第9話 クールさんと帰宅、少しだけ縮まった距離

「……なんというか、ごめん」


「い、いえ、私も悪かったですし」


 望にからかわれたことについて頭を下げる怜に、慌てて桜彩も頭を下げる。


「それに、あんなに美味しいケーキを食べられたのだから役得ですよ」


 そう言いながらお土産の箱を掲げて見せる桜彩。

 そのまま二人はケーキの感想を言ったりしながらアパートへの道を歩いて行く。

 リュミエールに行ったことで、結果的に二人の距離はずいぶんと縮まったように思える。

 アパートが見えてきたところで桜彩が『あっ』と声を上げた。

 桜彩の視線を追ってみると、アパートのごみ置き場に一つだけごみ袋が置かれている。

 明らかに分別違反により回収されなかったそれを桜彩は手に取る。


「失敗してしまいました」


 そう悲しそうに呟く桜彩。


「まあ、これも経験だろ。次から失敗しなきゃいいんだ」


「はい。そうですね」


 少し気まずい雰囲気のまま、二人はエントランスの鍵を開けてエレベーターへと乗り込む。

 そのまま最上階へと到達し、それぞれの部屋の前まで通路を歩く。

 エレベーターから一番遠い階段側の部屋が桜彩、その手前が怜だ。

 怜の部屋を通り過ぎて、桜彩が自室の玄関を開けて持っていた荷物を室内へと置く。

 桜彩の手が空いたのを確認して怜は自分が持っていた桜彩の荷物を桜彩へと渡す。


「今日はどうもありがとうございました」


「気にしないで良いぞ。困った時はお互い様だ」


 そう言って怜は桜彩が玄関に置いたごみ袋に目を向けて


「渡良瀬、ごみの分別については分かるのか?」


「いいえ。前に住んでいたところと同じだと思っていました。ダメですね」


 俯きながら苦笑いで告げられたその答えに怜は少し考えこんで、自分の部屋の鍵を開ける。


「分かった。ちょっと待っててくれ」


「え、光瀬さん?」


 そう言うと怜は自分の家の玄関を開けて中に入り込み、適当に荷物を置いてリビングの方へと入っていく。

 一人残された桜彩が怜の玄関の前で待っていると、すぐに一枚のプリントを持って怜が戻って来る。


「はい、これ」


 そう言って渡されたプリントを桜彩が確認すると、そこにはごみの分別について事細かに記載されていた。


「あの、これは……」


「俺にはもう必要のないものだから。それにこういったのはネットでも調べられるし、役所に行けば貰えるから。だからそれはあげるよ」


 そう言われて桜彩は怜から貰ったプリントを大切そうに胸に押し当てる。

 そして微笑みながら怜の顔を見て口を開く。


「ありがとうございます。私は光瀬さんがお隣で本当に良かったと思っています」


 その表情と言葉に少しドキッとしてしまう。


「もしも光瀬さんがいなかったら、今日一日だけでも私は相当に大変なことになっていたと思います」


「いや、案外何とかなったんじゃないか?」


 照れくさくなって桜彩から視線を外しながらそう答える。

 しかし桜彩は笑顔のまま首を振る。


「いいえ、そんなことはありません。本当にありがとうございます」


「…………まあ、役に立てたのなら嬉しいけど」


「はい」


 まだ照れくささが抜けず、怜は何とか話題の転換を図ろうとする。


「そ、そうだ。渡良瀬は自分に出来る事は自分でやるって言ってたけど、別に他人と全く関わるつもりがないとかそういうことはないんだろ?」


 その言葉に桜彩は一瞬戸惑ってから


「……そう、ですね…………」


 そう小さな声で答えた。


「ならまずは蕾華と陸翔、目の前の席の竜崎蕾華とその隣の御門陸翔の二人と話してみれば良いぞ。人柄は俺が保証するから。まあ俺の保証が何になるって話なんだけど」


「……いいえ、光瀬さんが保証して下さるのであれば信じられると思います」


 怜の謙遜を桜彩は首を振って力強く否定した。

 それに一瞬驚いたが、すぐに怜も表情を崩す。


「そうか、ありがとう」


 二人も桜彩のことを気に掛けていたし、桜彩が怜の親友に対してそう言ってくれるのは嬉しい。


「まずは竜崎さんとお話してみますね」


「ああ」


 そして二人は互いに軽く笑い合う。


「それでは失礼しますね。また明日」


「ああ。また明日」


 そう互いに挨拶をして二人はそれぞれの家の玄関をくぐって部屋の中へと入って行った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その後、怜が夕食の準備に取り掛かろうとしたところで、スマホがメッセージの通知を受け取った。

 スマホを見ると、差出人は『渡良瀬 桜彩』となっている。

 メッセージアプリを確認すると、そこにはリュミエールで送ってきた物と同じ猫のイラストスタンプが『ありがとう!』という吹き出しと共に表示された。

 それを見た怜がクスリと笑うとスマホが再びメッセージを受信する。

 そこには『これから』というメッセージの後に、猫のスタンプで『よろしく!』という吹き出しが表示されていた。

 怜も『こちらこそよろしく』とメッセージを送るとすぐに既読の表示が付いて、それを確認して夕食の準備へと戻った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 次の日


「おはよう」


「おはようございます」


 先に教室に来ていた怜が登校してきた桜彩に挨拶すると、桜彩の方も挨拶を返してくれる。

 それだけ言うと桜彩は怜から視線を外して鞄の中の荷物を机に移し替えていく。

 そんな桜彩に対して他のクラスメイトはまだ遠巻きに見ているだけだ。

 そうこうしている内に、陸翔と蕾華が揃って登校してくる。


「おはよ、二人共」


「はよーっす」


「れーくん、おはー」


 そう怜に挨拶をしながら席に着く二人。

 そして


「渡良瀬さん、おはよう」


「おはよー」


 蕾華と陸翔が桜彩の方を振り返って声を掛ける。


「おはようございます、竜崎さん、御門さん」


 その返事を聞いた二人が目を丸くする。

 一拍置いた後、蕾華が満面の笑みで後ろを振り返り


「渡良瀬さん、アタシの名前覚えてくれてたんだ。ありがとーっ!」


 テンション高めで蕾華が後ろの席に座る桜彩の机にすぐさま身を乗り出していく。

 ただ名前を呼ばれただけなのだが本当に嬉しそうだ。


「は、はい」


 蕾華のテンションの高さに若干腰が引ける桜彩。

 そんな桜彩に対して蕾華は目を輝かせて言葉を続けていく。


「渡良瀬さん、早く来たんだね。何時くらい?」


「ええっと、今から十分ほど前でしょうか」


「そうなんだ。アタシは朝は――」


 マシンガンのように矢継ぎ早に話しかける蕾華にぎこちないながらも答えていく桜彩。

 それを隣で見ながら陸翔が不思議そうな表情をする。


「どうした? 彼女をられて複雑な気分か?」


「ばーか。オレと蕾華の愛はそんな程度じゃ壊れねえよ」


「なんだ、朝から惚気のろけか?」


「ああ、惚気だ。……じゃなくて、渡良瀬が昨日とは少し雰囲気が違うな。瑠華さんに呼ばれた後で何かあったのか?」


 怜と共に瑠華に呼ばれた際に何かあったのかと考えたのだろう。

 それに対して怜はゆっくりと首を横に振る。


「いや、瑠華さんのとこでは何もなかったぞ。ただ一日経って少しは緊張が解けたんじゃないか?」


「ああ、そういう事か」


 怜の答えに納得する陸翔。

 怜も嘘を言っているわけではない。

 何かあったのは瑠華に呼ばれた時ではなく、さらにその後に色々とあって緊張が解けたのだから。

 そして蕾華が桜彩に話しかけている横で、まだ男子が混じっていくのは良くないだろうという気遣いから怜と陸翔は二人で他愛もない話を始める。


「なになに? 渡良瀬さんがどうしたって?」


 するとそこへ蕾華と仲が良い女子も数名話に交じっていく。

 桜彩がクラスに溶け込めるのは思ったよりも早いのかもしれない。

 そんなことを考えていると、怜のスマホにメッセージの通知が表示される。

 差出人を確認すると、『渡良瀬 桜彩』となっていた。

 ふと隣を見ると、桜彩が蕾華と連絡先を交換している。

 おそらくそのどさくさで怜にメッセージを送ったのだろう。


「どうした? 何かあったのか?」


 スマホを持ったままつい笑顔になった怜を疑問に思ったのか陸翔がそう問いかけてくる。

 その問いに怜は首を横に振って


「いや、特に」


 そう短く答えてスマホをポケットへと仕舞う。

 消す前に一瞬だけ見たスマホには、昨日と同じ猫のスタンプに『がんばる!』の吹き出しが表示されていた。

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