第15話 自然に笑うクールさんと感謝の言葉

「ご馳走様」


「ご馳走様でした」


「ごちそーさまー」


 手を合わせて三者三様の挨拶を済ませる。

 怜の作った夕食は、かなり多量に作ったミネストローネ以外は全て三人で食べきった。

 ミネストローネ以外も多めに作ったのだが、二人共気に入ってくれたのかかなり箸が進んでいた。


「光瀬さん、本当にありがとうございました。とても美味しかったです」


「それなら良かった」


 夕食に招待した時はまだぎこちなかったのだが、今は先日のリュミエールの時のような自然な笑顔が浮かんでいる。

 そんな桜彩を見て怜も自然に笑顔が浮かんで来る。

 やはり自分が作ったものを美味しいと言ってくれるのは嬉しいし、友人とまで言っていいのかは分からないが、身近な相手が喜んでくれて本当に良かった。


「それじゃあ俺は片付けをしちゃうから」


「あ、私も手伝います」


 そう言って桜彩はテーブルの上の空皿を持ってきてくれる。

 ビール缶片手にテーブルに頬杖を付いているどこぞの大人は半分で良いから見習って欲しい。


「それではこちらに並べておきますね」


「ああ、ありがとう」


 怜が汚れを洗剤で流していくと、その横に桜彩がテーブルの上の空皿を次から次へと重ねていく。

 そして最後の食器を持って来た後、桜彩はリビングへと戻らずに怜の手元をジッと眺めている。


「ん? どうかしたか?」


「いえ、やはり光瀬さんは手慣れているな、と思いまして」


 どうやら怜の洗い物の手際を見ていたらしい。


「実家にいた頃からやってるからな。とはいえ食器洗浄乾燥機でも買おうかなとも思ってるんだけど」


 洗い物を終えてシンク周りに跳ねた水を拭きながらそう答える。


「ただあれは電気代が高いのがネックなんだよな。生活費は両親から振り込まれるけど、ただでさえ一人暮らしで迷惑掛けているんだしなるべく使いたくはないから」


「そうなのですか……」


 怜の言葉に思うところでもあるのか考えこむ桜彩。

 しかしふと顔を上げて思ったことを聞いてみる。


「ですが、食器洗浄乾燥機も中々にお高いのではありませんか?」


「まあそれはな。ただ俺個人のルールとして生活に最低限必要な物や光熱費は仕送りから払うことにしてるんだけど、それ以外の物はなるべく自分のお金で買うようにしているから」


 怜の実家は比較的裕福であり、怜自身もそれを良く理解している。

 両親も怜のことを大切に考えてくれている為に、普通に生活していればお金に不自由することはない。

 実際にこのアパートだってかなり家賃が高い物件だ。

 だが怜としてはさすがにそれは申し訳なく思っている為に、出来る限り仕送りのお金は使わないようにしている。


「だから食器乾燥機を買うとしたら俺の個人的なお金から出すつもり。例えばそこのお掃除ロボットも俺のバイト代で買った物だし」


 そうリビングの隅で待機しているロボット掃除機に視線を向ける。

 ちなみにその上には怜の趣味で小さな猫のぬいぐるみが張り付けられている。

 怜は家事全般、当然掃除も自分で出来るのだが、この広い家全体を掃除するのは時間が足りない為にロボット掃除機の導入に踏み切った。


「そうなのですね。立派だと思います」


「……まあそこまで褒められるほどではないと思うけど。ありがとう」


 少し照れながらお礼を言う。


「光瀬さんは本当に凄いですね。私とは違って……」


「さっきも言ったけど慣れだぞ、慣れ。俺だって最初は色々と失敗していたからな。だから渡良瀬だって徐々に慣れて行けばいいさ」


「私も光瀬さんのようになれるのでしょうか……?」


「絶対に、とは言わないけどな。でも渡良瀬がそうなりたいって言うのなら手を貸すぞ」


 その言葉に桜彩は少し驚いた表情をして、そしてすぐに笑みを浮かべる。


「それでは何かあったらお願いしますね」


「ああ」


 そして怜はケトルに水を入れてお湯を沸かしていった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「はーい、お茶が入りましたよー」


 そう言って怜はお盆にティーポットと三つのティーカップ、そしてチーズケーキを乗せてリビングのテーブルまで運ぶ。

 食器はリュミエールで出された物とは違いシンプルな作りだが、怜としてはこれも結構気に入っている。

 ティーポットの中にはカモミールティーが入っており、それをカップへと注いでいく。


「瑠華さん? 寝たんですか?」


 瑠華はビール缶を片手にテーブルへと突っ伏して返事をしない。

 ただの屍のようだ、と言いたいところだが、この後の世話が面倒くさい為そんなに可愛いものでもない。

 だがまあとりあえず寝ているのなら面倒なことにはならないだろうと考えてしばらく放置することを決定する。


「渡良瀬は砂糖とミルクはどうする?」


「あ、どちらも結構です」


「ん、了解」


 そして怜も席に着いてティーカップを傾ける。

 ひとまずこれで今日の夕食は最後となる。

 桜彩も目の前に置かれたカップの中身をふうふうと冷まして口に運ぶ。

 そしてチーズケーキにフォークを入れて口に運ぶと、その表情がすぐに緩む。


「美味しいです」


「そうか、ありがとう。口に合ってくれて良かったよ」


 その言葉に桜彩が驚いて怜を見る。


「あの、まさかこれも光瀬さんが?」


「ああ、自作。さすがに光さんには遠く及ばないけどな」


「いえ、とても美味しいです」


 怜としては謙遜でもなんでもないただの事実なのだが、それでも桜彩は幸せそうに食べてくれる。

 桜彩としては、怜が料理が上手というだけでも充分に驚いたのだが、それに加えてこういったお菓子までも作れるとは思ってもいなかった。


「光瀬さんは本当にお料理が上手なのですね」


「さっきも言ったけど、慣れだよ。まあ料理自体は結構好きだったしな」


 家庭の事情で調理に触れる機会が多かった怜は、姉と共に母から様々な料理について教わっている。

 それに加えて色々と調べたり自分で工夫したりということを楽しみながら行っていたら、自然と腕前が上達しただけのことだ。


「前に渡良瀬は料理が出来ないって言ってたけど料理の経験自体がないのか?」


「はい。ああいえ、小学校や中学校で調理実習があったので、その練習で何度か作ったりはしましたがその程度です」


 確かにその程度の経験ではあまり上達はしないだろう。


「ですが、一人暮らしをするにあたっては確かに料理は出来た方が良いですよね」


「絶対というわけではないけど出来るに越したことはないな。弁当とか外食店とかもあるから料理が出来なくても一人暮らしは出来るけど、特に俺達学生は体が資本だから」


 そう言って怜は軽く力こぶを作って見せる。

 その仕草に桜彩は再び笑ってチーズケーキへとフォークを運んだ。

 そのまま二人で何を話すでもなくチーズケーキとお茶を楽しむ。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「今は普通に笑えてるな」


「え?」


 二人の皿の上からチーズケーキが無くなったところで、桜彩の顔を見て怜が呟く。


「この前、リュミエールでは自然に笑っていただろ? それ以来、渡良瀬がそういう顔をしてなかったからな。少なくとも俺に見える範囲では」


「…………そう、かもしれませんね」


 顔に少し影を落としながら桜彩が同意する。

 桜彩本人も、人前ではかなり気を張っていることを自覚しているのだろう。


「まあ夕食に誘ったのはそういう理由もあるんだけどな。何にせよ、少しは気を緩められれば幸いだ」


「ええ、確かに光瀬さんの言う通りかもしれませんね。今は凄く幸せな気分です」


 そう言って桜彩はにっこりと笑う。

 今日何度目か分からないその笑顔に怜の顔が赤くなる。


「本当にありがとうございます。私の為に色々と気に掛けてくれて」


 そう頭を下げてくる桜彩。


「……いや、渡良瀬の為じゃないよ」


「え?」


 真剣な顔をしてそう言った怜に桜彩が怪訝な顔をする。

 すると怜はすぐに表情を崩して続きを言う。


「昔、俺も一人暮らしを始めた直後は苦労したって言ったろ? その時に助けてくれた相手に、俺も今の渡良瀬と同じことを言ったんだよ。そしたら『オレはお前の為にやったんじゃない。オレが、お前を助けたいから助けたんだ。だからお前の為じゃなくオレの為だ』って言われたんだ」


 当時のことを思い出しながら告げる。

 おそらく桜彩にもその相手が誰のことか分かっているだろう。


「そんなわけで、俺はその親友の言葉に感銘を受けたんだ。正直に言って、あの二人は俺にとって親友であると同時に憧れなんだよ。だから今日俺がやったことは、俺がやりたくてやったことだ。そこは絶対に譲れない」


「……そう、なのですね。光瀬さんはとても素晴らしい友人に恵まれているのですね」


「ああ。俺にとって最大の自慢は、あの二人と親友になれたことだよ」


「……羨ましいですね、そのような関係は」


 どこか遠くを見る感じで桜彩が呟く。

 何か理由があることは察せられたが、それに怜はあえて気が付かないふりをする。


「ああ。そこは謙遜せずに存分に自慢させてもらう。もっと羨ましがっても良いぞ」


 そうドヤ顔で胸を張って告げると桜彩も本当にそう思っているのか


「ふふっ。では存分に羨ましがります」


 そして二人はお互いに笑い合う。


「光瀬さん、あなたは私の為ではなくあなた自身の為に私を助けてくれたと言いましたね。ですが、私があなたに感謝するのは私の自由のはずです。だから言わせて下さい。私を助けてくれて、本当にありがとうございました」


 そう言って桜彩は頭を下げる。

 これは逆に一本取られた形だ。

 そして二人はこのこそばゆいような時間を過ごした。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「瑠華さんはもう起きる気ないな」


 何度か揺すってみたのだが、支離滅裂なことを言いながらすぐにテーブルへと突っ伏した瑠華を見て諦めながら呟く。

 そして怜は手付かずの瑠華の分のチーズケーキを桜彩の前へと置く。


「そんなわけだから渡良瀬、これは渡良瀬が食べてくれ」


「え? 光瀬さん、これは先生の分じゃ……」


「遠慮しなくていいぞ。どうせもうしばらくは起きないだろうし、まだ冷蔵庫に残ってるからな。それに作った人間としても、美味しそうに食べてくれる姿を見るのは嬉しいしな。だから俺が喜ぶ為にも渡良瀬に食べて欲しい」


 そう言って怜はキッチンへと戻ってコンロの火を点ける。


「……ありがとう、ございます。それではいただきますね」


「ああ、食べてくれ。俺は明日の支度をしちゃうから」


 そして怜は冷蔵庫から鶏肉を取り出し薄切りにして、それを先ほど肉巻きを作っていたフライパンへと投入して焼いていく。

 しばらくすると、先ほど嗅いだのと同じく食欲をそそる香りがキッチンやリビングに立ち込めてくる。

 一食食べて、更にデザートまで食べた桜彩もまた食欲がわいてくる。

 鶏肉にしっかりと火が通ったのを確認して夕食のサラダを作る時に多めに作ったキャベツの千切りを取り出し、それをパンに挟んで照り焼き風チキンサンドを作っていく。

 他にもツナサラダやタマゴサラダのサンドイッチを作り、軽くプレスしてから包丁で形をカットして大きめのタッパーへと詰める。

 そして残ったミネストローネをいくつかの真空パックに入れて空気を抜く。

 その間、桜彩はチーズケーキとお茶を楽しみながら、怜の姿を目で追っていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その後、怜と桜彩は少し話をしてから酔いつぶれた瑠華を叩き起こして怜がリビングに敷いた布団へと横にする。


「それでは光瀬さん。今日は本当にありがとうございました」


 そしてこの心地好い空気に若干の名残惜しさを感じながら、桜彩は自宅へと戻ろうとする。

 そこで怜はそんな桜彩を呼び止めて、中にタッパーの入ったビニール袋を差し出す。


「あの、光瀬さん、これは?」


 ビニール袋を見て怪訝そうな顔で聞いてくる桜彩。


「サンドイッチとミネストローネの詰め合わせ。天気予報によると、どうせ明日も外には出られないだろうし食べてくれ。サンドイッチはそのまま食べてもいいし、オーブンで軽く焼いてもいい。ミネストローネは耐熱性の容器に入れて電子レンジで温めて」


「えっ……」


 まさかのことに桜彩が驚いて目を丸くして差し出された袋を見つめる。


「ですが……」


 一応二百円を払ったとはいえ夕食をご馳走になったのに加え、このような手土産まで渡されては申し訳ない気分になる。

 そもそも先ほど食べた夕食だけでも二百円は優に超える価値があるだろう。

 このサンドイッチとミネストローネももっと高いお金を払うだけの価値があるはずだ。


「気にしないで良いぞ。さっきも言ったけど、これは俺がやりたいからやってるだけだ。それに元々陸翔や蕾華と三人で食べる分だけ食材を買い込んでたから余らせることになっちゃうからな。それだったら美味しく食べてくれる相手に食べて欲しい。まあ美味しいかどうかは別として」


 厳密にいえば、怜の発言には嘘がある。 

 たとえ量を多く作ったところで真空パックに入れて冷凍しておけば、そこそこ日持ちはするものだ。

 そしてその程度のことは桜彩も理解している。

 だが、ここで怜の好意を付き返すのも気が退けてしまい、そこに気が付かないふりをする。


「分かりました。それではいただきますね」


「ああ。後で感想を聞かせてくれるとなお嬉しい」


「はい。そういうことでしたらお任せください。それではお休みなさい」


「ああ、お休み」


 自室へと戻る桜彩。

 去り際に浮かんだ『自然な』微笑は、これまで見たことないほど魅力的で――

 

 ピピッ


「ッ!!」


 一瞬上の空になってしまった怜を、スマホの受信音が現実へと引き戻す。

 確認すると蕾華からのメッセージを受信していた。

 一度深呼吸して平常心を取り戻してメッセージの中身を確認する。


『れーくん、お姉ちゃんが迷惑掛けてない?』


『ビール飲んで寝てる』


『ごめん』


『蕾華が謝ることじゃないよ』


『ありがと。それと今時間ある?』


『食後の片付けが終われば。あと十分程度』


『じゃあ十五分後からりっくんと一緒にゾンビを殺しにいかない?』


 これは怜と陸翔、蕾華が協力プレイしているゾンビゲームをネット通信でやろうというお誘いだ。

 元々は怜の家でパーティーゲームをする予定だった為、それが出来ないならせめてネットで一緒にゲームをしようということだろう。


『了解。それじゃあな』


『じゃあね』


 それだけメッセージを送り合って、フライパンや包丁を洗う。

 そして瑠華が寝ているリビングの電気を消した後、怜は自室のパソコンを起動して親友とのゲームを開始した。

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