第13話 クールさん(及び他一名)と夕食を① ~食事前の一幕~

「じゃあ瑠華さん、これで体を拭いといて下さいね」


 そう言ってバスタオルを瑠華に投げ渡し、リビングの暖房を入れる。

 桜彩は傘を、瑠華は雨合羽を着ていたとはいえもはやそんな程度で防げる雨量と風ではなく、二人共そこそこ濡れていた。

 その為、桜彩は一度自宅へと戻って着替えて来るようだ。


「ありがとうね、れーくん。やっぱりれーくんはなんだかんだで優しいなー」


 瑠華が怜から渡されたタオルで髪を拭いていく。

 怜が瑠華に対して異性として惹かれることなど全然、全くもって、これっぽっちもないのだが、それはそれとしてその仕草に少し色っぽさを感じてしまう。

 一瞬頭をよぎったその屈辱を気の迷いだと断じて頭を振って追い払う。


「それと悪いんだけど、何か着替える物ってないかな?」


 雨合羽の中にまで雨が入り込んでしまって少々気持ち悪く思う瑠華。


「ちょっと待ってて下さい」


 怜はそう言って自室へと戻ってからシャツと短パンを持ってくる。

 そして戻って来た怜の目に映ったのは、シャツが雨で張り付いてその下に着ている下着がうっすらと透けている瑠華だった。

 瑠華本人は身長が低いことにコンプレックスを持っているが、スタイルは悪くなく、というかむしろ良い。

 いわゆるトランジスターグラマーだ。

 それに加えて蕾華と姉妹だけあって見た目も良い。

 外見だけを見れば、女性としての魅力はかなり高い。

 あくまでも外見だけを見ればの話だが。

 そんな外見だけなら魅力のある彼女がそのようなあられもない恰好をしていては、いくら相手が怜とは言え目に毒だ。


「はい、これ」


 恥ずかしさに瑠華の方を見ずに着替えを渡す。

 そんな怜に瑠華は不思議そうな表情を浮かべて顔を覗き込んでくる。


「あれ、れーくんどうしたの?」


 怜が何を恥ずかしがっているか分からずに聞いてくる。


「どうもしないです! 早いとこ洗面所で着替えて来て下さい!」


「んー? ちょっとれーくん、相手と話す時はちゃんと相手の目を見ないとダメだよ! ほら、こっち向いて!」


 こういう時に限って正論を向けないで欲しい。

 そう言いながら瑠華は怜の心境などまるで知らずに怜の顔を掴んで自分の方へと向けようとして来る。

 どうしようかと本気で対応に悩んでいると、そこに玄関のチャイムが救世主のように鳴り響く。


「あ、ほら、多分渡良瀬が来たから」


 そう言って瑠華の手を振り解いてインターホンの受話器を取ると、予想通りに着替え終わった桜彩の声が聞こえてきた。


「あの、渡良瀬ですが」


「ああ、鍵は開いてるから入ってくれ」


「はい。お邪魔しますね」


 そう言って桜彩は怜の部屋の扉を開けて入ってくる。


「はい。渡良瀬も来たことだし、俺は料理に戻りますね!」


 とりあえず瑠華の追及をかわすため、それだけ言って返事も聞かずにキッチンへと戻って行く。

 それに瑠華が不満そうな顔をしていると、リビングに桜彩の姿が現れた。

 先ほどとは違う私服姿の桜彩は、二人を待たせるのは悪いと思ったのかまだ髪が濡れていた。

 本当に着替えだけしてきたのだろう。


「お待たせしました」


「いや、待ってないから大丈夫。っていうか渡良瀬、まだ髪濡れてるんじゃないか?」


「あ、はい。ですがお二人を待たせてはいけないので……」


「いや、もう少し時間が掛かるから大丈夫だぞ。その間に髪を乾かしてきたらどうだ? 瑠華さん、ついでに渡良瀬も洗面所へ案内して下さい」


「え、いや、私は……」


「うん、りょーかい。それじゃあ渡良瀬さん、行こっか」


 そう言って瑠華は半ば無理やりに瑠華を連れて洗面所へと向かって行った。

 瑠華の追及から逃れて一安心した怜は、中断していた夕食の支度を再開する。

 しばらくすると桜彩と瑠華がリビングへと戻って来た。


「れーくんただいまー」


「ドライヤー、ありがとうございました」


 そう言う二人に怜は料理の手をとめずにもうすぐ完成するから椅子に座って待っているように告げる。


「あの、私も何かお手伝いを……」


「いや、もうある程度終わってるから構わないぞ。座って待っててくれ。あ、テレビは適当にチャンネル変えて良いから」


 テレビはただ何となく点けていただけなので、別に観ているわけでもない。

 桜彩としては二百円を払うとはいえ料理をご馳走になるのに手伝いもしないのは居心地が悪かったのでそう提案したのだが、怜にそう言われては何も出来ない。


「そうそう。れーくんは要領いいからねー。渡良瀬さん、あたし達はゆっくりしてよー」


 そう言いながら椅子へと座ってテレビを眺める瑠華。

 だからあんたは少しは桜彩を見習えと心の中で強く思うが口には出さない。

 瑠華が見ているテレビには、二人が尋ねて来る前に流れていたニュースが続いている。

 この大雨でスーパーからパンやカップ麺が消えたというなんともタイムリーな話題だ。

 桜彩も椅子に座ろうとすると、ふと別の椅子の上に乗っている大きな猫のぬいぐるみが目に入る。


「ねこ……」


 それを見た桜彩が目をキラキラと輝かせる。

 猫は最高だと言っていたし、怜に送ったメッセージスタンプも猫のイラストだった桜彩はそのぬいぐるみに興味津々だ。


「あ、これ? 可愛いよねー」


 桜彩の呟いた言葉に瑠華が反応して振り返る。


「はい、とても可愛らしいです」


 いつものクールな表情を崩さずにそう言いながら桜彩も席に座るが、目はぬいぐるみに向けられたままだ。


「光瀬さんも動物が好きと言っていましたが、こういった物も持っているのですね」


 意外そうな表情で桜彩が言う。

 確かに男でこういった物を持っているのは少数だろう。


「え、渡良瀬さん、れーくんとそんなこと話してるんだ。ずいぶんと仲良くなったんだねえ」


「えっ!」


 にっこりと笑う瑠華の言葉に桜彩が驚く。

 瑠華としては他意はなくただ純粋に思ったことを言っただけなのだが、桜彩としてはなんだか勘繰られている気がしないでもない。


「は、はい。光瀬さんとは隣の席ということもあってたまに雑談もしたりしますので」


「そーなんだ。渡良瀬さんって女子とは話すようになってきたみたいだけど、男子とはまだ壁があるように見えたんだけど、気のせいだね」


「み、光瀬さんは隣人ですし、他の男性よりは話す機会もあると言いますか……」


 そんな瑠華の指摘に桜彩はあわあわと言い訳のようなことを言う。

 さすがに担任だけあって瑠華は生徒のことをよく見ている。

 昨今の教師はあまり生徒に対して興味を持たない人間も多いようだが、こうして色々と気にかけている所が生徒から瑠華が慕われている理由の一つだろう。


「んー? なんか慌ててない?」


「あ、慌ててなんていません!」


「えー、そう?」


 誰が見ても慌てているような桜彩に瑠華が疑いの視線を向け、それを受けた桜彩はたじたじになってしまう。


「この前エレベーターの中でそんな話題になったんですよ」


 見かねて怜がキッチンから助け舟を出す。

 ここで正直に、『二人で洋菓子店でお茶してました』なんて言ったら、たとえそこに至るまでの事実がどうであれ面倒なことにしかならない。


「へー、そーなんだ」


「は、はい、そうです」


「うんうん。仲良くやってるようで良かったよ」


 その怜の言葉にひとまず瑠華は納得する。

 怜や桜彩としては別にやましい事があるわけでは無いのだが、なんとなく居心地が悪い。


「あ、そうそう。その猫のぬいぐるみなんだけどね、なんでそこに置かれてるのかっていうのは可愛い理由があるんだよ」


「そうなのですか?」


 キッチンで料理を作っている怜を見ながら桜彩が尋ねる。


「んー、まあ」


 恥ずかし気に明後日の方を見ながら答える怜。


「うんうん。れーくんって大人びて見えるけど、やっぱりまだ高校生だからね。一人ぼっちでの食事はなんか寂しいってことで、気を紛らわせるためにそこにぬいぐるみを置いてるんだよ。可愛いとこあるよね」


 怜としては別に桜彩が相手なら隠すことでもないので、しかし恥ずかしさはあるのかやはり桜彩の方を見れず赤い顔をしたまま視線を手元に移す。

 怜がぬいぐるみを置いている理由が意外だったのか、桜彩は少し驚いた顔で怜を見つめる。


「そうだったのですね。ですが私も分かります。やっぱり猫は最高です」


 そう小さく拳を握りながら力説する。

 どうやら猫のことになると少し見境がなくなるらしい。

 そんな話をしているうちに料理が完成する。


「はい、出来ましたよ。そっち持っていきますからねー!」


 そう言って怜はミネストローネの鍋を持ち上げてテーブルへと運ぶ。

 なみなみと注がれている深めの鍋から、いい香りが桜彩と瑠華の鼻へと漂ってくる。


「わー、待ってました!」


 それを見た瑠華が嬉しそうな声を上げる。

 桜彩も言葉は出さないものの、怜の作ったミネストローネを見て驚いたような顔をしている。

 怜が料理をすることは知っていたものの、やはり実際に見ると驚くのだろう。


「まだ持っていきますからね」


 次に数種類の野菜で作ったサラダと自家製ドレッシング数種類。

 そしてメインディッシュである多量の野菜の肉巻きを大皿に乗せてテーブルへと置くと、更に食欲をそそる香りが立ち込める。

 これは朝の内に自作の調味液の中に漬けておいた肉で、ジャガイモやニンジン、キノコやウズラの卵、チーズなど様々な物を包んで焼いたものだ。

 焼く時には調味液を更に回し掛けして、それがさらに香りを強めている。

 怜もひそかに自信がある料理でありこれを気に入っている。

 後は取り皿を人数分用意して、茶碗にご飯をよそって並べて準備完了だ。


「わー、相変わらずれーくんの料理は美味しそーだねー!」


「凄いです。とても美味しそう……」


 桜彩も椅子から少し身を乗り出して料理を見つめる。

 先ほどまではどこか居心地が悪そうだったのだが、猫の話をしてから多少緊張がほぐれたようだ。

 そういった意味でもあの猫のぬいぐるみは役に立ったと言えるかもしれない。


「まあ美味しいかどうかは食べてからにしてくれ」


 食べてもいないうちからここまで褒められるのは気恥ずかしい。

 そして三人分のご飯を用意して、エプロンを脱いだ怜も椅子へと座る。


「あの、光瀬さん。こちらのお料理、撮ってもよろしいでしょうか?」


 スマホを取り出しながら桜彩がおずおずと聞いてくる。

 リュミエールでケーキを撮った時にも思ったが、今時の女子高生らしくなんでも写真に残すタイプなのだろうか。

 とはいえ怜も別に問題ないので肯定する。


「ああ、構わないぞ」


「ありがとうございます」


 そう言って桜彩は夕食を写真に収めた後、何かスマホを操作していた。

 もしかしたら姉に今日は何を食べたのか送っているのかもしれない。

 そして桜彩がスマホを仕舞って夕食の開始となった。

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