第26話 二人のルールと手作りのプリン
食後は約束通り、桜彩に洗い物について教えた。
一応汚れても問題のない服装をしているものの、だからといって積極的に汚しに行くのもなんなので桜彩に怜のエプロンを貸している。
「ストップ。まずは汚れの少ないものから洗っていこう」
「は、はい」
最初からホイコーローを盛った皿を洗おうとした桜彩を止める。
怜の言葉に桜彩は皿をシンクの端に寄せ、ルイボスティーを淹れていたコップから洗い始める。
「油の付いている物を洗う時は、まずお湯である程度排水口に落としてからにしよう」
「はい」
「それと洗剤はスポンジに付けた後、ちゃんと泡立てる事」
「泡立てるのですか?」
「ああ。泡立てることにより表面積が増えて、洗剤と汚れの接触面積が増えるからな」
「分かりました」
そんな感じでたまに怜のアドバイスを受けつつも洗い物を片付けていく桜彩。
桜彩にアドバイスを送りつつも、怜はコンロに霧吹きを吹きかけていく。
「光瀬さんは何をしているのですか?」
「コンロの油汚れ対策だよ。重曹を水に溶かした重曹水を吹き付けて少しの間放置してからキッチンペーパーで拭くだけである程度は綺麗になるからな」
「そうなのですか?」
「ああ。油汚れには重曹が一番だ。まあ汚れがひどくなったら本格的にやるけど日常的にはこれで充分だな」
桜彩が洗い物を終えるタイミングで怜もコンロの上をキッチンペーパーで拭くと、ホイコーローを作る際の汚れが簡単に落ちていく。
それを桜彩が横から驚いたように見ていた。
「それでは光瀬さん、エプロンをお返ししますね」
そう言いながら桜彩は怜のエプロンを脱いでいく。
怜のエプロンはたすき掛けではなく首掛けタイプの着用方式なので、桜彩が首紐から首を抜く時にその長い髪をかき上げるようにする。
その際に一瞬覗いた桜彩のうなじに妙な色っぽさを感じてしまい、怜の心臓がドキッとする。
「はい。ありがとうございました」
「ああ」
内心の動揺を顔に出さないようにして、桜彩からエプロンを受け取る。
そしてある意味ここからが本日の用件だ。
「それでは光瀬さん、お願いします」
「分かった」
そう言って二人はそのまま桜彩の家へと向かう。
先日、桜彩の家の中に入った際に、怜の目から見て色々と突っ込むべき箇所があったのでその対策の為だ。
「一応念の為に確認するけど、俺が入っても大丈夫なんだよな?」
「はい。何度も言いますが、光瀬さんの事は信用していますので」
そう言ってくれるのは嬉しいのだが、もう少し疑ってもいいのではないかと思う。
自分でそう考えるのもなんだが。
「ってそうじゃなくて、見られたくない物とかはないのかなと……」
先日、桜彩の部屋へと入った時に軽く室内を見たのだが、その時は特にそういった物はなかったはずだ。
しかし、あの時はキッチン以外は流し見した程度で今とはシチュエーションが違う。
世の大半の男性が女性に見られたくないものを持っているように、女性として男性に見られたくないような物もいくつかあってもおかしくはない。
まあ怜や陸翔、蕾華の三人の関係では特にそんなこともないのだが。
「いえ、大丈夫ですよ。先ほど帰ってから少し片づけましたし、衣類もちゃんと
「分かった。それじゃあお邪魔するよ」
「ふふっ、お邪魔ではありませんよ。むしろ今回も私が助けてもらう立場ですので」
そうにっこりと微笑みながらドアを開けて中へと入っていく桜彩に怜も続いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
確かに桜彩の言う通り、リビングは片付いていた。
心配しすぎたかなと軽く胸を撫で下ろす怜。
「それじゃあやっていこうか」
「はい!」
そう言って腕まくりをする桜彩。
怜も先程桜彩から返してもらったエプロンを着用する。
「まずはシンクからだな」
幸いなこと、と言っていいかは分からないが自炊をしたのがつい先日の一回だけ、ということもありシンクはそこまで汚れていない。
それでも朝の一件があった為、怜はシンクを洗い直す。
もちろん排水口のごみ受けも含めて。
それが終わると放課後に桜彩と共に買いに行った物の中から三角コーナーと水切りネットを取り出してシンクの片隅に設置する。
「渡良瀬、生ごみが出たらここに入れてくれ。そしてある程度水が切れたら密封型のごみバケツの中へとすぐに入れること」
「は、はい!」
虫、というかゴキブリが苦手な桜彩が緊張した面持ちで返事をする。
怜は桜彩ほど苦手というわけでもないのだが、もちろんいない方が良いに決まっている。
「ですが、これからは光瀬さんの家でご飯を食べるのですよね? それでしたら生ごみは出ないのでは?」
「いや、休日の昼とかはまた別だろう。それに俺が体調を崩したりすることもあるかもしれないしな」
「……そうですね。そう言われればそのような可能性もありましたね」
少し考えてから『あっ』と気付き、残念そうに言う桜彩。
怜が今朝言ったのは朝食と夕食を共にする、というだけだ。
桜彩の脳内ではそれが毎食、という風に変換されていた。
残念そうな桜彩の顔を見て、少し思案してから怜が口を開く。
「……まあ、休日の昼も暇だったら二人分作るのもやぶさかじゃない」
「え?」
怜の言葉に驚いて顔を上げる桜彩。
「いや、まあ、あくまでも俺が家にいる時だぞ。休日は俺も外に出ることが多いからな。だからあくまでも俺が家にいる時だけだ」
照れくさそうにそう言葉を続ける。
「……良いのですか?」
「一人分も二人分も大して変わらないって言ったろ? それに俺だって一人で食べるよりも俺の料理を美味しいって言ってくれる相手と食べる方が幸せだからな」
「…………ふふっ。ありがとうございます、光瀬さん」
「ああ」
そんな感じで二人はキッチン周りの片付けを進めていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、ルールを決めるか」
再び怜の家のリビングに場所を移して二人での話し合いを始める。
これからある意味共同生活ともいえる感じの生活を送ることになるわけで、その際にトラブルを防ぐ為にも先に色々と決めておいた方が良い。
そんなわけで大まかに決めたルールは
・食材の費用は桜彩が七割の負担
・光熱費は怜が全額負担
・個々で食べる場合は事前に連絡 休日の昼食も同様
・朝食の準備は六時半、夕食は十八時半
・食べたいメニューがある時は早めに
・怜が個人的に作りたいと思った時は、怜が全額負担
という六つのルールを作った。
少し揉めたのは材料費の割合で、光熱費は怜が全額負担する分、食材の費用は桜彩が多めに出すという事までは二人とも納得していた。
怜としては桜彩が六割でも問題ないと主張したのだが、料理を教えてもらう以上、その分を多めに出すと桜彩が譲らなかった。
その分最後のルールを追加して、怜が個人的に作りたい物、具体的なことは桜彩には言わなかったが食後のデザート等は怜が全額負担することにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあルールも決まったことだし一休みしようか」
そう言って怜が冷蔵庫からプリンを取り出す。
例に漏れずこれも怜の自家製だ。
「これも光瀬さんが作ったのですね」
市販品とは違い、私物の器に入ったプリンを見て写真を撮りながら桜彩が驚く。
「ああ。といってもこれは片手間で時短で作ったからそこまで期待されても困るけどな」
お茶を淹れながら答える怜。
二人分のお茶を淹れてリビングへと運び、椅子に座って手を合わせる。
「それじゃあいただきます」
「いただきます」
まず桜彩がスプーンをプリンへと運んで掬い取って口に入れる。
「んんっ……美味しい!」
一口食べて桜彩がうっとりとした表情で感想を言ってくれる。
今回はある意味手を抜いて作ったのだが、それでも美味しいと言ってくれるのはやはり嬉しい。
「それじゃあ俺も」
桜彩の感想に満足した怜もプリンを掬って食べてみる。
「うん。普通に美味しく出来たな」
怜もプリンの出来栄えには満足する。
さすがに手間暇かけてこだわって作った物や、リュミエールで光が作るような物と比較すると味は落ちるのだがそれでも美味しいものは美味しい。
時々誤解されるのだが、怜は色々な物を『美味しく』食べることが出来る人間だ。
料理漫画等に登場する食通のように、一々文句を付けたり普通の料理をマズイと感じるような人間ではない。
ファーストフードを利用することもあるし、スーパーで量産品のスイーツを買い込むこともある。
ただ怜自身が料理が好きということもあり、自分で作るのなら出来るだけ美味しい物を作りたいと思っているだけだ。
「本当にこれで手間を掛けてないんですか?」
驚いた顔をして桜彩が聞いてくる。
桜彩からすれば手間暇かけずにこんなに美味しい物を作れるなんて信じられない。
「本当だぞ。牛乳と砂糖と卵を混ぜて電子レンジで加熱した後に冷やしただけだし、カラメルも砂糖と水を加熱して混ぜただけだからな」
「嘘!? そんなに簡単に出来るんですか?」
「ああ。しかもこの作り方なら時間と分量さえ間違えなきゃ大きく失敗はしないしな」
肉や野菜に火が通ったかどうかを見極めるのは少し経験が必要だが、スイーツ系のレシピはむしろレシピ通りにしっかりと作れば大抵の場合は美味しく出来る。
「はぁ……そうなのですね」
スプーンに掬ったプリンを目の前に持ってきて見つめながら感心したように呟く桜彩。
そしてそれを口に入れてまたも幸せそうな表情をする。
「はぁ……幸せ……」
本当に片手間程度に作ったのだが、ここまで喜んでもらえるとは思わなかった。
「ちなみに牛乳の代わりにミルクティーやココアでも出来るからな。結構簡単に味を変えられるんだ」
「そうなのですね。そちらの方も食べてみたいです。……あっ!」
そう言ったところで桜彩は何かに気が付いたようにハッとして顔を赤らめる。
「渡良瀬?」
疑問に思った怜が尋ねてみると、桜彩は慌てて手をバタバタとさせながら首を横に振って
「い、いえ、今のはですね、別に催促とかそういった事ではなくて……」
恥ずかしさで赤くなった顔を下に向けて細々と言う。
確かに聞きようによって、今の発言はそういった物も作ってくれと捉える事も出来るだろう。
長い髪の間から見える耳まで赤くした桜彩のその仕草が何とも愛らしい。
「あはは、分かってるって。でも渡良瀬がこれを気に入ってくれて良かったよ。このレシピなら渡良瀬にも簡単に作れるから」
「え?」
まだ赤い顔のまま顔を上げて怜の顔を見る桜彩。
「今度一緒に作ってみようと思ったんだ。自分で作り切ることが出来れば自信にも繋がるだろ? だからこれを美味しいって言ってくれて良かったよ」
「光瀬さん……もしかして、これを作ったのは私の為に……」
色々な物を作ることの出来る怜があえて簡単なレシピを使った理由に気付いて驚く桜彩。
「いや、別にそういうわけじゃない。今日は買い物に時間を取られたし、色々と時間がなかったからな」
桜彩の指摘に今度は怜が顔を赤くして視線を逸らす。
そんな怜の仕草を見て桜彩は口元に手を当ててくすくすと笑う。
「ではそういう事にしておきます。今度、一緒に作りましょうね」
「ああ」
「ふふっ。楽しみにしておきます」
そう次の約束をして、二人でプリンとお茶を楽しんだ。
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