第19話 クールさんと二人、同じ部屋で一晩を② ~触れ合う手と手、二人で迎える朝~

 桜彩の部屋の電気を消して五分後。

 まだ眠りに就けない桜彩が不安を感じて言葉を発する。


「あの、光瀬さん、まだそこにいらっしゃいますか?」


「ああ。ここにいるぞ」


「ありがとうございます」


 更に五分後。


「あの、光瀬さん……」


「ああ。安心して寝てくれ」


「ありがとうございます」


 更に三分後。


「あの……本当に側にいますよね……?」


「ああ」


 そう言って怜は桜彩の手に軽く触れてみせる。


「……ありがとうございます」


 そう言って桜彩は、怜の手をしっかりと握り締める。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 そんな感じで桜彩を安心させる為に怜はずっと桜彩の側にいた。

 怜本人も眠いのを我慢して、桜彩が眠るまで起きていようと意識を保つ。

 そして桜彩から怜に対しての問いかけがなくなる。


「渡良瀬? もう眠ったか?」


「――――――」


 小声で聞いてみる怜の言葉に桜彩からの返事はない。

 耳を澄ますと可愛らしい寝息が聞こえてくる。

 どうやら桜彩は無事に眠りに就いたようだ。

 既に照明は消されている為、部屋を照らしているのは月明りだけ。

 だが照明を消してから時間が経っている為に、怜の目は室内の様子が良く分かるほどに暗闇に慣れている。

 

 ベッドの上では桜彩が小さく寝息をたてており、緊張が解けて安心したのか穏やかな表情で眠っている。

 長い睫毛、瑞々しい唇、スッと通った鼻筋、整った顔立ちに綺麗な肌。

 第一印象ではクールで知的な美人、何でも一人でこなしそうなイメージがあった。

 しかし接してみるとその実可愛らしいところも数多くある。

 そういった姿を自分だけには見せてくれることを嬉しく感じる。

 桜彩の寝顔を見ていると、そんなギャップがより一層桜彩の可愛らしさを強調しているように感じて、やはり美人だな、などと思いドキッとしてしまう。


(全く……。渡良瀬はもっと自分の魅力というものを自覚してくれよ……)


 前にナンパ男に絡まれた時にも忠告したのだが、桜彩は自分が美人だということを自覚するべきだ。

 この状況は、相手が怜でなければ手を出されていてもおかしくはない。

 まあそんな怜だからこそ、桜彩が信頼しているわけなのだが。

 これ以上ここにいて変な気を起こす前に、怜はそのまま部屋を出ようと立ち上がろうとしたのだが、その手は桜彩に強く握られたままだ。


「おーい、渡良瀬……」


 小声で呼びかけてみるが、桜彩が起きる気配はない。


(どうするか……)


 さすがにこの状況から桜彩を起こすのはためらわれる。


(……っと……あれ?)


 そこで怜にも強い眠気が急激に襲ってきた。

 普段であれば既にベッドの中で眠っている時刻を大幅に超えている。

 何とか桜彩の手を離して自宅へ帰ろうとするが、その手は決して離されることはない。


(やば……なんとか……しないと…………)


 そう思ったのも束の間、そのまま怜の意識は途切れていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌朝


「んん……」


 桜彩が寝ぼけながら手を動かすと、誰かの手に触れる。

 そのまま寝ぼけた状態で、その手を両手で包み込む。


(温かい……)


 両手で包み込んだ手はなんだかとても心地が良く、そのまま自分の頬を擦り付けるようにする。

 昔は姉がよく頬や頭を撫でてくれた。

 そんな心地良さが感じられる手。


(気持ち良いな……なんだか安心する……)


 指と指を搦めてあって、より近くに感じようと手を引く。


「ん…………」


 すると、その手の主の物であろう声が微かに耳に届く。


「あ、れ……?」


 そこで桜彩の頭が少しずつはっきりとしてくる。


(確か、私は今一人暮らしで……)


 ということは、今触れている手は姉の物でも両親の物でもないはずだ。


(えっと、昨日は…………ベッドに入る前に………………)


 そこで桜彩は、昨日何があったのかを思い出した。

 不審者が玄関に来たと思って、思わず怜を電話で呼んでしまった。

 そして怜は自分を落ち着かせる為に、寝るまで横にいてくれると言ってくれて。

 その後、自分は何度も怜が側にいることを確認しようとした。

 そのたびに、眠そうな声で、しかしはっきりと返事を返してくれた。

 そして、隣にいることを証明するように手を差し出して来て、それを握り返して……。


「あっ!」


 それに気が付いた瞬間、桜彩の顔が羞恥で赤く染まっていく。

 ということは、今、自分が握っている手の持ち主は……。

 そこに考えが至って目を開けてみると、目の前には予想の通り、怜が椅子に座ったまま体を前に倒して小さく寝息をたてていた。

 怜の右手は桜彩のベッドの上で、桜彩にしっかりと握られている。


(私が眠るまで、ちゃんと横で見守ってくれていたんだ)


 当初の予定であれば、桜彩が眠りに就いた後、怜は自宅へと帰るはずであった。

 とはいえ桜彩にそれを怒る気も、怒る資格もない。

 何しろ怜の手を握り締めていたのは他でもない自分自身なのだから。

 寝ている間に一度離してしまったのだろうが、起きた時に再び怜の手を握ってしまった。

 あまつさえ、甘えるように頬擦りまで。


(わ、私、なんてことを……)


 思わず手を離して怜とは逆の方向を向いて赤くなった自分の頬に手を添える。

 自分を安心させる為に、下心など一切なく善意で見守ってくれた相手に対して一体何をしているのか。

 自分の都合で、声の調子から察するにおそらく就寝中だったであろう夜中に呼び出して、それに対して文句を言うどころかただひたすらこちらの心配をしてくれた相手。

 本来であれば早く帰って寝直したかったであろう相手を、あろうことか椅子に座ったままの体勢で一晩過ごさせてしまった。


「光瀬さん……」


 悪いとは思いながらも怜の方に向き直り、再び手を握ってそう呟いてみる。

 すると、その声に反応したのか、怜の瞼が少し動いた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「……ん……あれ…………?」


 怜の意識が戻ると同時に、体の節々が痛みを主張し始める。

 疲れがあまり抜けていない。

 それに加えて朝に弱いのは元々だが、それにしてもいつも以上に眠気が抜けていない。

 そんな覚醒していない頭のまま重い瞼を何とか開けると、いつもとは違う光景が目に飛び込んでくる。

 目の前に広がるのはいつもの自室の天井ではなく、ベッドが。

 それに自分の右手が言うことをきかない。

 まるで誰かに掴まれているような。


(……えっと、昨日は……)


 そこで怜は眠る前に何があったのかを思い出した。

 右手の方へと視線を向けると、それは他人の手でしっかりと握られている。

 言うまでもなく、その相手は……。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 怜と桜彩がお互いの顔へと視線を向ける。

 目が合った瞬間、二人の顔がさらに赤く染まってしまい、すぐにお互いから顔を背けてしまう。


「……………………」


「……………………」


「…………………………………………」


「…………………………………………」


 どちらも言葉が出ない。

 何を言っていいのか全く頭が働かない。

 心臓の鼓動はどんどんと速くなっていき落ち着く様子はない。

 そんな永遠にも感じる時間の後で、お互いが顔を戻し、ふと我に返って手を離すが恥ずかしさから再び目を逸らしてしまう。


「「あの……」」


 そして同時にお互いの方へと振り返って声を上げる。


「「あ……」」


 それに気が付いて言葉に詰まる。

 そしてまた沈黙が場を支配しそうになったところで


「「ごめんなさい!」」


 二人で同時に謝り合った。


「ん……?」


「え……?」


 そしてお互いに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして相手を見る。

 悪いのは自分なのに、なぜ相手が謝るのかと。


「いや、むしろ何で渡良瀬が謝るんだ?」


「何で光瀬さんが謝るのですか?」


 桜彩が謝る理由が分からない怜に対して、桜彩も起き上がってベッドに腰掛けて逆に問い返す。


「いや、何でって言われても! そもそも渡良瀬が寝たら俺も自分の部屋へ戻るって言ったのにそのまま……」


 自身の失態に、語尾がどんどん弱くなっていく。

 せっかく桜彩が信用してくれたのに、これではその期待を裏切ったようなものだ。


「い、いえ! むしろそれは私が光瀬さんの手を握ったまま眠ってしまったからで……光瀬さんが謝ることじゃありません。むしろ謝るのは私の方です!」


 怜が理由を説明している途中で、大声でそれを遮る桜彩。

 まだ記憶が曖昧だが、寝る前に怜の手を力強く握りしめた記憶ははっきりと残っている。


「いや、でもそれは……」


「むしろ私の方こそ光瀬さんの手を離さないで……。そのせいで光瀬さんは部屋に戻ることも出来なかったようですし……。それに私を助けてくれた光瀬さんを椅子に座らせたまま眠らせてしまって……」


「いや、俺が渡良瀬の手をなんとか離していれば……」


「違います! 私が……」


 そうお互いに自分が悪いと譲らないでいると、突如として桜彩のスマホから通知音が聞こえてくる。


「あ……」


 少し気まずそうに桜彩がスマホに目を向けると、そこには彼女の姉からのメッセージ通知が表示されていた。


「葉月……?」


 送信者の名前を見て桜彩が声を上げる。

 チラッと怜の方を見ると、怜が無言で頷いたので桜彩はスマホのロックを解除してメッセージを確認する。

 すると数秒後、桜彩の表情が愕然とした。

 そして本当に申し訳なさそうに怜の方へと向き直って頭を下げる。


「光瀬さん、本当に申し訳ありません。今、姉から連絡がありまして」


「いや、別に俺は構わないぞ。確かお姉さんとは仲が良いんだろ? だったらすぐに確認しないと」


「いえ、そういったことではないのです……」


「え?」


 先程よりもさらに申し訳なさそうに呟いて深々と頭を下げる桜彩。

 その行動に怜も慌ててしまう。

 姉からの連絡の何が問題なのだろうか。


「一体どうしたんだ? 何か問題があったのか?」


 その言葉に桜彩は本当に申し訳なさそうにしながらゆっくりと顔を上げる。


「実は……昨日の不審者の正体なんですが……私の姉だったようです」


「……………………え?」


 その桜彩の言葉に、怜の頭は寝起きの時と同様に停止する。

 そして桜彩の言葉を理解するまでに十秒以上の時間を要した。

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