第12話 クールさんへ夕食のお誘い
「それで、一体どういうことですか?」
面倒くさそうに怜が玄関の扉を開けると、そこには瑠華だけではなく桜彩も立っていた。
瑠華がエントランスを突破出来たのは桜彩のおかげかなんてことを考えていると、瑠華が説明を始める。
「いやー、なんか雨がちょー強くなってるでしょ? あたしも早く帰ろうかなーと思ったんだけどさー、今日が期限の提出物の存在をすっかり忘れちゃっててね。そんなわけで瑠華せんせーはれーくん達が帰った後も一人寂しくお仕事を頑張っていたわけなんですよ」
「はあ、それはお疲れ様です。自業自得という言葉が浮かびますが、それは言わないことにします」
「言ってる! 言ってるから!」
瑠華がまるで子供のように手をぶんぶんと振り回す。
低めの身長も相まってとてもではないが社会人の行動とは思えない。
「まあそんなわけで、無事に仕事を終えたあたしを待ち受けていたのは暴風雨というわけなんだよね。さすがにあたしの家まで帰るのは辛いから、落ち着くまでここに避難させてほしいなーって。あ、タクシーで帰れとか言わないでね。電話したけど全部出払ってるみたいだったから」
瑠華の説明により、怜もこの状況を理解する。
それならそれで連絡の一つも入れてから来いと言いたいところだが、今それを言ってもどうしようもないので喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「…………言いたいことは分かりました。ただ一応言っておきますけど、今日は蕾華と陸翔が遊びに来る予定ですよ」
「あー、そう言えば昨日そんなことをらいちゃんが言ってたなー。まあ別にあたしは気にしないから」
とりあえず蕾華が来たら瑠華の所業を事細かに告げて制裁してもらおうと心に誓う。
「それなら分かりました。とりあえず入って下さい」
「わーい。れーくんありがとー!」
さすがに瑠華には色々とお世話になってはいるし、そういった事情であればこのまま無理に追い返すことも出来ない。
この暴風雨の中では下手をすれば途中で事故に遭ってもおかしくはない。
それを許容出来るほど、怜の心は冷徹ではない。
瑠華が玄関から怜の部屋へと体を入れて来たので、通路には桜彩だけが残っている。
「光瀬さん」
傘を返しに来ました、と伝えようとしたところで怜のスマホから着信音が鳴り響き、悪いタイミングに桜彩の言葉が途切れてしまう。
さすがにこの状況で出るのもどうかと躊躇したが、桜彩からどうぞ、と言われてスマホを見ると、そこには『竜崎 蕾華』と表示されていた。
「もしもし、蕾華?」
『ゴメン、れーくん!!』
開口一番、蕾華から謝罪の言葉が届き、怜が何のことかと頭を回らせる。
「ごめんっていきなり何?」
『今日なんだけど、雨と風が強すぎてアタシもりっくんもそっちに行けない』
その言葉に桜彩の後ろの外を見ると、先ほどよりもさらに雨脚が強くなっている。
瑠華が自宅へ帰るのを諦めたように、蕾華や陸翔にとっても無理をしないと怜の家まで来るのは難しいようだ。
『本当にごめん、れーくん』
「良いよ、気にすんな。こんな状況だし来れないのも無理はないって。それより二人が無理してケガする方が嫌だから」
二人が来ることが出来ないのは残念だが、だからといってその為に二人が危険な目に遭うのは怜も望まない。
だから本心から蕾華へとそう答える。
『……ありがと、れーくん』
電話口の向こうから安心した声が聞こえる。
長い付き合いの為、蕾華や陸翔もこういった状況で怜が気分を害することはないだろうとは分かっているが、それでもさすがに申し訳なく感じている。
「だから気にしないでいいって」
『それとなんだけど、お姉ちゃん知らない? 普段はそろそろ帰ってる時間なんだけど』
「…………」
その言葉に怜は瑠華の方を振り向く。
ちょうど雨合羽を脱ぎ終わった瑠華がその視線を受けて怜の顔を見てくる。
「ちなみに電話はしたのか?」
『うん。でも繋がらなくて。メッセージも既読にならないし』
蕾華の声が心配そうな響きで伝わってくる。
喧嘩することも多いが、この蕾華と瑠華の姉妹仲は決して悪くはない。
心配されているその当の姉は怜の目の前でにっこりと笑顔を浮かべているのだが。
「……分かった。今代わるから」
『え? 代わるって……』
蕾華の言葉が終わらないうちに、怜は瑠華へとスマホを渡す。
今の会話で瑠華も電話の相手が妹だと分かっている為に、何も聞かずにスマホを受け取る。
「あ、もしもし、らいちゃん?」
『え!? お姉ちゃん!?』
電話口の向こうで蕾華が驚きの声を上げる。
心配していた姉の声が、なぜ親友のスマホから聞こえるのか。
そんな妹の心境を知ってか知らずか、瑠華は明るい声で返事をする。
「うんうん、らいちゃんのお姉ちゃんだよー」
『ちょっと何やってるの!? 何でれーくんの所にいるの!?』
「お仕事頑張ってたらこんな時間になっちゃって。今から帰ると危ないから近場のれーくんの所に避難したんだ」
『いや……避難したって……』
電話口の向こうで呆れたように蕾華が呟く。
話が途切れたところで瑠華が怜へとスマホを返したので、再び怜と蕾華の会話に戻る。
「まあそういうことだから」
『本当にごめん……』
怜の家に遊びに行くという予定を潰したことに加えて、自らの姉の所業に申し訳なさそうに蕾華が謝る。
当の姉はまるで申し訳ないとかそういうことを思っていないのが若干腹立たしいが。
「蕾華が謝ることじゃないって」
『ホント悪いけど、お姉ちゃんをよろしく』
「ああ。陸翔にもよろしくな。一緒にいるんだろ? それじゃあまた週明けに学校で」
『うん。それじゃあね』
それだけ言って蕾華との通話が終了すると、三人のグループメッセージに二人からの謝罪の言葉が送られてくる。
予想通り、陸翔は蕾華と一緒にいたようだ。
それに対して気にしないでくれと返信をしてスマホをポケットへと仕舞い桜彩へと向き直る。
「っと悪い。待たせたな」
「いえ、構いません」
それだけ言って桜彩は先ほど怜から借りた傘を差し出してくる。
「ありがとうございました」
「いや、役に立ったのなら何よりだ」
そこまで言ってふと怜は桜彩の手元に目を向ける。
片手には怜が貸した傘が持たれていたが、もう片方の手には何も持たれていない。
瑠華と一緒にここへ来たということは、おそらく桜彩はまだ自室へと戻っていないはずだ。
夕食を買いに行くといったのに何も持っていない桜彩に怜は疑問を問いかける。
「渡良瀬、夕食を買いに行ったんじゃなかったのか?」
「はい。ですがこの天気ですのでスーパーは臨時で早く閉まってしまいました」
「コンビニは?」
「そちらの方にも行ってみたのですが、パンやお弁当は既に売り切れてしまっていました」
外出も厳しい天気なので、桜彩と同じように食料品を買い込もうと思った人も多いのだろう。
しかしそれでは桜彩は何も買えずに帰って来たということになる。
「……一応聞くけど、今日は何を食べる気だ?」
「一食くらい抜いても問題はありません」
「いや、予報だとこの後更に天気は悪くなるぞ。明日は今日以上に外に出るのは難しいんじゃないか?」
「ですが仕方ない事です」
その言葉に怜は少し考えこむ。
確かに人間一日くらい何も食べなくても生きていけるが、それでも充分にきついだろう。
「ちょっと、駄目だよ渡良瀬さん! 成長期なんだからちゃんとご飯食べないと!」
すると後ろでそれを聞いていた瑠華が人差し指を立て強い口調で注意して来る。
睨むような表情をしているが、本人の見た目もあってあまり怖くない、というか若干可愛らしい。
「ですが、ないものはどうしようもありませんので……」
暗い表情でそう小さく告げる桜彩に、怜と瑠華は顔を見合わせて互いに頷く。
「だったられーくんの部屋で食べなよ」
「ああ。俺は構わないぞ」
その提案に桜彩は驚いたように顔を上げて二人を見る。
「いえ、ですが光瀬さんにそのようなことをしていただく理由はありません」
「別に気にする必要はないぞ。こうしてアポなしで突撃してきて料理を食わせろと言ってくる社会人だっていることだしな」
少しの皮肉を込めながら瑠華を指差すと瑠華がふくれっ面をする。
「む。いーじゃないれーくん。もっとお姉ちゃんに優しくしてくれても」
「お姉ちゃんを自称するのであれば、もっと年上らしい行動を心掛けて下さい」
「むーっ!」
この傍若無人な第二の姉には少しは桜彩の奥ゆかしさを見習ってほしいものだ。
「まあそんなわけで俺は構わないぞ。別に金のとれるような高級料理を作ったってわけじゃないし、素人の作った家庭料理だからな」
多少の謙遜を入れてそう言う。
とはいえ怜としては一人暮らしする前から料理を頻繁に作っていたこともあって、素人としてはそこそこ味にも自信がある。
まあ万人受けする味付けなど存在しないと思っている為、桜彩の口に合うかは分からないのだが。
「しかし、それでは光瀬さんのご迷惑になってしまいます。私は先日も迷惑を掛けてしまった為、これ以上は……」
「さっきも言ったけど別に気にしなくても良いぞ。元々陸翔と蕾華が遊びに来る予定で三人分作ってたからな。だけどこの雨で二人が来れなくなっちゃったもんで、むしろこのままだと料理が余って逆に困ってしまうんだよ」
「ですが……」
怜の言ったのはあくまでも口実だ。
今日の料理であれば余った分を冷凍しておけば、多少味は落ちるとしても保存することは出来る。
しかし桜彩はまだ申し訳ないという気持ちがあるのか首を縦には振らない。
そんな桜彩を見て、怜は口実ではなく本心を口にする。
「……あのな、さっきまでならともかく、今の俺は渡良瀬が下手をすれば明日や明後日まで食事出来ない状況に陥ってしまうってことが分かってしまってるんだ。赤の他人ならともかく、多少なりとも縁のあるお隣さんやクラスメイトがそんな状況にあって、その状態で普通に自分だけ食事をすることに対して気にしないってことは無理だぞ」
「え……?」
「だからな、これは渡良瀬の為を思ってのことじゃない。あくまでも俺の個人的な理由でのお節介だ。俺がそういったことを気にしないで過ごすためにもウチで夕食を食べて欲しい」
「光瀬さん……」
「それに、だ。一人暮らしの先輩として言わせてもらうと、俺だって一人暮らしを始めた時は周りの人達に結構迷惑を掛けたんだ。当初は自分一人で何でも出来ると思ってたんだけど、それで色々と問題が発生して、それを見かねた周りの人がちょっと強引に助けてくれたから何とかなったんだ」
チラ、と横目で瑠華を見ながら言う。
陸翔や蕾華、瑠華といった周囲の人達がいなければ、今自分はまともに生活が出来ているか分からない。
当初は自分一人で何とかすると言い張っていたのだが、怜のことを心配した陸翔や蕾華が強引に自分達の両親と共に様子を見に来てくれたりしてくれたおかげで何とか普通の生活が出来るようになったのだ。
そんな周囲の人間に恵まれていた自分とは違って、遠くから引っ越してきたばかりの桜彩には頼れる人などいないだろう。
ならば自分が皆から助けてもらったように、少しでも桜彩の助けになれるようなことが出来たら良いと思う。
「それでも納得が出来ないのなら……そうだな、二百円で手を打つ」
「え……?」
いきなりの提案に桜彩の目が丸くなる。
「今の時間だとそろそろスーパーの弁当がそのくらいの値段で売られてるはずだからな。だから食事代として二百円だ。そうすればお互いにフィフティ・フィフティで対等だろ?」
「……そうですね、分かりました。それでは光瀬さん、ご相伴(しょうばん)にあずからせていただきます」
「ああ。それじゃあどうぞ」
そこまで言われて桜彩はついに苦笑いしながら観念した。
「うんうん。これで一件落着だね」
そう言う瑠華に対して、怜は桜彩の爪の垢でも飲ませてやりたいと本気で思った。
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