第61話 二人の『良いこと』
「渡良瀬さん、今日の放課後って時間ある!?」
登校してきた蕾華がテンション高く、後ろの席で予習をしていた桜彩へと問いかける。
桜彩はその勢いに少し驚いたものの、すぐに何事もなかったかのようなクールフェイスに戻る。
「今日の放課後……ですか?」
「うん! ほら、この前に猫カフェに行こうって言ったでしょ? せっかくだし今日はどうかなって」
桜彩の隣の席で会話を聞いていた怜は、先日蕾華と陸翔が猫と犬のどちらが素晴らしいかで論争した時、猫好きの桜彩と蕾華が猫カフェに行こうという話になっていたことを思い出す。
その後で怜と共に猫カフェに行き怜のトラウマを克服することになったあの日の出来事は、桜彩にとっても怜にとっても最高の思い出だ。
「ええっと、ちょっと待って下さいね」
「うん!」
桜彩としては特に用事はないのだが、基本的に放課後は毎日怜と一緒に過ごしている。
一応二人の間のルールでは、夕食を食べない場合は事前に連絡してくれれば良いので特に問題はないのだが。
とはいえさすがに今日の放課後というのはいきなりすぎて、桜彩が戸惑うのも無理はない。
その為、怜は隣の席から助け舟を出すことにする。
「蕾華、さすがにそれはいきなりすぎだろ」
「えーっ、そうかなあ」
「そうだって。オレや怜は別に慣れてるけど渡良瀬はそうじゃねえだろ」
陸翔も怜の意見に同意する。
実際にこの三人は突発的に予定を決めて実行することが多々あるが、それはある意味この三人だからこそ成り立っているとも言える。
「どうせだったら明日か明後日で良いんじゃないか? 休みなんだし、猫カフェ以外にも色々と行けるだろうしな」
「そうだって。怜の言う通り、そうしろよ、蕾華」
「うーん、それもそうだね。渡良瀬さん、それで良い?」
「はい、大丈夫です」
二人の意見を聞いて素直に変更する蕾華。
怜と桜彩がプライベートで一緒に過ごしているという事は、この親友二人にも内緒である。
怜が二人にばれないように、明日か明後日に楽しんできてくれ、と言外に含ませた為、桜彩も蕾華の申し出に賛同する。
「それじゃあ明日にしよっか」
「はい。それではよろしくお願いします」
「うん。あ、渡良瀬さん、なんか今日は良いことあった? なんか機嫌が良さそうだけど」
いつものクールフェイスではあるのだが、それでも少し笑みが浮かんでいることに蕾華が気付く。
「良いこと、ですか……。そうですね、今朝は楽しいことがありましたので」
怜とのデュエットを思い出した桜彩の顔にクールの取り払われた笑みが浮かぶ。
その笑顔に一瞬蕾華も見とれてしまった。
「そうなんだ。渡良瀬さんがそんな顔するなんて、凄く良いことがあったんだね。何があったの?」
その問いに桜彩は少し考えこんでから
「ふふっ。残念ですけれど秘密です」
そう口にした。
大切な友人との楽しい思い出を誰かに話したい気持ちもあるのだが、怜と桜彩の関係は二人だけの秘密の関係で、怜と特に仲の良い蕾華と陸翔も知らない。
その為桜彩は、口に人差し指を当てて『内緒です』と付け加える。
蕾華もそれ以上聞き出そうとはせず、良かったね、という風な笑みを浮かべる。
「ってか怜もなんか機嫌良くないか?」
怜と付き合いの長い陸翔が怜の顔を見ながら問いかけてくる。
「まあ、そうだな。俺も朝に良いことがあったから」
「へー。ちなみに何があったんだ?」
「……内緒」
桜彩の真似をして、人差し指を口に当てて答える。
「そっかそっか。でも怜もクーさんも良いことがあったって偶然が重なったな」
「まあ、そうだな」
「そうですね」
「うんうん。もしかしたられーくんと渡良瀬さん、二人共同じことだったりして。占いの結果とか」
蕾華の言葉に怜と桜彩はクスッと笑ってしまう。
偶然ではなく、二人の『良いこと』は同じことなのだが。
「でもまあ二人が話さないって言ってる以上、オレ達には分からないけどな」
「悪いな、二人共」
「すみません」
少しバツが悪い怜と桜彩が陸翔と蕾華に頭を下げる。
「謝らなくても良いって。あ、それで話を戻すけどさ、渡良瀬さんは他にどこか行きたい所ってある?」
「行きたい所、ですか?」
顎に手を当てて少し考える桜彩。
とそこに、別の所から声が掛かった。
「あ、それじゃあウチはカラオケに行きたーい!」
いきなり割り込んできた声の方に皆の視線が集中する。
そこには仲の良い女生徒が鞄を置いてこちらへと向かってきた。
「あ、奏。おはよー」
「おはようございます、宮前さん」
「ふたりともおはよ。それでそれで、いきなりだけどそれってウチも参加していーかんじ?」
期待に満ちた目で桜彩と蕾華を交互に見る奏。
その視線を受けて桜彩と蕾華がお互いを見てアイコンタクトを交わす。
「うん。良いよ」
「はい。私も構いません」
「やった! それでさあ、さっき言ったけどカラオケ行かない?」
奏が嬉しそうに提案する。
「カラオケかあ。それも良いかもね。最近行ってないし」
「そうそう。ウチも前に行ったのいつだったかなー」
「宮前さんも猫に興味があるのですか?」
「興味があるってか、一度行ってみたいなーとは思ってたんだよねー」
「うんうん。それじゃあアタシと渡良瀬さんで奏に猫の魅力についてたっぷりと教えてあげよう。ね、渡良瀬さん?」
「はい。猫は最高です」
女三人寄れば姦しいという言葉通り、三人の話が盛り上がっていく。
「じゃありっくん、れーくん。写真楽しみにしててね」
「へいへい」
「はいよー」
怜が笑って返事をするその一方で陸翔はわざとらしく少し不満そうにして怜の方へと向き直る。
先日の犬猫論争がまだ尾を引いているようだ。
まあ二人共いがみ合っているわけではなく、いちゃつきの一環なのだろうが。
「しょーがねえな。それじゃあ怜、オレ達は二人で犬カフェでも行くか」
「えー、微妙」
ニヤニヤとしてポンポンと肩を叩いてくる陸翔に怜は気の乗らない表情で返事を返す。
「なんでだよ。お前も好きだろ、犬」
「犬は好きだけどさあ、男二人で犬カフェではしゃぐって周りからの視線が気になりそう」
「んなもん気にするなって」
「気になるんだよ」
まあ陸翔の方も本気で言っているのではないことは表情から分かる。
ここで冗談で『良し行こう』と言ったらどうなるのだろうかと思わないでもないが。
「お、それじゃあ光瀬。明日は俺達とカラオケでも行かないか?」
授業の準備を始めようとした怜に、明後日の方向から声が掛かる。
そちらを見ると、クラスメイトの外塚と恩田がこちらに向かって来るところだった。
この二人とは二年になってからの付き合いだが、元々二人が陸翔と仲が良かったこともあって怜ともそこそこ話す友人関係だ。
「カラオケねえ」
「おう。あと何人か誘う予定だけどな」
「そうそう。新学期始まってからパーッと遊んでないからよ」
二人の言葉に怜は少し考える。
最近は学外ではほとんど桜彩と共に過ごしているのだが、その桜彩が明日遊びに行くのであれば怜もクラスメイトと交友を深めても良いのかもしれない。
「まあ返事は今じゃなくてもいいからな。つっても早めに欲しいけどよ」
「分かった。前向きに考えとくよ。昼までには返事するから」
「おう」
「頼むぜー」
怜の返答に二人は気を良くしながら回れ右をして自分の席に向かって行く。
しかし、その途中で聞き捨てならないセリフが怜の耳に入ってきた。
「よしっ。これで光瀬は確保出来たな」
「ああ。これで女子側の条件はクリアしたな」
「おいこらちょっと待てそこの二人。今なんて言った?」
確保だとか条件だとか、カラオケに関係ないようなセリフが聞こえてきた気がする。
「あ、ああ。まあ気にするなって」
「そうそう。ただ男女混合でカラオケに行くだけだって」
怜の指摘に二人は少し慌てながら返事をする。
明らかに何か隠している雰囲気だ。
「ってかさー、それ合コンだよね」
すると怜の後ろから奏がツッコミを入れてくる。
そちらを振り向くと、桜彩と蕾華の二人と明日の予定を話していた奏がニマニマと笑いながらこちらを向いていた。
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