第4話 転入してきたクールさん

「はいみんなー、ちゃくせーき! 静かに席に座りましょうねー!」


 始業式を終えて戻って来たクラスの中に、担任である竜崎瑠華りゅうざきるかの声が響き渡る。

 蕾華の姉で社会人三年目、今年からは担任を任されるようだ。

 妹のクラスの担任というのはどうなのかと思わないでもないが、私学校ということもあり学校側としてはその辺りは気にしなかったのかもしれない。

 ちなみに瑠華の私生活は結構いい加減であり、それが災いしてかこの年まで彼氏が存在していたことはない。

 それだけなら別に構わないのだが、妹の蕾華が陸翔と付き合っていると知った時には


『なんであたしもまだ異性と付き合ったことなんてないのに妹に先を越されるんだよーッ! ちょっとれーくん、あの二人を別れさせてーッ!!』


 などと妹の幸せを願うどころか姉としてはとんでもないことを愚痴っていた。

 その後、それを聞かれた蕾華にとっちめられたらしいが。

 また、一人暮らしをしている怜の実質的な保護者役を自称しており、たまにアパートまで様子を見に来たりもしてくれる。

 ただ普通に様子を見に来る分ならまだ問題はないのだが、たまにそれを名目に愚痴を聞かされることもある。


『ちょっとれーくん、聞いてよー! 友達からこんな連絡が来たんだけど―!! 全くもう、そんなに彼氏の出来ないあたしをからかって楽しいのかーッ!!』


 そんなことを言いながら学生時代の友人が彼氏と旅行に行っている写真が表示されているスマホを片手に、もう片方の手にアルコールの入った缶を持ってくだを巻いてくることも何度かあった。

 その際に『そーいうのを直すべきなんじゃない?』と忠告しても


『あーもう、そんな正論は聞き飽きましたー。ほられーくん、おつまみがなくなっちゃったよ。なんか作って!』


 などと教師と生徒という関係にあるまじき要求までしてくる。

 というか、一人暮らしの男子高校生宅からアルコール飲料のごみを出さないでほしい。

 怜本人は手を付けてないとはいえ、誤解されてはたまったものではない。

 李下に冠を正さず、という言葉の意味を考えてほしいものだ。

 これではどちらが保護者か分かったものではない。

 最近はむしろ瑠華のせいで怜の評判に傷がつくのではないかと考えている。

 そもそも未成年の一人暮らしの家に押しかけて一人で酒盛りをするなど言語道断だ。

 とはいえ怜も瑠華のことは人として嫌いというわけでもない。

 怜と陸翔、蕾華の親友三人は親同士の繋がりもあり、怜が一人暮らしをする際にも社会人であり怜の通う学校の教師でもある瑠華の存在は大きかった。

 怜の色々な事情も知っており、一人暮らしさせることを心配する両親に対して


『何か困った時はあたしがれーくんを助けます! だから安心して下さい!』


 そう強く主張してくれたことは怜も大きく感謝している。

 なので基本的に怜は瑠華に頭が上がらないし、心の中では第二の姉のように思っている。

 本人にそう言うと絶対に調子に乗る為に決して口にはしないが。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「はいみんなおはよー。あたしがこのクラスの担任を務める竜崎瑠華でーす!」


 出席簿を教壇に置きながらそう告げる瑠華を見て、あのお堅い学年主任辺りに聞かれたら雷が落ちそうな挨拶だな、などと思ってしまう。

 まあ瑠華はこういったところも愛嬌として捉えられ、生徒からの評判は悪くない。

 また意外にも授業は丁寧で分かり易く、そういった意味でも生徒にとって良い先生といえた。


「はいみんなー、春休み終了しちゃったねー。みんな二年になって少しは成長出来たかなー?」


「せんせーはあんまり成長してなさそうですよねー!」


 クラス中を見回しながらそう問いかけてくる瑠華に対して、妹の蕾華が辛辣しんらつな返しをする。

 その返しにクラスの中からクスクスと笑い声が起きる。

 といっても嘲笑などではなく、あくまでも瑠華が生徒から慕われているからこその笑いだ。


「あーもう、蕾華らいちゃん酷いこと言うなー! そんなこと言っちゃダメなんだからねー」


 体の前で両手を交差して大きなバツを作りながら不満げに口をすぼませる。

 怜としてはそういった所が成長してないんじゃないかと思うのだが。


「でも実際にそうでしょ? どこか成長した? 身長?」


「なんでそういう事言うかなー! らいちゃんサイテー!」


 同年代の平均よりも低い身長は、瑠華にとって若干コンプレックスとなっている。

 逆に妹の蕾華の方は同年代の女子と比べても比較的身長が高い為、蕾華に身長を抜かれた時はかなり真剣に妹のことを呪っていた。

 とはいえ蕾華と同様に見た目は良く、蕾華が格好良い美人だとすれば瑠華は可愛げのあるマスコットのような存在だ。

 見た目だけは。


「ちょっとりっくん、らいちゃんになんか言ってやってよー!」


「いやすんません、オレは蕾華の味方なんで」


 笑いながら陸翔が即答する。

 むしろ陸翔が蕾華と瑠華を秤にかけて、瑠華を取るわけがないことくらいは分かって欲しい。

 その言葉を聞いた蕾華が姉に対して勝ち誇った笑みを浮かべ、それを見た瑠華はさらに悔しそうに顔を歪ませて怜の方を見てくる。

 慌てて目を逸らそうとしたが、もう遅い。

 既に瑠華の目は怜をロックオンしていた。


「むー!! ちょっとれーくん! りっくんと違ってれーくんはあたしの味方してくれるよね!?」


 若干半泣きになりながら、怜のことを見つめてくる。

 というか、そんな目で見られたところで怜としてはこの姉妹喧嘩に対してどちらの味方をするつもりもない。

 とはいえこのままでは埒が明かないため、怜は苦笑しながら口を開く。


「はいはい、どっちの味方かは置いといて、姉妹喧嘩は家でやって下さいね。それと蕾華、あんまりそういうことは言わないように」


 蕾華と瑠華の関係を知らないクラスメイトもいるだろうし、ここでさりげなく二人の関係性を知らしめておく。

 その言葉にクラスメイトの何人かが、『ああ、そういうことか』と納得したように頷く。


「やーい、らいちゃん怒られ――」


「先生もそこまで。これ以上続けると上に報告しますよ」


 怜のその言葉に瑠華の方も口を閉ざす。

 常日頃から色々と他の先生にお説教を食らっている瑠華としては、これ以上面倒なことをしたくはない。


「むー! れーくんまでそういうことを言う。かわいくないなー、ほんっとーにかわいくないなー!」


 頬を膨らませてブーッと不満げな目で怜を見てくる。

 しかし怜は毅然とした態度で瑠華を見返しながら言葉を続ける。


「可愛くなくて結構です。それと先生、公私のけじめはちゃんとつけて下さい。校内では姉妹とか幼馴染みとかそういうのを横に置いて、教師と生徒という関係で行くと前に言っていましたよね? 蕾華のことは竜崎、陸翔のことは御門、俺のことは光瀬と呼んで下さい。それでは竜崎先生、ホームルームの続きをお願いします」


 それを聞いた瑠華がまだ何かを言いたそうにしていたが、怜がそれを目で牽制すると口を閉ざして言おうとしていた言葉を飲み込む。

 そしてまたクラスの中に笑いが起こった。


「ふー、まあいいや。それじゃあ最初になんだけど、このクラスに転入生が入ることになります」


 気を取り直して始まったホームルームの一番最初の連絡にクラスの中が一瞬で騒がしくなる。


「転入生?」


「珍しいな」


「どんな人だろう」


 そんな声がクラスの中に溢れる中、パンパンと瑠華が手を打ち鳴らして皆を静かにさせる。


「はい、みんな静粛に。それじゃあ入って来てー!」


 その言葉の後に、ガラガラと教室の引き戸が開いてそこから女子生徒が入ってくる。

 瞬間、クラスの中の視線が彼女へと集中した。

 だが転入生は、その視線を意に介さないように教壇の方へと歩いて行き足を止める。

 皆の視線が彼女に集中している理由は、間違いなく彼女が転入生だからという理由だけではない。

 長い黒髪に白い肌、整った顔立ち、同年代の女子と比べて少し高い身長。

 転入生ということを差し引いても間違いなく目を引く美人であり、同性である蕾華までもが目を奪われる。

 ただ、怜としては別の意味で目を奪われた。


(あ……彼女は…………)


 それは先日、自分の家の隣に越してきた渡良瀬と名乗った住人、その人だったからだ。


「わ、凄い美人」


「蕾華と並んだら面白そうだな」


 小さな声で蕾華と陸翔が怜に話しかけてくる。


「確かにな」


 陸翔の言葉に怜も小さな声で同意する。

 怜から見ても彼女はずば抜けた美人であり、身の回りの相手ではそれこそ蕾華と並ぶだろう。


「……へえ?」


「何だ?」


 ニヤニヤと笑いながら言われた陸翔の言葉に怜が目を細める。

 そんな怜をからかうように見ながら


「いや、お前がそんな感想漏らすなんて意外だったからな」


「そうだよね。れーくんはあんまりそういうのに関心のないタイプだし」


「別に俺だってそういう感想くらいは持つぞ」


 別に怜は女性に興味がないというわけではない。

 ただ女性だったら誰彼構わずに付き合いたいとは思っていないだけだ。

 今の返事も転入生が美人であるということに同意しただけで、別に彼女と特別な関係になりたいとかそういう事を思ったわけではない。

 三人が小声でそんな会話を交わしているうちに、瑠華が彼女の名前を黒板に書き終える。


「渡良瀬桜彩です。よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げる転入生。

 綺麗な声だな、と思ったがそれ以上にその声に感情というものが一切感じられない。

 また、声だけではなく表情も何を考えているか分からないポーカーフェイスだ。

 もう関わることのないと思っていた隣人が転入生として現れた事実に怜も少し理解が追い付いていない。

 ただ彼女の表情と空気が言葉にするには難しいがどうにも気になってしまう。


「じゃあ渡良瀬さんの席は窓際の一番後ろね」


 クラスの席順は五十音順で並べられている為、窓際の列の一番後ろ、そこが彼女の席である。

 ということはつまり、蕾華の後ろであり、陸翔の斜め左後ろであり、そして怜の左隣ということでもある。


「分かりました」


 そう短く答えた後、桜彩は自分の席へと向かって歩き出す。

 そして着席した桜彩に対して怜は隣席として一言


「よろしく」


 とだけ伝えた。

 その言葉に怜の方を見た桜彩は、一瞬驚いた顔をする。

 おそらく桜彩の方もこんな場所で再会することになるとは思わなかっただろう。

 しかしすぐにまた無表情へと戻って


「はい、よろしくお願いします」


 それだけ答えて視線を教室の前方へと移した。

 それを確認した瑠華はにんまりとした笑みを浮かべて


「それじゃあ渡良瀬さん、何か分からないことがあったら周りの三人に聞いてね。前の席のらいちゃんも斜め前の席のりっくんも、隣の席のれーくんもみんな面倒見が良くて優しいから」


「はい」


 担任の言葉に素直に頷く桜彩。


(…………ん?)


(…………は?)


(…………何だって?)


 しかし怜達三人は『あの教師はいったい何を言っているんだ?』と固まってしまう。

 教室の前方ではそんな適当教師が三人に向かってにんまりとした笑みを浮かべていた。

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