第52話 クールさんと猫カフェへ② ~八年越しの触れ合い~

「なぁ~」


 ソファーに座った二人の下に一匹の猫が近づいてくる。

 壁に貼ってあるキャストの一覧を確認すると、猫種はマンチカンで性別は雌、名前はクレアというらしい。

 その猫が二人の座るソファーへと昇ってくる。

 猫カフェの猫らしく、どうやらかなり人に慣れているようだ。


「ね、猫ちゃん……?」


「なぁ~」


 恐る恐る問いかけるように口にする桜彩に対し、クレアは一鳴きして桜彩の太ももの上に座り込む。

 怜とはもう十センチもない距離だ。

 だが怜はもう無意識に距離を取ろうとはしない。

 繋がれたままの左手から桜彩の優しさが伝わってくる。


「さ、触るね……」


 桜彩がゆっくりと空いている左手をクレアへと伸ばす。

 そのまま頭を撫でると猫の方も桜彩の手に頭を伸ばしてくる。


「か、可愛い……!」


 頭を撫でながら満面の笑みを浮かべる。

 そしてその喜びをいったん横に置いて桜彩が怜の方を見る。


「それじゃあ怜」


「あ、ああ」


 今日の本当の目的は怜が猫に触ること。

 桜彩の上に座るクレアに対し、桜彩の右手が添えられたままの左手をそっと伸ばす。

 そのまま触ろうとするが、手が勝手にビクッと震えてそれ以上先に進まない。

 するとその左手を桜彩が両手で包み込んでくる。


「怜、私を信じて」


 そう笑顔で告げてくる桜彩。


「目を閉じて、私に手を預けて。私を信じて」


 その言葉に怜の不安が薄れていく。


「ああ、分かった」


 桜彩の言う通り、怜が目を閉じる。

 視界は真っ暗に染まり、何も見えない。

 それでも今の怜に不安はない。

 自分の左手は信じられる友人に預けられているのだから。

 怜の左手が桜彩により動かされていく。

 クレアとの距離が縮まっていくのが分かる。

 そして、怜の左手の掌が何かの感触を捉える。

 柔らかくて温かみがある。

 慌てて手を引きそうになるが、桜彩の右手がそれを押しとどめる。


「怜、大丈夫だよ」

 

 耳に届く優しい言葉に怜の身体から緊張が抜ける。

 そのまま数秒間、怜の左手はその何かに触れたままだった。


「怜、目を開けて」


 その言葉に怜はゆっくりと目を開ける。

 視界に写るのは優し気に微笑む桜彩の顔。

 そしてそこから視線を少し動かせば……。


「にゃぁ」


 怜の手が猫を、クレアを撫でていた。

 クレアは嬉しそうに喉を鳴らして、怜に撫でられるがままになっている。


「桜彩……、俺、触れてる……?」


「うん、触れてるよ」


 そう答える桜彩の目には涙が溜まっている。


「触れてる……夢じゃないよな……?」


「うん。夢じゃないよ、怜」


「触れてる……触れてる……俺、動物に触れてる……」


 実感するようにそう繰り返し呟く。

 無意識に手を引いたりすることもない。

 怜の左手はずっとクレアに添えられたままだ。

 知らずのうちに、怜の目からも涙が溢れてきた。


「ありがとう……ありがとう、桜彩」


「ううん、怜が頑張ったからだよ」


 嬉しそうにその事実を実感する二人の目から、嬉し涙が零れていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その後、二人は普通に猫カフェを楽しんだ。

 猫が大好きだと公言する桜彩は目を輝かせている。

 クレアが一度離れたところで今度は二人の方に別の猫が寄って来る。


「ま、また別の猫ちゃんが……!」


 ミレディという名前の三毛猫を見た桜彩が嬉しそうに手を差し出す。

 しかしミレディはそんな桜彩の手をすり抜けて怜の足にすり寄り顔を擦り付けてくる。


「にゃあぁ」


「ああっ」


 残念そうに手を引く桜彩。

 ミレディはジャンプしてソファーへと飛び乗り怜の太ももの上へと移動する


「か、可愛い……」


 桜彩がミレディへと手を伸ばそうとするが、それよりも早くミレディは怜に向かって立ち上がり構ってくれとアピールする。

 怜がミレディを撫でると、そのままごろりと横になって撫でられるがままだ。


「むぅ……」


 ミレディに袖にされた桜彩が恨めしそうに怜の方を見る。


「あっほら、また猫が来たぞ」


 慌ててそういう怜の視線の先からまた別の猫がこちらに向かって歩いてきた。


「こ、今度こそ……」


 再び猫へと手を伸ばす桜彩だったが、やはりその手は空振りに終わる。

 そのままジャンプしてソファーへと昇り、ミレディと並んで怜の太ももの上に座り込んだ。


「怜、ずるい」


「いや、ずるいって言われても……」


 頬を膨らませて桜彩が拗ねる。

 前に言ったように怜はなぜか動物に好かれやすいだけなのだが、桜彩としては納得出来ない。


「ううぅ~……」


 猫を撫でる怜を羨ましそうに見る桜彩。

 そんな桜彩の手を怜はそっと掴む。


「えっ?」


 驚く桜彩の手を持ってそのまま自分の太ももに座る猫に触れさせた。

 先ほど桜彩がやってくれたことを、そのままお返しする形だ。


「わっ!」


 桜彩の手を持ったまま猫を撫でると猫は嬉しそうに撫でられるがままだ。


「怜……」


 戸惑いながらもどこか嬉しそうに桜彩が怜を見上げる。


「せっかく来たんだし楽しまなきゃな」


「うん、ありがとね。あ、見て。猫のおやつだって。頼んでみる?」


 桜彩がテーブルの上のメニューを指さす。

 他にも人間が飲むドリンクやお土産のクッキー、ストラップやキーホルダーといった物が販売されている。


「そうだな。ついでにドリンクも頼もうか」


「うん。それじゃあ呼ぶね」


 桜彩が店員を呼んで猫のおやつとドリンクを注文する。

 しばらくすると、トレーにオレンジジュースとアイスティー、そして猫用のクッキーを乗せて店員がやって来る。


「お待たせいたしました。こちらオレンジジュースとアイスティー、そして猫のおやつになります。なるべくみんなに公平にあげて下さいね」


 見ればすでに多くの猫たちが、おやつの存在を知って二人の周囲に集まってきている。


「桜彩」


 トレーの上のクッキーを一枚とって桜彩に渡す。


「うん。それじゃああげてみるね」


 そう言って桜彩がクッキーを持った手を下げると、たちまち猫達が寄って来る。


「きゃあっ!」


 一枚のクッキーに大量の猫が殺到したため、思わずビクッとしてしまう桜彩。

 驚いた隙に、その中の一匹が猫パンチで桜彩からクッキーを奪ってしまう。

 そんな可愛らしい桜彩の姿を怜は写真に収めていく。


「ちょ、ちょっと待って! ちゃんとみんなにあげるから!」


 困りながらも楽しそうな笑い声をあげる。

 次のクッキーを差し出そうとすると、周りの猫たちがそれを狙って桜彩の太ももや肩に飛び乗って来る。

 テーブルの上に置かれたクッキーを直に狙っている猫もいる為、桜彩はクッキーの入った入れ物を逆の手で高く持ち上げる。

 みんな桜彩の持つクッキーを狙って桜彩に群がっており、完全に猫まみれとなっている。


「きゃっ! みんなちょっと待って! あっ、ちょっと怜、こんなところ撮らないで! お願い!」


 と言われて素直に撮らないという選択肢は怜にはない。

 怜のスマホに猫にもみくちゃにされる桜彩の写真が溜まっていく。

 学校でのクール系美人の桜彩しか知らないクラスの皆がこんな桜彩の姿を見たら、きっと目を疑うだろう。


「れ、怜! 助けて~!」


「やだよ。お望み通り、猫に囲まれたじゃん」


「そ、そうだけど~っ!」


 嬉しそうな悲鳴を上げる桜彩にそろそろ助け舟を出そうかと、怜も桜彩の持っている入れ物からクッキーを何枚か取って身近な猫に差し出す。

 すると桜彩にたかっていたうちの何匹かは怜の方へと向かったので、そこで桜彩も一息つくことが出来た。


「楽しんでくれているようで何よりです。あ、さっきから彼氏さんの方ばかりが写真を撮っていますよね。せっかくですので二人一緒に撮りましょうか? せっかくのデートなんですし、ツーショットも撮るべきですよね?」


「えっ!」


 店員の言葉に桜彩が驚いてしまう。


「あの……怜、どうしよう?」


 おそるおそる、しかし期待をするような目で怜を見上げる桜彩。


(……いや、勘違いするな。桜彩は彼氏彼女とかデートとかそういうんじゃなく、ただ猫カフェに来た記念に写真を撮りたいだけだ)


 可愛らしい桜彩の態度に怜の心が動かされそうになるが、理性を総動員して勘違いしないように自分を戒める。


「そうだな。せっかくだし一緒に撮ろうか」


「うんっ! やった! 怜と一緒の写真だ! 嬉しいなあ」


 怜の言葉に桜彩が嬉しそうに顔をほころばせる。


(……いや、だから勘違いするなって。桜彩は『友人と』猫カフェに来た記念に写真を撮りたいだけなんだから)


 嬉しそうにする桜彩の言葉と表情に、再び勘違いしてしまいそうになる。


「じゃあお願いします」


 そう言って店員にスマホを渡す。

 二人揃って猫に囲まれながらカメラの方を向くと、店員が合図をしてシャッターを押す。

 そこには飛び切りの笑顔で猫と戯れている二人の姿が写っていた。


「ふふっ。怜、楽しいね」


「そうだな。とっても楽しい。桜彩、ありがとう」


「だからお礼を言われることじゃないって。猫カフェに来たいって言ったのは私のわがままなんだから」


 ニコリと笑う桜彩に怜も笑顔を返す。

 そして二人は時間いっぱい猫と一緒に遊び倒した。

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