながら何気なく言ってくれたその言葉がとても嬉しい。
それと同時に、桜彩と一緒に食べるようになってまだあまり時間が経っていないにもかかわらず、もう何度も食べているな、などと考えてしまう。
「それじゃあ次ね。あーん」
「ん、っと」
スープの熱さに少し驚いてしまった。
幸いベッドに零れることは避けられたのだが。
「怜、どうしたの?」
「大丈夫。少し熱かったから驚いただけ」
怪訝な顔で聞いてくる桜彩にそう答える。
一口目と同じで温かいというよりは少し熱い程度だ。
しかし桜彩は怜の言葉にはっ、と驚いてしまう。
「ごめんね。もう少し冷ましてからの方が良かったよね」
「いや、大丈夫だって。ちょっと驚いただけだから」
「ううん。次からは気を付けるから」
「え?」
次、といってもやることといえば少し時間をおいて冷ますか、少し味が薄まるが氷や水を投入して温度を下げるくらいだろう。
と思っていたのだが、桜彩の行動は怜の予想の外を行った。
「ふーっ、ふーっ。はい、あーん」
「…………え?」
いきなりの行動に怜の思考が停止する。
スプーンで掬ったスープに優しく息を吹きかけて冷ましたのだ。
いや、確かに理にはかなっている。
自分自身で食べる時に、自分で息を吹き開けて冷ますことは怜自身も多々ある。
が、それを他人に対してやる、というのは一般的に常識的ではないだろう。
「あの……桜彩……? いったい何を……?」
「え? 何って怜が熱いって言ったから冷ましたんだよ」
何を言っているの? という感じの口調でそう言われる。
それは見ればわかるのだが、そういう意味ではない。
「いや、その……さすがにそれはどうかと思うぞ」
あーん、だけでも世間一般的に考えればバカップルのする内容だと思う。
実際に一年生の時にクラスの中で陸翔と蕾華がお弁当で食べさせ合っていた時は、生暖かい視線や何を見せつけているんだという視線で見られていた。
あれは学年全体でも中心人物のあの二人だからこそその程度で済んだわけなのだが。
ちなみに怜本人は微笑ましいな、と思いながら二人の姿を眺めていた。
そんなわけで付き合ってすらいない友人同士の男女がやる内容ではないことは確定だろう。
それに加えて息を吹きかけて冷ましてあげる、など恋人同士ですらやらないのではないだろうか。
「えっ……あっ、そ、そうだよね」
「あ、ああ……」
言葉を濁したのだが、さすがに桜彩も分かってくれたようだ。
「私が息を吹きかけて冷ましたのなんて、さすがに嫌だよね」
しょんぼりとした顔で桜彩がそう呟く。
怜が躊躇している理由を完全に誤解している。
「い、いや、そういう事じゃないって! 単に恥ずかしすぎるだけだから……」
慌てて怜も自らの発言を補う。
「恥ずかしいって、さっきも言ったけど今ここには私達しかいないじゃない」
「そ、そうだけどさ……」
「それともやっぱり嫌?」
先ほどよりもさらに悲しそうな顔をされては否定出来るわけもない。
顔を真っ赤にしながら怜は口を開く。
「あ、あーん……」
「怜……ありがと。はい、あーん」
再び桜彩がスープを食べさせてくれる。
正直恥ずかしさで味なんて分からない。
「どう……? 熱くない?」
「うん、平気。ちょうどいいよ」
「よかったあ……」
安堵したのか桜彩が胸を撫で下ろす。
緊張が解けたのか、いつもの自然な微笑を浮かべる。
その笑顔に怜も、相変わらず可愛いな、などと思ってしまう。
「それじゃあ次だね。ふーっ、はい、あーん」
「……あーん」
そのままゆっくりと時間を掛けてスープを飲み干した。
最後の方は息で冷まさなくても大丈夫な温度であったのだが、結局桜彩は最後まで自分で冷ますことをやめなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スープを飲んだ後は栄養ドリンクと部屋に常備している解熱剤を飲む。
冷却シートを額に貼ると、その冷たさが気持ち良い。
後は買い置きしてあるスポーツドリンクやゼリー飲料をベッドの横に置いておく。
これで目が覚めた時に喉が渇いていても安心だ。
そして念の為に着替えとタオルを用意して、簡単に寝る支度を済ませると再びベッドに入る。
「俺はもう大丈夫だから、桜彩も朝食を食べたらどうだ?」
歯を磨きに洗面所へと向かおうとした際にも桜彩は『心配だから!』と言ってずっと怜に付き添っていた。
部屋を加湿する為に加湿器の用意やスポーツドリンクをベッドの側に準備してくれたりと、普段とは逆に世話を焼いてくれる。
その為、桜彩はまだ朝食を食べていない。
「ううん、私は大丈夫だから。それよりも怜、して欲しいことがあったら何でも言ってね」
任せてくれ、と決意しながら拳をぎゅっと握り締める桜彩。
その台詞に怜は布団に入ろうとしていた体をとめて、ベッドに腰かけて聞き返す。
「いや、何でもって言われても……まさか桜彩、ずっとこっちにいるつもり?」
「え? そうだけど?」
何を変なことを言っているのかと桜彩が首を傾げる。
「だって最近は私、ずっと怜の所にいるでしょ? だから今日もリビングにいるから困ったことがあったら遠慮しないで呼んでね」
「い、いや、風邪を
そもそもそれを心配したからこそ、多少無理して一人で朝食を作ったのだ。
「大丈夫だよ。私、こう見えても体は強いから。それに一応隣の部屋にいるんだから大丈夫でしょ? それに一人暮らしなんだから何かあった時に困るじゃない」
「ま、まあ、そうなのかな…………?」
「そうだよ。でも怜が迷惑だって言うんなら帰るけど……」
「い、いや、迷惑なんてことはないから」
しゅん、と肩を落とす桜彩に慌てて首を横に振る。
むしろその気遣いが嬉しい。
特に風邪で心身ともに弱っている今ならなおさらだ。
「本当に? 実は迷惑だったりしない?」
桜彩が少し訝し気な目で見ながら聞いてくる。
「本当に。ただ無理はしないでくれよ」
「うん。分かってる」
「それと、家の鍵はそこにあるから。もしここから出る時はお願い」
怜の指差す先の壁にはフックが取り付けられており、そこに鍵が掛けられている。
もちろん桜彩とお揃いのキーホルダーと共に。
「うん、分かった。それじゃあお休み」
「お休み」
そう言って怜がベッドに横たわると桜彩は部屋の電気を消してリビングへと移動した。
ドアが閉まり桜彩の姿が見えなくなると怜はそっと目を閉じる。
(一人暮らしを始めてから体調を崩すことは何度かあったけど……誰かがいてくれるってのは心強いな)
昨年の一年間、何度か体調を崩すことはあった。
学校を休んだ時は陸翔や蕾華が様子を見に来てくれたのだが、基本的にはずっと独りで過ごすのが当たり前だった。
(嬉しいな…………でもむしろ恥ずかしさで熱が上がるかも……)
そんなことを考えながら先ほどのやり取りで火照った体を横たえて眠りに就いた。
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