第二章前編 二人だけの秘密の関係
第55話 クールさんと迎えるいつもの朝
「おじゃましまーす。おはよう、怜」
「いらっしゃい。おはよう、桜彩」
朝、朝食を共に作る為、いつも通りに桜彩が怜の家を訪れる。
いつも通りに迎える怜。
しかし、二人の心境はいつもとは少し違っていた。
別に仲が悪くなったわけでも、二人の関係が少し変わったわけでもない。
それでも昨日の出来事は、二人にとってかけがえのないくらい大きな出来事であった。
お互いの顔を見ると、いつもよりも顔がにやけてしまう。
「ふふっ。怜、なんかいつもより機嫌が良いみたい」
「桜彩もな。いつもよりも良い笑顔だぞ。まあ桜彩の笑顔はいつ見ても素敵だけど」
「えっ……そ、その、ありがと……」
「あっ……」
顔を赤くして照れる桜彩。
それを見て怜も、自分が言った言葉の意味を考える。
「…………」
「…………」
二人で顔を赤くして俯いてしまう。
このところ二人ともこういったことが妙に多い。
普段から異性人気の高い怜としては、異性に対してこういったことを気軽に言うのは避けているのだが、なぜか桜彩には自然に言葉が出てしまう。
「れ、怜もす……素敵だよ……」
「お、おう……あ、ありがと……」
それだけ言って、また二人の会話が停まってしまう。
(わ、私、な、何を言ってるんだろ……。で、でも、怜が素敵なのは事実だし……。そ、それに怜が私のことを素敵だって……ふふっ、嬉しいなあ……。ってダメダメ、顔がにやけちゃうよぉ。こんな顔、怜には見せられない……)
(じ、自分で言っといてなんだけど、照れるな……。し、しかも桜彩も俺のことを素敵だって……。い、いや、別に異性として素敵だと言われたわけじゃあないんだけど……。ってヤバい。今の俺、絶対顔が緩んでるよなあ……)
お互いが顔を赤くして、しかし自然とにやけてしまう。
そのまま少し時間をおいて二人揃って顔を上げる。
「そ、それじゃあ今日も作っていくか!」
「う、うん! それで今日は何を作るの?」
「シンプルにソーセージエッグにしようと思う。桜彩は千切りキャベツを作ってもらえるか?」
「うん。それじゃあ始めるね」
そう言って桜彩は先日怜から貰った誕生日プレゼントのエプロンを着用する。
こうして日常的に使ってもらえるのはプレゼントした怜としてもとても嬉しい。
「えっと、キャベツは……」
怜のキッチンをもう何度も使っている為に、流れるように千切りキャベツの準備をしていく桜彩。
勝手知ったる他人の家、ならぬ他人のキッチンといったところか。
一方で怜も桜彩の様子を注意して見ながらフライパンに油を流し込む。
共に料理を作り始めて最初の頃は、千切りキャベツを作るのでさえ危なっかしくて見ていられなかったのだが、何度も作っている今はもう
念の為に防刃手袋も着けている為に、怪我の心配はほとんどない。
(そろそろ次の段階に入っても良いかもな)
ソーセージを半分に切りながら怜もそんなことを考える。
桜彩の目標が『ゴールデンウィークまでにまともな料理を作ることが出来るようになる』ということなので、これまではひたすら同じような調理、料理を繰り返いしてきた。
しかし先日、桜彩の姉からも『普通レベルの味』と評されたカレーを作ることが出来たのでそろそろ次のステップに進んでも良いだろう。
そうこうしている内に、目玉焼きとソーセージが良い感じに焼けてきた。
ソーセージの内の一つを菜箸で撮って桜彩へと差し出すと、待ってましたと言わんばかりに桜彩が口を開けてくれる。
そんな桜彩に、まるで親鳥から餌をもらう雛のような可愛さを感じる。
「ん……うん、美味しいよ」
「そっか、良かった」
「こっちの準備も大丈夫だよ。それじゃあお皿、並べちゃうね」
「ああ、よろしく」
そしていつも通りに二人で朝食を食べていく。
これが、本来であればありえなかった二人の生活。
いくつもの偶然が重なりあって生まれた日常。
二人がこれから手にするであろうかけがえのない新しい幸せ。
その第一歩となる甘い半同棲生活の風景であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お待たせ、怜」
「待ってないよ。それじゃあ行こうか」
「うん。すぐにお別れなのが残念だけど」
「まあそればかりはしょうがないさ」
食後に少しまったりとした後、制服に着替えて揃って学園へと向かう為に家を出る。
ただでさえ目立つ二人が隣同士で一人暮らしをしているとバレると面倒なことになるであろう為、アパートを出た後はそれぞれ別に学園へと向かうことにしている。
なので二人が揃って登校出来るのはアパートのエントランスまでだ。
出会った直後は仲が良いとも悪いともいえなかった二人の関係はこの二週間で大幅に変わった。
それこそ家では入浴と就寝の時間以外は常に一緒にいるレベルで。
そんな友人として仲の良い二人としては別々に登校したくはないのだが、わざわざ面倒ごとを増やすのも嫌なのでそうしている。
「桜彩、鍵は掛けたか?」
「うん。怜は大丈夫?」
「もちろん」
そう言ってお互いに家の鍵を見せ合う。
そこには色違いのお揃いのキーホルダーが付いている。
お互いの友情を形にしたキーホルダーが。
それを見てお互いに笑みがこみあげてきた。
「それじゃあ行こう、怜」
「ああ」
二人はエントランスまでの短い距離を並んで楽しく歩いていく。
そしてエントランスを出た所で別れて登校する。
「それじゃあまた学校でな」
「うん。また学校で」
そう言葉を交わして二人は少し残念に思いながらもいつもの通り、学園への道を歩き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の朝、怜は誰の目から見てもご機嫌だった。
いつもは笑っていてもどこか一線を引いたような感じがあるのだが、その日は全くそんなことは無かった。
普段は親友二人と居る時くらいしか見せないような笑顔で自分の席に座っている。
「おっす、怜。なんだなんだ? 今日は凄い機嫌が良いな」
「おはよー、れーくん。ホントだ。なんか凄いご機嫌ね」
登校してきた二人、陸翔と蕾華も怜の様子が気になって声を掛けてくる。
「おはよ、二人共」
怜もそんな親友二人に挨拶を返す。
「昨日、良いことがあったからな」
「良いこと?」
「なんだそりゃ?」
二人が顔に疑問符を浮かべながら席に着く。
二人の知る限り、他に人の多い場所で怜がここまで喜びの感情を出すことはあまりない。
とそこへ桜彩がクラスへと入って来る。
怜と一緒に出たのだが怜の方が足早へと学園に向かって来たために、二人の到着にはそこそこのタイムラグがある。
「あ、渡良瀬さん。おはよー」
「はよー」
「おはよ、渡良瀬」
「はい、おはようございます」
怜と二人の時とは考えられないほどに違うクールさんとかクーさんと呼ばれているクール系美人モードのまま返事を返して席に座る。
これがいつも通りの桜彩なので誰も気に留めない。
挨拶が済んだ陸翔と蕾華は怜の方へと向き直って質問を続ける。
「それでそれで、れーくん、いーことって一体何?」
「教えろよ、怜。ていうか、もう既に言いたくてたまらないって顔してるぞ、お前」
「ははっ。まあな」
陸翔の言う通り、この喜びを大切な親友二人に早く伝えたくてたまらない怜は頷きながら返事をする。
何しろ八年前のトラウマをやっと克服出来たのだ。
それにこの二人は怜のトラウマの克服に対して一生懸命に頑張ってくれた。
結果的に克服したのは別の手段ではあるものの、それでもこの二人には感謝を伝えたい。
昨日の夜、メッセージで伝えようとも考えたのだがやはり直接口頭で言うべきだと思ってこれまでは我慢していた。
「実はな、動物に触れるようになったんだ」
「えっ……?」
「なっ……?」
怜の言葉に二人がぽかんと口を開けて固まる。
怜が動物好きであることと、動物に触れなくなった経緯は二人共充分過ぎるほどに知っている。
そんな怜が動物に触れるようになったというのは二人にとってにわかには信じがたく、そしてとても嬉しいことだ。
「おい、マジかよ!」
「れーくん、それ本当!?」
興奮した二人が怜の机に身を乗り出して聞いてくる。
「ああ、本当だ。ちょっと待って」
そう言って怜は自分のスマホを操作して、三人のグループメッセージに昨日猫カフェで撮影した写真を送る。
直接自分のスマホを見せなかったのは、操作ミスにより桜彩と二人で写った写真を見せてしまうことを危惧してのことだ。
早速二人はスマホを操作すると、送られた写真に目を見開いて驚く。
「わっ本当だ! れーくん、本当に猫に触ってる」
「マジか! 良かったな、怜!」
「二人共ありがと」
三人は笑顔で盛り上がる。
そんな三人を当事者の一人である桜彩は隣の席から少し羨まし気に見つめていた。
夢中になって写真を見る陸翔と蕾華をよそに、怜は隣へと座る桜彩に一瞬だけ視線を移す。
それを受けて桜彩も、言葉には出さないが表情を一瞬だけにこっと緩めた。
(ふふっ。怜、良かったね)
親友二人に祝福されて嬉しそうな怜を隣でチラッと眺める桜彩。
怜と二人は固い絆で結ばれているのは良く分かる。
そして二人がどれだけ怜のことを心配していたのかも。
それを三人共良く分かっているからこそ、今、この時は本当に幸せそうな顔をしている。
(……でも、私も一緒にあの中に入って行きたいな)
怜との関係を他人に内緒にしてくれるように自分から頼んでいる手前、桜彩には三人の間に入っていくことは出来ない。
嬉しそうにはしゃいでいる三人を見て、それを嬉しいと思う反面、寂しいとも思ってしまう。
(いつか、私も堂々と怜と…………)
そんなことを思いながら、桜彩は横目で隣の三人を眺めていた。
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