第45話 姉(シスコン)の襲来④ ~二人のトラウマ~

【前書き】

 現在、36~48話のストーリーを第三章の後に『if』という形で書き直しています。

 これを書き直すにあたった理由としましては、美玖と葉月の行動が非常識すぎるという指摘を受けまして、私自身も読み返したところ確かにそうだと思いました。

 今後、(おそらくですが)ifストーリーの方を本編へと組み替える予定ですのでそちらの方も読んでいただけると嬉しいです。




【本編】


 その後、淹れ直したお茶を飲んで一息つくと桜彩が真剣な表情で口を開く。


「怜さん、聞いていただきたいことがあるのですが」


「俺に? 構わないけど」


 そう返事を返すと桜彩が決意を秘めたような顔で怜を見る。


「桜彩、あなた……」


 一方で葉月は桜彩が何を言うつもりなのか大体想像がついたようで、驚いた顔で妹を見る。


「私が高校二年生という中途半端な時期に転入して、なおかつ一人暮らししている理由です」


 それは当然怜も気になっていた。

 家族ともども引っ越してきたという事なら転入してきてもおかしくはない。

 大きな理由があることは容易に想像が出来るし、むやみに踏み込むべきではないという考えから桜彩と仲良くなった後も一度も聞いたことがなかった。


「昨年、私には仲の良かった友達が居ました……」


 悲しそうに目を伏せて下を向いてしまう桜彩。

 それが桜彩にとって苦い記憶であることは怜にも充分に分かる。

 しかし桜彩が勇気を出して語ろうとしている以上、それを止めるようなことはせずに桜彩の話を黙って聞く。


「私は小さい時から絵を描くのが好きで、美術部に入っていたんです。その友達と一緒に。彼女もとても絵を描くのが好きだったんです」


 そこで桜彩は一度大きく深呼吸をする。

 ここから先が桜彩が本当に怜に聞いて欲しいことだと分かった。


「ある時、コンクールに出展する絵を描いたんです。その時に私の描いた絵は、他の部員や顧問の先生から見てもとても素晴らしいものだと褒められました。彼女もいっしょに褒めてくれたんです。私もそれが嬉しくて、『コンクールで入賞出来ればいいな』って言ったりして。

ですがある日、部活が終わった後で忘れ物をしたことに気が付いて戻った時、その……彼女が…………私の描いた絵をナイフで傷つけていたんです…………。『私は上手く描けないのになんで桜彩だけ……ずるい』って言いながら…………」


「…………」


「桜彩……」


 黙ったまま聞く怜と、桜彩を気遣う葉月。


「部室の扉を開けた音で誰か来たことに気が付いたんでしょう。彼女が振り返って私と目が合いました。都合が良いのか悪いのか分かりませんが、その時に同じ美術部員、当の彼女ほどではありませんでしたが友達と呼べる方が何人か私の後ろから現れたんです。ナイフを持った彼女と引き裂かれた私の絵。言い逃れすることはほぼ不可能でしょう。彼女が何をしていたのか、他の部員達にはすぐに分かりました」


 喉が渇いてきたのかそこで桜彩が一度お茶を飲む。


「当然彼女は糾弾きゅうだんされることになりました。ただ、彼女は私よりも、まあ明るくて、私の他にも仲の良い友人が大勢いたんです。それで、彼女の友人が逆に私を責めたりして……。むろん、そんな方ばかりではありませんでした。私を心配してくれる方も多かったです。ですが、私にとって学校は既に針のむしろのような場所になってしまいました。大切な一番の友達が、陰で私を裏切っていて……。私は何もしていないのに勝手に責められて……。もちろんそんな人ばかりではないと頭では分かっていましたが、でも、もう……。それで、私はそこから逃げ出してきたんです。私を大切にしてくれる両親が転校するように手続きをしてくれたのです。これが私がこちらに来た経緯です」


 そう言って桜彩は笑って怜の顔を見る。

 しかしその笑いはこれまでに何度か見た怜の心を動かす笑みではなく、桜彩の顔に張り付いた、作り物の笑い顔だった。


「そうだったのか……」


 間違っていたのは間違いなく相手の方だ。

 しかし、彼女の友人の取り巻きにとってはどちらが正しいかは関係ない。

 ただ仲の良い方の味方をしたのだろう。

 結果、自分は全く悪くはないのに周りから勝手に悪者にされて。

 もちろん桜彩の言う通り、桜彩の味方をしてくれた人も多くいただろう。

 しかし、一番の友達に裏切られた形の桜彩が、他の人達のことを素直に信じられるわけはないことは良く分かる。


「そんな理由で、私はこちらに転入してきた時、必要以上に他人を信じることをしないようにしよう、そう思っていました。ですが、その考えはすぐに変わりました、いえ、変えられてしまいました。とても優しい人が、見返りなど一切求めずに私のことを何度も助けてくれて。その人のおかげで浅い人付き合いなんかじゃなく、もう一度信じられる友達を作ってみたい、そう思うようになりました。そしてその人が、私の友達になってくれました。ここに来たのは現実から逃げる為ではなく、再び友達を作る為なんだって。そんな風に思わせてくれました。そして今も私の為に責められても、悪く言われても、それでも自分の事よりも私のことを心配してくれて。だから怜さん、本当にありがとうございます」


(ああ、だからか)


 転入してきた時に感じた違和感。

 教室で見た表情と空気が、言葉にするには難しいがどうにも気になってしまった理由。


(俺と、同じか……)


 やっと腑に落ちた。


「葉月さんが俺に対して過剰なほどの疑いを持っていた理由もそれですか」


「ええ。もうあんな桜彩は見ていたくなかったから」


 遠い目をしながら葉月が告げる。

 仲の良い友達に裏切られた桜彩は、本当に見ていられなかったのだろう。


「重ねて謝るわ。ごめんなさい、怜」


 再び葉月が怜に頭を下げる。


「いえ、それに関しては今の話を聞く前から怒っていませんよ」


「そう言ってくれるとありがたいわ。でもね、ついでに一つ聞かせて。あなた、なぜそこまで出来るの? あなたがやっていることは、友達としての範疇はんちゅうを超えているわ。はっきり言って、あなたが桜彩にやっていることは、普通の人間には見返りもなしに出来るようなことじゃないわよ。ことここに至ってはもう私はあなたのことは疑ってはいないわ。だけど教えて。あなた、友達の為になぜそこまで出来るの?」


「ちょっと葉月!?」


 桜彩が怒って葉月の方を向くが、それを怜が優しくなだめる。


「桜彩、客観的に考えて、葉月さんの言っていることは間違っていない。葉月さんがそれを疑問に思うのは当たり前だ」


「でも……」


 そこで怜はお茶を一口口に含む。

 そして桜彩と同じように決意を固める。


「少し長くなりますよ」


「構わないわ。話してくれるのよね?」


「はい」


 葉月の目を真っ直ぐに見て頷く。


「怜さん?」


 隣に座る桜彩が心配そうな目で怜を見つめてくる。


「そうだな。桜彩には知っていて欲しいから」


 そう言って怜は過去の記憶を掘り起こす。

 最悪のトラウマと、そしてそれ以上の大きな存在を手に入れた、八年前の事件を。


「昔、俺は友人に救われたんですよ」


 桜彩と葉月は怜を真っ直ぐに見たまま言葉を挟まずに話を聞く。


「八年前、小学校三年生の時、俺は冤罪で器物破損の濡れ衣を着せられたんです」


 ここから先は、間違いなく怜のトラウマの中心だ。

 クラス、いや学校で孤立していた。

 当時の怜を綺麗に表現すればそう言えるだろう。

 あの時の怜は、学校中からいじめを受けていたと言えるかもしれない。

 もうある程度は乗り越えたとはいえ、それを二人に話すのに怜は一度言葉を切る。


「器物破損? 学校のドアとか窓でも壊れたの?」


 葉月の言葉に怜は首を横に振る。


「いえ、違います。壊れたのは……命です」


 その言葉に桜彩と葉月は顔を青くする。


「命……?」


「はい、命です」


 命が壊れたと言われて戸惑う葉月の質問に、怜は淡々と答える。


「ペットの命は法律では物として扱われるんですよ。まあ例外はありますが。俺の通っていた小学校ではウサギやニワトリを飼っていたんです。当時の俺は動物が好きだったんで、飼育委員に所属していました。飼っている動物にエサをやる係です」


 まあこういった物はどこの学校でも多分変わらないだろう。

 二人に細かく説明する必要もない。


「それで、その日の俺は食事当番で早くに登校してウサギ小屋に行ったんです。……そこにあったのは、体を切り裂かれて絶命しているウサギ達の死体でした」


「えっ……」


 桜彩の顔が驚きに染まる。


「あまりのことに俺も驚いて、そのウサギ達に駆け寄りました。触った俺の手はウサギの血で染まって……その体からは内臓が…………」


 何度か大きく深呼吸をして心を落ち着かせようとする。

 だが青い顔をした怜を心配した桜彩が


「怜さん! もう充分です! 無理に話さなくても良いですから! 葉月も良いでしょ!?」


 と大声を上げる。

 しかし怜は片手を上げて桜彩を制する。


「怜さん!」


「待って、桜彩。これは俺が桜彩と葉月さんに知っておいて欲しいことだから」


「でも……」


「桜彩、止めなさい」


「葉月!?」


「怜が話すと決めたのよ。その決意を私達が止めるのは怜に対して失礼よ」


 葉月のその言葉に立ち上がっていた桜彩が椅子に座る。

 それを確認して怜は続きを話す。


「そんな時、担任の教師がやって来たんです。で、状況から俺が犯人になりました。そして一気に学校中に噂が広まって、俺は学校中からそういう目で見られました」


 辛い思い出ながら、怜はそこで無理に笑顔を作る。

 結果として怜は学校中から忌み嫌われて、嫌がらせを受けることとなった。

 いくら本人が『俺じゃない』といったところで、教師が『犯人は光瀬怜』としている以上、説得力はまるでない。


「いえ、正確には四人を除く学校中からですね。実の姉さんと家族同然で兄のように慕っていた幼馴染み。俺と距離の近いこの二人は俺のことを信じてくれました。そして、更に二人。当時は単なるクラスメイトで友人にすぎなかった二人が俺のことを信じてくれたんです」


 怜が犯人であるという話が広まるクラスの中で、これまで休み時間に一緒に遊んだりする程度でしかなかった仲の二人が『ふっざけんな! あいつがそんなことするわけねーだろーが!!』『そうよ! 光瀬君がそんなことするなんてありえない!!』と怜の為に怒ってくれた。

 学校中を敵のように感じていた怜にとって、それは本当に意外であり、そして嬉しかった。


「その二人は、友達とはいってもそこまで仲の良かったわけじゃない俺の為に、声を上げてくれたんです。そして、俺がそんなことをするわけがないって言って俺の無実を証明しようとしてくれたんですよ。結論から言うと、真犯人は担任でした。理由は授業参観の時に、説明のミスを俺に指摘されたことに恥をかかされたと逆恨み。後になって考えれば現れたタイミングが良すぎたり、他に犯人がいる可能性も充分に有るのに俺を犯人として誘導するような話をしたりとかなり怪しかったんですが、当時の俺はそんなことが全く分からないほどに動揺していました。でも、それを疑問に思った友人二人が担任のスマホデータに犯行の一部始終が録画されていることを見つけたんです。ウサギを殺した後、現場に現れた俺の慌てふためく姿を見て面白がって笑っている映像が決定的な証拠になりましたよ」


「そんな……」


「ひどいわね……」


 あまりのことに葉月も口を覆って小さく言葉を漏らす。


「その映像が保存されているスマホを取り返そうとする担任から守ろうとした陸翔、俺の友人の名前ですが、陸翔はその際に担任から暴行を受けて骨折をしましたが、それでもスマホを離しませんでした。出会ってからまだ短い友人の為に、文字通り骨を折ってまで冤罪を晴らそうとしてくれました。ちなみにその後はまあ、大騒ぎになりましたよ。呼び出された俺の両親に、陸翔と蕾華、俺を信じてくれたもう一人の名前ですが、二人が担任のスマホを渡して説明すると、両親二人共マジギレしましたからね。そして更に学校側が話を穏便に済ませる為に、俺が犯人ということで良いじゃないか、みたいなことまで言って」


「そんな……ひどい……ひどすぎるじゃないですか…………」


 そこまで聞いて桜彩は顔を覆ってしまう。


「桜彩と葉月さんならなんとなく分かってると思うんですが、うちって結構裕福なんですよ」


 こんな良い物件に高校生が何不自由なく一人暮らしをしているのだから、隣に住んでいる桜彩やその姉の葉月にもそれは想像が付く。

 まあ桜彩が隣で一人暮らししているという時点で、桜彩の家も裕福なのだろうが。


「さらにまあ両親は色んな所に影響力もありまして、学校側は何とかもみ消すどころか火に油を注ぎ込むようなことをしたわけで。犯人の担任教師は実名で報道されましたし、もみ消そうとした校長もまあすぐにいなくなりました。ちなみに事情を聞いた姉さんが校長室に乗り込んできたりということもありましたが」


 校長が退職したのかクビになったのかは知らないが。

 まあどちらにせよ怜にとってはどうでもいいことだ。


「事件の全容が明るみになった後、クラスメイトの大半は俺に謝罪しました。確かに教師が『光瀬怜が犯人だ』なんて言ったら普通の子供達は疑いなく俺を犯人だと思うでしょう。それは仕方がないとは思いますが、一部を除いて皆に疑われた当時の俺はものすごいショックで軽い人間不信になって、謝られた後も普通に話が出来るまでには時間が必要でした。それでも俺が完全に人間不信にならなかったのは、最初から俺を信じてくれた二人の友人のおかげです。あの二人がいたからこそ、俺はまだ他人と関わり合いを持てたんです。その後二人に『何で俺のことを信じてくれたんだ』って聞いたら『友達信じるのは当たり前じゃねえか』『うん。友達だから』って。そんな二人が本当に格好良くて、憧れたんです」


 そう言った二人は本当に格好が良かった。

 当時の怜は二人のことを、ただの仲の良いクラスメイトとしてしか思っていなかった。

 それが、身内を除けばただ二人だけが自分のことを信じてくれた。

 苦しんでいた自分を支えてくれた。

 憧れない方がおかしい。


「そして俺は人間不信と動物恐怖症という二つと引き換えに、本当に信頼出来る親友を二人得ることが出来ました。そのトラウマも徐々に治していきました。先に言った通り、人間不信は軽い物です。また、当時はショックで動物の姿を見ただけで吐き気がしていたんですが、今はもう昔のように動物好きに戻りましたからね。それに死んでいる動物なら触ることが出来るし、何なら野ウサギを捌くことも出来ます。ですが生きている動物に触ろうとすると当時の光景がフラッシュバックしてくるので、どうしても触ることだけは出来ないんですが」


 苦笑する怜。

 それで桜彩も理解した。

 以前、怜と一緒に猫を見つけた時、動物全般が好きだと言っていた怜が無意識に後ずさっていた理由はそれだったのだと。


「これが俺の過去です。友人に優しくするのに見返りなんていらない。八年前に俺を助けてくれた、尊敬する二人のようになりたいだけ。だから俺は友人には優しくしたいと思っているし、絶対に裏切らないと決めているんです」


「そう……ごめんなさいね、辛いことを話させてしまって」


 葉月の言葉に怜はゆっくりと首を横に振る。


「いいえ、これは俺が桜彩に知っておいて欲しいって思って話したことですから」


 怜のことを信用して、話したくもないであろう過去を話してくれた桜彩。

 そんな彼女だからこそ、隠し事をしたくなかった。


「怜さん……」


「桜彩」


 二人の視線が絡み合う。

 同じような過去を持つ二人。


「俺と桜彩の一番の違いは、俺の側には陸翔と蕾華がいた。それだけだと思う」


 確かに桜彩の言う通り、桜彩の味方をしてくれた友人もいたのだろう。

 しかし、陸翔や蕾華のように身を削ってまで桜彩を助けてくれたわけではない。

 そこが二人の一番の違いだ。


「だからこそ俺は、桜彩にとっての陸翔や蕾華のような存在になりたい。友達を隣で支えられる人に」


「もう……充分に支えてもらっていますよ」


 怜の言葉に桜彩が涙を拭って笑いながら答える。


「でも、二つだけわがままを言わせて下さい。一つは、もしもこれからも私が困った時は隣で私を支えて下さい。そして二つ目は、もしも怜さんが辛い時は私も怜さんを支えるので、竜崎さんや御門さんだけではなく、私にも頼って下さい」


「桜彩……ありがとう」


「いいえ、こちらこそありがとうです」


 そしてお互いに笑い合う二人。

 そんな二人を葉月は幸せそうに見つめていた。

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