第30話 クールさんのマドレーヌ作り① ~家庭科部へようこそ~

「これは……」


 いつもと同じように一人で登校してきた桜彩が教室に向かう途中、廊下の張り紙を見て足を止めた。

 新学期が始まってまだ一週間程度、一部を除いた各部活は新入部員獲得のために躍起になる時期である。

 領峰学園でも例に漏れず、昨日から部活動が解禁となった。

 その為、各部活ごとに割り当てられたスペースに勧誘のチラシが張られたしているのだが、その内の一枚が桜彩の目を引いた。


「あ、おはよー、クーちゃん。なになに、ウチの部に興味あるの?」


 ぽん、と肩を叩かれた桜彩が振り返ると、クラスメイトの奏が笑顔で立っていた。


「おはようございます、宮前さん」


「うん、おはよー。それでそれで、繰り返すけどクーちゃんってウチの部に興味あったりする?」


 目を輝かせて繰り返し桜彩に聞いてくる奏。


「えっと、ということは宮前さんは……」


「うん。ウチは家庭科部に入ってるんだ。意外だったかな?」


「あ、いえ、そういうわけでは……」


 そう言いつつも張り紙へと視線を戻す。

『料理未経験者でも簡単に作れるマドレーヌの作り方、教えます。ぜひとも家庭科部へ』という見出しが大きな文字で本日の日付と共に記載されていた。

 その下にも『新入生に限らず誰でも歓迎!』『彼氏やお世話になっている相手に感謝を込めて』『もちろん男子も参加OK』と様々な謳い文句が記載されている。

 その内の『お世話になっている相手に感謝を込めて』という一文が桜彩の足を止めた一番の理由だ。


「まあ家庭科部もお菓子作りとか料理以外にもいろいろとやってるんだけどねー。でもやっぱ一番目を引くのって料理じゃん? そんなわけで今日はマドレーヌを作ってみようってことになったわけ」


 桜彩の後ろから奏が色々と説明してくれる。

 確かに料理部ではなく家庭科部という名前である以上、裁縫等もその範疇に入っているのかもしれない。

 そんなことを考えていると、再度奏が桜彩に聞いてくる。


「で、クーちゃんは家庭科部に興味があったり?」


 ニコニコしながら期待した目を向けてくる奏。

 奏の質問に桜彩は後ろを振り返って少し考えてみる。


(私がマドレーヌを作ったら、光瀬さん、喜んでくれるかな?)


 日頃から色々とお世話になっている怜にお礼としてマドレーヌを作ってみたら、一体どんな反応をするだろうか。


(でも、微妙な顔をされたらどうしよう……)


 そもそも怜は先日のチーズケーキやプリンのようにお菓子作りも普通にこなしているし、きっとマドレーヌも自分で美味しく作ることが出来るだろう。

 それこそ初めて作る桜彩の物とは比べ物にならないくらいに。

 とはいえ、このままでは怜に対して桜彩は甘えるばかりで何一つ返すことが出来ない。

 怜は気にしないだろうが、それでは桜彩の心にモヤっとしたものが残る。


「あの、宮前さん」


 奏に真剣な目を向けて、思い切って聞いてみる。


「ん? なーに?」


 今まで教室で見せているクール系美人とは違った感じの桜彩に、奏は驚くことなく普通に対応する。


「『料理未経験者でも簡単に作れる』と書かれていますが、本当に大丈夫でしょうか?」


「うーん、ウチも作ったことないから分からないけど、多分大丈夫じゃない? 何しろ講師が優秀だし」


 自分の部活のことなのに何とものんきな返事だが、奏の言葉は桜彩の背中を押すには充分だった。


(うん、そうだよね。失敗しても自分で食べればいいだけだし……)


 下を向いて真剣な顔でそう考える桜彩に、奏が笑顔を向ける。


「それでそれで? クーちゃん、参加してみる?」


「そうですね。参加してみたいです」


「お? マジ? それじゃあ放課後一緒にいこーね!」


「はい、よろしくお願いします」


「うんうん。緊張しなくてもいーよ。多分部員以外にも何人か参加すると思うから」


「そうなのですか」


 そう返事を返した時の桜彩は再びいつものクール系美人モードへと入っている。

 しかし、その目に映った奏のニマっとした笑みに気が付くことはなかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「それじゃあクーちゃん、行こっか」


「はい。よろしくお願いいたします」


 放課後、桜彩は奏と共に家庭科部の活動場所である家庭科室へと向かう。

 怜に『部活を見学する為に遅くなるかもしれません』とメッセージを送った所、『了解 帰ったら連絡して 急がないでいいから』と返事が返ってきた。

 それに対して『OK』と例の猫のイラストスタンプと共に送り返したらすぐに既読が付いたので、帰る時間については心配はいらない。


(上手に出来るかな……?)


 そんなことを考えながら表情はいつも通りのクールフェイス、内心でドキドキとしながら家庭科部の扉を開けた。

 中には既に入部希望と思われる一年生が十人程度、それと十五人程度の上級生が集まっていた。


「あ、奏。お疲れー」


「おつー」


 さっそく奏は中にいた部員と話を始める。


「あ、もしかしてその人、奏のクラスの転入生?」


 奏が話していた相手が桜彩の方を見ながら問いかける。

 すると部員の何人かも桜彩の方へと視線を向ける。


「そうそう。クーちゃんこと渡良瀬さん。ウチの部に興味があるみたいだから引っ張って来た」


「お、やるじゃん。さっそく一人新入部員ゲット、みたいな?」


「ん-、まだ入ってくれるってわけじゃないから。あくまでも今日はお試しだからね」


 そう言って奏も桜彩の方へと向き直る。


「渡良瀬桜彩です。本日はよろしくお願いいたします」


 そうぺこりと頭を下げる桜彩。

 その反応に部員達は少し沈黙し、直後に皆が桜彩の方へと寄ってくる。


「うん、よろしくねー」


「渡良瀬さん、かったいなー。もっとフランクでも良いんだよ?」


「そうそう。緊張しなくたって大丈夫だって。うちに怖い人なんていないんだから」


 などと口々に桜彩へと話しかける。


「え、えっと……」


 そのテンションの高さに戸惑う桜彩。

 そんな桜彩を助けるように、奏が割って入る。


「まあまあ、みんな落ち着いて落ち着いて」


「あ、ごめーん。ちょっとテンション高かったよね」


「ごめんね、渡良瀬さん」


「いえ、私は大丈夫です」


 ひとまず落ち着いたので、桜彩もいつも通りのクールな対応に戻る。


「でも渡良瀬さんもお菓子作りに興味あるの?」


「い、いえ……。ただ最近お世話になっている方に何かお礼を出来ればと思いまして……」


「あ、そうなんだ。実はあたしも家庭科部じゃないんだけど、彼氏に作ってあげようかなーって」


 そんな感じで周りの女子とも自然に話が進んでいく。

 奏の言った通り部員以外の生徒も気楽に参加が出来るようで、これなら桜彩が必要以上に目立つこともない。

 家庭科部員でもないのに参加するのはどうかと少し心配だったのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。


「ですが、皆さん女性ばかりなのですね」


 家庭科部内を見渡すと、女子ばかりで男子は一人もいない。

 奏も桜彩の言葉に頷きながら、


「まあね。今の時代は男も料理が出来ないと~、なんて言うけど、やっぱり男子はこういった部活は入りにくいから」


「うんうん。まあ一応一人だけ半分幽霊部員状態の男子がいるんだけどね」


「え? そうなのですか?」


 周囲を見回しながら確認する桜彩。


「うん。でも今日はまだ来てないね。部長が引っ張ってくるって言ってたから逃げられなかったらその内来ると思うけど」


「あ、もしかして、渡良瀬さんって男子がダメなタイプ?」


 その質問に桜彩が答えようとしたところで、横から奏が桜彩より早くその質問に答える。


「あ、だとしてもだいじょーぶだと思うよ。クーちゃんも何度かふつーに話してたから」


「え?」


 奏の言葉に思わず声を上げてしまう桜彩。

 元々男子が苦手というほど苦手ではないが、転入してきてから男子とは数える程しか話していない。

 その内、奏の前で普通に話した相手と言えば、昼食の時に軽く雑談程度の話をした陸翔と――


「痛い! 痛い! 首締まってる! 別に逃げませんから! だから離して下さい! 部長!」


「ダメよ! あんたの言葉は信用するなって先輩から言われてるんだから!」


 するといきなり廊下の方から男女の話す声が聞こえて来た。

 女子の方は聞き覚えがないが、男子の方の声は桜彩が毎日聞いているあの――


「あーあ、やっぱり逃げられなかったかー」


「だよねー」


「いや、今の感じだと普通に来いって言えば来てくれたんじゃない?」


 などと家庭科部の部員も廊下の方を向いて呆れたように笑いながら話している。

 ということはやはり先ほど言っていた男子の幽霊部員というのはやはり……。


 ガラッ


 考えていると家庭科室の扉が開き、そこから三年生の女子と、そして予想通りの男子の姿が現れる。

 制服の襟を掴まれた怜が。


「お待たせ、みんな。ちゃんと捕まえて来たわよ」


「お、立川たちかわ、お帰りなさい」


「お帰りなさい、部長。ちゃんときょーかんを捕まえて来たんですね」


「当然じゃない。逃がすわけないでしょ」


 そう言って部長と呼ばれた女子、立川は戦利品のごとく左手に掴んでいた怜を家庭科部の中へと放り出した。


「…………」


 目の前の光景を桜彩は真顔で目を丸くしたまま信じられない気持ちで見つめている。

 確かに怜はボランティア部の他に部活を掛け持ちしていると言っていた。

 だが普段の怜を見ていると、これほど合っている部は他にないのではないか。

 その事実に気が付かなかったことについてうなだれる桜彩。

 つまるところ、怜の掛け持ちしている部は桜彩が訪れた家庭科部である。

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