第11話 季節外れの豪雨と立ち往生するクールさん
「あれは渡良瀬か? 何やってるんだ?」
雨の降る金曜日、季節外れの豪雨予報を聞いて早めに食材を買い込んで戻って来た時には既に雨脚が強くなっていた。
夕方までは曇りのままで傘も必要としなかったのだが、降り始めたらすぐに土砂降りとなってしまった。
傘こそ使っていたのだが、服も荷物も雨で濡れてしまっている。
片手に食材の入ったエコバッグ、もう片手に大きめの傘をさして帰って来た怜の目に、エントランスを出た所で空を見上げて途方に暮れながら立ち往生している桜彩の姿が映る。
そんな彼女を放って自分の部屋へと帰るのも
「あ、光瀬さん」
そこで桜彩はようやく怜の存在に気が付いて頭を下げる。
「お買い物ですか?」
「ああ。渡良瀬は何をやってるんだ?」
怜の持っている荷物を見てそう尋ねてくる桜彩に返事をしつつ、傘に付いた水滴を払って折りたたむ。
「私は夕食を買いにスーパーへと行こうとしたのですが……」
桜彩は歯切れが悪くそう答えた。
制服から私服へと着替え、アパートの入口に立ち尽くしている彼女の手には傘がない。
まだ予報通り豪雨とはなっていないものの、さすがに傘がなくては出かけるのに躊躇するくらいの雨脚になっている。
「傘を部屋に忘れて来たのか?」
「いえ、傘がないのです」
「傘がない?」
その問いに桜彩は表情を暗く俯きながら
「はい。まだ家には傘がありません。引っ越して来てから初めての雨ですので、傘の必要性を忘れていました」
「あ、あー、なるほど……」
事情を聴いてそういう事かと納得する。
引っ越しの際に傘を忘れるのはおかしなことではないし、晴れの日に傘を買おうという発想は浮かばない。
これまでの桜彩にとって唯一の救いは、通学時に雨が降らなかったことだろう。
このような状況であれば、怜が取る選択肢は一つである。
「だったらこれを使ってくれ」
そう言いながら、今畳んだばかりの傘を桜彩へと差し出すと、桜彩は目を丸くする。
「ですが……」
「俺はもう使わないからな。それに家にはまだ何本かあるし、例え壊してしまっても問題ないぞ」
その言葉に桜彩は少し考えてから返事を返す。
「分かりました。ありがたくお借りします」
こちらの申し出を素直に受けてくれて安堵する。
少し前までの桜彩なら、他人に迷惑は掛けたくないと言って受け取らなかっただろう。
「ああ。それよりも急いだ方が良いぞ。予報によると、これからさらに雨脚が強くなるみたいだからな」
空を見上げながらそう忠告する。
今、桜彩と話している間にもまた雨脚が強くなったように思う。
「はい。それでは失礼しますね。あ、もし壊してしまったら弁償しますので」
怜が断ると思ったのか、それだけ言って返事を聞かずに桜彩は買い物へと出かけて行った。
(別に壊れたところで問題はないんだけどな)
そんなことを思いながら、気持ち速足で買い物へと出かける桜彩の後姿を見送った後、怜は自室へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふう。後は焼いていくだけかな」
夕食の仕込みをほぼ終わらせたところでコップにスポーツドリンクを注いで一気に飲み干す。
すると料理の熱気に当てられた体が少し冷めていく感覚がある。
ふと外を見ると、雨脚は先ほどよりもさらに強くなり、近年最高とも思えるほどの雨量に達している。
こうして家の中にいるにもかかわらず、窓やベランダを叩く雨音がかなり気になる。
(渡良瀬は無事にスーパーへ行けたのかな?)
ふとそんなことを考える。
雨はいつもよりも危険が多い。
視界も悪くなるし、道は滑りやすくなる。
それに加えて道路を走る車に水を掛けられるといったこともある。
多少は仲良くなった友人のような相手がそんなトラブルに巻き込まれずに食事を買うことが出来れば良いなと思う。
怜は基本的にスーパーやコンビニで弁当を買うということはない。
怜にとっては自分で作った方が美味しいし安く済むし、料理自体が好きなので手間だと思うこともない。
今もキッチンのコンロの上には大きめの鍋が置いてあり、中にはミネストローネが入っている。
別のコンロにはフライパンが置かれており、その中に食材が放り込まれるのを今か今かと待っている。
(早めに焼いても良くないし、二人が来てからにするか)
そう思いながらスマホを取り出してメッセージが来ていないか確認するが、そのトップ画面に通知は何も来ていない。
(まあもうそろそろだと思うんだけど)
今日は金曜日ということで、明日からは二日間の週末休みとなる。
そんなわけで久しぶりに陸翔と蕾華が怜の家に泊まり込んでゲームでもやろうということになった。
その為、怜は力を入れて夕食を準備していたのだが、そこに玄関のチャイムが響き渡る。
(来たか。てかエントランスはどうしたんだ? まあ誰か他の住人が出入りしていたのか)
アパートのエントランスの扉は常時施錠されており、アパートの各部屋の鍵か各部屋に付いているモニター付きのインターホンで解錠操作をするしかないのだが、ちょうど他の住人が出入りするのであればそれに乗じて入ることが出来る。
その為、特に気にせずにインターホンの受話器を取る。
エントランスであればモニターにカメラからの映像が表示されるが、今回のように玄関のインターホンを押した場合は何も表示されない。
おそらく親友二人が来たのだろうとは思うのだが、念の為に鍵を開ける前に相手を確認しておく。
これがもしもセールスや宗教勧誘の類であれば相当に面倒くさい。
この雨の中、そんなことはないとは思うのだが。
「もしもし」
『あ、れーくん。あたしあたし、瑠華ですよー!』
親友でもなく懸念したセールスでもなく、そこから流れてきた声は親友である蕾華の姉であり、怜の担任教師でもある瑠華の声だった。
保護者を自称する瑠華が怜の様子を見に来たことは何度かある。
瑠華は、というより竜崎家皆は怜の両親からの信頼も厚く、竜崎家にはいざという時の為に怜の部屋の合鍵が置かれている。
その為、瑠華が怜の部屋を訪れる際はその合鍵を利用して勝手に入り込むことが常なのだが。
「何かありましたか?」
『あ、それなんだけどさー。れーくん、ご飯食べさせて。ついでに泊めて』
イラッ
どう考えても今年二十五歳になる社会人が高校二年生相手に要求する内容ではないだろう。
アポ無しで現れた上にいきなりのその傍若無人な要求に対してどう返答してやろうかと苦い顔をして数秒間考える。
「お客様のお尋ねになった住人は、現在あなたの相手をするほど暇ではありません。ピーという発信音の後で硫酸で顔を洗って出直して下さい。ピー」
声に全く感情を込めずに、留守番電話サービスの真似をして適当に相手をすることにした。
『わー、待ってれーくん、切らないで切らないで! お願いだから話を聞いて! 中に入れて! 謝るからー!!』
「…………今そっちに行きます」
慌てて叫び出す瑠華の声を聞いて、たったこれだけのやり取りでドッと疲れたようになりながら怜は玄関へと重い足取りで向かっていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
少し前
「はー、やっと着いた! もー大変だよ!」
そう言いながら、瑠華は怜の住むアパートの入口にたどり着く。
残業によりやっと帰宅出来ると思ったら、既に外はかなり雨脚が強くなっていた。
領峰学園から瑠華や蕾華の住む竜崎家まではそこそこの距離があり、蕾華と幼馴染みの陸翔は自転車で、瑠華は原付バイクで通っている。
雨予報の為、雨合羽は用意してきたのだが雨に加えて風もかなり強くなっており原付で帰宅するのはかなり厳しい状況だった。
しょうがないからなけなしのお金を使ってタクシーを呼ぼうと思ったのだが、同じことを考えている人がたくさんいた為かタクシーの空きは既になかった。
そこで瑠華は、自分の住む竜崎家よりも領峰学園に遥かに近い場所に住んでいる怜のことを思い浮かべた。
学園ではあくまでも教師と生徒の関係だが(瑠華がそれを守っているかは別として)、プライベートにおいて瑠華は怜の友人のような立ち位置であり、また第二の姉で保護者という立場を自称している。
その為、ここは弟分に姉を助けてもらおうと怜の家へと避難することを思いついた。
途中のコンビニで必要な物を買い込んだ後、怜のアパートにたどり着いた瑠華は駐輪場に乱暴に原付を停めてアパートのエントランスへと行き、怜の部屋へと連絡を取ろうとする。
すると、外からエントランスへと別の人物が入ってくるのに気が付いた。
後ろを向いてそちらを確認すると、ちょうど桜彩が入ってくるところだった。
「あ、渡良瀬さん」
「竜崎先生、こんばんは」
こんなところに何故瑠華がいるのかと疑問に思ったが、とりあえず担任に対して頭を下げて挨拶をする桜彩。
「こんばんは、渡良瀬さん」
それに対して瑠華も挨拶を返す。
「渡良瀬さん、今帰り?」
「はい、そうですが」
それが何か? という感じで答える桜彩。
「ていうことは、この扉開けられるよね。実はれーくんに用事があって来たんだけど、開けてくれる?」
顔見知りの住人がここにいるのであれば、そちらに頼んだ方が手っ取り早い。
「光瀬さんにですか?」
先日のやり取りで瑠華と怜がプライベートで仲が良いことは桜彩にも分かっている。
何の用かと疑問に思いながらも、自分も自宅へと戻らなければならないので自室の鍵でエントランスの自動ドアを開ける。
そのまま二人でエレベーターへと乗り込んで最上階へと向かい、怜の部屋の前まで来る。
「ありがとう、渡良瀬さん」
「いえ、私も自宅へと戻らなければなりませんので」
そう言って桜彩も瑠華と共に怜の家の前で止まる。
そんな桜彩の行動に瑠華は疑問符を浮かべて
「あれ? 渡良瀬さんの家は隣だよね?」
「はい。ですが先ほど光瀬さんに傘をお借りしましたので」
そう言いながら手に持った傘を持ち上げてアピールする。
それを見た瑠華はふむふむと頷き納得した。
「それならあたしかられーくんに渡しておこうか?」
「いえ、お借りした物は直接返すのが礼儀ですので」
「それもそーだね。分かった分かった。それじゃあ鳴らすね」
そう言いながら瑠華は怜の部屋のインターホンへと指を掛けた。
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