第17話 クールさんから真夜中のヘルプコール

 ピピピピピピッ


 桜彩とスーパーから帰った後、怜はいつも通りの日常を過ごして眠りに就いたのだが、早くもその眠りから覚めることとなった。

 寝ぼけながら原因を探っていくと、怜の眠りを妨げたのはどうやら枕元に置いてあるスマホから聞こえる音のようだ。

 暗い部屋の中、まだ寝ぼけたまま緩慢かんまんな動作でそれを取ると、スマホには『渡良瀬 桜彩』と表示されていた。


(渡良瀬……? こんな時間に……?)


 傍若無人なあの姉ならばともかく、あの桜彩がこんな夜遅くに電話を掛けてくるのは怜にとっては意外だった。

 まだ働いていない頭で何の用だろうかと考えていたが、とりあえず通話を押してみる。


「ふぁい……」


『み、光瀬さんっ! た、た、助けて、助けて、助けて下さいっ!!』


 通話ボタンを押した瞬間、電話口の向こうから何やら怯えたような桜彩の叫び声が聞こえてくる。

 その声を聞いて、寝ぼけていた怜の頭が瞬間的に覚醒する。

 状況は良く分からないが、どうやらただ事ならない事態に遭遇しているらしい。

 寝間着に使用しているトレーニングウェアのまま掛け布団を蹴り上げて立ち上がり桜彩に問いかける。


「どうした!? 何があった!?」


『み、光瀬さんっ! た、た、助けて、助けてっ!!』


「渡良瀬、落ち着いて。何があったか話して」


 部屋の明かりを点けながら落ち着いて桜彩へと語りかける。

 怜の声に少しは落ち着いたのか、しかしまだ恐怖に怯えた声で桜彩が状況を説明してくれる。


『あの、さっき、インターホンが鳴って……でもこんな時間に尋ねて来る相手なんて思いつかないからそのまま無視してたんですけど、そしたら家のドアを何度か叩かれて……』


(不審者か!?)


 そう思った怜は寝室を出ながら先を促す。

 この辺りの治安は悪いわけではないが、桜彩のような美少女が相手であれば邪(よこしま)なことを考える男がいてもおかしくはない。


「まだドアを叩かれてるのか?」


『い、いえ、もう止んだんですけれど、私、怖くて……』


 慣れない一人暮らしを続けている所で、誰かも分からない相手に玄関のドアを叩かれた。

 一人暮らしの女子高生としては、かなりの恐怖を感じるだろう。


「分かった。今からそっちに行くから」


『お、お願いしますっ……。あ、あの、本当に申し訳ありません……』


「謝らなくてもいい。とにかくすぐに行くから待ってて。それと電話はこのままで」


『は、はいっ……』


 そして怜は片手にスマホを持ったまま、傘立てに入れてある木刀を持って玄関を開ける。


(まさか本当に必要になるとはな)


 念の為の護身具として置いていたのだが、まさか本当に使うことになるとは思わなかった。

 そのまま通路へと出て左右を確認するが、人影は見えない。

 念の為に階段の方も確認したが、誰かが隠れているということもなさそうだ。

 それだけ確認した怜は、自宅の鍵を閉めて通話を再開する。


「渡良瀬、今玄関の前にいる。見たところ他に誰もいない」


『ほ、本当ですか?』


「ああ。階段も確認したけど問題なかった」


『は、はい、ありがとうございます。それでは今開けますね』


 そして怜は桜彩の玄関の正面に立つ。

 これなら桜彩が玄関の覗窓から覗き込んでも怜だと分かるだろう。

 十秒程度経つと、桜彩の家の玄関が開けられ、そこから寝間着姿の桜彩が顔を出す。

 怜がいると分かっていても恐怖の為か、怯えたような目でチラチラと周囲を確認する。


「み、光瀬さん、早く、早く入って下さい!」


 そう言いながら、桜彩は怜の腕を強く抱きしめて家の中へと引き込む。

 その勢いに怜は少し足を取られながらも桜彩の家の玄関をくぐる。

 怜の身体が完全に玄関を越えると、桜彩は急いで扉を閉めて鍵を掛けた。

 念には念を入れてチェーンロックもだ。

 そこでやっと少しは安心したのか桜彩の動きが止まる。


「はあ……光瀬さん、ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……!!」


 そう言いながらも桜彩は怜の腕を抱きしめたまま離そうとしない。

 そんな桜彩に対して、怜は何を言うでもなく落ち着けるように優しく頭を撫でていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 そのまま数分間、桜彩は怜の腕にしがみついていたのだが、徐々に冷静になって慌てて怜の腕から手を離した。

 その顔は先程までの恐怖とは違って恥ずかしさからか赤く染まっている。


「す、すみません、光瀬さん……私、慌ててしまって……」 


 口元に軽く手を添えて赤くなった顔を隠すように小さな声で謝る桜彩。


「ああ。とりあえず今のところは危険がないようで良かったよ」


 それは怜の本心だ。

 最初に助けてくれと聞いた時は、桜彩に何かあったのかと気が気ではなかった。


「と、とにかくここでは何ですので、一度リビングの方へと来てもらってもよろしいでしょうか?」


「ああ。お邪魔します」


 そう言って二人はリビングへと進んでいく。

 隣同士だけあって、怜の部屋と桜彩の部屋の間取りはほとんど同じ作りになっている。

 リビングへと案内されると、怜のリビングに置いてある物よりは小さいテーブルに椅子が四つ揃っていた。


「あの、とりあえずお茶を淹れますので座って待っていて下さい」


「あ、ああ」


 そう言いながら桜彩の方を見るが、桜彩は手が震えているのか上手く準備が出来ていない。

 そもそもよく見るとまだ足も震えている為、上手く立つことさえ困難な状態だ。

 さすがに今の桜彩にお湯を扱わせるわけにもいかないので、怜は持っていた木刀を壁に立てかけて自分が準備をすることにする。


「渡良瀬。俺がやるよ」


「で、ですが……」


「ですがじゃない。今の渡良瀬は立ってることも辛いだろ。大人しく座ってろって」


 尚も渋る桜彩の肩を掴んで強引にリビングへと戻して椅子に座らせる。


「ケトルはこれだな。水はどうする? 水道水とミネラルウォーターどっちにするんだ?」


 昼間に桜彩がミネラルウォーターを買っていたことを思い出して聞いてみる。


「光瀬さんが水道水で問題のないようでしたら……」


「分かった」


 そう言ってケトルに水を入れてスイッチを入れる。


「お茶はどこにあるんだ?」


「えっと、そこの棚の右下にティーパックが入っています」


 震える手で棚を指差す桜彩。

 その引き出しを開けると、桜彩の言った通りカモミールのティーバッグが入っていた。


「カップは適当に借りるぞ」


「は、はい……。すみません、お手数をおかけします」


「気にしないで良いって。前にも言ったけど、困った時はお互い様だ」


 桜彩から目を離してキッチンの様子を見ると、思わず目を見開いてしまう。

 電子レンジや冷蔵庫などの家電を始め、フライパン等の調理器具や食器はかなり質の良い物が揃えられている。

 怜の家の物もかなり質が良いのだが、桜彩の家の物はそれよりも更に上物だ。

 正直に言ってかなり羨ましい。

 もちろん怜としても、自分の家にある家電を揃えてくれた両親には感謝しているのだが。

 そんなことを考えていると、お湯が沸いたのでカップにティーバッグを入れてお湯を注ぐ。

 本来であればもっとちゃんとカップを温めたりとか湯温を管理したりとかするのだが、今はそこまですることはないだろう。

 そして桜彩の分と自分の分のカモミールティーをリビングのテーブルへと運んで怜も椅子に座る。


「あ、ありがとうございます」


「気にしないで良いぞ。まずはちゃんと落ち着いて。話はそれからでも構わないからな」


「は、はい」


 そう言うと桜彩はまだ少し震える手でカップを持ってふうふうと冷まして飲み始める。

 とここで一段落したのか、怜の方も現在の状況を冷静に把握出来てくる。


(よく考えると、この状況って結構凄いよな……)


 前提として、桜彩は怜がこれまで出会った女性の中でもかなりの美人だ。

 それこそ同年代では蕾華や(認めるのはしゃくに障るが)三歳年上の怜の姉くらいだ。

 少し年齢幅を広げてみても、(こちらも認めるのは癪に障るが)八歳年上の瑠華くらいだろう。

 そんな美人が一人暮らししている部屋へと真夜中に招かれて思い切り抱き着かれていた。

 服は寝間着に使用していたとみられる猫の着ぐるみパジャマでそれが更に桜彩の魅力と相乗効果を上げている。

 本人が猫が最高だと強く主張するだけあって寝る時もこの格好なのだろうが、動物好きの怜としても


(やば……すっごい似合ってる……マジで可愛い…………)


 日頃の学校で見せているクールな感じとのギャップもあり、ただでさえ可愛い桜彩が更に可愛く思えてくる。

 そんな恰好のまま桜彩がふうふうと紅茶を冷ましながら飲む様子は、本当に子猫のように愛らしい小動物を思わせる。

 出会った時とは違い、もう怜を完全に信用しきっており、無防備な桜彩に怜は目を奪われてしまう。

 そんなことを考えてしまったことにはっとして、慌てて桜彩から視線を逸らす。

 これまで怜が同年代の異性の部屋に入った相手は蕾華と先述した(認めたくない)美人二人だけであり、その誰とも違う香りが部屋の中に漂っている。

 そんな異性の部屋の香りが怜をより一層ドキドキとさせてくる。


(落ち着け、落ち着け。渡良瀬は俺に助けを求めて来ただけだ……)


 焦る心を落ち着かせるため、怜は状況を確認する。

 実際のところ、怜は不審者がいると助けを求められてこの家に来ただけで、そこに桜彩からの甘い感情など一切入っていない。

 真夜中に年頃の異性、それも凄い魅力的な相手と二人きりというシチュエーションで勘違いしないよう、怜は必死で心を落ち着けようとした。

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