第21話 クールさんとの新たなる関係 ~半同棲生活の始まり~
怜に言われた通りごみの処理をしてから怜の部屋を訪れた桜彩。
インターホン越しに入っても良いと言われて中へ入ると、エプロンを着用した怜が皿を運んでいた。
そしてリビングのテーブルに準備されたのは二人分の朝食。
ハムとチーズの入ったホットサンドとスクランブルエッグにコンソメスープ、それにサラダにフルーツの入ったヨーグルト。
怜にとってはある意味目新しくもなんともない、しかしコンビニやスーパーの弁当や総菜パンを食べていた桜彩にとっては引っ越して来てから一度だけあった怜の家での夕食を除いては最も豪華な食事である。
「あの、光瀬さん……」
「これは何ですか、とかは言うなよ。見ての通り、二人分の朝食だ」
ぶっきらぼうにそう答える怜。
桜彩の言おうとしたことがなんとなく分かったので先手を打っておく。
「ですが……」
「もう作った後だからな。いらないとか言ったらこれが全て生ごみにに変わるからな」
ちょっと脅迫を込めて言ってみる。
桜彩の性格上、こう言ってしまえば断れないだろう。
怜の予想通り、桜彩は申し訳なさそうにしながら席に着いて
「で、ではお言葉に甘えさせていただきます」
「ああ、甘えてくれ」
そう怜は笑顔で答えた。
これで少しは栄養のあるものを摂れるだろう。
「あ、あの、後でお金は支払いますので」
「別に構わないぞ。瑠華さんが押しかけて来た時とは違ってこれは俺の自己満足だからな」
あくまでもこれは怜がやりたくてやっているお節介である。
半分脅迫じみたやり方で朝食に誘われた桜彩がお金を払う必要はない。
しかし桜彩は首を横に振る。
「いえ、そういうわけにはいきません。そこは私も譲れません」
きっぱりと言い切る桜彩に、まあそこまで言われてはしょうがないので怜もそれは受け入れる。
「分かった。ただその前に朝食を食べてしまおう。せっかくだから冷める前に食べたい」
「そうですね。せっかく作って下さったんですから、より美味しく食べたいです」
そう言って二人は笑い合いながら席へと着いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
本当に美味しい。
ホットサンドは中のチーズがとろけていて、中のハムに絡み合い絶妙な塩加減だ。
スクランブルエッグもふわふわで、胡椒がピリッと効いている。
コンソメスープは中に入っている細かくカットされた野菜の旨味が感じられる。
サラダも先日食べたドレッシングとは別のドレッシングが掛けられており、シンプルな味わいだが野菜のシャキシャキ感を感じられて飽きがこない。
これら全てが目の前の男性が短時間で作った物だという事実に驚きながらも、桜彩の食べる手は止まらない。
本人はそんなに大したものじゃないと謙遜しているが、桜彩から見れば充分すぎる程大したものだ。
スープはまだストックがあったようで、空になった器を見てお代わりを確認してくれる。
そしてフルーツヨーグルトを食べ終わり、紅茶を飲みながら二人で一息ついたところで考え込んでしまう。
同じ年の男性がしっかりと一人で生活しているのに、自分はどうしてここまでダメなのかと。
「凄いですね、光瀬さんは」
気が付いた時にはつい思った言葉が口に出ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
桜彩のその言葉を聞いて、怜が不思議そうな顔をする。
「いや、別に凄くはないよ。大した料理じゃないしな」
「いえ、充分すぎる程に凄いです。少なくとも私にはこんなに美味しい料理を作ることなんて出来ませんから。私なんてごみを捨てる事すら出来なかったのに……」
「それはあくまでも経験の差だろ。俺だって最初から上手に作れたわけじゃないんだぞ。むしろ渡良瀬のような失敗を何度も何度も繰り返してたからな」
「えっ!? そうなのですか?」
今の怜しか知らない桜彩としては、怜が料理が苦手だったなどと言われても信じられない。
「ああ。失敗するたびにその反省を次に活かしての繰り返しだ。そうやってコツコツと積み重ねて、それでようやく自分の力になっていく。料理ってのは勉強とかと同じでそういう物だと思ってる。たまに天才と呼ばれる才能型の人もいるかもしれないけど、少なくとも俺はそっちに分類されるような人間じゃない」
苦笑いしながら答える。
小学生の頃、母に聞きながら作った野菜炒めはべしょべしょだった。
オムレツがスクランブルエッグになった。
そんな経験を糧として、怜の腕前は徐々に成長していったのだ。
「だから渡良瀬だって経験を積み重ねていけば成長出来るさ」
「ですが……」
怜は相手の
桜彩が何を考えているかは良く分かる。
「なあ、渡良瀬。渡良瀬はこのままで良いと思ってるのか? それとも料理だけじゃなく、様々な面でちゃんと一人で暮らせるようになりたいのか?」
桜彩の目を正面から見て問いかける。
その怜の視線を受けて、桜彩の目が一瞬泳ぐが怜の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「私……私は、もっとちゃんと生活出来るようになりたいとは思っています。変わりたいと思っています。でも……」
それだけ聞ければ怜にとっては充分だ
やる気のない相手を無理にやる気にさせる必要はないと思っているし、他人には他人の考え方がある為、本人がそう望むのならそれはそれで悪いことだとは思わない。
だが、桜彩は自分の意志で『変わりたい』と口にした。
友人がそう言うのであれば、怜はその力になりたい。
(差し当たっては食生活か。となると……)
桜彩の食生活に関しての対策が怜の頭に浮かぶ。
そしてそれを桜彩に向かって口にする。
「それならな、渡良瀬。これからは朝食と夕食をうちで食べないか?」
「…………え?」
思いがけない怜の提案に桜彩が驚いて目を丸くする。
「それは、私と光瀬さんがここで一緒に食べる、ということでしょうか?」
「ああ、そうだ。その時に料理については教えられると思う。今まで経験がなかったのなら、これから経験していけばいいさ。隣に俺がいるから失敗する可能性は低くなるしな」
その言葉に桜彩は少し考えこむ。
怜の料理の腕は良く分かる。
確かに隣で怜が教えてくれるのなら、自分一人で作るよりも失敗する可能性は低くなるだろう。
「あの、それは確かに私にとってはメリットしかない提案なのですが、光瀬さんにとってはデメリットしかないのではないですか?」
「そのメリットとデメリットという考え方を一度捨てろ。俺にとって友人の助けになりたいというのにメリットもデメリットもない」
「光瀬さん……」
「それに、だ。別に俺にメリットがないわけでもない。一人分作るよりも、むしろ二人分作る方が楽な面もある。一人だと使い切れない食材を買ったりとかな。他にも渡良瀬が慣れてくれば、二人で並行して作業出来る為に手間が大幅に減る。それにな」
そこで怜は一度言葉を切る。
そして少し恥ずかしそうに桜彩から視線を外して、椅子の上に置かれている猫のぬいぐるみを指差しながら続きを言う。
「瑠華さんが言ってただろ? 『れーくんって大人びて見えるけど、やっぱりまだ高校生だからね。一人ぼっちでの食事はなんか寂しいってことで、気を紛らわせるためにそこにぬいぐるみを置いてるんだよ』って。まあ、なんだ。俺も一人の食事ってのは、まあ、寂しく感じるものなんだよ。それに渡良瀬は俺の料理を美味しいって言ってくれるから、それも嬉しい」
顔を赤くしてそっぽを見る怜。
大人びている怜が日頃はあまり見せないその子供っぽさに、桜彩もつい笑みが零れてしまう。
「ふふっ。光瀬さんは本当に優しいですね」
「言ってるだろ? 俺がやったことは、俺がやりたくてやったことだってな」
照れくささから桜彩から視線を外したままぶっきらぼうに答える。
「では私も前に言ったことを言わせてもらいますね。私があなたに感謝するのは私の自由のはずです」
「う……」
これは桜彩に一本取られた形だ。
そして桜彩は表情を正して怜に向き直る。
「それでは光瀬さん、お願いします。私がちゃんと暮らしていけるように、お手伝いをしていただけますか?」
その問いに怜も桜彩を真正面から見据えて頷く。
「ああ、任された。『約束』するよ」
「はい。『約束』ですね』」
そう言って桜彩は右手の小指を立てて差し出してくる。
怜もその意図を察して自分の小指を桜彩に差し出す。
そして指切りをして怜と桜彩は再び笑い合う。
これが、本来であればありえなかった二人の生活。
いくつもの偶然が重なりあって生まれた日常。
二人がこれから手にするであろうかけがえのない新しい幸せ。
その第一歩となる半同棲生活の始まりであった。
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