第5話 クールさんは塩対応
「何か分からないこととか知っておきたいことってある?」
この日は始業式の後のホームルームが終わり次第下校となっている。
そんな中、怜のクラスメイトの反応はすぐに帰る人間と、転入生についてあれこれ興味があってまだ残っている人間の二つに分かれた。
その中でまず蕾華が先陣を切って声を掛ける。
別に担任の瑠華に頼まれたからというわけでもなく、単純にコミュニケーション能力の高さからだ。
誰に対しても物怖じしない彼女は当然のように転入生に話しかけていく。
しかし
「いえ、特にはありません」
「え、ないの?」
「はい。移動教室などはまだ分かりませんが、それはその都度教えていただければ」
「あ、そうだ、部活とかには興味ない?」
「いえ、ありません」
「そ、そうなんだ。ちなみにアタシはボランティア部に入ってるから」
「そうなのですか」
「え、えーっと……」
「……」
会話が続かない。
怜の知る限り化物じみたコミュ力を持つ蕾華がこれでは声を掛けようにも続けない。
他のクラスメイト達も少しの間その光景を見守っていたが、気まずいのかこのままでは何も起きないと思ったのか徐々に帰宅の途に就いていく。
それでも何とか蕾華が話を繋げようとしたところで、ホームルームが終わった後に教室を出て行った瑠華がひょっこりと姿を現した。
「あー、良かった。まだ残っててくれたー」
安心して胸を撫で下ろす瑠華。
少し息が切れている所を見ると、どうやら走って来たようだ。
それを見つかったらまた怒られるんじゃないかと思うのだがそれを口に出すのはやめておく。
「どうしました、竜崎先生?」
「あ、れーく……光瀬君、ちょーっと話があるんだけど」
「はい、構いませんが」
怜に向けて手招きしてくる瑠華に対してそう言って席から立ち上がる。
「ごめんねー。ちょっと光瀬君の家庭の事情について話しておかないといけなくて。まーすぐに終わるから」
「それじゃあオレ達はここで待ってるぜ」
「行ってらっしゃい」
二人の声を背に受けて瑠華の下へと歩き出す怜。
「あ、それと渡良瀬さんもちょっといいかなー?」
その声に桜彩も無表情のまま静かに立ち上がる。
「はい、分かりました」
そう言って鞄を持って教室の出口へと歩き出そうとするが、そこで一度蕾華の方へと振り返って
「それでは失礼します。何かあった時はよろしくお願いします」
それだけ言って再び瑠華の方へと歩き出した。
蕾華と陸翔はその言葉に一瞬ポカンとしたものの、すぐに笑顔を浮かべて
「うん。それじゃあねー!」
「またなー」
と桜彩の背中に声を掛けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それで、話ってなんですか?」
領峰学園の各教員には教員室が割り当てられている。
その瑠華の教員室に入りながら怜が尋ねる。
「ああ、それなんだけどね。あ、その前にれーくん、コーヒー淹れて」
イラッ
校内でれーくんと呼ぶなとかコーヒーくらい自分で淹れろとか言いたいところだが、それで話が進まずに無意味な時間を過ごすのを避ける為、言いたいことを押し殺して額に青筋を浮かべたまま無言で棚からインスタントのコーヒーを用意する。
そんな二人の様子を桜彩は先ほどと同じく大して興味がなさそうに眺めている。
「渡良瀬は飲むか?」
「いえ、お構いなく」
一応聞いてみたがそう言われては無理に用意することもない為、瑠華と自分の分だけを用意する。
それにポットからお湯を注いで差し出すと、それを受け取った瑠華はスティックシュガーを二本入れて美味しそうに飲みだす。
「ふう、相変わらずれーくんのコーヒーは美味しーねー。あ、立ったままじゃなく座って座って」
そう言って椅子に座る瑠華が、怜と桜彩も椅子に座ったところで本題を切り出す。
「それで話なんだけどさー。あ、その前に聞くけど二人ってお互いのことを知ってる?」
「渡良瀬がうちの隣人ってことなら」
「はい。先日引っ越した時に挨拶に伺いましたので」
その答えに少し驚いたような顔をしたが、すぐに満足そうにうんうんと頷く瑠華。
「そっかそっか。それじゃあお互いに一人暮らししてるってことも知ってるよね。それじゃまとめてなんだけど、一人暮らししてる二人に学校からの書類が色々とあるんだよ。緊急時の連絡先とかそういうの。というわけではいこれ、よろしく」
そう言ってそれぞれ二人に封筒を渡してくる。
それを受け取って中を確認すると、瑠華の言っていた通りいくつかの書類が入っていた。
「まあそんなに時間が掛かるもんでもないし、今ここで書いちゃってくれる?」
ペンを渡されたので、そのまま書類を取り出して必要事項を記入していく。
隣を見ると桜彩の方も同じように黙々と記入を始めていた。
「でも凄い偶然だよね。まさかれーくんと渡良瀬さんがお隣さんだなんて」
「まあ、あの家族向けのアパートに高校生が一人暮らしってのは中々ないですからね」
書類に記入しながら答えていく。
怜の場合は実家がそこそこ裕福であり、かつ両親が心配症ということでセキュリティが高くかつ広いあのアパートに住めることになったのだが桜彩の方はどうなのだろうか。
とはいえ桜彩とはそういったプライベートに踏み込んだ質問が出来るほど仲を深めたわけでもない為、それを口に出すことはしない。
「渡良瀬さんも何かあったら遠慮なくれーくんを頼ってくれていいからね。れーくんも一人暮らしの先輩として色々と気に掛けてあげるんだよ」
別に構わないのだがなぜあなたがそれを言うのか、と言おうとする怜。
しかしそれより早く、桜彩が書類に記入する手を止めて真っ直ぐに前を向いて口を開く。
「はい。……ですが私は自分で出来る事は自分でやろうと思いますので」
そう短く答えて再び視線を書類へと落とす。
その言葉に怜は瑠華への文句を飲み込んでしまった。
(ああ、そうか。道理で気になったわけだ……)
出会った日からなんとなく気にかかっていた理由。
一年前の怜と同じような考えを持っているからだ。
そうこうしているうちに二人共書類を書き終えて瑠華へ提出する。
二人から受け取った書類を瑠華が確認している間、怜と桜彩は会話をすることもなくそれぞれ黙ったまま待っていた。
「うん、これで大丈夫。二人ともありがとうね。それじゃあ気を付けて帰るんだよー」
「はい、分かりました」
「失礼します」
書類のチェックが終わった為、怜と桜彩は揃って瑠華の教員室を出る。
そして扉を閉めたところで不意に桜彩が口を開いた。
「光瀬さん、その、先ほどはありがとうございました」
「え? 何かあったか?」
いきなりお礼を言われても、怜には何のことか分からない。
「クラスでのことです。私のことに気が付いていたのに黙っていて下さったことです」
「ああ、そのことか。別に気にしなくても良いぞ。一人暮らし同士で隣同士ってバレたら面倒なことになるかもしれないからな」
「はい。それについてですが、今後も黙っていて下さる、ということでよろしいでしょうか?」
桜彩の言葉に怜は一瞬黙ってしまう。
桜彩としても無駄に噂されたり下世話に勘繰られることは避けたいだろうしその頼みは充分に理解は出来る、出来るのだが……。
「……分かった」
「ありがとうございます」
少し考えて答えた怜の返事に桜彩が頭を下げる。
怜としてはあの親友二人には言っておきたかったのだが、怜にとって二人が信用に値する人間であっても出会ってすぐの桜彩にとってはそうでないことは良く分かる。
だから怜は親友二人に申し訳なく思いつつも、桜彩のお願いに対して頷くことにした。
「それでは失礼します」
「ああ、また明日」
そう別れの挨拶を交わして怜は親友の待つ教室へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お待たせ」
「お帰り」
「用事は済んだ?」
少し時間が掛かってしまったため、教室内に残っているのは陸翔と蕾華のみだった。
怜が来たのを確認して荷物を持ち、帰る為に教室のドアへと歩いて行く。
その時、二人は怜の表情がいつもと少し違うことに気が付いた。
「なんだ、何かあったのか?」
「お姉ちゃんに何かされたの?」
心配そうに尋ねてくる陸翔と訝し気に尋ねて来る蕾華。
妹からの信用がどん底ともいえる瑠華に心の中で手を合わせる。
まあ日頃の行いから百パーセント自業自得なので何とも言えないが。
「いや、そういうことじゃないから大丈夫」
親友二人に対して隠し事がある為、少し曖昧な言い方をする。
二人はそれに気が付いたが、何か事情があるのだろうとあえて言葉にはしなかった。
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