第31話 クールさんのマドレーヌ作り② ~家庭科部の講師とは~

「て言うか、新入生に対する部活紹介の一番最初にこんな野蛮な部長がいるイメージを植え付けるのはマイナスにしかならないと思うのですがね」


 そう言いながら、怜はここまで引っ張って来た部長へと向き直る。

 昨日の放課後は部長命令によってこき使われた為、今日こそは自由な放課後を満喫しようとしたところ教室に乱入して来た家庭科部部長に拉致された。

 昨日はともかく、少なくとも今日は用事があるとは言われていなかったのだが。

 ちなみに怜と話していた陸翔と蕾華の親友二人はそんな怜を助けるわけでもなくご愁傷様、といった感じで連れ去られていく怜に手を振っていた。


「別に良いじゃないのよ。ほら、あっち見てみなさい。大して引いてないから」


 部長の言葉に一年生の集団を見ると、怜の方を指差して小声で何か言っている。

 とはいえ表情から察するに、別に怜に対して悪印象を抱いているわけではなくむしろその逆だ。


「ほら、あんたは細かい事気にしすぎなのよ」


「別に細かくはないと思いますけどね。てか、あらかじめ今日も参加しろって言われたら普通に参加しましたよ。何で言わなかったんですか」


「だから細かいこと気にするなっての」


「…………細かくねぇよ」


 怜の最後の一言は、多分何を言っても無駄だろうなあ、と相手に聞こえないくらいの小さい声で口から零れ落ちた。

 そこで部長との話が一段落したので奏が怜の方へとやってくる。


「いやー、きょーかんも来てくれたんだー」


「だからきょーかんはやめろっての」


 相変わらずのきょーかん呼びをしながら寄って来た奏にいつも通りの言葉を返す怜。

 そこで怜も奏の後ろにいた桜彩の姿に気が付いた。


「……渡良瀬?」


「……光瀬さん」


 お互いにポカンとした顔で見つめ合う二人。

 そんな二人を見て奏が説明してくれる。


「そうそう。実はクーちゃんも来てくれたんだ。何でも実はお世話になった人にマドレーヌを渡したいって言って……」


「み、宮前さん!」


 奏の言葉に桜彩が慌てて声を上げる。

 その渡したい相手を前にその様な事を言っては台無しだ。

 慌てた様子の桜彩に奏の方も驚いて


「あ、もしかして、言っちゃ駄目だった……?」


「い、いえ、そういうわけでは……」


 よりによって渡す相手に言われてしまう。

 言いよどむ桜彩に、怜は少し考えて


「ああ、蕾華か」


 と親友の顔を思い浮かべた。

 確かに蕾華は桜彩がクラスに馴染みやすいように、初日から色々と気を配っていた。

 桜彩が今、ある程度普通にクラスに溶け込めているのは蕾華によるところが大きいだろう。

 そんな彼女に対して桜彩がお礼をしたいと思ってもおかしいことはない。

 そう怜は納得したように笑顔で手を叩いた。


「え……?」


 怜の的外れな言葉に桜彩がポカンとした顔で怜を見る。

 そんな桜彩の内心を知る由もない怜がさらに言葉を続ける。


「それなら大丈夫。俺は蕾華と仲が良いけどさすがにそういったことは黙ってるから」


「ああ。クーちゃん、蕾華に渡そうと思ってたんだね。うんうん。そういう事ならウチも黙ってるからね」


「それに蕾華は結構甘いもの好きだから喜ぶと思うぞ。俺も協力するから」


「え、あ、ありがとうございます」


 都合良く勘違いしてくれた二人を前に、桜彩は顔を赤くして下を向いた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「さて、それじゃあ時間になったので始めましょうか」


 時計を見ながらの部長の一言で、皆が私語を止めてそちらへと注目する。


「それでは本日の講師を紹介するわね。光瀬教官、前へ」


 そう言いながら、部長は怜の方へと手を差し出して紹介する。


「…………は?」


 いきなり雑なフリに真顔で部長の方を見る怜。

 そもそも今日は参加するつもりすらなかったのにそんなことを知る由もない。


「ほら、なにやってんのよ。早く来なさい」


 戸惑っている怜に部長が手招きしてくるように指示を出す。


「…………だから俺は何も聞いてないんですけど」


「今言ったでしょ? それにあんた以外に講師が出来る人間がこの部に居ると思ってるの?」


「…………何故その台詞を胸を張って言えるんですか。よくそれでマドレーヌ作りをやろうとか思いましたね」


 眉間に手を当てて呆れながら怜が答える。

 むしろ怜が来なかったらどうするつもりだったのか。

 いやまあ昨日の内にレシピはちゃんと書いておいたし複雑な工程もないので何とかなったとは思うが。


「だから細かいことを気にするんじゃないっての。さあ、早いとこ始めなさい」


(だから細かくねぇよ……)


 だがさすがにこの状況では自分が引き受けるしかないなと思い、怜は家庭科室の前方中央へと足を進める。

 そして一度深呼吸をして気持ちを切り替えた。


「はい、それでは今回のマドレーヌ作りについて講師をすることになりました光瀬怜です」


「みんな~、きょーかんって呼んでくれていいからね~」


「宮前、教官は止めろって言ってるだろ」


 いつの間にか怜の隣に立って、自己紹介に被せるように笑いながら一年生に向かってそう告げた奏の言葉に怜が即座に反応する。


「えー、でもきょーかんはきょーかんじゃん。いーじゃんきょーかんで」


「だからきょーかん呼びするなっての……まあいい、とりあえずはそんなわけでここからは俺が説明しますね」


 きっと奏は折れないだろうしこれ以上は時間の無駄ということでさっさと説明へと入る。


「マドレーヌは基本的に初心者でも簡単に出来ます」


 そう言って怜は昨日の放課後に作ったマドレーヌの簡易レシピを皆へと配っていく。

 参加者全員へと配り終えた後、怜は再び元の位置へと戻って説明を続ける。


「本来であれば薄力粉とかベーキングパウダーだとか、色々と準備するのですが、今日はホットケーキミックスを使ってさらに簡単なレシピで作ってみましょう」


 言いながらホットケーキミックスの袋を持ち上げる。


「ちなみにこの中でよくお菓子を作ったり、マドレーヌを作った経験がある人はいますか? ……おいこら家庭科部員共、何で一人もいないんだよ」


 教室内をさっと見渡すが、誰一人として怜の問いに手を上げない。

 一年生や部員以外の者は良いとしても、家庭科部員が一人も手を上げないのはどうなのだろうか。


「まあさっきも言った通り、かなり簡単なレシピにしているので未経験者でも問題なく作ることが出来ますよ」


「あ、ホントだ。基本的に混ぜて焼くだけなんだね」


「そのようですね。使う材料も少ないようですしこれなら私でも出来そうです」


 奏と桜彩がレシピを見ながら小声でそんなこと話している。


「それではさっそく始めましょうか。まずは手を洗って下さいね。分からないことは適宜聞いてくれて良いですから」


 それだけ言ってパン、と両手を打ち鳴らすと、皆がそれぞれ手を洗いに向かった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「きょーかん、混ぜるのってどんなもん?」


「なるべく均一になることを重視して。あと混ぜすぎると泡立ってしまうからそれも注意しながらだな」


「きょーかん、大体こんなもん?」


「先輩のはまだダマが残ってますね。まだ足りません」


「あ、あの、先輩……。このくらいで大丈夫でしょうか?」


「うん。ちゃんと混ざってる。それじゃあホットケーキミックスを加えていこう」


「はいっ」


 混ぜ具合が気になるのか、何人かが怜に確認を求めに来る。

 基本的にかき混ぜるだけではあるのだが、逆に言えば失敗するとしたらそこだろう。

 せっかく作るのだから、皆に成功して欲しい。

 そう思いながら怜は各人の様子を確認していく。


「あ、クーちゃんのやつも結構いー感じになってきてない?」


「そうですね。確認してもらいましょうか。でも既にいい香りが漂っています」


 桜彩と奏も皆と同じ様に材料を混ぜていく。

 今の桜彩は怜の家と同じように髪が邪魔にならない様にポニーテールに束ねていて、学内で見る姿とは印象が変わっている。


「すみません光瀬さん。混ぜ具合を確認していただけますか?」


「分かった。すぐ行く」


 桜彩の言葉に怜がそちらへ向かおうとすると、奏が怜へとニマッとした笑みを浮かべる。

 正直嫌な予感しかしない。


「ちょっとクーちゃん。ここで光瀬さん、なんて言ったらダメだよ~。ちゃんときょーかんって呼ばなきゃ」


「え? きょ、教官ですか?」


「そーそー。今ここにいるのはクラスメイトの光瀬怜じゃなく、ウチらに料理を教えてくれるきょーかんなんだから。それがこの部活のルールなの。りょーかい?」


「え? ええ?」


「そんなルールはない! 嘘を教えるな! 一年生が信じたらどうすんだ!」


 慌てて怜が訂正する。

 昨年はこの調子で奏にきょーかん呼びされたため、そのままなし崩し的に家庭科部員全員にきょーかんと呼ばれることになってしまった。

 別にそこまで嫌というわけではないが、それはそれで何かとむず痒さを感じてしまう。


「ん-、まあクーちゃんは部員じゃないから今のところはいっかー」


「……もう面倒だから突っ込まないぞ」


 そう漫才の掛け合いのように話す怜と奏。

 その二人の姿を見た桜彩の心が何故かざわつく。


「あ、あの、光瀬さん。こちら、確認していただけますか?」


 少し焦った様に二人の間に割って入り、その手に持ったボウルの中身を怜に見せる。

 それで怜も奏から離れて桜彩のボウルを確認する。

 中身は丁寧に混ぜられたようで、ダマや気泡は見当たらない。


「うん。渡良瀬のも大丈夫だな」


「ありがとうございます」


 怜と桜彩のそんな姿を隣で奏が『ん~?』と首をひねりながら見ていた。

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