第18話 クールさんと二人、同じ部屋で一晩を① ~クールさんのわがままと男女としての信用~

「あの、光瀬さん」


「あ、ああ! な、なんだ!?」


 勘違いしないように精一杯心を落ち着けようと頑張っていた怜が、いきなり声を掛けられて少し焦りながら答える。

 そんな怜の心中など分からない桜彩が慌てる怜に首を傾げて


「え? どうかしましたか?」


「い、いや、大丈夫、問題ない。それよりも渡良瀬は落ち着いてきたか?」


「はい。ありがとうございます」


 どうやら先ほどよりは落ち着いたようで、もう体も震えてはいない。

 時間が経ったことに加え、怜がここにいることで少しは冷静になれたのだろう。

 少しは力になることが出来て良かった。


「少し時間が経ったけど、今のところは問題なさそうだな」


「は、はい。本当にありがとうございました」


 そう桜彩は何度目か分からないお礼を述べる。


「それで、ひとまずはどうする?」


「……え、ええっと…………」


 桜彩が言葉に詰まって下を向く。

 怜の言う通りひとまず不審者は去ったようだが、またいつ来るかは分からない。

 桜彩にしてみれば今は良いかもしれないが、怜が帰るとまたすぐに不安になることだろう。


「あ、あの、光瀬さん……もう少し一緒に……一緒に…………」


「え?」


「…………い、いえ、何でもありません」


 怜の方へと身を乗り出して何かを言いかけたが、途中で言葉を止めて座り直す桜彩。

 そして顔を上げるとそこには無理に作ったのが丸分かりな笑顔が張り付いていた。


「あの、確かに光瀬さんの言う通り、今日の所は多分問題はないと思います。本当にありがとうございました。ですので光瀬さんはもう……」


 家に帰っても大丈夫、と言おうとしたのだろうが、そこでまた言葉に詰まって下を向いてしまう。


(全然大丈夫じゃないよな、これは……)


 桜彩の心の中の恐怖心が拭えていないのは怜にも分かる。

 慣れない一人暮らしを始めてまだ一週間程度しか経っていないのに、このような騒動があっては心身への負担は相当だろう。


(……となると手段は二つだが)


 一つは二人で怜の家へと避難するというものだが、やはり心と体を休めるには自宅の方が良いだろう。

 そう考えて、怜への遠慮からそれを言葉に出すことが出来ない桜彩の代わりに怜がゆっくりと口を開き、もう一つの手段を告げる。


「今日、渡良瀬が寝るまでなら側にいても良いぞ」


 そう、桜彩が言えなかったわがままを口にした。

 さすがに身内でもない同年代の異性が一緒にいるのもどうかとは思うのだが桜彩を一人にするよりは良いだろうし、先程言いかけた言葉から推測するに桜彩もそれを望んでいるはずだ。

 怜の口から出た思いがけなかった言葉に、桜彩が目を見開いて怜の方を見る。


「……いえ、さすがにそれはご迷惑を掛けすぎです。私は大丈夫ですので……」


「その表情を大丈夫と捉えるほど、俺は人の機微(きび)が分からないような人間じゃないぞ」


 顔を青くした桜彩は、例え怜でなくとも不安でいっぱいなのは分かるだろう。


「ですが……」


「赤の他人ならともかく、多少なりとも縁のあるお隣さんやクラスメイトが怯えている状況にあって、その状況で普通に寝付くなんてこと俺には無理だからな」


「光瀬さん……」


「だからこれは渡良瀬の為に言ってるんじゃない。俺が、ちゃんと安心したいから言ってるんだ。だからこれは渡良瀬の為じゃなく俺の為だ」


 先日も言ったことを桜彩に伝える。

 これは怜にとって、あくまでも自分の為なのだと。


「さっき、不安で俺を呼んだ時みたいに言いたいことがあるのなら言ってみろ。ただ自分が楽をしたい為ってことならともかく、困っている相手が助けを求めてくることに対して俺は不快に感じることは絶対にない」


 真剣な表情で桜彩に向かって告げる怜。

 怜の視線を受けて桜彩の目が熱くなる。


「…………何で、何でなんですか? 何で光瀬さんはそこまで……」


「前に言ったろ? 俺は今まで周りの人達に助けられてきたんだって。だから俺の周りの人が困ってたら今度は俺が助ける側に周るさ」


 それは何の謙遜でもなく怜にとっての本心だ。

 身内の他にも陸翔や蕾華、瑠華と様々な人達に助けられてきたからこそ、今、怜は普通の生活が出来ている。

 そんな彼らは怜にとっての憧れだ。

 だからこそ怜は桜彩に言葉を掛ける。


「だから渡良瀬、困っているのならとりあえず助けを求めてみろ」


「光瀬さん……」


 怜の言葉に桜彩の目から思わず涙が零れ落ちる。


(一人だけでやっていくって……誰の助けも借りないって……そう思ってたのに…………)


 そう決心して始めた一人暮らし。

 しかし一人で出来る事は思っていたよりも遥かに少なかった。

 荷物を持って帰ることも、ナンパをされた時に上手く断ることも、ごみを捨てることも、クラスメイトと上手に関わることも、料理をするどころかそもそも食事を用意することも。

 それら全てを目の前の人が一切の見返りを求めずに助けてくれた。

 そしてその上、更に迷惑を掛けても気にしないと。


「わ、渡良瀬……?」


 いきなり泣き出した桜彩を見て怜が慌てる。

 しかし桜彩は首を振って涙を拭うと怜に向き合う。


「ありがとう……ございます……。光瀬さん、本当に申し訳ないのですが、その、もう少し一緒にいていただけませんか?」


 そうわがままを口にした。


「ああ。構わない」


 そう桜彩からの助けを求める言葉を聞いて、怜も笑顔でそう答えた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 桜彩が眠るまで隣にいると約束した怜だが、一応懸念材料がある。


「渡良瀬。その、一応事実として言っておくけれど、俺はこれでも年頃の男子だ」


「はい、もちろんそれは理解していますが?」


 目を丸くして真剣な表情で何を言っているのかと不思議がる桜彩。

 その反応に、むしろ怜の方が戸惑ってしまう。

 学校での怜は性的なことにはあまり興味を持たず、そういった話題も出来るだけ避けるようにしている。

 とはいえ一応怜は異性からの人気自体はそこそこ高い為、何度か告白されたりということもあるのだが、それらは全て断っている。

 女子に対して可愛いだとか綺麗だとかそういった感想を持つことはあるのだが、だからといって積極的に男女交際をしたいと思っているわけでもない。

 その為に『精神的不能』とかありがたくないあだ名を付けられたりもしたのだが。

 とまあそんな感じの怜だがこれでも性欲というものは存在する。

 ただあくまでもそれを理性で押さえつけているだけだ。

 で、怜としては年頃の女子である桜彩にとって、同年代の男子である自分が側にいるという状況は不審者とは別の不安を与えることになると考えた。


「いや、理解してくれてるのはそうなんだろうが、まあ、その、なんだ」


 あまり直接的な表現をするのもはばかられるが、不思議そうな顔をする桜彩に対して怜は思い切って告げる。


「渡良瀬にとって、自分が眠る横に俺がいるというのは、それはそれで別の問題の心配をするべきだと思う。なんで、渡良瀬が寝ついた後で、俺が変なことをしなかったか確認出来るようにスマホで録画しておくことを提案する」


「え? いえ、私はそういった心配はしていませんが」


「……え? いや、するべきだろう。……一応聞いておくけれど、俺が何を懸念しているかは理解しているか?」


 素で普通に返された桜彩に、怜は自分の感覚がおかしいのかと思案する。


「はい。光瀬さんが、寝ている私に対していかがわしい行為をする危険があることを想定するべきとのことですよね?」


「ま、まあその通りなんだけど」


 そう素直に言われた言葉に怜が少したじろいでしまう。

 お互いの考えの行き違いということもなく、桜彩は怜の懸念を充分に理解している。

 その上で怜のことを信用していると言っているのだ。

 もちろん怜もこのような状況で桜彩に手を出すような卑劣なことは全く考えていない。

 むろん、この様な状況でなくとも手は出さないが。


「それでしたら問題はありません。これまでのことで私は光瀬さんを信用していますので」


「そ、そうか。あ。ありがとう……」


「はい」


 ここまで信用するのもどうかと思うのだが、そう言われては反論出来ず、桜彩にとって何の抑止力もない状況の中、怜は桜彩が眠るまでベッドの側にいることとなった。


「むしろ、今更このような状況で確認するのもなんですけど、本当によろしいのでしょうか……?」


「ああ。むしろそっちこそいいのか? もう一度聞くぞ。この状況で完全に俺を信用して本当に良いのか?」


「はい。光瀬さんが邪(よこしま)なことを考えるような方なら、そもそも録画しておくような提案はしないでしょうし」


「分かった。その信用を裏切るようなことは絶対にしないから」


「ふふっ。そこは一切疑っていませんよ」


「ありがと。それじゃあ電気を消すな」


「はい。お休みなさい」


 そして部屋の電気を消すと、室内を照らすのは星明りだけとなってしまう。


「それでは申し訳ありませんが、お願いします」


「ああ。渡良瀬が寝たら俺も自分の部屋に戻るよ。鍵は郵便受けの中に入れておくから」


「はい。よろしくお願いします」


 さすがに怜が桜彩の家を出た後で鍵を掛けないわけにはいかない為、桜彩から玄関の鍵を借りた。

 そしてベッドに入った桜彩が眠るのを、横で椅子に座って待つことにした。

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