第20話 不審者の正体とクールさんとの新たな関係
桜彩の自室からリビングへと移動して、桜彩の姉からのメッセージ内容を話された怜。
つまりなんだ、桜彩の説明を簡潔にまとめると
「渡良瀬のことを心配したお姉さんが、昨夜に様子を見に来たってことか?」
「はい……」
今にも消え入りそうな、聞こえるか聞こえないかくらいの声で桜彩が返事を返す。
俯(うつむ)いており表情は分からないが、長い髪の隙間から覗く耳は羞恥の為か完全に赤く染まっている。
「エントランスはちょうど他の住人の方が出入りするタイミングで抜けてきたようなのですが、インターホンを押しても反応がない為にノックしたのだと。それを私が不審がって出なかったことからすでに眠っていると思って帰ったとのことです。合鍵に関しては姉の自宅に忘れてきたようです」
「あぁ……なるほど…………」
何というか『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とでも表現すればいいのか、少し意味は違うが。
「本当にごめんなさい!!」
昨晩から何度目か分からない桜彩の謝罪。
申し訳なさそうに頭頂部が見えるほどに深く頭を下げてくる。
しかし桜彩からの言葉で昨晩の真実が明らかになり、怜もやっと一安心して椅子の背もたれに体を預けた。
「私の勘違いで光瀬さんにはとんだご迷惑を……」
「いや、それなら安心したよ」
「え……?」
優しい口調での怜の言葉に桜彩が本気で驚く。
昨夜からの桜彩の行動は、相手が相手であれば本気で呆れたり怒ったりしてもおかしくはない。
「安心したって……何で……」
「何でって、そりゃあ渡良瀬に危険が及んでたわけじゃないって分かったからに決まってるだろ」
何を当たり前の事を言っているのかと逆に怜が驚く。
昨日の夜の件が桜彩の姉という事であれば、そもそも不審者などいなかったということだ。
それは桜彩にとっては歓迎すべきことだろう。
「ですが、私の勘違いで迷惑を掛けてしまったのに……」
「だから勘違いで良かったじゃないか。もしも本当に不審者がいるってことになったらもっと大事になるだろ?」
「そ、それはそうですが……ですが、本来であれば光瀬さんにご迷惑を掛けることもなかったのに……」
「あのな、渡良瀬」
怜が真剣な表情で桜彩と向き合う。
その視線を受けて、桜彩も緊張した表情で怜を見る。
「は、はい」
「女の子の一人暮らしなんだぞ。用心するに越したことはないだろうが」
「で、ですが……」
「ですがじゃない。もしも本当に不審者だったらどうするつもりだ? 何かあってからじゃあ遅いんだぞ」
「そ、それは……」
桜彩も最初はそう思ったからこそ、ついとっさに怜へと助けを求めたのだ。
「だからそういった相手じゃなく、渡良瀬に危害が及ぶ可能性がないことを素直に喜べば良いんだよ。俺はそんなことで呆れたり怒ったりはしない。もしも呆れたり怒ったりするのであれば、それは今の渡良瀬の考え方についてだ。むしろそこで助けを呼ぶのを躊躇して何かあった場合は取り返しがつかないぞ?」
「そ、そうですが……」
その言葉に桜彩が委縮してしまい、それを見て強く言い過ぎたかなと反省する。
「…………まあ、俺もちょっと強く言い過ぎた。だけどな、これだけは言っておくぞ。何かあった時に頼られて、結果それが何でもなかったとしても俺は絶対に迷惑だなんて思わないし呆れたりも怒ったりもしない」
「光瀬さん……」
そう呟いた桜彩の目から、昨日と同じように涙を流しながら昨日と同じ質問を繰り返す。
「…………何で、何でなんですか? 何で光瀬さんはそこまで……」
「昨日言った通りだよ。俺は今まで周りの人達に助けられてきた。だから俺の周りの人が困ってたら今度は俺が助ける側に回る」
「ですが、私は竜崎さんや御門さんとは違います! まだ出会ってから数日の相手なのに、何で……」
「……あのな、確かに俺にとって蕾華と陸翔はかけがえのない親友だ。でもな、俺は渡良瀬のことも友人だと勝手に思ってる。友人を助けるのに理由なんていらないだろ。まあ渡良瀬が俺に友人扱いされて迷惑だって言うなら……」
「そんなことはありません!!」
勢いよく立ち上がった桜彩が怜の言葉を遮る。
椅子に座ったままの怜よりも高い位置から怜の顔を見降ろすその視線を強く感じる。
桜彩はこの数日で、怜には数えきれないくらい助けられてきた。
一切の見返りを求めずに、怜には何のメリットもないのに。
いや、本人は『自分の作ったご飯を美味しく食べてくれることが嬉しい』と言っていたが、逆に言えば怜にとってのメリットはそのくらいだろう。
桜彩にはこれまでに見返りを求めたり下心を持ったりした人間が寄ってくることはあった。
しかし、怜がそんな人達と同類でないことはもう充分すぎるほどに理解している。
今回のことを抜きにしても、ナンパから助けてもらったり、食事を用意出来なかった時に夕食に誘ってくれたり。
にも関わらず、怜はそれを理由に恩着せがましく桜彩に何かを要求するようなことは一度もなかった。
むしろ、それは自分の勝手だからと逆に気を使ってくれた。
そんな怜に友人だと言われて嫌な気がするなんてことがあるわけがない。
(私、もう一度、友達を作っても良いのかな…………?)
過去のことを思い出しかけて躊躇するが、それでも桜彩は今に至るまでの怜の誠実さを信じてみようと思う。
そして意を決して、勇気を出して口を開いた。
「あの、光瀬さん……。出会ってからさんざん迷惑を掛けているこんな私ですが、本当に友人になってくれますか?」
おずおずと座り直してから自信なさげに顔を少し伏せて、しかし上目遣いで怜の顔をチラッと見ながら桜彩が問いかける。
顔は耳まで赤く染めて、しかし怜のその答えをちゃんと聞こうとしてくる。
「ああ。むしろ渡良瀬の方こそ良いのか? 言っておくが、俺は結構めんどくさい性格をしてるぞ。蕾華の言った通り、仲の良い相手には結構ガンガン行くタイプだからな。少しでもうざったくなったらちゃんと言ってくれよ」
「くすっ。それはあなたの良いところだと思いますよ」
その答えを聞いて、桜彩は満面の笑みを浮かべて怜の顔を見返す。
それを見て、昨日から着ている猫の着ぐるみパジャマも合わさってやっぱりものすごく可愛いなと、場違いなことを考えてしまう。
今度は怜の顔が赤くなってしまい、慌てて桜彩から視線を逸らしてしまう。
そんな怜を桜彩は不思議そうに眺めて
「あの、光瀬さん……?」
「あ、いや、悪い。それじゃあこれからは友人としてよろしくな」
「はい。それではこれからよろしくお願いしますね」
そう二人で笑い合った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さてと、それじゃあ俺はそろそろ帰るよ」
時計を見ると、まだ朝の五時半だ。
本来であればジョギングを開始する時間だが、椅子に座ったまま一晩を過ごして、しかも睡眠時間は短時間ということもありさすがに体の節々が痛いので今日は中止にするべきだろう。
「本当にご迷惑をお掛けしました」
「だから謝らなくてもいいって」
「分かりました。それでしたら言葉を変えますね。本当にありがとうございました」
「うん。それじゃあ」
謝るのではなくお礼を言ってくれる。
怜にとってはそちらの方がよほど嬉しい。
桜彩が頭を下げ、怜が昨夜持って来た木刀と共に玄関へと向かおうとした時に
くううぅぅ~
そう可愛らしい音が聞こえて来た。
振り返って桜彩の方を見ると、お腹を押さえた桜彩の顔が先程までと同じ様に真っ赤になっている。
「あ、あの、聞こえました……?」
おずおずと聞いてくる桜彩に対して何と答えるか一瞬迷ったが、さすがに振り向いて固まった今の状況でごまかせるわけはない。
「まあ……」
「うう……そうですよね……」
お腹が鳴ったことに恥ずかしそうに俯いてしまう。
そんな桜彩の様子が可愛くて、つい怜の顔が笑ってしまう。
「うう、そんなに笑わなくても……」
「いや、悪い悪い」
そう言いながら笑顔が止まない怜の顔を見て、ついそのまま桜彩の方も笑ってしまう。
「まあ、色々あったからお腹が空くのも当然だよな。そういえば、昨日の野菜炒めはどうだった?」
なるべく自然に話題を変えようとする怜。
しかし、そんな怜の心遣いに今度は桜彩の方が苦笑いを浮かべてしまう。
「いえ、それが……失敗してしまいました」
「え? 失敗?」
予想外の返答に間の抜けた返事をしてしまう。
「はい。それで昨日はカップ麺を……」
恥ずかし気にそう告白する桜彩。
そういえば、昨日の桜彩はいざという時の為の非常食としてカップ麺や栄養補助食品もいくつか買い込んでいたが、まさか早くもそれに頼ることになるとは本人も怜も思いもよらなかっただろう。
「そ、そうか……」
「はい……」
さすがに怜もどう言葉をかけていいか分からない。
そのまま少しの間、二人の間を沈黙が支配する。
「それじゃあ今日の朝食はどうする予定なんだ?」
「朝食……ですか。それはこれを食べようかと」
そう言って桜彩は台所へと向かって棚から栄養補助食品のゼリーを見せてくる。
それを見た怜が思わず固まった。
いや、確かに朝食を食べない日本人もそこそこいるし、夕食がカップ麺の日本人もそこそこいる。
しかしまあ何というか、それが隣で一人暮らしをしている女子高生だと思うとさすがに怜も心配になる。
「ほ、他にもこれがありますので」
怜の表情から何を思っているのか察した桜彩が、少し慌てて今度は別の固形スティックタイプの栄養補助食品を出してくる。
それを見て怜は再び数秒間固まった後、ただ一言
「論外」
そう口にした。
「で、ですが……」
「ですがじゃない。育ち盛りの成長期に夕食も朝食もそんなもんだと体を壊すぞ」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
それについては桜彩もなんとなくは分かっている。
ただ分かったところでどうしようもないだけだ。
「一応聞いておきたいんだが、野菜炒めの失敗ってのは何だ?」
「そ、その、最初は野菜が生焼けで、再び炒め直したら焦げ付いて……それで食べられなくなってしまいました」
その言葉を聞いた怜が玄関へと向けた足取りをキッチンへと変更する。
「ちょっとキッチンを見ても良いか?」
「は、はい。どうぞ」
桜彩は少し険しい顔をしてそう聞いてくる怜に許可を出して、キッチンから出ていく。
まず生ごみと思われるのポリバケツのふたを開けると、中に失敗作であろうべちゃっとした野菜炒めの残骸が入っている。
桜彩の方を見ると、恥ずかしさから顔を背けてしまう。
またシンクの排水口のごみ受けを見ると、そこには野菜の切りくずが少しとカップ麺の残りと思われるネギや麺が入っていた。
「…………渡良瀬、とりあえず生ごみは水分を出来るだけ切ってからすぐに捨てろ。虫やゴキブリが湧くぞ」
「ゴキッ……!」
その言葉を聞いた瞬間、桜彩の顔から血の気が失せて顔面蒼白となってしまう。
よく考えたら女子にとってはゴキブリという物は想像するだけでそうなってもおかしくはない。
怜の身近の女性、蕾華や瑠華、それに怜の姉はゴキブリ自体は嫌いだが、単語を聞いただけで固まってしまうような人間ではない為失念していた。
「ゴ、ゴキ……み、光瀬さん、ど、どどうしたら……」
わなわなと震えながら聞いてくる桜彩。
ひょっとしたら昨晩の不審者騒動の時くらいに震えているかもしれない。
「あー、まあとりあえず落ち着け」
「で、ですが……」
「今日は燃えるごみの日だろ? だからそこのごみ箱にシンクの排水口の生ごみも入れて捨てておけ」
「は、はい!」
震えながら大声で答える桜彩。
そして怜にとってはある意味ここからが本題だ。
「そしてそれが終わったら今から二十分後にウチに来い」
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